NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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Anything.......

ダウンタウンまで出掛けて、クリフ・ホテルのサーメルを訪ねる。
かれは、日本国の人質として殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め今でも悔んでいる人物で、コーダ・ホテルを建てるのを夢としている。前回に携えて行った証生くんの写真とかれが持っていたというイラクのこどもの写真が、ロビーに置いてある落書き帳"サーメル・ブック"に貼ってあった。クリフは今もお客の9割が日本人バックパッカーなんだそうだ。
e0058439_23172784.jpg働かされっ放しのサーメルだが、その翌日には、5時間ほどの休憩時間をもらえたと喜び勇んで、川口ゆうこさんの個展に足を運んでくれた。クリフ以外で見るサーメルなんて、初めて。とても大きな花束を川口ゆうこさんとわたしにプレゼントしてくれ、わたしがアンマンを去る前夜にはわざわざ電話をかけてきてくれて例のか細い声でお別れの言葉を述べてくれた。

その後、定宿にしていたガーデンズ・ホテルまで行ってみる。わたし達のほかは全てイラクからの避難民が泊まっていて、こっそり「フンドコ・イラーキー(イラク人ホテル)」などと呼んでいたものだった。
e0058439_23221460.jpg今回はいわゆる富裕層の人びとと接することが多いもので、東部の大げさに言えば貧民街のような地域に来ると、ほっと頬がほころぶ。こどもらが寄ってくるので、「おっしゃー、みんなでスーラ(写真)撮んでー、ええかー」と叫んで、パシャ。元気いっぱいのムードで呼吸する。道を訊けば、周りとともに教えてくれたり親切にも連れて行ってくれたりするところが、アラブ。分からないなりにアラビア語で喋ってみて、心地好く歩むわたし。やっぱりこれよ、うん。

ホテルに行ってみると、スタッフ達はわたしを覚えていてくれていた。近所のファラフェル屋さんも。ひと通りの挨拶を済ませて、様子をうかがってみる。
以前とはすこし違っていた。今やイラク人だけではなくアラブ諸国や欧米からのお客もいるらしい。このホテルもじゅうぶん安いが、イラク人はもっと東部の安宿にいるのではないかという話だった。それでもやはりイラク人のお客もいたので、わたしは「ムサハダード」だと自己紹介して胸のイラク地図のネックレスを見せてイラクずきをアピールし、話を聞いてみる。
そのうちの1人は、民兵のマハディ軍によって片目と片足を失っていた。今回はその手術と外国へ行くヴィザ取得のために、ヨルダンにやって来たのだと言う。かれはサングラスを外して義眼を見せ、「あんたムサハダードなら、日本に連れて行ってくれよ」とでも云いたそうだった。わたしはなにも、云えなかった。「ムサハダードでイラクずきのくせに、こんな小娘になにができるんだい?」-皆の眼からは、そういったあきらめにも似た冷たさがかんじられた。

「なんでそうイラクにこだわるんだい?」と、スタッフのムハンマドからも尋ねられる。「わたしはイラク戦争を支持した日本政府の加害国の人間で、イラクの人びと全員に謝りたい、すこしでも償いたいんよ」とつたえても、かんたんには分かってくれない。「政府は政府、人びとは人びとだよ。だいたいカオリになにができるのさ? 民兵と話ができる? イラク傀儡政府に物言える? この世のどこを探したってデモクラシーなんてないんだよ」と。
ダルブナー・ギャラリーのマネージャーのイラク人ムハンナドは、イラク侵略戦争前の2000年に難民としてアンマンで暮らし始めた。かれは、「人びとが政府を育てるんだ。イラクがこんなになってしまったのは全てサッダームのせいさ。サッダームの前は、イラクはほんとうに平和だった。だから僕は、サッダームの死は当然のことと思っている。僕はヨルダンがすきではないけども、ほかにどうしろって言うんだ? 仕方ないじゃないか」と云っていた。
サーメルでさえ、「カオリがどうがんばっても、今はただ待つよりほかはない」と云うんであった。「アンマンでのホテル同時爆破事件では、ふつうそうに見えるイラク人女性が未遂として逮捕された。そんなだから、ヨルダン政府がこれ以上イラク人を受け入れるのは困難だ。ストリクトもやむを得ない」とも。もちろん、100万人を超すともいわれているイラクからの避難民で、街はあふれている。いっぱいいっぱいのヨルダンがイラク人にたいして厳しくするのも、当然かもしれない。イラク人が祖国を追われるという根本的な問題が解決しない限り。
ハニは、わたしがガーデンズに行くのにちょっとした不快感を示した。「困っているイラク人の例なんてなんぼでもある。俺のいとこだって、ヒートで職がない。かれは家の前にお店を出してほそぼそと商売をしている。なぜ家の前かって、爆発があればすぐに帰れるようにだよ。そんな話、幾らだってしてやるよ」と、けわしい顔でかれは云うんであった。ハニの家族は、電話も通じなくなったヒートから親戚がやって来て、手紙を交換していた。もう2年も帰れていないのだそうだ。ハニのいとこのムサンナの奥さんにだって、「今は祈るだけよ」と微笑まれた。

