NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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See you soon.......

3日深夜、ハニさんがアンマンのご家族に電話する。電話口でハニさん激怒、大迫力のアラビア語で捲くし立てている。とっくにバグダードからアンマンに着いているはずだのに、連絡がなかったからだった。
e0058439_17221590.jpgどうやらみんなぶじだそう。とはいえ、イラク・ヨルダン国境では12時間以上(20時間かも←ハニさんは英語数字が苦手)待たされ、ルカイアは具合を悪くしたみたい。わたしの大すきなルカイアが! アンマンではたくさん絵を描いてくれたし、今回ハニさんが持参してくれた絵もあった。はにかみやさんで、お絵かきとおめかしが大すきな、可愛い可愛いルカイア。そんなこどもを抱えた家族を寒い国境で延々と待たしておくなんて、と腹が立ってならない。
ラマディ付近に住むハニさんのお母さんも病気だそうだ。そしてハニさん自身だって、バグダードにいた頃はストレスに苦しんでいた。戦争はみんなみんなのライフを壊してゆく。
戦争と占領の被害は、なにも死者の数だけではない。道路封鎖されて迂回するひと、夜中に病院に行けないひと、たいせつに栽培していたなつめやしの木を戦車になぎ倒されたひと、国境で待たされて病むひと…そんな1つ1つが如何にも被害であり、わたしはそれを放っておきたくなくてくそーと下唇を噛みしめる。お父さんが一緒じゃなくて、こころ細かったことでしょう。ルカイアの容態が早くよくなりますように、とせめて祈る。

12月4日、とうとうかれらの日本出国の日がやって来た。サラマッドとアマラは午前中に出発。ハニさんとわたしは空港までお見送りにいけないため、事務所でお別れする。起きぬけなのに、涙がこぼれて終わらない。「わー、カオリがまた泣いたー」とサラマッドはあの笑顔で慰めてくれる。握手した手を離せない。「すぐに会えるよね?ね?」と繰りかえして繰りかえして、だけどももうさよならの時。さよならなんて云えないよ。ただ、「ほんまにすぐに会おうナ」とだけ。

e0058439_17223944.jpgサラマッドとアマラの使っていたお部屋に入ると、お布団のうえにYATCH宛てとわたし宛てそれぞれに置き手紙が残してあった。

Dear friend & sister
Thanks for working so hard to make us happy. It took me a while to know you better and all I can say is that you are a great girl with a great heart. Inchallah you come to France or to Iraq and I can take care of you too.
Wish you lots of luck and love with ......
And hope to see you soon.
I'll pray god to keep an eye on you.
Amara & Sarmad


ンもう。また泣かせやがって。空港にいるサラマッド達から、「もしもしー」と電話がかかってくる(サラマッドは日本人の「もしもし」とか「どもども」「はいはーい」なんかの真似が上手)。「お手紙、読んだよー。もうアイミスユーやでー」。ありがとう、サラマッド、アマラ、ほんまにね。

e0058439_17231023.jpge0058439_17232111.jpgその後、ハニさんとわたしは浅草へ行ってお土産ショッピング。
「なんだこれは?」とハニさんが興味を示したのは、100円ショップ。説明すると、この国のエクスペンシヴさにうんざりしていたハニさんは、大よろこびで入店する。「なんで今まで教えなかったんだ?」と、次つぎと買い物かごに入れてゆく。塗のお盆や重箱のようなものなど日本的なお土産を探すのだけど、かれのこだわりはあくまで「Made in Japan」。「品質は低いんやよ」と教えても、「そんなことはかまわない、日本製という表示が大事なんだ」とのこと。たしかに、イラクでの日本製品は神話のようだと聞いている。けっきょく3000円ほど買っていた。
で、かんじんの雷門から浅草寺までのお店の賑わいには、ほとんど興味を示さなかった。すこしだけでも見てもらう。日本的な浅草も、100円ショップにはかなわなかった。

天丼、食べる。食後のお茶をしながら、イスラムの結婚について教わる。ハニさんは「今度来日する時には新しいお嫁さんでも探そうかなあ」なんて冗談交じりに笑っている。「わたしはハニさんの奥さんがすきやから、かのじょを悲しませんといてや」と反対すると、「僕もだよ」と必ずつけくわえる。このひとは、街を歩けば「おっ、あの娘は好み、あっちはダメ」なんて品定めを始めちゃうし、鼻歌は四六時中フンフン歌っているし、悪口だって口にするし、写真ばっか撮らせるし、まったくオジサンそのものなんである。あんな絵を描くのにね。2人とも英語がそこまで得意じゃないのが妙に馴染んだのか、わたし達は兄妹のように仲良しになり、なぜかほかのひとより云いたいことも伝わった。実際わたしはすっかり、ハニ専属マネージャーと化していた。微酔してハニさんを叱ったことだってあった。この瞬間はいつまでもつづくと、思っていたかった。

