NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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イラク家族と過ごす半日

飛行機の膝の痛む狭い座席で食べたり眠ったりを繰りかえしうんざりした頃に、ぶじにダマスカス到着。宿を確保し、中庭の民芸調になったカフェテリアでトルココーヒー(ちいさなカップで濃い煮出しコーヒーの上澄みを飲む)で一服。さてどうしようかと思案する。
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ジャラマーナへ行きたかった。「シリアのファッルージャ」とも呼ばれるイラク人の多く移り住む町で、5月に訪れた時にとても印象的だったからだ。しかし思うところあり躊躇う。したいこと/すべきこと/できること、などが頭のなかで絡まる。それでも行かない訳にはいかない。

マトアム・カーシムという名のイラク食堂を再訪。5月に映した写真を渡すと皆ぞろぞろ寄ってきて再会をよろこび合う。シュワルマのサンドイッチ、イラクの濃いお茶をいただく。
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スタッフも皆イラキーなら、お客も皆イラク人。なかにはサッカー試合のためイラク南部バスラからやって来た一団もいた。制限が厳しくなりイラク人のシリア入国は不可能に近くなったが、スポーツ選手はヴィザ取得できるという。
ワリードというおじさんに、娘が4人もいるからぜひ家に来てくれと誘われる。

シーア派の町セイダザイナブの近く、町外れにかれのアパートはあった。薄暗い部屋に佇み、娘らは不思議そうに見つめる。アッラーやムハンマドというアラビア書道のポスターやすぐに電波がおかしくなって映らなくなるテレ・ヴィジョンのほかはほとんど物が見当たらない。子ども達は1日なにをしているのかと思う。
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お茶をもらい、話を続けるうちにかのじょらと打ち解ける。「ホテルから荷物を取ってきてここで泊まりなよ。お湯のあるシャワーもお便所も寝室だってあるよ。ずっといて」と云い、「靴を隠しちゃう。鍵もかけるわよ」と強引。断っても断っても諦めない。そもそも英語がほぼ通じないどころかアラビア文字もフスハー(正則アラビア語)も危いかれらだが、わたしとのコミュニケーションを諦めない。
かのじょらの精一杯のおもてなしに感謝する一方で、ある種の居心地の悪さもこころの底に秘めていた。いつもなら必ず聞き出すイラクでの状況について、避けるように会話した。

遊びに出ようと云うので、ヒジャーブを借りる。ヒジャーブが要る要らないで議論になり、念のため頭に巻いた。わたしは用心し、用心する自分がなんとなく強烈に厭やった。外出先はなんと遊園地。空中ブランコ、ジェットコースター、日本のそれと比べると大丈夫かと思ってしまう代物だが、誰よりも叫び声を発し笑われる。子ども達は本気で喧嘩し泣き、つまり愉しんでいた。
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お母さんが帰ってくるからとまた家に引っ張られる。顔が浮かび上がる日本の紙幣に感嘆し、イラク紙幣を懐かしがるかのじょ達。仲が深まると、それまで「アラビア語学生」を名乗っていたわたしも本気で語らないといけなくなる。

おずおずと告白を始める。アメリカのイラク攻撃の最中に「人間の盾」としてバグダードの浄水場から反戦を唱えたおっとのこと、イラクの友とハンディキャップを持つ子に通学バスを届けていたこと、情勢悪化で日本人のイラク入りが難しくなったこと、今はシリアのイラク難民になにかできないかと模索していること。
とても怖かった。もし本気で向き合うなら、1か月でも1年でも毎日のように通って信頼関係を築いた上で本当は話を聞くなりしたい。知り合ってすぐに「イラクは危険だった?」「学校へは行けるの?」「親戚は大丈夫?」などと根掘り葉掘り、今のわたしには聞けない。前まではそうして声を拾いそれを日本に伝えることがわたしの使命と燃えていたのに。かれらを「戦争の国から来た家族」の1つのケースとかモデルとして捉えそうで、とにかく怖くなった。日本の誰かに、NGOスタッフ失格と非難されるかもしれない。でも誰に? こんな弱いわたしに、知ったかぶりやできるふりなどできない。この怯えのせいで、今日は居心地の悪さを感じていたのだった。

素晴らしいとワリードは云ってくれた。今日ずっと隠していたイラク型のネックレスをブラウスの開いた第一ボタンから見せると、娘はわあっと歓声をあげてこぞって手にした。存分にイラクずきをアピール。申し訳なさもちゃんと伝える。
テレ・ヴィジョンも時計も車も日本があまりにもすごいと繰りかえすので、それは技術の話でしょと例のごとく切り出し、年間3万人の自殺者の話ややさしさを失ったかのような現代日本社会の話をする。未だ米軍基地に占領されていること、ヒロシマの原爆のこと。子どもらはイラクじゃない日本にそんな大きな爆弾が落とされたことを理解できないようだった。
少しずつ、話してゆく。バグダードでは通りの銃撃戦をよく目にした娘、一年の滞在許可証はあるが国連は何もしてくれないと嘆くワリード、イラクとシリアで訛りや習慣が異なるため通学できないでお友達のいない娘、お母さんは今日で理由なくクビになったらしい。日本に難民として逃れたいと云われるが、かなり難しい現状を伝える。話してもらえてもすぐになにかできる訳じゃない。ごめんと思う。

振り切ってやっとホテルへと帰った。
己の弱さを知り、誠実な態度で、誰かと向き合うこと。今回のひとり旅は、わたし自身の根底が問われそう。往きのスーツケースは軽かったが、迷えるこころは重いものがあった。不器用なやりかたで、国際協力の在りようを考える。
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by peaceonkaori | 2007-11-04 16:52 | 中東にて