NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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シリアでの色いろ

ヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカス(シャーム)まで、セルビス(乗り合いタクシ)で9JD=約1630円。ちぇー、昨年は8JDやったのになあ。
レイヨンちゃんという赤ちゃん連れの兄妹とご一緒する。レイヨンちゃんと遊んでいるうちにかれらと打ちとけ、別れ際には「ダマスでなんかあったら電話をよこして」と、携帯電話の番号を教えてもらった。

昨年も泊まったフンドコ・ザハランに宿をとる。1部屋700シリアポンド=約1650円。窓は外に通じてなく、便器に身体をこすりつけてシャワーを浴びるような狭さの洗面所。まるで監獄。これじゃ、心身ともにぐったり。屋上で、やけ酒のようにビールを飲んで、おやすみ。
翌日お部屋が空いたというので、さっそくもうすこしまともなところに移る。蟻の行列が凄まじいことには変わりない。蟻は、PCのなかにまで侵入してきやがった。

e0058439_4304021.jpge0058439_4305697.jpge0058439_4355854.jpgアサド大統領の親子の肖像が街中のいたるところに貼られているのは毎度のことだけれど、今回はそこにレバノンの組織ヒズブッラーの指導者ナスラッラーが加わっていた。バッシャール(大統領)とナスラッラー、アサド親子とナスラッラー、そしてナスラッラーとイラクのシーア派シスターニまで。シリア国旗やパレスチナ国旗(連帯を示す)とともにヒズブッラーの黄色い旗もが、商店の軒先などに掲げてある。初めは珍しがって、バッシャバッシャと写真を撮ったり人びとに「ナスラッラー、クワイアス(グッド)?」なんて訊いていたけど、そのうち飽きてくるほどナスラッラーは溢れかえっていた。果ては、ナスラッラーTシャツを着たおとこのこまで見つけてしまった。
シリアでアサドについて悪いことを言えば捕まってしまう。では、今やアサドと同等にまつられているナスラッラーを批判すればどうなるんだろう? とにもかくにも人びとは皆、ナスラッラーはグッドだと言っていた。

e0058439_4312594.jpg鳥なんかを売っているお店のまえを通る。これは食用なんやろうか、ペットなんやろうか? YATCHは蛇で遊んでいた。そのうち店主が蛇を天高く放り投げた! 鳥の餌になるんだそうな。ひえぇ。

e0058439_4313956.jpgダマスカスには、とにかく露店が多い。板の机を並べて、文房具から食べ物から日用品から、ほんとうなんでも売っている。机なんか並べなくたって、肩や手に大量のベルトなりタオルなりを持って歩きながら売っているひともいる。こんなんで食べていけているんやろうか?なんてよけいなお世話だけど、マジに思う。
女性の下着売りもひじょうにたくさんある。今回もふしぎに思っていたのだけれど、こういうのをお外でしかも男性が売るというのは、アラブ社会ではOKなのだろうか? わたしなんて恥ずかしがってよう買われへん。でも、ほんとうにほんとうに多いんである。ふしぎ、ふしぎ。

アクセサリー店で、イラクの形をしたちいさな銀のネックレスを購入。
県の境界線が引いてあって県名がアラビア語で書いてある。どうかこの形が崩れませんように。国家崩壊だなんて、認めたくない。イラクはイラクで在りつづけますように。今はどんなにバグダードが遠くかんじようとも、いつか旅することができますように。それまではずっと、装着していよう。
あたし、イラ子。

e0058439_432214.jpgなじみの骨董品屋さん、ユーセフさんのお店へ行く。
何百年、何千年も昔のほんまもんを触って、気を養う。こういう美を目にして恍惚(うっとり)とする時をもたないと、素敵なひとにはなれません。もちろんお高いのは見るだけね。
比較的、新しいもの(といっても80年ものだったりする)を仕入れる。ベドゥインのもの、シリアに住むパレスチナ人のもの。こんなにうつくしい手づくりの品が、このお店にはぎょうさんある。あたまがやわらかくなる。

ユーセフさんのご兄弟のアリさんには今回、クフィーヤと石鹸の問屋さんも紹介してもらい、たいへんお世話になった。ハンドルームの良質なクフィーヤと、6年間も乾燥させたアレッポ(ハラブ)のオリーヴ石鹸。今後の販売にご期待ください!
それと、大事なもの。月に1度の会員の茶話会"PEACE ON CAFE"のために、アラブ・チャイとドルマをご用意しようと、アリさんのご友人の乾物屋さんでカルダモン(ハール)やナーナ(ミント)、バーミヤン(オクラ)、フレーフレー(ピーマン)を買う。レモンのパウダーはなかった。ルーミーバスラ(乾燥レモン)をおまけにおねだりする。会員の皆さま、CAFEをお愉しみに!

