イラクまで
2006年 09月 06日
8月28日、PEACE ON事務所を出る直前まで、事務仕事やら旅支度やら冷蔵庫の一掃やらで、あっという間に出発時間。この、ぎりぎり魂。
羽田空港には、会員のキさんが見送りに来てくださった。ご寄付を頂戴する。有難い。「この写真は貴重ですよー」なんて腹黒い冗談で笑いながらの写真撮影。まさかまさかの最期になりませんように、なんてね。
北部のクルディスタンとはいえ、今回のこのイラク行きを、会員を含めほとんどのかたに告げずに来た。もちろん、イラク人現地スタッフのサラマッドによる調査の末のOKと、日本国内の理事会での対策会議をもち、じゅうぶんと思えたからこそのイラク訪問だ。イラク攻撃開始から3年半、イラク行きの夢を抱き始めてから3年半、長い道のりではあった。バグダードへもヒートへもファッルージャへも今はまだ行けないけれど、それでも念願のイラク。一瞬一瞬をこころにふかく刻んで生きようと、思う。
関西空港で乗り換えて、ドバイまで。着陸時の急降下では、いつも耳からあたまにかけて激痛が走る。お隣さんにしがみついて、しばし悶絶。かなり嫌がられる。むぅ。
日付は変わっている。ドバイから、シリアのダマスカス国際空港へ。 ガラージュ・バラムケというバスターミナルまでバスで30分ほど行く。25シリアポンド=約60円。そこからガラージュ・ハラスタまでタクシで3ドル。街を走る車やその辺の壁のいたるところに、バッシャール(シリア大統領)とナスラッラー(レバノンの組織ヒズブッラーのリーダー)のコンビの肖像画が貼られている。タクシーの運転手に聞いてみても、「ナスラッラー、クワイアス(グッド)」とちゅぱちゅぱキスを送っていた(アラブでは、おとこのひともおとこのひとにチューをするの)。やはりナスラッラー人気は、ここでは確実なようだ。そしてわたし達はそのバスターミナルで、カーミシュリー行きのバスに乗りこんだんであった。
ダマスカスからカーミシュリーまでは、シリア国内とはいえ南西から北東まで砂漠の道をずーっと行って9時間もかかる。それでもバスなら7ドル、安過ぎ。『地球の歩き方』にも載っていないぐらいだから、そんな田舎まで旅する日本人はそうとう珍しいようだ。こどもらをきっかけに、乗りあった人びとと交流が始まる。片言の英語すら通じないものだからこっちはアラビア語の辞書を引っぱりだして、ぎこちないながらも、じゅうぶんとけ合うことができた。途中、ユーフラテス川を渡る。これを泳いでゆくとバグダードに着くのだなあ、と泳げないわたしは想う。いっとう話していた家族が降りると今度は、バス前方の御一行にこっちに来て来てとせがまれる。2人がけの座席に3人で座ったりして。いよいよカーミシュリーに着いて、さあホテルを探そうという段になっても、バスの乗客やら集まっていたタクシー運転手やらがみんな輪になって話し合ってくれる。たくさんの写真撮影をして大きく手を振り、バスは去っていった。タクシーにホテルまで案内してもらうも、ビジネスなど様ざまな理由でイラーキーが流れ込んできていて満員だという。それならと、運転手のスレイマンさんがお家に泊めてくれることになった。
シリア国境の町カーミシュリーでの、ふつーのお宅。1歳になる双子の赤ちゃん、電灯のないお外のおトイレ、チャイ(お砂糖たっぷりの中東の紅茶)やファラフェル(軽いコロッケのようなもの)でのおもてなし、瓶1杯のお湯で身体を洗い、ホースのお水で洗面、ダニのうじゃうじゃいるお布団まで用意してくれた(痒かったこと痒かったこと…)。
翌30日、スレイマンさんのタクシでトルコとの国境まで連れて行ってもらう。カーミシュリーには秘密警察がたくさんいるから、お宅にお泊まりさせてもらったことは内緒。こっそりと、さよなら。
シリア国境では別室に案内される。なにか問題でもあるのかとドギマギしながら待っていると、チャイをふるまってくれたりニッコリご挨拶してくれたり、果ては出国税も払わずに済んだりと(要らんのかしらん?)、なぜか好待遇。すーっと通ることができた。トルコ側の国境も、問題なし。
幸運なことに、イラクのクルディスタンのザホー行きのおじさんとめぐり会い(お祖父さんがその名もザホーなんですって)、タクシをシェアしていざトルコ。じつはわたしはトルコを怖がっていたのだけども、通過している間はほとんど眠りこけていたので、よく分からなかった、えへ。トルコ軍の戦車がちょいちょい停まっていたいたらしいけど。んで、数時間でいよいよイラク国境。
国境にはクルド軍隊ペシュメルガがいたんだけど、写真を撮っても怒られなくって、またまたチャイまでもらって、まったくマーク・ムシュケラ(問題なし)。ここからは、途中シロピから乗り合ったシャイシャイくんというタイ人の電気技師を迎えに来たスレイマニアの会社の車に同乗させてもらう。こっそり尋ねてみると、シャイシャイくんは29歳で、イラク行きの話をもちかけられた時は怖かったし両親も反対したんだけど、はるばる働きにやって来たらしい。きんちょうしているようすが、見てとれた。
