NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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最終夜

3日の午後に札幌から東京へ。北海道のみなさんは最後の見送りまで、そのほかにもごはんやら送迎やら、ほんとうなにからなにまでお世話になりました。ハニさんの絵、札幌で3枚も売れたの。ありがとうございました。PEACE ON会員の千葉くんがいなかったら、北海道ツアーは実現していなかったことでしょう。ありがとう、アブジャージム(ハニさんが千葉くんをこう呼んでいた。ハニさんの知人のアブジャージムさんにそっくりなんだそうだ。ついでに云うとハニさんの千葉くんの物真似は"なまら"上手、さすが絵描きの観察力)。
離陸までに観光かお買い物かと提案したのに、ハニさんは空港で時間をつぶすといって聞かない。往きに走りまくって遅刻したのがトラウマになったみたい。日本では高速道路でも駐車場でもお金がかかるのを横目に、ハニさんは「ヤバン、ムシュケラ(日本は問題だ)」と呟いていた。
飛行機は半時間ほど遅れたが、サラマッドとアマラとYATCHもほぼ同時刻に成田空港に到着していた。たった1日しか離れていなかったのに、お互いよろこび合う。

事務所に荷を置いて、ハニさんとYATCHは搬出のため中和ギャラリーへ。中和ギャラリーではなんと、5枚も売れてしまった。
サラマッドとアマラとわたしは、谷中銀座でお土産を探す。道中、アマラとわたしは腕を組んでガールズ・トークを弾ませる。恋の相談などをしていると、サラマッドも一緒になって励ましてくれた。わたしはアマラをこころからリスペクトしている。あの開戦時にもしわたしも"人間の盾"になってイラクに留まりイラク人男性と恋に落ちたとしても、わたしは結婚してイラクに住まうことができただろうか? 危険をかんがみて、首を横にふっていたかもしれない。たぶん恋のままに動いていたとは思う、でも確信はもてない。そう告白するとアマラは、そんなことはなんでもないといった風に「だって今のカオリだってすきでもない東京に居るでしょう。PEACE ONのために」と云ってくれる。ありがとう、アマラ。広島でも「えっ、お化粧していないの? ダメよー」と云って頬に塗ってくれたり香水をかけてくれたり、小樽では一緒に温泉、札幌でも盛んに恋バナしていたっけ。PEACE ON乙女部門ここにあり、ってね。

e0058439_0545324.jpg夜には神田カブール食堂で、会員さんや、『ファルージャ2004年4月』の訳者(共訳)でもあるいけだよしこさんらと、少人数でお別れパーティ。
アフガン料理はどうかなとしんぱいしていたのだけど、サラマッド達は大よろこび。「カオリ、イラクとおんなじホブス(薄焼きパン)だよ!」「カオリのすきなバーミヤンもあるね」「ティッカ(串焼き)が来たよ」「これも食べな、ほら、これもイラク料理だよ!」などと上機嫌。
お店の一家はアフガニスタンからの難民。イスラム教徒だそうで、ちょっとしたアラビア語なら通じる(日本語OKなので問題ないのだが、ハニさんが「喋ってみー」と云うので、知っているアラビア語をおずおずと話してみた)。こども達もみな愛らしい。「美味しかったよ、また来るかんね」。

地下鉄の駅で、みんながイラーキー達と最後の挨拶をしている。そして改札をくぐり抜けるイラーキーやわたし達にジャーナリストの村上和巳さんは突然、「ボロ・ビデム・ニブディークヤ・イラク!」と腕をブンブンさせて歌いだす。なんてお莫迦で洒落た演出。あの「血も魂もサッダームに捧げる!」というサッダーム時代にイラク人がみな歌っていた(歌わされていた)フレーズだ。一同大爆笑。ケラケラといつまでも歌ったりする。サッダームはバッドだったけど今はワースだ、とサッダーム時代を懐かしむ声は多い。
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by peaceonkaori | 2005-12-14 00:57 | イラク人来日プロジェクト