NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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続・シリアのイラク避難民を調査する~ファッルージャと呼ばれる町で

遅れに遅れている、シリア滞在の記録をもうすこし。

5月22日、今日はダマスカスのジャラマーナ地区を訪ねてみる。
ここはキリスト教者の多い町で、聞けば現在イラク人が10万人ほども住んでいるのだという。逃れてきたイラク人が最初にやって来た町ともいわれ、ファッルージャへのシンパシーからジャラマーナは「ファッルージャ」と呼ばれているのだそう。
広場にたむろしていたおじさん達に話しかけてみると、かれらはバグダードのドーラ地区から避難してきたキリスト教徒だった。「水なし、電気なし、安全なしで、たいへんやった」とトホホな暮らしぶりを、それでも笑みをたたえて喋ってくれる。停めてある車のナンバープレートも、イラクのものがたくさんあった。
e0058439_1724067.jpg通りに、イラク食堂がオープンしていた。なんでもバグダードのアザミヤ地区からお店まるまる引っ越してきたらしく、働いているかたも全員がイラーキー。お店じゅうのスタッフがよろこび勇んでおもてなししてくれる。イラクのチャイに、イラクのパン、机に乗りきらないイラクのお料理の数々。なつかしの味に、頬の弛緩したサラマッドが笑顔で食らいつく。わたしもすっかりうれしくなって1人、厨房のほうへ進んでみると、おくには「わしはドレイミ族の者や」とか「俺はファッルージャで戦っていたんやー」と自慢(?)する料理人とワーッと盛りあげる周りのひと達。びっくりしてもっと聞いてみようと思ったのに、そこでフィラスに呼びかえされた。
e0058439_17241914.jpg(追記。後日この食堂を訪れた知り合いによると、携帯電話で撮ったわたしとのツーショットをまだ保存していて見せてくれた、とのこと。とってもうれしいエピソード。「なんや日本から来た娘が、イラクすきすきとかって俺らの国の形したネックレスまでつけてはしゃいでいたよなあ」なんて思い出してくれていたなら、最高やなあと思う。)
パン焼き担当のアブ・オマルさんのお宅に連れて行ってもらう。アブ・オマルさんは、以前サッダーム・フセインの時代は宮殿で働いていたため、2003年4月の陥落後から身が危険になっていった。おまけに、息子のオマルくんはその名がスンニ派の独特なものだという理由だけで4度も転校。とうとうシリアにまで避難することとなった。イラクからの仕送りと食堂のお給料を足しても、まだまだ苦しいという。おくさんがこどもに勉強を教えているので、シリアの学校でもついていけているそう。ちなみに、おくさんはシーア派。

ジャラマーナの印象は、シリア人にとってあまり良くないかもしれない。貧困からイラク女性が売春などに走るケースも増えたと聞く。
今や、シリアという国の人口の10分の1にまでふくれ上がったイラク避難民。祖国の情勢、生活のこと…絶望に陥ったかれらがイラクから離れて新たな混乱の渦に呑まれる事態は、じゅうぶんに考えられる。そして、しわよせはいつもこども達にふりかかる。
PEACE ONでは、こどものライフのためにまたイラクの将来のために、シリアのイラク避難民の教育をサポートしようと計画している。こども達が創りだす未来は、そのまんまわたし達のいるこの世界の未来である。世界の友達としてどう振る舞うのか? わたし達は行為しなけばいけないと思う。
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by peaceonkaori | 2007-07-04 17:22 | 中東にて