あちらこちらでクルドの旗が翻り、ガソリンスタンドはピカピカ、検問所もさらっと停まるだけ、山岳地帯を時速100キロ超でひたすら走る。運転手さんもシャイシャイくんの上司になるかたもスレイマニアに住むクルド人、話す言語はアラビア語でなくクルド語。なにかが違った。わたしの想い描いていたイラク、あれはいったいなんだったんだろう。ここはクルディスタンでイラクといえどもアラブではない。イラクの一部と口に出せない雰囲気が、ここには充満していた。わたし達は話す時には、「中東」と言ったり「クルディスタンを含むイラク」と言ったりして気をつかった。
クルディスタンは、イラクにあってイラクにあらず。
もちろんピースフルなことはいいことだ。ドンパチがあったり、学校が休校になったり、道路が封鎖されたり、遺体が通りを転がっていたり、「マーク・マイ、マーク・カフラバ、マーク・ベンジン、マーク・アマン(水ない、電気ない、ガゾリンない、安全ない)」のバグダードなんか、もうたくさんだと云いたい。それでも、イラクの友から聞いていたイラクとのあまりのギャップに、わたしはとまどいを隠せないでいた。通りで売っている闇のガソリン、物価の上昇、韓国軍の駐留(クルディは韓国軍をグッドと言うけれど、国境で有刺鉄線の向こうの戦車とかを見た時はいい気はしなかったな)、クルディスタンにも問題は山積している。それにしたってクルディスタンはひじょうに穏やかだ、うん。やがて山の向こうに夕陽が沈んでいった。仄かなサンセット。
夜になって、アルビル近くのシャクラワというちいさな町に着いた。ここはアラビの多い観光地なんだそうだ。夜は涼しく、町は賑やかに人びとで溢れかえっていた。そのひょうじょうはのびやかで、皆にこにことしていた。やはりヤバニ(日本のおとこ)とヤバニエ(日本のおんな)は珍しがられ、写真やヴィデオを撮ったり声をかけてくれたりと一躍、町の噂になってしまった。 その歓迎のひょうじょうに、ここシャクラワはだいじょうぶなんだなと、ほっとしたわたしであった。相澤YATCHは、バグダードの市民のひょうじょうは情勢が悪化するにしたがって硬くなっていったけれど、戦前から2004年4月頃までのやわらかなひょうじょうによく似ているな、と言っていた。
こうして3日がかりでぶじ、イラクに到着した。
羽田空港には、会員のキさんが見送りに来てくださった。ご寄付を頂戴する。有難い。「この写真は貴重ですよー」なんて腹黒い冗談で笑いながらの写真撮影。まさかまさかの最期になりませんように、なんてね。
北部のクルディスタンとはいえ、今回のこのイラク行きを、会員を含めほとんどのかたに告げずに来た。もちろん、イラク人現地スタッフのサラマッドによる調査の末のOKと、日本国内の理事会での対策会議をもち、じゅうぶんと思えたからこそのイラク訪問だ。イラク攻撃開始から3年半、イラク行きの夢を抱き始めてから3年半、長い道のりではあった。バグダードへもヒートへもファッルージャへも今はまだ行けないけれど、それでも念願のイラク。一瞬一瞬をこころにふかく刻んで生きようと、思う。
関西空港で乗り換えて、ドバイまで。着陸時の急降下では、いつも耳からあたまにかけて激痛が走る。お隣さんにしがみついて、しばし悶絶。かなり嫌がられる。むぅ。
日付は変わっている。ドバイから、シリアのダマスカス国際空港へ。 ガラージュ・バラムケというバスターミナルまでバスで30分ほど行く。25シリアポンド=約60円。そこからガラージュ・ハラスタまでタクシで3ドル。街を走る車やその辺の壁のいたるところに、バッシャール(シリア大統領)とナスラッラー(レバノンの組織ヒズブッラーのリーダー)のコンビの肖像画が貼られている。タクシーの運転手に聞いてみても、「ナスラッラー、クワイアス(グッド)」とちゅぱちゅぱキスを送っていた(アラブでは、おとこのひともおとこのひとにチューをするの)。やはりナスラッラー人気は、ここでは確実なようだ。そしてわたし達はそのバスターミナルで、カーミシュリー行きのバスに乗りこんだんであった。
ダマスカスからカーミシュリーまでは、シリア国内とはいえ南西から北東まで砂漠の道をずーっと行って9時間もかかる。それでもバスなら7ドル、安過ぎ。『地球の歩き方』にも載っていないぐらいだから、そんな田舎まで旅する日本人はそうとう珍しいようだ。こどもらをきっかけに、乗りあった人びとと交流が始まる。片言の英語すら通じないものだからこっちはアラビア語の辞書を引っぱりだして、ぎこちないながらも、じゅうぶんとけ合うことができた。途中、ユーフラテス川を渡る。これを泳いでゆくとバグダードに着くのだなあ、と泳げないわたしは想う。いっとう話していた家族が降りると今度は、バス前方の御一行にこっちに来て来てとせがまれる。2人がけの座席に3人で座ったりして。いよいよカーミシュリーに着いて、さあホテルを探そうという段になっても、バスの乗客やら集まっていたタクシー運転手やらがみんな輪になって話し合ってくれる。たくさんの写真撮影をして大きく手を振り、バスは去っていった。タクシーにホテルまで案内してもらうも、ビジネスなど様ざまな理由でイラーキーが流れ込んできていて満員だという。それならと、運転手のスレイマンさんがお家に泊めてくれることになった。