ユーセフさんのお宅に招待される。
郊外にある豪奢なフラットには、ショウルームみたいにビューティフルな家具や置物が並んでいた。「お店みたい」と言うと、「やめてくれ、ここはリラックスする家さ」と笑っている。お食事も、ユーセフさんの健康を気づかったお野菜中心のメニューが勢ぞろい。生ザータルやモロヘイヤの炒めたのとか、タイーブ・ジッダン(ちょう美味)でいうことなし。ウィスキーを手に、夜更けまで語らってしまった。

e0058439_4324710.jpge0058439_4325977.jpg翌日はユーセフさんのおすすめで、半日だけマアルーラ観光。
ダマスカスからタクシで30分強。岩山の渓谷にひっそりとある、マアルーラ村。ほとんどがキリスト教徒だそうで、家々の屋根のてっぺんや山の岩肌に十字架がかかげられていた。ここではイエスがはなしていたというアラム語を今でも話し、それを保存しようというプロジェクトも進んでいるそう。
しかしここでも、ヒズブッラーの黄色い旗がはためいていたんであった。もちろんバッシャール肖像も。
ひとけのすくない山峡を進むと、幾つもの洞穴がある。YATCHは「ここで古代の修行層が修行してたんだろうよ、すっげえ、行ってみようぜ」と喜び勇んでいたが、洞穴のなかに人糞を発見してガックシしていた。慰めても慰めても、「聖なる場所に…」と肩を落とすYATCH。人間は糞をするものです。
岩の教会、手を洗いお水を飲む。ろうそくの匂いは、わたしの中高時代の聖歌隊の青春を想起させる。いつの間にかわたしは座りこんで、お祈りを始めた。この旅の感謝、マアルーラやシリアの発展、イラクの平安…祈ることはたくさんある。神様、ていねいにお祈りを捧げたからちゃあんと聞いてね。
小1時間の小旅行にシュクラン(ありがとう)。

イラクから逃れてきたパレスチナ難民のことを調べてみる。PEACE ONはイラク内で、パレスチナ難民キャンプの支援もしてきたから、かれらのその後が気になっていたのだ。
かれらはダマスカス近郊にはいず、ハッサケに避難キャンプがあるとのこと。ハッサケといえば、カーミシュリー近くの町じゃない。知らずにバスで通り過ぎてしまったわけだ。シリア政府からの援助を受けているとはいえ、かれらの安全を祈り、いつか行ってみたいと願う。日本で調査をつづけることにした。

e0058439_4332044.jpg路傍の靴磨きの兄ちゃんにつかまる。そりゃあ、くる日もくる日も歩きっぱなしじゃあ、砂だらけ。お願いすることにした。イラクでこどもがやった時よりもていねい。50SP=約120円。兄ちゃんは、トルコ人なんだそう。
次の日も通りかかる。「寄ってけよ」という感じで、ただで磨きあげてくれた。シュクラン。

e0058439_4333975.jpg夜ごはんを食べて、オープンカフェで食後のチャイやカフワ(コーヒー)を飲みながら、水たばこをぷかぷかやる。こうしてぼんやりと街を見ていると、色んなひとがいて面白い。
わたしはふと考える。シリアにいると時にふと想う。この国に、この街に、戦争が襲ってきたらどうしよう?と。道端に座ってなぜかオープンカフェを仕切っているおじさんとか、得意気に水たばこの炭をかえてくれるお兄さんとか、手をひかれてこの日本人をふしぎそうに見ているこどもとか、「シーニ(中国人)?」と尋ねてくる青年とか、いっしょうけんめい野菜の繰りぬきを売ろうとしているおばさんとか、そのこどもとか、「ウェルカム」と声をかけてくれる少年とか、日本サッカーのユニフォームをなぜか着ている外国人とか、みんなみんな逃げ惑ったりするのかな? 死んじゃったり、死ななくても怪我をしたり家族を亡くしたり、家がなくなったり、こころが壊れたり、するのかな? その時、わたしはこの街にいるだろうか? 自問を繰りかえす。
常用しているお薬の計算を間違えて持ってきたため、お薬がなくなってとてもしんどい。一瞬、記憶がとぶような感覚に陥る。しんどいのはお薬のないせい? 分からないけど、お薬を飲みたくなる。

ダマスカスの安宿の屋上で、28歳の誕生日を迎える。YATCHとこっそりビールで乾杯。今年1年も、日々精進。シュワイヤ・シュワイヤ(ちょっとずつ)、大人になれるかな?
アラブ最終夜、ベッドに入るのがもったいなくて、わたし達は深夜まで語らっていた。
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by peaceonkaori | 2006-09-23 04:41 | 中東にて