NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

アンマンでの日々

7日から15日までのヨルダン首都アンマン滞在、覚え書き。

お宿は、昨年とおんなじフンドコ・アルハダーッド(ガーデンズ・ホテル)。
今回も、わたしら以外は皆イラーキーだった。とりあえずなんとかイラクから出てきたひと、休暇で外国へと旅立つひと、お父さんの住むドイツへ行こうと試みるファミリー、行き先も訳も様ざまだが、やはり口をそろえて「バグダード、ムーゼン(良くない)」。それでもロビーに行けば、みんな笑顔で喋ってくれる。ホテルのスタッフやお客さんと、ロビーにチキンをひろげてたいらげたりもした。

アマラにちいさなちいさな黄色い表紙のクルアーンをプレゼントされる。
これを肌身はなさずたいせつに携えていれば、神様が守ってくれるという。おトイレに行く時は、洗面台のところに置いておいて、けっして個室便所には持って入らないこと。わたしはムスリマではないけれど、たいせつにしようと思う。昨年イラク少女からもらった、イスラームのペンダントとともに。

e0058439_23512015.jpgハニ・デラ・アリ画伯のお家を訪問する。
1年ぶりに再会したこどもらの、大きく育っていること! 長女ナバはもう15歳、立派なレディになっていた。12歳の長男ムスタファだって、大人の社交の仲間入り。7歳のルカイアと6歳のハッスーニ(フセインの幼名)は、まるでふたごの姉弟のようにころころ遊んでいた。ルカイアはもう、わたしとすこししか手を繋いでくれなくなった。でも今年も、わたしの絵を描いてくれた。ハニさんのご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)も、体調不良のなか快く迎えてくださった。
イラク料理の名手、オム・ムスタファの指導のもと、アラビ日本語辞書を片手にしたナバに助けてもらって、ドルマ作りに挑戦(作りかたは、1つ前の記事「ドルマのレシピ」ご参照)。
お父さんが絵描きなので、ルカイアの学校の教室に貼る時間割表を、ハニ父さんが書くことになった。皆でわいわい言いながら作業をしているうちに、ハニさんは書き間違え、ルカイアは「学校に持っていけない」と泣き出した。すこし重いけれどほかの厚紙で再チャレンジ。できあがった時にはルカイアは、もう眠っていた。
イケメン画家ハニさんは、髪が薄くなってきたことを気にしているご様子で、来日時には毛生え薬を買うと言っていた。もっか禁煙中だそう。

e0058439_23461319.jpgホテルの近所のファラフェル屋さんにファラフェルのサンドイッチを買いにゆく。店主のおじさんは覚えてくれていなかったようだけど、やっぱりここのファラフェルが安くて美味しいんだなあ。ホンムス(ひよこ豆のペースト)をぬってもらって、トマトやきゅうり、揚げ茄子やフライドポテトなんかも入れてもらって。1つ200fils=約34円。
帰り際、トラックでお野菜を売っているのをじーっと見ていたら、レモンを2ついただいた。シュクラン(ありがとう)!

カーミシュリーでやられた虫のアレルギーを、知り合いの薬剤師さんに相談する。わたしはシャクラワでイラク製のお薬を買ってぬっていたのだが、それは弱いらしく、より強いぬり薬と錠剤も処方してもらった。
タブレットを飲むうちに、腕や脚など露出していて傷だらけになっていた部位が、だんだんと良くなっていった。

「イラクに行くことはわたしの3年半におよぶ夢だったけれど、今回イラクに行ってみて、とてもふくざつな思いがした。イラクといってもアラブじゃない。クルディはクルディで皆とてもいいひと達ばかりだけど、なんて云うたらええか分からへんけど、やっぱりわたしはアラブがすきなんやと思う」と、正直にその薬剤師さんに打ち明けた。するとかれは、「クルドのホスピタリティはね、長年の月日を経てアラブから学んだものなんだよ」と云う。そうなのかなあ、どうなのかなあ。かれはとても賢いかたで、「アラブは1つだ」とも云う。けれどもだからといって、わたしはクルディはクルディで、ていうか、うん…。わたしはまだ、自身の整理がついていない。

e0058439_23423348.jpgほかの中東諸国と同じく、ここヨルダンでもいたるところに国王アブドゥッラーの肖像やヨルダン国旗がかかっている。
今回はヨルダン国旗とともにアメリカの星条旗に似たのが掲げてあるなあ、この親米国はついにアメリカの属国になったのか?なんて思っていたら、それらはマレーシア国旗で、なんでもマレーシアから要人が来るらしい。失礼。その日は警備の配置も多かった。こないだ日本の首相が来た時には、日の丸いっぱいあったのかな?

ロビーでイラーキーと話していて思わず、「アナ・ウリード・アッ・アズヘッブ・イラ・バグダード(バグダードに行きたいねんよ)!」と云うと、バグダードから逃れてきたかれらは、「あと5年、いや10年はかかるね」と笑っていた。バグダードもずいぶんと遠くなってしまったのだな。

e0058439_23433695.jpge0058439_23453157.jpg来日するハニさんとシルワン・バランさんと、シルワンのお宅でミーティングをおこなう。
シルワン家は、瀟洒なフラットにモダンな内装、絵画がたくさん飾ってあった。かれは繊細なタイプ、絵にもどこか悩ましい魅力がかんじられた。
初対面のシルワンに、はじめましてとご挨拶。クルドの出のシルワンが教えてくれる、カオリという名はクルド語でちいさい鹿を意味するそうだ。そういえばイラクにいた時も、「カオリってクルディの名まえよ」と、幾人かのクルディに喜ばれたものだった。

