別世界のヨルダンへ
2007年 02月 27日
アテンド役としてアラブに来るのは初めてのことだ。2月20日、例のごとくぎりぎり魂で荷造りを終え、国内出張でも行くようなていで飛行機に乗り込んだ。
今回は、日本の川口ゆうこ画伯がPEACE ONのつながりでヨルダンの首都アンマンで個展をおこなうことになり、その文化交流の橋渡しを光栄にも引き受けさせていただいた。
21日朝、ヨルダンの空港に着いた途端にハプニング。なんと作品の一部が届いていないのだ。カウンターでがんがん物言っても、ここでは「インシャアッラー(神がお望みならば)」の世界。初アラブの川口さんは途方に暮れパニック、わたしはアッラーカリーム(神は慈悲深い)の精神で慰めるしかなかった。荷物はアルハムドゥリッラー(神のおかげで)、翌日に到着した。
個展会場であるダルブナー・ギャラリーのおんな主人のマダム・マヤミーンは、素敵でやり手な初老のイラク人。90年にイラクから移り住んだのだそうだ。若きマネージャーのムハンナドもイラク人、飾ってある作品もイラク作家のものが多かった。
以前ハニ・デラ・アリ画伯も云っていたけど、これってイラク人によるアート・オキュペーション!? 芸術の都バグダードからたくさんのイラーキーがやって来て、ヨルダン作家は負けているんではないだろうか?
電話をかけると、寝ていたシルワン・バラン画伯が飛び起きて駆けつけてきてくれた。ハニからはわたしが来ることなんて聞かされてなかったと云う。来日以来の4か月ぶりのハグ。「ふるさと」を歌ったりして、相変わらずのシルワンだった。
21日夜、ハニに誘われ、アンマン郊外のファヘイス村にあるアトリエ兼ギャラリーを訪ねる。
上の階ではハニ達が制作をしてい、下の階ではハニの具象画やシルワンの魚の絵など壁いっぱいに巨大な絵画が展示され各国からのアーティスト達が集っていた。制作は、1人で描くのではなく複数人によって、思い思いに絵の具をぶちまけたり筆を走らせたり削ったりしている。そこには、圧倒的なアートの生命力が脈打っていた。おすましした芸術なんかじゃない、生々しいアート。なんだか秘密結社のようで、我がハートがエキサイトしてゆくのが分かった。ハニはここで遊びながら闘いながらどんどん新しいアートに挑戦して、新しい"ハニ・デラ・アリ"になっていっているのだな。
初日にさっそくこんな世界を目の当たりにすることになって、川口ゆうこさんは画家として相当な刺激を受けたようだ。
22日は搬入。とりあえず作品をギャラリーに持ち込んで、飾る順番を決める。皆「ハルワ(素敵)」と云ってくれて、ほっ。大げさな表現かもしれないけれど、ヨルダンへはるばるヤバン(日本)を背負って来ているわけで、緊張さえおぼえる。ここインターコンチネンタルホテルという最高級の場所で個展を開催できるのは、ひじょうに名誉なことだ。日本人の作家がアラブで個展だなんて珍しいのだし。
5か月ぶりにハニのお家を訪ねる。
オム・ムスタファ(ハニの奥さん)はじめこども達もみんな元気でなにより。こどもらの成長の早いこと。長女のナバは、「おとこのこなんか興味ないわ。勉強がたいせつよ」と云っていた。ハニのこどもらは、成績が良くてお手伝いもしっかりやって親思い。ハニの人柄がよく出ている。だから大すき。日本のお雛さまを説明して、雛あられなどをプレゼントする。こども達は今3D制作にはまっているというから、おもちゃはもう卒業かな。二女ルカイアと二男ハッスーニ(フセイン)が、またもわたしの顔を描いてくれる。それにしても6歳のハッスーニはまだまだアブストラクト画家。鳥みたいにわたしを描いてケラケラ笑っていた。皆やはりイラクが恋しいと云う。けど、ハッスーニは「イラクなんか忘れちゃった」ですって。でもきっと、大人になれば…。
