サッちゃん
2006年 12月 31日
前夜、一睡もできなかった。かのニュースの行方も気にはなっていたのだけれど、これは例のストレスからくるものだと思った。寝つきをよくするお薬はいつものように飲んでいたけど、もっとつよいものを服用すればよかった。朝の6時にはあきらめて起きあがり、あたたかいお茶を淹れてもらった。
イラク大統領が亡くなった。サッダーム・フセインは、首を絞めて殺された。
「わたしのいないイラクなど無意味だ」と最期に述べたという。犠牲祭初日の早朝の、あまりに凛然とした…。
わたしは神に祈ったはずだ。あなたのお導きで、かの国をこれ以上の混乱に陥れないでくださいと。
その翌日、仕事のミーティングの合い間にふと見たインターネットのニュースで、つい1時間ばかし前にかのひとは殉教したと知った。わたしはどうしたらいいのか分からなくなって、とにかく号泣が終わらなかった。肩に、そっと手がおかれた。悲しみを分かちあう手であった。しばらくニュースを追った。だけど、あたまははたらいていなかった。
わたしは再度、祈祷した。今度は怒りの祈り。なんてことをなさったのですかと、あなたはわたしの祈りを聞きいれてはくださらなかったのですねと。1人の人間の死によって、今後より多くの死が待ちかまえているように思える。イエスの十字架を想起した。
ゆうべの眠れなさは、なにか予感してのことだったのだろうか。それは考え過ぎであろうか。とにかくわたしは眼前の仕事をやるしかないのだと、つよく思った。でも、かのひとのいないかの国にどういった希望を抱くわたしがいるのか、愚問があたまを支配した。
脅迫状を受けエジプトに避難しているかの国の友と、チャットする。イスラーム教徒にとってとってもハッピーなはずの犠牲祭の初日に、イスラーム教徒はみんな悲しんでいる、と。我われを翻弄させた傀儡政府のメンバーを残らず憎んでやる、とかれは怒りをあらわにしていた。そしてかれは、サッダームのために祈りに行った。
恥ずかしながらじつは、あっと驚く映画のような出来事だって想像していた。最近はバース党の動きが気になるところだし、いっそ脱獄でもできやしないか、なんて。そのほうが侵略国にとっても好都合だとも考えられた。それを理由に、傀儡政府の首相を更迭できるうえに治安安定化のために兵士増派だってできるのだ。脱獄の劇をイメージしてはわくわくしているわたしが、あった。でも、そんなミラクルは起こらなかった。かのひとは、あっさりと首に縄をかけられた。
まず、不公平があった。戦争捕虜としてつかまえられたという不可解さ。それを自国の傀儡政権が裁くという不条理さ。
そして、不公正があった。占領国や傀儡政権は、幾度となく裁判に口をはさんだ。弁護士が殺されもした。これが民主主義ってやつなら、わたしは民主主義を信じない。
失笑さえもあった。良し悪しは別として(ええ、別としてですよ)、国家反逆罪でひっとらえる国のリーダーなんて、ほかにも多くいるじゃないか。それを罪とするとして、傀儡政権はその罪を徹底的に暴くより口を閉じさせる方法を選んだわけだ。
なによりも、わたしは死刑に反対する。断固反対する。死刑は国家権力による殺人である。かのひとが死刑執行人に「おまえ達はテロリストだ」とつぶやいたとされる噂が事実なら、それはそのとおりだ。
サッダーム。
わたしはかれを、サッちゃんと呼んでいた。「ボロ・ビデム・ニブディークヤ・サッダーム」の叫びを冗談まじりに唱えては、よく怒られたりしていたものだ。この歌は、もう歌えない。サッちゃんは旅立ったのだから。
サッダーム。
わたしをサダミストと揶揄するひとがいるなら、それはそれでかまわない。今よりもサッちゃん時代のほうがまだましだったというかの国の民衆の声を、わたしはたくさん聞いてきた。かれは大犯罪者。そう、いったいどれだけの国民がかれによって痛い目に遭っただろうか。だけれども、ただの大犯罪者だったのか? 国連が認めた経済制裁で150万人ものかの国の人びとを死においやっておいて、国際社会はなにをぬかす。かれは魂を裏切らなかった、ちょっとできの悪い大将だったのだ。