YATCHと合流して、秋葉原の電気街へ。
長男ムスタファ用のゲームや、家族を今回バグダードまで連れて行ってくれたいとこに贈る髭剃りを探す。昨今のゲーム機は高性能で、融通が利かない。ハードとソフトがあって、ハードは電池式ではないうえに、ソフトは日本ぐらいでしか販売していない。そして阿呆らしいお値段。ゲーム機は、ムスタファへのプレゼントには相応しくなかった。
にしても、日本のこはこんなものを買い与えられているのだろうか? わたしはTVゲームのない家庭で育ったため、その感覚がわからないけれど。なにもかもが充実しているゲーム内容、ということはつまり想像力が欠如するということにならないだろうか? 創意工夫のもてない玩具は、"遊び"とはいえない。わたしは安曇野ちひろ美術館を思い出す。あそこのお庭は丘の曲線と浅い池のお水と草花しかないし、こどものお部屋には絵本の山とシンプルな積み木のようなものしかない。それでもこどもらは、きゃっきゃとじゆうに遊んでいる。なにより迫りくるアルプスと半球の透きとおった青空のうつくしいところだ、うん。

そしてなんとなんと、わたしが今回の新作でいっとう気に入った絵、記者会見でも質問したあの作品をプレゼントされてしまった! わたしがハニさんのこどもが大すきでギャラリーでもあの絵をずっとずっと観ていたのを、ハニさんはよく知っていたんであった。この抱えきれないしあわせを伝えるには、感嘆符を放ちまくった「アナサイーダ! アナサイーダ!」という言葉のほかにうまく見つからなかった。ありがとう、ハニさん。あなたのファンで光栄です。

ハニさんの飛行機の時間もいよいよ迫ってきた。
羽田空港へと向かう途中でもハニさんは「マイ・ブラザーとマイ・シスター」と次つぎに謝辞の言葉を紡いでゆく。わたしは浅草散策中に「すきなおとこのこの前ではもうすこし黙っていなさい」と諭されていたのだけども(むぅ)、空港のエスカレーターではさかんに「キープ・ラヴ」と云われた。新婚旅行には故郷ヒート案内を約束。「山があって農家がまたよくって水車が回っていて、ほんとうにいいところなんだ」と。今は激戦地域だけども、きっと将来は花やかな土地にまたよみがえるよう願う。ええ、ヒート訪問を愉しみに。
握手をしてお別れ。ハニさんが離れてゆく。身体検査と手荷物のチェックを済ませて、いよいよ姿が見えなくなるまで、わたし達は思い切り手を振った。つよくつよく振った。
そしてその後に、わたしはすこしだけ頬を湿らせた。「終わったな、2週間」とYATCHが呟いた。ハラース(お仕舞い)!

この2週間-極端な睡眠不足に陥りながら、咳が止まらなくなりながら、喧嘩を繰りかえしながら、持病が悪化しながら、微熱に浮かされながら、嘔吐しながら、泣きながら、大笑いしながら、愉しみながら、なにかにこころが満たされながら…ほんとうにひっちゃかめっちゃかな2週間だった。ほんの一瞬間さえ、憶えていたい日々だった。

エスカレーターの左右の列の違いを認識し、浄水器の蛇口を覚え、ウオシュレットのシステマチックなおトイレに笑い転げた。ハニさんはゴミ分別を習得し、日本の薄味を健康的だとほめた。サラムーディ(サラマッド)は孫の手をニヤニヤとうまく使ってみせ、YATCHが洗面所の電気がさを大音量で割ってしまったらちょうどもっていた包丁を振りかざして「誰かいるのか? 俺が退治してやるぞ」と目玉をギョロギョロさせてがなっていた。

サラマッドとアマラとハニさんとYATCHとわたしは、もう5人家族。インッシャッラー(神がお望みなら)、すぐに会えるかな?
イラーキーの残り香のする事務所で、わたしは胸にぎゅっと詰まらせる。ピースフル・ピース、かけがえのない兄弟姉妹に捧ぐ。
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by peaceonkaori | 2005-12-16 17:23 | イラク人来日プロジェクト