夜には、イラク人コレクターのお家のパーティに招待される。
桁違いのリッチさで、シルワンをはじめイラクものを中心に様ざまな絵画が並べられてある。巨匠ムハンマド・ムハラッディーンのもある。PEACE ONの文化交流活動も言ってみればコレクター、わたしもある種のコレクターとして話が弾む。
パーティにはだんだんと人びとが集まりだした。ヨルダンや世界各国のアーティスト、コレクター、明後日バグダードのアダミヤに帰るイラク人。かれによれば、ニュースが大げさ過ぎるんであってアダミヤでも郊外はそんなに危なくないとのこと。そうなのかなあ、しんぱい。バーカウンターまであり、バーテンがジュースをいれてくれる。ウード奏者が、生でウードを奏でる。ハニも歌う。ちいさなアトリエのようなスペースもあり、気が向けばハニやシルワンやら画家達が絵を描いてゆく。氷を滑らせて水のかわりにしたりなんでもありなところなんか、お茶目というかさすがだ。こちらのアート界は、良い意味でのハングリー精神が宿っている。皆が即興で魂を競って遊んでいる。今日もまた、川口ゆうこさんは興奮していた。
裏の世界を垣間見た気がする、まったく、こんなヨルダンは初めてだ。おそらくパーティは朝までつづいたのだろう。わたし達は午前2時にはお宅をあとにした。
翌23日は金曜日でこちらでは休日。死海から3キロのところにあるマダム・ミヤミーンの別荘にお呼ばれする。
アンマンと違い海のそばで標高が低く、とても過ごしやすいところ。外壁には複数のアーティストによるペインティングが施され、ブランコやプールもある。トランプやバドミントンをしたり音楽にあわせて踊ったり、お庭の片隅で運転手のハッサンがケバブを焼いたり、ぼーっと過ごしたりして休日を愉しんだ。
半年前にバクーバから来たラナという女性は、バクーバは最悪でとても住めたものじゃないと云う。途中の車で一緒だったイブラヒム教授は、家族をアンマンに残して明日バグダードのハイファに戻ると云う。それでもこうして遊んでいるところがイラーキーだ。
これまでに見てきたイラクやヨルダンの現実とは違う、いわゆる富裕層のイラクの生活を見た。ただただ吃驚するわたしが、あった。それでもかれらは、イラクという大きな国を背負っていた。
今回は、日本の川口ゆうこ画伯がPEACE ONのつながりでヨルダンの首都アンマンで個展をおこなうことになり、その文化交流の橋渡しを光栄にも引き受けさせていただいた。
21日朝、ヨルダンの空港に着いた途端にハプニング。なんと作品の一部が届いていないのだ。カウンターでがんがん物言っても、ここでは「インシャアッラー(神がお望みならば)」の世界。初アラブの川口さんは途方に暮れパニック、わたしはアッラーカリーム(神は慈悲深い)の精神で慰めるしかなかった。荷物はアルハムドゥリッラー(神のおかげで)、翌日に到着した。
個展会場であるダルブナー・ギャラリーのおんな主人のマダム・マヤミーンは、素敵でやり手な初老のイラク人。90年にイラクから移り住んだのだそうだ。若きマネージャーのムハンナドもイラク人、飾ってある作品もイラク作家のものが多かった。
以前ハニ・デラ・アリ画伯も云っていたけど、これってイラク人によるアート・オキュペーション!? 芸術の都バグダードからたくさんのイラーキーがやって来て、ヨルダン作家は負けているんではないだろうか?
