NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

2006年 09月 23日 ( 3 )

PEACE ONイラク帰国報告会

もう今日になってしまいましたが、おしらせです。

8月28日~9月21日までイラク北部等にて、イラク現地スタッフと打ち合わせ・調整をおこなった代表 相澤恭行(YATCH)と事務局長 高瀬香緒里の帰国報告会を開催いたします。
イラク最新情報から、支援活動報告、またアラブでのおもしろ文化事情などなど、盛りだくさんでご報告する予定です。
また、イラク・ヨルダン・シリアで仕入れた多彩なアラブ民芸品雑貨の初売りにも、ご期待ください。
お友達やお知り合いをお誘いのうえ、ぜひぜひご参加くださいね。

-------------------------------------------
日時:9月23日(土)14:00(開場13:30)
場所:本駒込交流館 4F会議室A
(東京メトロ南北線本駒込駅2番口右へ5分)
報告者:相澤恭行(代表)・高瀬香緒里(事務局長)
参加費:500円
主催:NPO法人PEACE ON
-------------------------------------------
[PR]
by peaceonkaori | 2006-09-23 05:08 | おしらせ

シリアでの色いろ

ヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカス(シャーム)まで、セルビス(乗り合いタクシ)で9JD=約1630円。ちぇー、昨年は8JDやったのになあ。
レイヨンちゃんという赤ちゃん連れの兄妹とご一緒する。レイヨンちゃんと遊んでいるうちにかれらと打ちとけ、別れ際には「ダマスでなんかあったら電話をよこして」と、携帯電話の番号を教えてもらった。

昨年も泊まったフンドコ・ザハランに宿をとる。1部屋700シリアポンド=約1650円。窓は外に通じてなく、便器に身体をこすりつけてシャワーを浴びるような狭さの洗面所。まるで監獄。これじゃ、心身ともにぐったり。屋上で、やけ酒のようにビールを飲んで、おやすみ。
翌日お部屋が空いたというので、さっそくもうすこしまともなところに移る。蟻の行列が凄まじいことには変わりない。蟻は、PCのなかにまで侵入してきやがった。

e0058439_4304021.jpge0058439_4305697.jpge0058439_4355854.jpgアサド大統領の親子の肖像が街中のいたるところに貼られているのは毎度のことだけれど、今回はそこにレバノンの組織ヒズブッラーの指導者ナスラッラーが加わっていた。バッシャール(大統領)とナスラッラー、アサド親子とナスラッラー、そしてナスラッラーとイラクのシーア派シスターニまで。シリア国旗やパレスチナ国旗(連帯を示す)とともにヒズブッラーの黄色い旗もが、商店の軒先などに掲げてある。初めは珍しがって、バッシャバッシャと写真を撮ったり人びとに「ナスラッラー、クワイアス(グッド)?」なんて訊いていたけど、そのうち飽きてくるほどナスラッラーは溢れかえっていた。果ては、ナスラッラーTシャツを着たおとこのこまで見つけてしまった。
シリアでアサドについて悪いことを言えば捕まってしまう。では、今やアサドと同等にまつられているナスラッラーを批判すればどうなるんだろう? とにもかくにも人びとは皆、ナスラッラーはグッドだと言っていた。

e0058439_4312594.jpg鳥なんかを売っているお店のまえを通る。これは食用なんやろうか、ペットなんやろうか? YATCHは蛇で遊んでいた。そのうち店主が蛇を天高く放り投げた! 鳥の餌になるんだそうな。ひえぇ。

e0058439_4313956.jpgダマスカスには、とにかく露店が多い。板の机を並べて、文房具から食べ物から日用品から、ほんとうなんでも売っている。机なんか並べなくたって、肩や手に大量のベルトなりタオルなりを持って歩きながら売っているひともいる。こんなんで食べていけているんやろうか?なんてよけいなお世話だけど、マジに思う。
女性の下着売りもひじょうにたくさんある。今回もふしぎに思っていたのだけれど、こういうのをお外でしかも男性が売るというのは、アラブ社会ではOKなのだろうか? わたしなんて恥ずかしがってよう買われへん。でも、ほんとうにほんとうに多いんである。ふしぎ、ふしぎ。

アクセサリー店で、イラクの形をしたちいさな銀のネックレスを購入。
県の境界線が引いてあって県名がアラビア語で書いてある。どうかこの形が崩れませんように。国家崩壊だなんて、認めたくない。イラクはイラクで在りつづけますように。今はどんなにバグダードが遠くかんじようとも、いつか旅することができますように。それまではずっと、装着していよう。
あたし、イラ子。

e0058439_432214.jpgなじみの骨董品屋さん、ユーセフさんのお店へ行く。
何百年、何千年も昔のほんまもんを触って、気を養う。こういう美を目にして恍惚(うっとり)とする時をもたないと、素敵なひとにはなれません。もちろんお高いのは見るだけね。
比較的、新しいもの(といっても80年ものだったりする)を仕入れる。ベドゥインのもの、シリアに住むパレスチナ人のもの。こんなにうつくしい手づくりの品が、このお店にはぎょうさんある。あたまがやわらかくなる。

