やっぱしイラーキー
2006年 09月 09日
31日、朝。目覚めたらマーク・カフラバ、停電だ。クルディスタンでも停電はあるのだな。フロントで懐中電灯をお借りする。シャワーは途中でホースが破れて漏れるので桶をつかって、お湯は出ないみたいでお水で身体を洗う。さっぱり。
フロント係が、窓から景色の見える明るいお部屋に変えてくれる。このフロント係、英語は喋れないのだけれど、わたしの片言のアラビア語をいちいちクルド語になおして教えてくれる。にへらにへらとしたいい奴。こちらのお部屋には初めからシャワーなどなかった。やはりお湯は出ず。
近所のレストランでお食事、チキンのティッカ(焼き鳥)を食す。トマトときゅうりのサラダやオリーブの実、生たまねぎやお菜っ葉、トルシー(きゅうりみたいなお漬物)と、もちろんホブス(薄焼きパン)がついてくる。食後にチャイを飲んで、2人で4500ID(イラク・ディナール)=360円。
気温は軽く40度を超えている。日本みたいに湿度がしつこくないので汗はかかないけれども、さすがにお外にいるだけで体力が消耗する。通りのお店もお昼間は閉まってい、ホテルの従業員もロビーのソファでお昼寝していた。
バグダードからツアーグループが来ていて、またもスーラ(写真)攻めに遭う。「ミン・バグダード(バグダードから)?」と尋ねるとみんなそうで、やっぱりバグダードは「ムーゼン(よくない)」と言う。皆ここで、束の間のバカンスを愉しんでいる風だった。
ところでホテルの名刺をもらったのだけど、この安宿とはまるで異なる立派なビルディングの写真なのよね。フロントにはバグダードの一流パレスチナホテルのカレンダーが貼ってあって、ごていねいに説明までしてくれる。フロント係は暇してソファで居眠り。この好い加減さ(やっぱしイラーキー)。
ゆうべの電話では正午に着くよと云っていたPEACE ONバグダード支部長のサラマッド達は、けっきょく午後4時頃に到着(やっぱしイラーキー)。通り越しに大声で呼びかけ、ぴょんぴょん飛び跳ねて出迎える。昨年の来日以来9か月ぶりの再会となった。サラムーディー(サラマッドの幼名)の満面の笑み、ほんとうすき。ご夫人アマラともキスでご挨拶。なにはともあれ、よかったよかった。三十路のサラマッドは、おなかがぷっくり出ていた(やっぱしイラーキー)。
サラマッド達は空いているお部屋に窓がなく気に入らないからと、近所のホテルに移っていった。アマラは「監獄のようだわ」と嫌がっていたが、そのお部屋、昨日わたし達が泊まっていたところなんですけど…。
近所のカフェでアルギレ(水たばこ)をくゆらせる。わたしはたばこは吸わないけれど、アルギレだけは吸う。ここシャクラワは驚くほど穏やかだし、2人とも元気そうに見えるけれども、やはりバグダードからの土産話はじつに恐ろしい(バグダードのお話は相澤のブログご参照)。 生きていること自体が、まるでミラクルだ。ストレスをはじめとする住民のこころの問題も相当なもので、わたしも軽度のうつを患っているが、そんなものとは比べものにならないほど。ショックで無口になったわたしを、サラマッドがお兄さんのようにしんぱいしてくれる。シュクラン(ありがと)。まだまだやね、あたし。
夕食は、サラマッドからのとっておきのプレゼント。なんとオム・サラマッド(サラマッドのお母さん)がわたし達のために、ドルマ(お野菜を繰りぬいてご飯をつめて煮込んだもの)とテブシ(トマトベースのシチューのようなもの)を作って持たせてくれたのだ。ホブスを買って、お部屋の床に新聞紙を敷いて、お鍋ごと喰らいつく。アナ・アヘッブ・ドルマ(ドルマ大すき)! 粋なはからい、サラムーディ(やっぱしイラーキー)。
