NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

トルコ

5日、早起きをしてアルビルを出る。今日中にイラクからトルコ、シリアのダマスカスへと強行突破で着きたかったからだ。神様お願い、わたしをダマスに連れてって!
ザホー行きのセルビス(乗り合いタクシ)の停まっているガラージュでチャイを振る舞ってもらい、朝イチのセルビスでいざ国境へ。

e0058439_4542223.jpgもちろん戦闘の激しいアラビーの都市モースルは避けてゆくのだけれど、途中そのモースルに属する村バシェーハという村を通過する。クリスチャンの住む村であり、後に聞いたところによるとかれらはアッシリア人らしい。とにもかくにもアラビー、わたしははしゃぎまくる。だってイラクへ来て初めてのアラブなんですもの。検問所でもわざわざ車から降りて警官に、「アナ・ハビッブ・アラビー(わたしアラビーが大すきやねん)!」と主張する。あららら、かなりびみょうなムード、クルディである運転手は「早く乗らねえと置いてくぞ」と機嫌が悪くなり、ヒヤヒヤ。アラブ警官は、なんと勤務中に撮影にまで応じてくれたうえに、なぜかメロンまで持たしてくれた。クルドとアラブ、難しいこと。

e0058439_4552525.jpge0058439_4572255.jpgトルコとの国境では、長蛇の車列。タクシを降りて川なんぞを眺める。ふらふら歩いていたら、トラック運転手のおっちゃんやご家族のこどもから、コークとか頂戴する。イラクでは、わたしは物をもらってばかりいる。
それにしても暑い。街でもそうだったが、ここそこにお水のタンクが置いてあるからマーシー(だいじょうぶ)。冷えた水道水でのどを潤す。

イラク側はなんなく通過。
そういえばイラクで問題があったのは、たった1度きりだった。あれは、ゲリアリベック滝へ行った時のこと。山の途中の検問で、わたし達4人は室内へと呼ばれた。なんでイラク人(サラマッド)とフランス人(アマラ)と日本人(YATCHとわたし)が知り合いなんだ、それにこのシャーレをかぶってサングラスをかけたエセ・ムスリマ(わたし)はなんだ、スパイじゃないのか?なんて聞かれたのだった。事情を説明してすぐにスルーできたものの、そんなにわたしは怪しいのかしらん?と少々むっときたものだった。

e0058439_4581145.jpg問題はトルコ側。
イラク入りの目的など詳細の質問を受ける。YATCHが「クルディスタンです」と答えると、「クルディスタンなんてない。イラクのどこへ行っていた?」と係官。「いや、だからクルディスタンの…」、わたし達は室内へと連れて行かれた。「いいか? クルディスタン(クルド人の国の意)なんて存在しないんだ。トルコでは、それを聞いて怒る奴がいる。注意しろ」とのこと。たしかにクルド人問題は、トルコがいちばんの問題国だ。3000万人ともいわれるクルディはトルコやイラク、シリアなどに分割され、未だ自分らの国をもてていない。とても繊細な問題。
両親の名前から色いろと尋ねられ、係官がそれを手書きでノートに書いてゆく。なぜ目の前のコンピューターに打たないのかと聞くと、向こうの上司に見せるからとかなんとか言っていた。へんなの。
ひと通りの質問が終わって外に出てみると、別の係官は自動車の座席の裏までチェックしているし、また別の係官はわたし達の鞄を開けて手さぐりで検査をしている。わたしなんぞは下着の類がいっとう上にあったものだから、ちょう赤面。EUに入りたがっている国が女性係官もつけないなんてと怒りが込みあげるも、ベソをかくだけのわたし(うわての女史は曰く、「そんなの甘ったるい甘ったるい。そういう時はわざとイヤラシイぱんつとかを上に置いて、ほぉらほぉらと顔に近づけてみせると、それ以上なにもされないものよ」。おみそれしました)。
けっきょく国境では4時間もかかってしまった。機械ぐらい導入しやがれ、くそっ。それでも、国境で20時間以上も待たされるイラーキーの気もちがすこしは分かったかな。

ようやくトルコ入国、幹線道路を疾走する。またも検問で停めら、鞄のチェック。そんなにわたしのぱんつが見たいのか、コンニャロー。代表YATCHに扇動されて、おもきし「HENTAI!」と叫ぶわたしであった。

シリア国境へたどり着く。いやな予感は的中、なんとここの国境は午後3時に閉ざされるんであった。朝10時からお昼3時までの国境、ちょっと怠慢じゃなくて?
トルコでの怒りがたまりにたまっていたわたしは日本語でまくしたてる、「あんたらトルコがイラク国境で4時間も待たしやがったせいで、こんな時間になってしまったんやろ。どないしてくれんねん! あたしゃなにがなんでも通りたいねんから、開けよしな。なんやの、あんたらッ」。もちろん、とっとと帰れというようなしぐさをされる。わたし達はトルコ側ヌサイビンで、宿をとるほかなかった。

e0058439_4592598.jpgトルコの夜はふけてゆく。晩ごはんを食べて、インターネットカフェで仕事をする。
Skypeでバグダードのイサームに電話をかけたら、かれは元気そうだったが相変わらずバグダードはムーゼン(良くない)。それでも、来年にはイサームに2人目の赤ちゃんが授かるという。最悪の街での、最高のニュース。わたしは、「マブルーク(おめでとう)!」を連発していた。
町をふらつく。おっさん群がカフェのようなお店で、トランプや麻雀みたいなゲームに興じていた。
連絡すると、サラマッド達も爆発事件でモースルを出られなくなり、明朝に出発するという。これも運命と思ってあきらめましょう。
明日こそは、ダマス。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-09-17 05:00 | 中東にて