NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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サッダームを想う日々

e0058439_14542024.jpg17日、一水会主催の「フセイン大統領追悼の夕べ-不法なフセイン大統領裁判を考える-」に出席してきた。
一水会というか新右翼のイベント自体が初めてで多少ドギマギしたが、知り合いの軍事ジャーナリストでバグパイパーの加藤健二郎さんがいらっしゃったので隣に座らせていただいた。日本でこのような追悼の会が催されたことがうれしかったし、これは出席せねばと思った。
参加者は20名ほどと小規模ながら、日本とイラク両国の国歌斉唱(もちろん国旗も掲げられている)、黙祷、一人ひとりの献花、弔電披露など、粛々としたムードでおこなわれた。終了後にご挨拶させていただいた代表の木村三浩さん曰く、「まあ、これが右翼のやりかただから…ハハハ」ですって(目上のかたにたいして無礼な表現かもしれないが、木村さんはなんかお茶目なお人柄やわあと思う!)。
在日イラク人はスピーチで、「わたしはシーア派だけれども、フセインを支持する。かれが死んでもわたしのこころのなかで生きている、生きています!」と全身で力説されていた。サッダームの死を機に、PEACE ON図書館にある木村三浩責任編集『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!!』(鹿砦社)をそろそろ読もうとしていたら、その鹿砦社の代表取締役のかたにもお会いできた。バース党の制服を着用したバース党員もいらっしゃった。

すこし前のことになるが、イスラーム教のイードルアドハー(犠牲祭)2日目の大晦日のことなども。

イラク大統領サッダーム・フセインの、絞首刑の映像を確認する。覆面の執行人に縄をかけられても動じない、最期まで大統領然としたその振る舞い。そして、1人の人間として、1人のイスラーム教徒として。
その様子はわたしに、日本という国家の人質として殺された香田証生くんの斬首を思い起こさせた。かれもまた、しずかに死を受けとめていたように映った。
祈りをさえぎって、刹那、かれの足許から床がなくなりかれの首は吊るされた。頭巾も鎮静剤も拒否した、このひと。その遺体は、このニュースが誤報でないことを、未だ信じたがらないわたしにきちんと説明した。

わたし達はもうすこし考えを進めないといけない。このような方法で5日前の降誕祭の日には、日本でも4名もの死刑囚が殺されたのだ。首吊りという残虐な殺害方法で(いえ、残虐でない殺害方法は存在するのか?)。この恥ずべき後進国、わたしは抗議のファクスを法務大臣長勢甚遠さんに送信した。

夜は、ジャーナリストでイスラーム教徒の常岡浩介さんのお宅で羊肉をごちそうになった。イードは、周りのひとや貧しいひとに羊を分け合うもので、貧民のわたしにもお声がかかったというわけ。有難い。塩茹でされた羊のお肉はチェチェン風(?)。ごちそうさまでした。
そういえばPEACE ONは、2年前にはファッルージャから避難してきたバグダード郊外のキャンプの人びとに羊を3頭、贈ったんであった。はじめ日本からの支援だと告げると、外国からの支援など受けとらないと断られ、これは政府からでなく一般市民の寄付のみによって届けられたものなんだとさんざん説明して、やっと届けることができたという。日本という理由で支援を拒否されたショックが大きかったので、今でも鮮明に記憶している。

そんなこんなで、年が明けても「おめでとう」なんてとても云えたもんじゃない。

悪趣味なことには、イラクの首相府では前日の29日、サッダームの死を祝う夕食会がおこなわれたそうだ。書面による執行許可も、イラクの司法当局ではなくシーア派側から出されたものだったという。そしてよく知られているとおり、大統領タラバニではなく首相マリキがサインした。とにかくマリキは急いでいた。イード(犠牲祭)のあいだは死刑はしないというサッダーム政権下での慣習も、ここでは無視された。

サッダームの裁判はもともとが茶番なのだが、いちおうドジャイル市での虐殺を理由に死刑になったとされている。政府の転覆と大統領の暗殺を共謀したとして、ドジャイルの住民148人を処刑した、ということだ。それ以外のもの(クルド人の殺害など)の口封じのために、ドジャイルのことだけで首を吊るされたともいわれている。
ところがかれの死後、ドジャイル住民の代表団がサッダームの弔問施設を訪問したという報道があった。それによると、裁判で供述したいと望んだドジャイルの住民らを傀儡政府は拒み、誰1人として出廷できなかったという。またサッダームが処刑したのは、ドジャイル住民ではなく全員がダーワ党かイラン諜報機関のメンバーだったとも。
このニュースの信憑性は分からないけれども、またもわたしはグッタリと疲れ果てた。裁判そのものが茶番、裁判の内容まで茶番ときたもんだ。忘れてはならないのは、サッダームの裁判どころか2003年からのイラク侵略と占領のすべてが間違っていたということ。

またアルジャジーラ・ネットのアンケートでは、じつに9割もの人びとがイードルアドハー(犠牲祭)初日の死刑執行を侮辱とかんじ、サッダーム死刑執行には支持できない、という結果が出ている。日本やほかの地域で流されるニュースの印象とは、正反対だ。

わたしが聞いた限りではイラクの友も皆、サッダームの死を嘆いている。
バグダードがあまりに危険なためシリアで仕事を探そうとしている友は、「実際サッダームの処刑については、僕らは誰もが予想していたよ。だけど時が激マズだったね。だって、イスラーム教徒にとってイードの初日だったんだから。そう、奴らはイスラーム教徒の気もちなんてかんがみないんだよ。とにもかくにも、僕らは占領からは良い出来事はなにも期待しない」と、いつものあきらめムードで云う。
また、脅迫状を受けフランスに一時避難中の友は、「サッダーム・フセインの出来事(私刑)で、僕らのハートは潰された。でも僕は思う、かれに起こった悪いことは、敵である傀儡政府の奴らがどうかんじようと奴らの対価なんだ。なぜって、今やサッダームはひじょうに多くの人びとのこころのなかで本物のビッグ・ヒーローになったのだし、イードの初日に亡くなったから多くはシャヒード(いわゆる殉教者)と考えるからさ。いずれにせよ奴らはサッダームを殺したかったのだが、かれが勝ち奴らが負けた、と僕は思う。サッダームが殺されてから世界が行為(抗議)したことが、それを証明しているね」と高らかに述べていた。

サッダームにはもちろん、良い面もあれば悪い面もあった。悪い面ばかりが目立ったが、良い面の故にそれを恐れた輩がかれを死に至らせたともいえる。イラクは今後ますます戦いの炎に油が注がれることと、わたしは考えている。
あるイラクの友は云った、「世界中がサッダームのために悲しんでいる。僕は訊きたい、サッダームが真の独裁者であり危険であったならば、なぜ世界中が悲しむんだい、と」。
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by peaceonkaori | 2007-01-26 14:52