9月1日、気晴らしに観光でもしようぜと、滝を見にゆくことにした。ホテルの近所のアマルくんという青年が車を出してくれるという。途中ドンキー(らば)や山羊などを目にしつつ、山を上ること1時間、ゲリアリベックという滝に到着した。金曜日の休日ということもあって、ここゲリアリベックはたくさんのひとで賑わっている。
イラクで見る滝、日本のそれとはムードが違う。マイナスイオンを浴びる暇も与えられず、ここでもイラーキーにとり囲まれて、かわりばんこに写真を撮られてしまう。YATCHやアマラは、川に入って水浴びを始めている。みんなにバッシャバッシャとお水をかけられてずぶ濡れに。あほやー。
こどもらと遊んでいるうちに向こう岸で休んでいるご家族が川で冷やした西瓜を食べてけーと声をかけてくださったので(やっぱしイラーキー)、YATCHらを連れて行ってみる。イラン製だというスイカは、形こそ楕円形だがお味は日本のそれとよく似ていて、シャムス(太陽)に疲れたわたしを甘やかに満たしてくれた。御一行はアルビルから来たクルディだそうで、しだいに話が弾んでゆく。わたしはこども達と一緒に赤ん坊をだっこしたりして遊んでいた。ゾル・スパース(どうもありがとう)。
シャクラワに戻っても、写真攻撃は終わらない。3歩あゆめばスーラ、また3歩あゆんでスーラ。サラマッドには、「ポップスターやね」とからかわれる。ンもぅ。こんなちいさな町に珍しい日本人客、しかも町はバグダードからシアーハ(観光)に訪れたかたばかり。ムーゼンなバグダードからひと時でも逃れたいかのような拍車のかかったそのパワフルな熱狂ぶりに、逆にバグダードが悲しく想えてならない。女王バグダードは、どうなさったのか。
サラマッドとアマラのお宿もバグダードからの観光客でいっぱいで、こどもらが必死になって喋りかけてくれた。もっとアラビア語を勉強せねばと再認識、うん。
フロント係が、窓から景色の見える明るいお部屋に変えてくれる。このフロント係、英語は喋れないのだけれど、わたしの片言のアラビア語をいちいちクルド語になおして教えてくれる。にへらにへらとしたいい奴。こちらのお部屋には初めからシャワーなどなかった。やはりお湯は出ず。
近所のレストランでお食事、チキンのティッカ(焼き鳥)を食す。トマトときゅうりのサラダやオリーブの実、生たまねぎやお菜っ葉、トルシー(きゅうりみたいなお漬物)と、もちろんホブス(薄焼きパン)がついてくる。食後にチャイを飲んで、2人で4500ID(イラク・ディナール)=360円。
気温は軽く40度を超えている。日本みたいに湿度がしつこくないので汗はかかないけれども、さすがにお外にいるだけで体力が消耗する。通りのお店もお昼間は閉まってい、ホテルの従業員もロビーのソファでお昼寝していた。
バグダードからツアーグループが来ていて、またもスーラ(写真)攻めに遭う。「ミン・バグダード(バグダードから)?」と尋ねるとみんなそうで、やっぱりバグダードは「ムーゼン(よくない)」と言う。皆ここで、束の間のバカンスを愉しんでいる風だった。
ところでホテルの名刺をもらったのだけど、この安宿とはまるで異なる立派なビルディングの写真なのよね。フロントにはバグダードの一流パレスチナホテルのカレンダーが貼ってあって、ごていねいに説明までしてくれる。フロント係は暇してソファで居眠り。この好い加減さ(やっぱしイラーキー)。