シリア国境の町カーミシュリーでの、ふつーのお宅。1歳になる双子の赤ちゃん、電灯のないお外のおトイレ、チャイ(お砂糖たっぷりの中東の紅茶)やファラフェル(軽いコロッケのようなもの)でのおもてなし、瓶1杯のお湯で身体を洗い、ホースのお水で洗面、ダニのうじゃうじゃいるお布団まで用意してくれた(痒かったこと痒かったこと…)。
翌30日、スレイマンさんのタクシでトルコとの国境まで連れて行ってもらう。カーミシュリーには秘密警察がたくさんいるから、お宅にお泊まりさせてもらったことは内緒。こっそりと、さよなら。
シリア国境では別室に案内される。なにか問題でもあるのかとドギマギしながら待っていると、チャイをふるまってくれたりニッコリご挨拶してくれたり、果ては出国税も払わずに済んだりと(要らんのかしらん?)、なぜか好待遇。すーっと通ることができた。トルコ側の国境も、問題なし。
幸運なことに、イラクのクルディスタンのザホー行きのおじさんとめぐり会い(お祖父さんがその名もザホーなんですって)、タクシをシェアしていざトルコ。じつはわたしはトルコを怖がっていたのだけども、通過している間はほとんど眠りこけていたので、よく分からなかった、えへ。トルコ軍の戦車がちょいちょい停まっていたいたらしいけど。んで、数時間でいよいよイラク国境。
国境にはクルド軍隊ペシュメルガがいたんだけど、写真を撮っても怒られなくって、またまたチャイまでもらって、まったくマーク・ムシュケラ(問題なし)。ここからは、途中シロピから乗り合ったシャイシャイくんというタイ人の電気技師を迎えに来たスレイマニアの会社の車に同乗させてもらう。こっそり尋ねてみると、シャイシャイくんは29歳で、イラク行きの話をもちかけられた時は怖かったし両親も反対したんだけど、はるばる働きにやって来たらしい。きんちょうしているようすが、見てとれた。
あちらこちらでクルドの旗が翻り、ガソリンスタンドはピカピカ、検問所もさらっと停まるだけ、山岳地帯を時速100キロ超でひたすら走る。運転手さんもシャイシャイくんの上司になるかたもスレイマニアに住むクルド人、話す言語はアラビア語でなくクルド語。なにかが違った。わたしの想い描いていたイラク、あれはいったいなんだったんだろう。ここはクルディスタンでイラクといえどもアラブではない。イラクの一部と口に出せない雰囲気が、ここには充満していた。わたし達は話す時には、「中東」と言ったり「クルディスタンを含むイラク」と言ったりして気をつかった。
クルディスタンは、イラクにあってイラクにあらず。
もちろんピースフルなことはいいことだ。ドンパチがあったり、学校が休校になったり、道路が封鎖されたり、遺体が通りを転がっていたり、「マーク・マイ、マーク・カフラバ、マーク・ベンジン、マーク・アマン(水ない、電気ない、ガゾリンない、安全ない)」のバグダードなんか、もうたくさんだと云いたい。それでも、イラクの友から聞いていたイラクとのあまりのギャップに、わたしはとまどいを隠せないでいた。通りで売っている闇のガソリン、物価の上昇、韓国軍の駐留(クルディは韓国軍をグッドと言うけれど、国境で有刺鉄線の向こうの戦車とかを見た時はいい気はしなかったな)、クルディスタンにも問題は山積している。それにしたってクルディスタンはひじょうに穏やかだ、うん。やがて山の向こうに夕陽が沈んでいった。仄かなサンセット。
夜になって、アルビル近くのシャクラワというちいさな町に着いた。ここはアラビの多い観光地なんだそうだ。夜は涼しく、町は賑やかに人びとで溢れかえっていた。そのひょうじょうはのびやかで、皆にこにことしていた。やはりヤバニ(日本のおとこ)とヤバニエ(日本のおんな)は珍しがられ、写真やヴィデオを撮ったり声をかけてくれたりと一躍、町の噂になってしまった。 その歓迎のひょうじょうに、ここシャクラワはだいじょうぶなんだなと、ほっとしたわたしであった。相澤YATCHは、バグダードの市民のひょうじょうは情勢が悪化するにしたがって硬くなっていったけれど、戦前から2004年4月頃までのやわらかなひょうじょうによく似ているな、と言っていた。
こうして3日がかりでぶじ、イラクに到着した。
by peaceonkaori
| 2006-09-06 05:09
| 中東にて