電話をかけると、寝ていたシルワン・バラン画伯が飛び起きて駆けつけてきてくれた。ハニからはわたしが来ることなんて聞かされてなかったと云う。来日以来の4か月ぶりのハグ。「ふるさと」を歌ったりして、相変わらずのシルワンだった。
21日夜、ハニに誘われ、アンマン郊外のファヘイス村にあるアトリエ兼ギャラリーを訪ねる。
上の階ではハニ達が制作をしてい、下の階ではハニの具象画やシルワンの魚の絵など壁いっぱいに巨大な絵画が展示され各国からのアーティスト達が集っていた。制作は、1人で描くのではなく複数人によって、思い思いに絵の具をぶちまけたり筆を走らせたり削ったりしている。そこには、圧倒的なアートの生命力が脈打っていた。おすましした芸術なんかじゃない、生々しいアート。なんだか秘密結社のようで、我がハートがエキサイトしてゆくのが分かった。ハニはここで遊びながら闘いながらどんどん新しいアートに挑戦して、新しい"ハニ・デラ・アリ"になっていっているのだな。
初日にさっそくこんな世界を目の当たりにすることになって、川口ゆうこさんは画家として相当な刺激を受けたようだ。
22日は搬入。とりあえず作品をギャラリーに持ち込んで、飾る順番を決める。皆「ハルワ(素敵)」と云ってくれて、ほっ。大げさな表現かもしれないけれど、ヨルダンへはるばるヤバン(日本)を背負って来ているわけで、緊張さえおぼえる。ここインターコンチネンタルホテルという最高級の場所で個展を開催できるのは、ひじょうに名誉なことだ。日本人の作家がアラブで個展だなんて珍しいのだし。
5か月ぶりにハニのお家を訪ねる。
オム・ムスタファ(ハニの奥さん)はじめこども達もみんな元気でなにより。こどもらの成長の早いこと。長女のナバは、「おとこのこなんか興味ないわ。勉強がたいせつよ」と云っていた。ハニのこどもらは、成績が良くてお手伝いもしっかりやって親思い。ハニの人柄がよく出ている。だから大すき。日本のお雛さまを説明して、雛あられなどをプレゼントする。こども達は今3D制作にはまっているというから、おもちゃはもう卒業かな。二女ルカイアと二男ハッスーニ(フセイン)が、またもわたしの顔を描いてくれる。それにしても6歳のハッスーニはまだまだアブストラクト画家。鳥みたいにわたしを描いてケラケラ笑っていた。皆やはりイラクが恋しいと云う。けど、ハッスーニは「イラクなんか忘れちゃった」ですって。でもきっと、大人になれば…。
夜には、イラク人コレクターのお家のパーティに招待される。
桁違いのリッチさで、シルワンをはじめイラクものを中心に様ざまな絵画が並べられてある。巨匠ムハンマド・ムハラッディーンのもある。PEACE ONの文化交流活動も言ってみればコレクター、わたしもある種のコレクターとして話が弾む。
パーティにはだんだんと人びとが集まりだした。ヨルダンや世界各国のアーティスト、コレクター、明後日バグダードのアダミヤに帰るイラク人。かれによれば、ニュースが大げさ過ぎるんであってアダミヤでも郊外はそんなに危なくないとのこと。そうなのかなあ、しんぱい。バーカウンターまであり、バーテンがジュースをいれてくれる。ウード奏者が、生でウードを奏でる。ハニも歌う。ちいさなアトリエのようなスペースもあり、気が向けばハニやシルワンやら画家達が絵を描いてゆく。氷を滑らせて水のかわりにしたりなんでもありなところなんか、お茶目というかさすがだ。こちらのアート界は、良い意味でのハングリー精神が宿っている。皆が即興で魂を競って遊んでいる。今日もまた、川口ゆうこさんは興奮していた。
裏の世界を垣間見た気がする、まったく、こんなヨルダンは初めてだ。おそらくパーティは朝までつづいたのだろう。わたし達は午前2時にはお宅をあとにした。
翌23日は金曜日でこちらでは休日。死海から3キロのところにあるマダム・ミヤミーンの別荘にお呼ばれする。
アンマンと違い海のそばで標高が低く、とても過ごしやすいところ。外壁には複数のアーティストによるペインティングが施され、ブランコやプールもある。トランプやバドミントンをしたり音楽にあわせて踊ったり、お庭の片隅で運転手のハッサンがケバブを焼いたり、ぼーっと過ごしたりして休日を愉しんだ。
半年前にバクーバから来たラナという女性は、バクーバは最悪でとても住めたものじゃないと云う。途中の車で一緒だったイブラヒム教授は、家族をアンマンに残して明日バグダードのハイファに戻ると云う。それでもこうして遊んでいるところがイラーキーだ。
これまでに見てきたイラクやヨルダンの現実とは違う、いわゆる富裕層のイラクの生活を見た。ただただ吃驚するわたしが、あった。それでもかれらは、イラクという大きな国を背負っていた。
by peaceonkaori
| 2007-02-27 17:42
| 中東にて