ユーセフさんのご兄弟のアリさんには今回、クフィーヤと石鹸の問屋さんも紹介してもらい、たいへんお世話になった。ハンドルームの良質なクフィーヤと、6年間も乾燥させたアレッポ(ハラブ)のオリーヴ石鹸。今後の販売にご期待ください!
それと、大事なもの。月に1度の会員の茶話会"PEACE ON CAFE"のために、アラブ・チャイとドルマをご用意しようと、アリさんのご友人の乾物屋さんでカルダモン(ハール)やナーナ(ミント)、バーミヤン(オクラ)、フレーフレー(ピーマン)を買う。レモンのパウダーはなかった。ルーミーバスラ(乾燥レモン)をおまけにおねだりする。会員の皆さま、CAFEをお愉しみに!

ユーセフさんのお宅に招待される。
郊外にある豪奢なフラットには、ショウルームみたいにビューティフルな家具や置物が並んでいた。「お店みたい」と言うと、「やめてくれ、ここはリラックスする家さ」と笑っている。お食事も、ユーセフさんの健康を気づかったお野菜中心のメニューが勢ぞろい。生ザータルやモロヘイヤの炒めたのとか、タイーブ・ジッダン(ちょう美味)でいうことなし。ウィスキーを手に、夜更けまで語らってしまった。

e0058439_4324710.jpge0058439_4325977.jpg翌日はユーセフさんのおすすめで、半日だけマアルーラ観光。
ダマスカスからタクシで30分強。岩山の渓谷にひっそりとある、マアルーラ村。ほとんどがキリスト教徒だそうで、家々の屋根のてっぺんや山の岩肌に十字架がかかげられていた。ここではイエスがはなしていたというアラム語を今でも話し、それを保存しようというプロジェクトも進んでいるそう。
しかしここでも、ヒズブッラーの黄色い旗がはためいていたんであった。もちろんバッシャール肖像も。
ひとけのすくない山峡を進むと、幾つもの洞穴がある。YATCHは「ここで古代の修行層が修行してたんだろうよ、すっげえ、行ってみようぜ」と喜び勇んでいたが、洞穴のなかに人糞を発見してガックシしていた。慰めても慰めても、「聖なる場所に…」と肩を落とすYATCH。人間は糞をするものです。
岩の教会、手を洗いお水を飲む。ろうそくの匂いは、わたしの中高時代の聖歌隊の青春を想起させる。いつの間にかわたしは座りこんで、お祈りを始めた。この旅の感謝、マアルーラやシリアの発展、イラクの平安…祈ることはたくさんある。神様、ていねいにお祈りを捧げたからちゃあんと聞いてね。
小1時間の小旅行にシュクラン(ありがとう)。

イラクから逃れてきたパレスチナ難民のことを調べてみる。PEACE ONはイラク内で、パレスチナ難民キャンプの支援もしてきたから、かれらのその後が気になっていたのだ。
かれらはダマスカス近郊にはいず、ハッサケに避難キャンプがあるとのこと。ハッサケといえば、カーミシュリー近くの町じゃない。知らずにバスで通り過ぎてしまったわけだ。シリア政府からの援助を受けているとはいえ、かれらの安全を祈り、いつか行ってみたいと願う。日本で調査をつづけることにした。

e0058439_4332044.jpg路傍の靴磨きの兄ちゃんにつかまる。そりゃあ、くる日もくる日も歩きっぱなしじゃあ、砂だらけ。お願いすることにした。イラクでこどもがやった時よりもていねい。50SP=約120円。兄ちゃんは、トルコ人なんだそう。
次の日も通りかかる。「寄ってけよ」という感じで、ただで磨きあげてくれた。シュクラン。

e0058439_4333975.jpg夜ごはんを食べて、オープンカフェで食後のチャイやカフワ(コーヒー)を飲みながら、水たばこをぷかぷかやる。こうしてぼんやりと街を見ていると、色んなひとがいて面白い。
わたしはふと考える。シリアにいると時にふと想う。この国に、この街に、戦争が襲ってきたらどうしよう?と。道端に座ってなぜかオープンカフェを仕切っているおじさんとか、得意気に水たばこの炭をかえてくれるお兄さんとか、手をひかれてこの日本人をふしぎそうに見ているこどもとか、「シーニ(中国人)?」と尋ねてくる青年とか、いっしょうけんめい野菜の繰りぬきを売ろうとしているおばさんとか、そのこどもとか、「ウェルカム」と声をかけてくれる少年とか、日本サッカーのユニフォームをなぜか着ている外国人とか、みんなみんな逃げ惑ったりするのかな? 死んじゃったり、死ななくても怪我をしたり家族を亡くしたり、家がなくなったり、こころが壊れたり、するのかな? その時、わたしはこの街にいるだろうか? 自問を繰りかえす。
常用しているお薬の計算を間違えて持ってきたため、お薬がなくなってとてもしんどい。一瞬、記憶がとぶような感覚に陥る。しんどいのはお薬のないせい? 分からないけど、お薬を飲みたくなる。