国王アブドゥッラーは、パタリロに似ている。
午前1時を過ぎ、疲れてとぼとぼ帰ってきてわたし達は、薄暗がりのロビーでぽそぽそとハンバーガーを食べる。眼前のパタリロの巨大タペストリーに、食欲の失せる2人であった。

e0058439_23454663.jpgホテルに滞在する9歳の少女シャムスと仲良くなる。
かのじょとお姉さんとお母さん(美女ぞろい!)は、バグダードからギリシャ経由でドイツに住むお父さんと会う予定なのだが、なかなかヴィザが出ないようだ。お父さんとは5年間も会っていないというから、シャムスは覚えていないだろう。国々は、イラーキーにとても厳しい。なんとか会ってほしいと願う。
シャムスはアラビア語で、太陽の意。ほんとうに太陽のようにうつくしく輝かしいおんなのこ、シャムーシー(シャムスの幼名)。20歳ほども違うわたしがよっぽど幼く見えるらしく、わたしはあたまや頬を撫でられて可愛がられるのだった。片言しかアラビア語の分からないわたしに、シャムーシーは根気良くアラビア語で話しつづける。くる日もくる日も、ロビーで遊んでいた。PEACE ON缶バッヂをあげるとかのじょはとても嬉しがって、毎日のようにつけていたのだけれど、ある時はずれて失くしてしまったらしく、シクシク泣いていたという。わたしはもう1つ新しいのをあげた。かのじょはわたしに、つけていたおもちゃの指輪をプレゼントしてくれた。わたしもそれを、ほとんど毎日つけていた。

e0058439_23481682.jpg志葉玲さんの取材に同行させてもらい、アブグレイブ刑務所で虐待、拷問を受けたかたを訪問する。アブグレイブを象徴する、あの黒い袋をかぶせられて立たされているかただ。
アブグレイブでは承知のとおり、ありとあらゆる危険行為、嫌がらせ、屈辱が繰りかえされていた。実際にお会いしてお話を伺ってみると、そこでは人間としてのプライドがいっさい奪われているのがよく分かった。米兵は、人間は、ここまで残酷な狂人になれるのだ。同じ人間として、ひじょうに憂い青ざめたわたしがあった。

それにしても、タクシ運転手との闘いはほんとう疲れる。
前のお客のメーターのまま走り出そうとするひと、メーターをまわさず高値をふっかけてくるひと、行き先を間違えておいて行き過ぎた分まで徴収しようとするひと(この時は警官もまじえてもめにもめた)、夜間料金だといって高くし過ぎるひと。タクシに乗ったらまずメーターのチェック、そして遠回りしていないかの確認。こっちはアンマン事情みんな分かっとんねん。せこいねん! これにはイラーキーのハニさんもサラマッドも激しく怒っていた。ガソリンが値上がりしているにせよ、スドゥク(誠実)に頼むわ。

e0058439_23483034.jpge0058439_23484599.jpgクリフホテルのサーメルくんを訪ねる。
サーメルは、2004年10月にイラクで日本国家の犠牲として人質になって殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め、またかれの死を今でも深く悔い悲しんでいる人物だ。「香田証生ホテル」をつくるのが夢なのだけど、なかなかうまくはいかないみたい。わたしは、サーメルにたいせつな預かり物を渡した後、証生くんがやっていたというようにベランダの椅子に腰掛けてぼーっと街や大気や遠景の山を見るともなしに見ていた。

e0058439_2349435.jpgファッルージャで大評判だったというレストランがアンマンに開店したと聞いたので、JIM-NETの皆さんと夕食をともにする。わたしのイメージでは、ファッルージャのちいさな食堂が米軍による大侵攻で破壊され、さんざんのあげくアンマンに逃れてやっと再オープンした、という感じだったのだけれど、郊外にあったそれは想像以上にきらびやかで高めのレストランだった。なんとなくガッカリ。でも美味しい。2人で8JD=1366円。
ちなみに、翌日に行ったシティセンターにあるきれいじゃないけど大すきなイラク食堂は、2人で3.15JD=538円。

e0058439_23503067.jpgハニさんのお誘いで、オーファリ・アート・センターという有名なギャラリーへ行く。
ちょうど開催していたのは、アリ・タリブ展。日本にも通じるような、やさしくて深遠に吸いこまれそうな絵の数々だった。多くのイラーキー画家が集っていて、次つぎと紹介される。アリさんご本人にもお会いでき、お友達がお亡くなりになった時の作品のお話などうかがうことができた。

ホテル近くのアンマン城へ行ってみる。上り坂の勾配と真昼のシャムス(太陽)に疲れきっていたわたしには、2世紀の神殿跡を目にしても、ただのがれきにしか映らなかった。石に近づくとひんやりと冷たく、いにしえから幾重にも積まれてきた時を想う。ジャバル(山)のうえからアンマンの街を眺める。日陰を探してうろつきまわる。

ここヨルダンには、今や100万人以上のイラーキーがいるという。物価もどんどん上がっている。様ざまな理由で国境が厳しくなるのもやむを得ないのかもしれない、とかふと思う。
そんなことをいって、苦しみの果てに避難してきたイラーキーをさらに苦しめるつもりではない。ただ、祖国を逃れるというのはどれぐらいどのように嘆かわしいのだろうか、と。イラクの友からのメールには、「僕の家族はミゼラブルを超えている。僕のミゼラブルな生活をじゃましないでほしい」と強烈な皮肉がこめられていた。惨めなほうがまだましなミゼラブル以上の生活、わたしには返す言葉もない。

シリアへと戻る朝、シャムスは外出中でいなかった。わたしはフロントのムハンマドにわたしの名刺を託し、かのじょに渡すよう伝えた。大すきなイラクからお手紙が届くといいな、なんて思いながら。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-09-23 00:43 | 中東にて