NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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北海道にて

30日、寝坊する。出発時間まで半時間。イラーキーを起こして急かせて急かせて空港へと向かう。誰か、イラク人を急がせる方法をご存じのかたがあればご教授ください。電車が3分遅れで、飛行機に乗り遅れる。わたしとYATCHの日本人組は呆然とするも、イラーキー組は「喫煙時間ができたぜ」と喜ぶ始末。北海道は遠かった。
50分後の飛行機で千歳の空港に着くと、ぴん、とした大気がわたしの頬を叩いた。東京のそれとは違う、1年ちょっと前まで住んでいた信州の冬に似ている。凍みる、凍ばれる、という表現があるがまさにそのとおり、皮膚の表面が凍ったようになる寒さ、しゃんとする。ひさしぶりの真冬物語に、身体がよろこんでいる。
北海道のみなさんはアラビア語で「ようこそ」と書いた横断幕をもって迎えてくださった。札幌市内へと走る車道の両脇は、どこまで行っても林のようなのがつづく。自衛隊の土地なんだそうだ。町の経済状況や反対運動などについて聞いていると、戦闘機の飛ぶのが見えた。わたしは生まれて初めて、戦闘機というものを見た。ハニさんはさほど関心がないようだった。イラクには多国籍軍の基地が山とあるもの。そうでした、ごめんなさい。わざわざ日本まで来て見たくないわよね。

e0058439_2313051.jpge0058439_23131265.jpgハニ・デラ・アリ展「イラク 矢臼別~Save Children Save the future~」の会場であるギャラリー大通り美術館にて、さっそく記者会見。そして札幌市長のところへ表敬訪問。

イラク人の生の声を聞く機会を今回わたし達はもてたのだし、イラーキー3人にはひじょうに感謝している。ぜひとも大いに語ってもらいたい、そう願っている。
ただ、ハニさんがどんどんナーヴァスになってきているのも事実だ。
かれはイラク人、それでいてアーティストなんである。もちろんかれだって平和なんてもんを祈っているし、7千年の歴史を誇るイラクを描くことによって闘いを挑んでいるといってもいいかもしれない。だけど、かれに向けられる質問といえば「この絵にこめられた(政治的)メッセージは?」だとか「これは戦火の様子を描いているのですか?」だとか。イラク人だという理由だけで、かれを単なる「反戦画家」として位置づけるの? たしかに、ヒロシマなどを題材にした作品もある。けれどもわたしが思うのは、かれはいつだって真の美を求めているということ、ただそのことのみが芸術たるゆえんであり、芸術は葛藤と平安であり、美の追求を死守することであるのだと。もしお望みなれば、それを「芸術による抵抗」と呼んでもいいとは思うのだけれど。

翌12月1日朝の酪農学園大学の講演へ向かう途中も、かれは悩んでいる風だった。「わたしはハニさんのアートがすき。たとえハニさんがイラク人じゃなくてヨルダン人でも中国人でもアメリカ人でも、わたしはあなたがすきなんよ。話をすればみんなわかってくれると、思う」とわたしは口にしたが、かれは「絵のないところで話したくない、絵の前で絵について話すのはかまわないけど」と云うんであった。いつもより強い口調で、わたし達は話し合ってみた。そして本番、かれはほんのすこしだけご挨拶をして、スピーチを終えたのだった。
e0058439_23134930.jpgところが、である。1時間半の講義の後にまだ話したいという生徒さんらが何10人と集まってきた。そのなかの幾人かはハニさんのもとへ来てはずかしそうに、展覧会のことやハニさんの作品について尋ねたりした。「ほらね」とわたしはハニさんの前に立ってどうどうと笑いかけてみる、「あなたがちょっと喋れば、みんなハニ芸術に興味津々になっちゃったでしょう」。生徒さんらはサラマッド達に、熱心に質問を浴びせていた。窓の外にひろがる風景を眺めながら、わたしのなかに心地の好い爽やかな風が過ぎていった。

