NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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Hiroshima

「プリーズ・ホロシャマ(広島に連れてって)!」

壊れた英語でそう乞われたのは、ハニさん来日前の準備段階でのメールで。そこまで云われちゃなんとかせねばなるまい。ダメモトで進めてみると、なんだかスルスル、アレヨアレヨという間に広島行きが決まってしまったのであった。アラカリーム(神は慈悲深い)。こないなったらハニ、おもきし広島をかんじようや!

e0058439_2381636.jpg28日、早朝の暗いうちに新幹線に乗り込んで広島へ。
広島平和記念資料館をすこしだけ見学して、画材を購入しに商店街まで。高価な品々に驚き躊躇するハニさんに、わたしはつい声を荒げる。「アンタ、芸術家でしょう。せっかく夢の広島まで来たんやったら、すっごい絵を描いてよ! PEACE ON会計なんで気にせんでええて」。ハニ、大人しくなる。

e0058439_2384215.jpg晴天にめぐまれながら、原爆ドーム前でのハニさんのゲリラ的ライヴペインティング。セイブ・ザ・イラクチルドレン広島の助けをお借りし、地元画家の吉野誠さんも参加。わたしは拡声器で通りの人びとに呼びかける。「広島のみなさん、こんにちはー。1人のイラク人画家が、今まさに原爆ドーム前でヒロシマを描いています。その名は、ハニ・デラ・アリ。おとこ36歳! 未だ戦火の止まぬイラクからやって来ましたー。かれは広島に来たいっ、広島で絵を描きたいっと嘆願して、ついにその夢が実現しました。イラクとヒロシマはおなじ痛みを共有しているんだとかれは、深い深い共感をヒロシマに抱いています。ヒロシマとイラクの繋がる瞬間をどうぞ、どうぞ目撃してください」。
ちらほらと人だかりが生まれる。1人のイラク人画家が原爆ドーム前に座り込んで黙々と描いてるそのわきで、みながそっと見守っている。そのなかに、1人の女性の姿があった。すこし話をするうちに、かのじょが泣きだして事情を語りはじめる。かのじょの息子さんは、平和のためになにかしたいと志し兵庫の大学へ通っていたのだが、あの阪神淡路大震災で命を落としてしまったのだった。ハニさんやわたし達を見ているうちに、息子を思い出して生きていたら今頃こういうことをしているのだろうと、かのじょははらはらと涙を零していた。わたしはかのじょをハニさんのもとへお連れする。ハニさんもいたく感銘を受けたようだった。「一緒に写真を撮りましょう。笑ってください、そのほうがずっとおきれいですよ」。かのじょはしずくを拭いて笑顔で撮影に応じ、かたい握手を交わして帰っていった。ハニさんの絵は、確実にひとのこころを動かす類のものである。それはたいてい、芸術と呼ばれる。

日暮れる前に完成した絵は、数日前に見た丸木さんの原爆の図を想起させるものだった。後で聞いてみると、絵そのものは描くのと同時進行で思い浮かんでいたらしいのだが、そのカラーは丸木の黒と赤と灰色を用いたという。悲しい惨状がそこにひろがっているものの、不思議と最後はやすらかな心地のする、そんな1枚。
イラクのいいつたえでは、死んだこどもは羽がはえて空へ飛んでゆくのだそう。ハニさんの希望により、作品は広島のグループにお預けして機会があるごと広島の人々に見てもらうことにした。
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翌29日朝、ホテルのロビーでハニさんがバグダードのお家に電話をかける。ヴィザの関係で、いとこに連れられて妻とこども達がアンマンからバグダードへ向かっている予定だった。バグダードは早朝。電話が繋がらない。わたしの心臓はビートを速める。ハニさんの顔がけわしくなった後、電話が繋がった。すぐに切るハニさん、どうやら番号を間違えていたようだ。ンもう。再度かけ直すと、今度はご家族に繋がった。みんなぶじだという。電話をかけるだけでこんなにきんちょうするだなんて、まったくなんてこったイラクは。わたしは大すきなこどもらの顔を思い返しながら、ほっと息を吐いた。
ハニさんはさらに、昨日のライヴペインティングの様子が載った新聞記事を見て、満足そう。

川辺で朝食をとってから、ふたたび資料館へ。
e0058439_23121533.jpge0058439_23123692.jpg穏やかな平和記念公園、だけど60年前のあの日のこの川は、焼け爛れて水を求める者で埋まっていたことだろう。そして水を飲めば、彼らは確実に死んでいったのだ。
被爆したアオギリのそばのノートブックに、ハニさんがイラクのいのちを象徴するなつめやしとともに、そっとスケッチする。
じつはわたしがここを訪れたのは、初めてのことだった。原爆前の街並みからアメリカ政府の思惑、そして原爆投下と、展示は進んでゆく。詳細な情報、証言、写真、食べられることのなかった黒焦げのお弁当、衣服、頭髪。直観でわかる、過去から未来から凡ての人間にとってこれは起こってはならないことなのだと。自分の身体がこわばっているのをかんじる。高温でぷちぷちができた瓦に、手を伸ばして触れてみる。指先のみならず全身の皮膚が、その展示物の経験した出来事を拒絶しようとした。ふわっと涙腺がゆるんだ。わたしは口惜しかったのだ。実験のようにして大量破壊兵器を落とした奴らを許せそうにない、こんなことをほとんど教えようとしない日本の教育を許せそうにない。わたしは知らなかった、知らされていなかった。もし多くの日本人が学校でもっともっと教わるのなら、今の世界にたいして我われは黙ってはいないだろう、そう、行為するだろう。
e0058439_23131417.jpgわたしが遅いので迎えに来たYATCHに、待ち惚けを喰らっているイラク組のところにたどり着くまで、わたしは泣きべそをかきながら呟きつづけた。「わたし、PEACE ONやるから。日本人としてわたし、ちゃんとするから。PEACE ONがんばろうね、ぜったいがんばろうね」。PEACE ONへの誓いを新たにした。イラクの友とヒロシマへ来ることができて、よかった。わたし達の、ホロシャマ.......
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by peaceonkaori | 2005-12-07 23:21 | イラク人来日プロジェクト