NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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クリフホテルのサーメルくん(9月28日)

シュワルマを食べて、インターネットカフェへ。ほとんど接続できなかったのは、後から聞いたところによると、この地域一帯がそうだったのだという。マイッタ、仕事にならない。

e0058439_1705815.jpg薬剤師のハイサムさんにイエメン料理をご馳走になる。色ごはんにミートのごろごろ乗ったメイン料理も美味しかったが、ミートをホイルに包んで釜にぶち込む料理がスパイシーでザーキー(美味しい)。ハイサムさんが店員さんと「ハニデラ」と繰りかえすたび、YATCHとわたしは画家のハニ・デラ・アリさんを想起してくすくす笑っていたが、そういう名前のお料理らしい。
わたしの持病を説明すると、ハイサムさんは「ここアンマンに数か月もいれば治るよ」と云ってくださる。たしかにそうかもしれない。東京は窮屈だもの。
わたし達はちょうどラマダン(断食月)の始まる日のあたりに帰国するので、ラマダン中の街の雰囲気を味わえず残念だ、という話をする。ラマダンは一度は経験してみたい。体調がすぐれず朝から晩まで食べものを口にしないことはたまにあるけども、それはラマダンとはまるで違うだろう。ラマダンは街全体でおこなわれる。レストランも営業しないし、キリスト教徒だって配慮するらしい。家族の、そして街中の絆が深まる。そしてそれは月によって決定される。ファンタスティックなムードが街を覆うのだろうかと、しばしウットリする。
e0058439_1721638.jpgハイサムさんの薬局に戻って、カフワ(アラブのコーヒー)をいただきながら談笑。カフワはどろっとしていて初めはびっくりするけど、しだいに慣れてきた。ただ問題は、飲むとおなかがゆるくなってしまうこと。実際にそういう作用があるらしい。ちょびっとだけ飲む。
ハイサムさんは「アラブは1つだ」とおっしゃる。かれ自身、イラク、パレスチナ、クウェート、シリア、ヨルダンなど色いろな縁がある。日本人、すくなくともわたし個人には、そのような感覚が備わっていないので、うらやましいのかなんなのか不思議な気もちになる。まあアラブ人だって、国ごとに誇り高く、しばしば他国をばかにしたりするんだけどね。
JIM-NETの井下さんが遊びに来られた。

e0058439_17132963.jpge0058439_17131832.jpg打ち合わせのため、高遠菜穂子さんや細井明美さんらと合流してイラク食堂へ。お客さんは全員がイラク人。イラク入りしたことないのはわたしだけ、みんなはイラクの味を懐かしがって食している。食後のチャイも、イラクはだんぜん濃い。いい体つきのちいさなグラスもまた、愛らしい。チャイを飲んでも、5人で5JD=800円未満というのはうれしい価格。
店内には、1月30日の在外投票のポスターがまだ貼ってあった。わたしは初め、ペプシのマークかと見紛ったけど。
e0058439_17161545.jpgお外のテーブルで食べている家族のおとこのこが興味深そうにこちらを見るので手を振ると、とってもはずかしそう。かたことのアラビア語で話しかける。はにかみ屋さんのアブドゥッラーくんは6歳。イラク人のおとこのこは可愛いなあ。だのに、大人になるとなんであんなにむさ苦しくなるんだろう(これまた失礼!)。

クリフホテルを訪問する。ここは、日本人バックパッカーのたまり場的場所で、お客の9割を占めるともいう。ロビーでは、日本人ばかりが何人かで情報交換をしていた。
わたしは、従業員のサーメルくんに話があって来たんであった。かれは一時、日本のメディアで有名になった。昨秋に人質として殺害された香田証生くんの事件の時だ。わたしはあの時のことを直接かれに聞きたかったのだ。
e0058439_17164675.jpgかれは語りだす、「来たときからミスター・コーダは悲しそうだった」。「かれはイラクへ行きたいと云った。イラクのこどもを見たいと云った。僕は何度も説得を試みたし、日本人もかれと3時間ほど話をした。僕はかれに考えを変えてほしかった。かれは、ロビーに群がるほかの日本人とは離れ、独りバルコニーに佇み、とても悲しそうだった。僕がジョークを飛ばしてもまるでダメだった。なぜかはわからない、でもとても悲しそうだった」とかれはつづける。「『行ったら死ぬぞ』と僕は云ったが、かれは『オーケー、わかってる』って云ったんだ」…わたしの両の目からは次つぎに涙のしずくが落ちてゆく。サーメルくんは証生くんのパスポートを見たそうだ。そこにはイスラエルのスタンプが押印してあった。そのこと、つまりイスラエルに入国した事実がどれほどハイリスクかをもかれは忠告したのだが、証生くんは考えを変えることはなかった。
サーメルくんはすぐに日本大使館に連絡をとったのだが、大使館の対応はつめたかった。大使館は、国境まで素っ飛んで行ってバスを止めることもできたはずなのに、そんなことはしなかった。情報を得ていながら大使館は、なにもしなかった。サーメルくんは、1日1日と証生くんの帰りを待った。じりじり、じりじりと時が流れていった。
事実を確かめられないのだが、かれはサマワへ赴いたという。外国人宿泊客がいると襲撃の対象になるため、ホテルはかれの宿泊を断った。かれはサマワの路上で7日間を過ごし、バグダードへ戻って、アンマン行きのバスに乗ろうとした。ところがバスはメッカ行きのものしかなく、途方に暮れているところで声をかけられ連れて行かれたのではないか、という話もある。
アルジャジーラTVに映しだされたかれの映像を目にしたサーメルくんの、その心情ははかりしれない。そしてかれはまもなく、死に至った。
死を覚悟して、あまりに高確率な死を覚悟して、かれはイラクへと発った。うん、気もちはおんなじなんだ。わたしだってイラクへ行きたい、イラクのこども達を見たいし、イラクで起こっていることを全身全霊で体験したい。そんな願望をあたためながら、情勢はどんどん悪化し、わたしは行くことが困難になっていっただけなのだ。かれはイラク入りを叶えていのちと引きかえに、なにかを得たのだろうか。わたしはただ鎮魂を、と思うほかない。
引っ掻き傷みたいにずっとこころにあった証生くんへの思いに、ようやく一区切りつけられたかもしれない。ロビーに置いてある「サーメル・ブック」には、宿泊客からのたくさんのメッセージに埋もれるようにそっと、ミスター・コーダの写真が貼ってあった。その頁とサーメルくんとで写真を撮影する。

ホテルに戻ってフロント係と話をする。やはりわたし達以外はすべて、イラク人客らしい。
ジャーナリストのみなさま、イラク避難民を取材したかったら、ガーデンズホテルへいらしたらいいと思いますわよ。

数日前からおなじホテルに宿泊していたサマワ出身のジャーナリストさんのお部屋を訪ねる。バクラワをいただいて、お喋り。そしておやすみなさい。
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by peaceonkaori | 2005-09-30 22:05 | 中東にて