今晩はつよいお薬を飲んで、もう寝ることにしよう。サッちゃんと一度、お喋りしたかった。でももう叶わない。サッちゃんは、永久に葬り去られたのだから。
*画像は、ハビビによるイラスト。
イラク大統領が亡くなった。サッダーム・フセインは、首を絞めて殺された。
「わたしのいないイラクなど無意味だ」と最期に述べたという。犠牲祭初日の早朝の、あまりに凛然とした…。
わたしは神に祈ったはずだ。あなたのお導きで、かの国をこれ以上の混乱に陥れないでくださいと。
その翌日、仕事のミーティングの合い間にふと見たインターネットのニュースで、つい1時間ばかし前にかのひとは殉教したと知った。わたしはどうしたらいいのか分からなくなって、とにかく号泣が終わらなかった。肩に、そっと手がおかれた。悲しみを分かちあう手であった。しばらくニュースを追った。だけど、あたまははたらいていなかった。
わたしは再度、祈祷した。今度は怒りの祈り。なんてことをなさったのですかと、あなたはわたしの祈りを聞きいれてはくださらなかったのですねと。1人の人間の死によって、今後より多くの死が待ちかまえているように思える。イエスの十字架を想起した。
ゆうべの眠れなさは、なにか予感してのことだったのだろうか。それは考え過ぎであろうか。とにかくわたしは眼前の仕事をやるしかないのだと、つよく思った。でも、かのひとのいないかの国にどういった希望を抱くわたしがいるのか、愚問があたまを支配した。
脅迫状を受けエジプトに避難しているかの国の友と、チャットする。イスラーム教徒にとってとってもハッピーなはずの犠牲祭の初日に、イスラーム教徒はみんな悲しんでいる、と。我われを翻弄させた傀儡政府のメンバーを残らず憎んでやる、とかれは怒りをあらわにしていた。そしてかれは、サッダームのために祈りに行った。
恥ずかしながらじつは、あっと驚く映画のような出来事だって想像していた。最近はバース党の動きが気になるところだし、いっそ脱獄でもできやしないか、なんて。そのほうが侵略国にとっても好都合だとも考えられた。それを理由に、傀儡政府の首相を更迭できるうえに治安安定化のために兵士増派だってできるのだ。脱獄の劇をイメージしてはわくわくしているわたしが、あった。でも、そんなミラクルは起こらなかった。かのひとは、あっさりと首に縄をかけられた。
まず、不公平があった。戦争捕虜としてつかまえられたという不可解さ。それを自国の傀儡政権が裁くという不条理さ。
そして、不公正があった。占領国や傀儡政権は、幾度となく裁判に口をはさんだ。弁護士が殺されもした。これが民主主義ってやつなら、わたしは民主主義を信じない。
失笑さえもあった。良し悪しは別として(ええ、別としてですよ)、国家反逆罪でひっとらえる国のリーダーなんて、ほかにも多くいるじゃないか。それを罪とするとして、傀儡政権はその罪を徹底的に暴くより口を閉じさせる方法を選んだわけだ。
なによりも、わたしは死刑に反対する。断固反対する。死刑は国家権力による殺人である。かのひとが死刑執行人に「おまえ達はテロリストだ」とつぶやいたとされる噂が事実なら、それはそのとおりだ。
サッダーム。
わたしはかれを、サッちゃんと呼んでいた。「ボロ・ビデム・ニブディークヤ・サッダーム」の叫びを冗談まじりに唱えては、よく怒られたりしていたものだ。この歌は、もう歌えない。サッちゃんは旅立ったのだから。
サッダーム。
わたしをサダミストと揶揄するひとがいるなら、それはそれでかまわない。今よりもサッちゃん時代のほうがまだましだったというかの国の民衆の声を、わたしはたくさん聞いてきた。かれは大犯罪者。そう、いったいどれだけの国民がかれによって痛い目に遭っただろうか。だけれども、ただの大犯罪者だったのか? 国連が認めた経済制裁で150万人ものかの国の人びとを死においやっておいて、国際社会はなにをぬかす。かれは魂を裏切らなかった、ちょっとできの悪い大将だったのだ。
今晩はつよいお薬を飲んで、もう寝ることにしよう。サッちゃんと一度、お喋りしたかった。でももう叶わない。サッちゃんは、永久に葬り去られたのだから。
*画像は、ハビビによるイラスト。
by peaceonkaori
| 2006-12-31 03:01