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NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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3月20日

今朝は5時半に目が覚めた。眠れなくなって起きた。なんでかな? ゆうべ見たTBS「ニュース23」の特集のせいなのかな。

3月20日は、4年前にイラクが侵略軍によって攻撃を開始された日。

番組では、イラクの友のワリード一家の様子がレポートされていた。奥さんが買い物に行ったのを、危ないからと銃をしのばせ迎えに出るワリード。こども達は、ジハードごっこをして遊んでいる。サマーワからバグダード郊外へ引っ越しを余儀なくされる家族。
ひさびさにワリードを見られた喜びは幾らかあるものの、かれの置かれた過酷な状況にうちのめされる。ほんとうは、放映された以上にミゼラブルな日々をかれは過ごしている。
そして、かれはとくべつなのではない。一般の、とくにスンニ派のイラク人はみんな、似たような厳しい現況下に暮らしているのだ。
バグダード入りしていらっしゃる綿井健陽さんが云う。この4年間でイラク人が得たものは、銃声と爆音と殺し合いだけだと、バグダードはまるで大きな牢獄のようだと。

4年前のイラクでは「開戦日」もなにもなく、人びとの営みがあった。4年後の「開戦記念日」だって人びとは営みをつづけているのだが、今日も100人を超えるかたがたが殺されるのだろう。考えたくない予想だけど、たぶん、当たっている。

3月20日_e0058439_2248671.jpg今日3月21日は、WORLD PEACE NOW主催のイベント。どうせつまらないだろうと参加しないつもりでいたけど、つまらないかどうかは行ってみて考えようと決断し、途中から出向いた。「デモなどはやって当然なんだ、前提なんだ。やったうえでその先どうするのかが問われる」という、ケン・オキーフさんの言葉もあたまに残っていたから、行かないでいるのは後ろめたくもあった。
最近ではパレードと呼ばれるデモ行進のみ、参加した。主催者発表で2000人とされていたけど、きっとそれは多めの数字。いつも東京はそう。皆それぞれにのぼりを持って、お決まりのコースを歩く。何年も同じコースをたどっても変わらないのに、それでもやりかたを変えない。前のほうでは拡声器で替え歌を歌いなにか訴えているけど、しらけたムード。そばの老女に「一緒に歌いませんか」と誘われたが、「賛同できないので」と断った。デモに人数が必要なのは分かっている。でも、こうやってなんとなく集まった人間がただ練り歩くだけで、いったいなにを変えられるというのか。どうせ最後には労働ナントカとかナントカ教組とかの各団体で万歳三唱かなにかして、「おつかれさまでしたー」とかなんとか言ってにこやかに終わるのだろう。今この瞬間にも、イラクではひとが誘拐され拷問され殺されているというのに。
わたしはしだいに腹が立ってきた。こんなデモの一部になってしまっているじぶんが、こころの底から嫌になった。わたしは独りでわめき散らした、「みんなイラクのことを考えろー、イラクのことを考えてデモをしろー」「だらだら歩くなー、しゃきっとしろー」「くだらない歌を歌うなー」「惰性でデモをするなー」「デモのためのデモをするなー」。デモ行進のなかにいて、デモ批判をした。周りのひとは、笑ったり聞こえないふりをしていた。わたしはつづけた。
でもそのうちに、これはじぶん自身にたいする怒りであり苛立ちであるということが分かってきた。わめいたところで世界は変わらない。第一にじぶんが変われないから、わたしは怒っているんだなと。矛先が我に向いて、わたしは沈黙のうちに歩きつづけた。時折、「イラク戦争反対!」「これ以上イラクのひとを殺すなー」などと叫んだ。喉が痛くなるまで、大声で。ここ東京でなくバグダードでデモをしたいとも思った。なんというか、戦場にいないことがもどかしかった。わたしは国民投票法案にも憲法改悪にも反対の立場だが、そのシュプレヒコールには応えず、イラクに関係することだけ口にした。イラク、イラク、イラク。わたしが大のイラクずきということが今のわたしにとって逆にあだになっていることにも、じつは気づいていた。でも今日はイラク戦争を止めるために集まったイベントなのだから、わたしはわたしの思うがままにデモ行進をした。代表は、そんなわたしを黙って見守ってくれていた。
終着地でスピーチをさせていただいた。わたしはイラク情勢をかんたんに説明したうえで、とにかくイラク人の「ノー・ライフ」の日々を想像してくださいと、希望の途絶えた絶望のイラク人のためにわたしら国際社会は本気でほんとうの本気で挑むしかないんですよと、呼びかけた。そのあとで数人のかたに声をかけていただけたのが、今日のせめてもの救いだった。

ヨルダンで幾人もに「Nothing」と云われたことがまだ、わたしを葛藤のただなかに置き去りにする。ヨルダンでイラク人と喋っていても日本でデモ行進をしていてもイラクはあまりに遠くかんじるし、今すぐの解決策なんてそもそも見つかりっこない。答えは出せないが、前進しなくてはならない。声をあげて歩きながら、イラク地図のネックレスがわたしのちいさな胸に躍っていた。

写真提供、渡邉修孝さん。
by peaceonkaori | 2007-03-21 22:55