日本にいるいいなずけにSkypeで泣きついてみても、返ってきた答えは、「そんなに辛かったら、今回は文化交流に専念していればいいんじゃないのか」。
日本やヨルダンのひとにも、そしてイラクからの避難民にすら、「今のカオリはイラクのためになにもできない」「Can not do anything(なにひとつできない)」「祈っておけばいい」と言われる無力なわたし。話を聞くだけ聞いておいて、ほんとうになにもできない自身が偽善者に思えてくる。苦しくて苦しくて、我の無力さを恥じて寝て、悪夢にうなされる。莫迦だ。焦燥で空回りしているのは分かっている。こんな苦しさ、イラクのひとに比べたら屁でもない。苦しむ自分を責めた。
ヨルダンにいて、イラクはあまりに遠かった。

実際、助けを求められることもあった。ダルブナー・ギャラリーのマダムがPEACE ONのリーフレットを読んで、「イラクからのがん患者のこどもを救おうとしているんだけど、わたし達だけではお金がもたないの」と懇願される。PEACE ONは医療のスペシャリストでもなければ個人的ケースにも対応できていないので、急遽ほかの日本のイラク支援団体に相談させてもらった。己の力不足を痛感。大先輩の日本のイラク支援者はとにかくポジティブなかた、いつもほんのりと勇気づけられる。しかしかれもまた、今はほんとうに遣り切れなさがあると云う。

e0058439_23175774.jpgわらをもすがるように、翌々日もガーデンズに行く。
バグダードのムスタンシリア大学で先生をしている親子と出会う。ムスタンシリア大学といえば、最近2度も爆発事件が起こった大学。様子を聞いてみると、大学がマハディ軍に占領されて学校は半ば閉鎖状態にあるとのことだった。かれらは、職探しと本の出版のためにアンマンに来ていた。まだ25歳の息子さんと、もともとはファッルージャ出身というバグダードのオマルさんと話が弾む。オマルさんは名がスンニ特有というだけで逃げてきていた。「何週間か過ごしたらまた戻るほかないね」とあきらめ顔で苦笑い。サッダームの話題をふってみたら、ほかのイラク人もこぞって「サッダーム、ナンバーワン!」と答えるんであった。
このように、今までと状況が変わってきている。家財道具を車に詰めるだけ詰めこんで一家で逃れていた時期から、それもできなくなって命からがら避難してきていた時期を、これまでに見てきた。そして、手術やヴィザ取得のために男性だけが来るケース、おんなこどもより男性が危険なため男性のみ逃げてくるケース、を今回は見た。お金も底を尽きて一家で逃げるのは厳しくなり、またヨルダン国境で追い返されることも多いと思われる。家族が大すきなイラク人、家族がはなればなれになるなんてたいそう辛いことと思う。
イラクの有名な「フォーゲンナハル」を歌ったり、水たばこを吸わせてもらったりしているうちに、だんだんとうちとけてきた。とにかくその25歳の若いのは賑やかで、冗談をかましてばっかりいる。暗い情勢だって、かれの唇からは咲みとともに語られるのであった。これぞイラーキー。そんなつもりはなかったのだが宗派によって立つ姿勢が違うという話(スンニ派はお腹の上で手を重ねる、シーア派はキヲツケ)になり、シーア派のかれは気を遣って、じぶんの宗派を片手を真っ直ぐに下ろし片手をお腹の上に乗せるという半分半分のポーズを取ってみせた。機転の利いた有難いジョーク、そう、ほんとはほんとは宗派なんか関係ないものね。かれはNGOをたくさん知っているというので、今後は連絡を取り合うことにした。なんとかホープを繋ぎとめられたのかな?
最終日に泊まっていたホテルで知り合ったイラク人は、電気やお水なんかを輸入しているのだという。あのイタリアの「2人のシーモアさん」とも親しいと言っていた。かれも「どんなことでも相談してきなさい」と云ってくれたので、なんだか今後に期待できそうかな? どうかな?

今、イラクを支援しつづけるということはとんでもなく難しいし、理解も得難い。それでも、それでも、と繰りかえしながら進むしかない。希望の芽を摘んでしまってはいけない、とか、言うのはかんたんだけども。この艱難が玉になる日を祈りながら。答えなんて出せなくて、ぐしゃぐしゃのままで。
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by peaceonkaori | 2007-03-09 23:18 | 中東にて