さてここで、ハニ様の大危機なのです。かれは15日ヴィザを申請していたのだが、当初の予定より1日スケジュールを早めて来日したため、16日間の滞在となる。1日でも不法滞在、日本の強制収容所こと入国管理局行きになってしまう。緊急ハニ救済プロジェクト、札幌の入管へ行って手続きをすることにした。アンマンの航空会社まで問い合わせるなど悪戦苦闘するも、4000円もかかってなんとか延長可能に。マブルーク(おめでとう)、檻に入っちゃったらドウシヨウなんて思っていたヨ。書類には所持金なんかの記載欄もあって、思わずわたしは「クレイジー・クエスチョン」とハニさんに叫んで説明してしまった。初めての入管、ここにもたくさんの外国人が悲しみのうちに収容されているのだろうか。

日暮れる前に、小樽にある温泉まで車を飛ばしてもらう。イラーキー達はみな、困惑のご様子。"裸のお付き合い"というのは、アラブ圏、イスラム教世界では考えられないものね。アマラと女湯へ。最初かのじょは「マジで? なんてことっ」と大きいバスタオルで必死になって隠してい、さらに露天風呂に入ろうと誘うと「ヤだー、うそでしょ」と目をまんまるくさせてなかば怖がっていたのだけれど、いちどつかってみるともう極楽。「これが日本なんよ、温泉に行ったりするんすきやねん」とわたしも得意顔。アマラはすっかり気もち好くなって、わたしが「はよ出なアカン」と急かすぐらいのんびり愉しんでいた。脱衣場まで来て「カオリ、あなた脚が真っ赤よ」と驚くアマラ、「アマラこそすごいやん」とかのじょの脚を指さすとかのじょは心底仰天、2人してきゃっきゃきゃっきゃと笑い転げてしまった。ロビーに行くと、男性陣もえびす顔。女湯にいても男湯から、おとこのこの大きな赤ちゃんのような喚声が聞こえてきたほどだったもの(殿方のはしゃぎようはYATCHブログにて)。

e0058439_2314276.jpg札幌へ戻り、講演会「バグダッド市民が語る イラクは今」。イラクは今…たとえようもないほど混乱状態で、話を聞けば聞くほど奈落のようにさえかんじてしまう。だけどそんななかでも、サラマッド達が奇跡的ともいっていいくらいに元気で生きていて、PEACE ONの活動をしてくれている。それだけがわたしが確信をもてる唯一の希望に思う。

e0058439_23152495.jpg翌2日の、北海学園大学での「イラクは今-芸術による闘い-」と題された講演でハニさんは、イラクの一市民として、また1人の芸術家として、淡々と話を進めてゆくのだった。イラク人としての静かな怒りと誇りとが、ふだんはイケメンと茶化しているかれの顔から声から動作から、滲み出ていた。質疑応答で、PC映像で紹介したかれの作品自体についての質問が相次いたことが、かれの熱意を加速させた。そばに寄って黒板に図を描くよう促す。この来日期間中なぜかすっかりかれの専属マネージャーとなってしまったわたしも、この講演を誇らしく思う。イナナという美の女神の使者ワシーファのこと。バビロンの三角形のこと。なんだって訊いてくださいな。ピース!

昼食を摂って、サラマッドとアマラとYATCHは函館へ。ハニさんとわたしはそのまま札幌。
e0058439_23153870.jpg夜は、ギャラリーでハニさんを囲んでのアートトーク。持ち寄った食べ物やお酒をつまみつつ、ハニ画伯の抽象画にたいする話が弾む。古代文明の細かな説明にハニさんは、「カオリ、もうわかってるだろ、頼むよ」と任せるほど上機嫌。故郷ヒートのアスファルトのこと、バビロンのこと、イラクの木なつめやしのこと、光のこと。昨日の酪農学園大学の生徒さんもいらしてくださった。30人ほどのパーティ、ささやかで贅沢な時間が流れていった。
LAN TO IRAQプロジェクトに携わる者として、作品が売れることはよろこばしいのと同時に、我が子のように溺愛している絵とお別れするのが子離れできない親にも似た心境になる。すきだよ、元気でね、可愛がってもらってね、とお酒を片手に1人、売れていったアート達にさよならを告げる。でもそうやって、展示や売却によってイラクの文化や芸術が日本にひろまることは、わたしの本望であり務めなのだから。
アッラーイサハディック(おつかれさま)、ミスター・ハニ。外に出ると、目に見えるか見えないかというぐらいほんのりと、雪が舞っていた。
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by peaceonkaori | 2005-12-13 23:16 | イラク人来日プロジェクト