ゆうべの電話では正午に着くよと云っていたPEACE ONバグダード支部長のサラマッド達は、けっきょく午後4時頃に到着(やっぱしイラーキー)。通り越しに大声で呼びかけ、ぴょんぴょん飛び跳ねて出迎える。昨年の来日以来9か月ぶりの再会となった。サラムーディー(サラマッドの幼名)の満面の笑み、ほんとうすき。ご夫人アマラともキスでご挨拶。なにはともあれ、よかったよかった。三十路のサラマッドは、おなかがぷっくり出ていた(やっぱしイラーキー)。
サラマッド達は空いているお部屋に窓がなく気に入らないからと、近所のホテルに移っていった。アマラは「監獄のようだわ」と嫌がっていたが、そのお部屋、昨日わたし達が泊まっていたところなんですけど…。
近所のカフェでアルギレ(水たばこ)をくゆらせる。わたしはたばこは吸わないけれど、アルギレだけは吸う。ここシャクラワは驚くほど穏やかだし、2人とも元気そうに見えるけれども、やはりバグダードからの土産話はじつに恐ろしい(バグダードのお話は相澤のブログご参照)。 生きていること自体が、まるでミラクルだ。ストレスをはじめとする住民のこころの問題も相当なもので、わたしも軽度のうつを患っているが、そんなものとは比べものにならないほど。ショックで無口になったわたしを、サラマッドがお兄さんのようにしんぱいしてくれる。シュクラン(ありがと)。まだまだやね、あたし。
夕食は、サラマッドからのとっておきのプレゼント。なんとオム・サラマッド(サラマッドのお母さん)がわたし達のために、ドルマ(お野菜を繰りぬいてご飯をつめて煮込んだもの)とテブシ(トマトベースのシチューのようなもの)を作って持たせてくれたのだ。ホブスを買って、お部屋の床に新聞紙を敷いて、お鍋ごと喰らいつく。アナ・アヘッブ・ドルマ(ドルマ大すき)! 粋なはからい、サラムーディ(やっぱしイラーキー)。
9月1日、気晴らしに観光でもしようぜと、滝を見にゆくことにした。ホテルの近所のアマルくんという青年が車を出してくれるという。途中ドンキー(らば)や山羊などを目にしつつ、山を上ること1時間、ゲリアリベックという滝に到着した。金曜日の休日ということもあって、ここゲリアリベックはたくさんのひとで賑わっている。
イラクで見る滝、日本のそれとはムードが違う。マイナスイオンを浴びる暇も与えられず、ここでもイラーキーにとり囲まれて、かわりばんこに写真を撮られてしまう。YATCHやアマラは、川に入って水浴びを始めている。みんなにバッシャバッシャとお水をかけられてずぶ濡れに。あほやー。
こどもらと遊んでいるうちに向こう岸で休んでいるご家族が川で冷やした西瓜を食べてけーと声をかけてくださったので(やっぱしイラーキー)、YATCHらを連れて行ってみる。イラン製だというスイカは、形こそ楕円形だがお味は日本のそれとよく似ていて、シャムス(太陽)に疲れたわたしを甘やかに満たしてくれた。御一行はアルビルから来たクルディだそうで、しだいに話が弾んでゆく。わたしはこども達と一緒に赤ん坊をだっこしたりして遊んでいた。ゾル・スパース(どうもありがとう)。
シャクラワに戻っても、写真攻撃は終わらない。3歩あゆめばスーラ、また3歩あゆんでスーラ。サラマッドには、「ポップスターやね」とからかわれる。ンもぅ。こんなちいさな町に珍しい日本人客、しかも町はバグダードからシアーハ(観光)に訪れたかたばかり。ムーゼンなバグダードからひと時でも逃れたいかのような拍車のかかったそのパワフルな熱狂ぶりに、逆にバグダードが悲しく想えてならない。女王バグダードは、どうなさったのか。
サラマッドとアマラのお宿もバグダードからの観光客でいっぱいで、こどもらが必死になって喋りかけてくれた。もっとアラビア語を勉強せねばと再認識、うん。
by peaceonkaori
| 2006-09-09 23:34
| 中東にて