NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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シリアのイラク避難民を調査する~「ファッルージャはちいさなヒロシマだよ」

朝、ダマスカスのアパートメントを出たとたんにおもてでぬぼーっと立っていた青年に道を尋ねる。かれの名はフィラス、ディアラのバクーバから来たイラク人だという。2004年にイラクを出国してシリアの大学で論理学を専攻していたけれど、お金がもたなくなって今は学校へは行っていないとのこと。
ここから3日3晩、なぜかフィラスはわたし達と行動をともにすることになる。

シリアで、イラクからの避難民は急増している。その数、140万人とも250万人ともいわれる。ヨルダンがイラク人の入国にたいして厳しくなって今ではビジネスマンなどのお金持ちしかほとんど見なくなったのに比べて、シリアでは命からがら逃れてきた貧しいイラーキーが多いとも聞く。
今回は、シリアにいるイラクのこどもにPEACE ONとしてなにかできないものかと、その調査にやって来たのである。

e0058439_19322635.jpge0058439_19324998.jpgさっそく、わたし達はダマスカスのシナーア地区へと赴いた。
フィラスは、道を行くひとや玄関を叩いて出てきたこどもに突然「イラーキー?」と尋ねる、強引な手法。本人曰く、「だってイラクの匂いがするから」。

小学校などちいさいこども達は通学できているそうだ。高校生にもなるとバグダードの教育省まで書類を取りに行かないといけないらしく、そんな危ないことはできないからと、出逢ったハッターブくんはスーパーマーケットで働いて家計を支えていた。
シナーア地区にはたくさんのイラク家族が住んでいると聞いたとおりで、道を歩けばイラク人が集まってきて色いろと教えてくれるのだった。イラクの形をしたペンダントを身につけて遊んでいる少女もいた。

訪ねたお家では、男性へのインタヴューはサラマッドやYATCHに任せ、わたしはいつも女性やこども達と遊んでいる。こんなヤバン(日本)の小娘が可笑しなアラビア語でイラク大すきとか云ってはしゃぐので、向こうのきんちょうもほぐれるみたい。お台所などにも入らせてもらえて、暮らしぶりやおんなの本音なんかもよく分かる。

皆が口をそろえて、シリアはよいところであまり問題もなく生活できる、と言う。外国人がいきなりおしかけてなんか話してくれというのも、限界があると思う。それにかれらも、イラクみたいに治安が最悪なわけでもなくヨルダンみたいに追い返されもせずシリアに住めているのだから、実際そうなのだろう。
でも、もうすこしなにかが見えてもいい気がする。策を練らなければ。

翌日、フィラス遅刻。セルビス(乗り合いタクシ)に乗り、首都ダマスカスから1時間強のところにあるちいさな町ディアアティーアへ。

e0058439_19331582.jpgオートバイに乗ったイマームをひき止める。かれはこの町のことをよく知る人物。イラーキーが移り住んでいるのも把握しているけどもとくに問題はなさそう、とのご返答。
日本の僧侶がスクーターで檀家参りに行っているようなもんで、こっちのイマームもバイクでうろうろするんやな。妙な親近感。

e0058439_19333516.jpgバグダードから来たサリさんは、4人のこどもを抱えていた。学校は通えてもイラクとシリアとではレヴェルの違いもあり、わたし達がやろうとしている「寺子屋プロジェクト」は大歓迎だと云ってくれた。かれ自身が教師なので、なにか手伝えるとも。

この町でイラク人を支援するグループにも会ってみた。話し合った末、この町でPEACE ONがプロジェクトをおこなうなら、協力してくれるとのこと。こころ強い。

e0058439_1934266.jpgアブ・アマルさん一家は、イラク中部ファッルージャから。米軍による2004年の大侵攻で家業のモバイル・ショップがめちゃめちゃにされ、国内の親戚も殺害が相次いで、シリアに辿り着いたのだという。3人のこども達は、授業についていけなかったりなじめなかったりで、いつまたイラクに戻るかも分からないので、シリアの学校に通うのをやめた。こどもらは帰国したがるけども、今のファッルージャはまるで地獄だし、とアブ・アマルさんは悩んでいる。現在は無職、貯金が底をついたらイラクに戻らざるをえない、とふあんそうだった。
…急に、風景が止まったようだった。アブ・アマルさんは日本人のわたしのほうを向いて、「ファッルージャはちいさなヒロシマだよ」と力なくつぶやいた。イラク人にとって、日本といえばヒロシマ・ナガサキ。その日本人になんとか共感してもらおうと必死に訴えているのが、痛いほどに伝わってきた。今までルカイアちゃんやアナスくんらこどもとコミュニケーションをとりながらおとこどもが喋るのをただ聞いていたわたしだったが、どうしても堪え切れなくなって震える涙声でアブ・アマルさんに告げた。「ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。わたしはファッルージャの住民1人1人に謝りたいのです。日本政府はイラク戦争やファッルージャ総攻撃を支持してしまった。わたしが謝罪してもどうにもならんのだけど、それでも云わせてほしい。ごめんなさい」と。かれはしずかにほほ笑んで、「政府は政府、市民は市民ですよ。ありがとう」と云ってくれた。恥ずかしさと、申し訳なさでいっぱいだった。ハニに泣きじゃくってあたまを下げたあの時みたいに。「もう、おいとましよう」、サラマッドが立ち上がった。

帰り際、商店のおじさんが「ほれ、飲みよし」と瓶ジュースを持たせてくれた。かれもまた、ドレイミ族のイラーキーだった。シュワルマのサンドイッチを買って、一路ダマスカスへとひき返す。
明日もイラーキーの声を聞こう。わたしが今すべきことは、それなのだから。
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by peaceonkaori | 2007-06-19 19:41 | 中東にて