ダマスカスの安宿の屋上で、28歳の誕生日を迎える。YATCHとこっそりビールで乾杯。今年1年も、日々精進。シュワイヤ・シュワイヤ(ちょっとずつ)、大人になれるかな?
アラブ最終夜、ベッドに入るのがもったいなくて、わたし達は深夜まで語らっていた。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-09-23 04:41 | 中東にて

アンマンでの日々

7日から15日までのヨルダン首都アンマン滞在、覚え書き。

お宿は、昨年とおんなじフンドコ・アルハダーッド(ガーデンズ・ホテル)。
今回も、わたしら以外は皆イラーキーだった。とりあえずなんとかイラクから出てきたひと、休暇で外国へと旅立つひと、お父さんの住むドイツへ行こうと試みるファミリー、行き先も訳も様ざまだが、やはり口をそろえて「バグダード、ムーゼン(良くない)」。それでもロビーに行けば、みんな笑顔で喋ってくれる。ホテルのスタッフやお客さんと、ロビーにチキンをひろげてたいらげたりもした。

アマラにちいさなちいさな黄色い表紙のクルアーンをプレゼントされる。
これを肌身はなさずたいせつに携えていれば、神様が守ってくれるという。おトイレに行く時は、洗面台のところに置いておいて、けっして個室便所には持って入らないこと。わたしはムスリマではないけれど、たいせつにしようと思う。昨年イラク少女からもらった、イスラームのペンダントとともに。

e0058439_23512015.jpgハニ・デラ・アリ画伯のお家を訪問する。
1年ぶりに再会したこどもらの、大きく育っていること! 長女ナバはもう15歳、立派なレディになっていた。12歳の長男ムスタファだって、大人の社交の仲間入り。7歳のルカイアと6歳のハッスーニ(フセインの幼名)は、まるでふたごの姉弟のようにころころ遊んでいた。ルカイアはもう、わたしとすこししか手を繋いでくれなくなった。でも今年も、わたしの絵を描いてくれた。ハニさんのご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)も、体調不良のなか快く迎えてくださった。
イラク料理の名手、オム・ムスタファの指導のもと、アラビ日本語辞書を片手にしたナバに助けてもらって、ドルマ作りに挑戦(作りかたは、1つ前の記事「ドルマのレシピ」ご参照)。
お父さんが絵描きなので、ルカイアの学校の教室に貼る時間割表を、ハニ父さんが書くことになった。皆でわいわい言いながら作業をしているうちに、ハニさんは書き間違え、ルカイアは「学校に持っていけない」と泣き出した。すこし重いけれどほかの厚紙で再チャレンジ。できあがった時にはルカイアは、もう眠っていた。
イケメン画家ハニさんは、髪が薄くなってきたことを気にしているご様子で、来日時には毛生え薬を買うと言っていた。もっか禁煙中だそう。

e0058439_23461319.jpgホテルの近所のファラフェル屋さんにファラフェルのサンドイッチを買いにゆく。店主のおじさんは覚えてくれていなかったようだけど、やっぱりここのファラフェルが安くて美味しいんだなあ。ホンムス(ひよこ豆のペースト)をぬってもらって、トマトやきゅうり、揚げ茄子やフライドポテトなんかも入れてもらって。1つ200fils=約34円。
帰り際、トラックでお野菜を売っているのをじーっと見ていたら、レモンを2ついただいた。シュクラン(ありがとう)!

カーミシュリーでやられた虫のアレルギーを、知り合いの薬剤師さんに相談する。わたしはシャクラワでイラク製のお薬を買ってぬっていたのだが、それは弱いらしく、より強いぬり薬と錠剤も処方してもらった。
タブレットを飲むうちに、腕や脚など露出していて傷だらけになっていた部位が、だんだんと良くなっていった。

「イラクに行くことはわたしの3年半におよぶ夢だったけれど、今回イラクに行ってみて、とてもふくざつな思いがした。イラクといってもアラブじゃない。クルディはクルディで皆とてもいいひと達ばかりだけど、なんて云うたらええか分からへんけど、やっぱりわたしはアラブがすきなんやと思う」と、正直にその薬剤師さんに打ち明けた。するとかれは、「クルドのホスピタリティはね、長年の月日を経てアラブから学んだものなんだよ」と云う。そうなのかなあ、どうなのかなあ。かれはとても賢いかたで、「アラブは1つだ」とも云う。けれどもだからといって、わたしはクルディはクルディで、ていうか、うん…。わたしはまだ、自身の整理がついていない。

e0058439_23423348.jpgほかの中東諸国と同じく、ここヨルダンでもいたるところに国王アブドゥッラーの肖像やヨルダン国旗がかかっている。
今回はヨルダン国旗とともにアメリカの星条旗に似たのが掲げてあるなあ、この親米国はついにアメリカの属国になったのか?なんて思っていたら、それらはマレーシア国旗で、なんでもマレーシアから要人が来るらしい。失礼。その日は警備の配置も多かった。こないだ日本の首相が来た時には、日の丸いっぱいあったのかな?

ロビーでイラーキーと話していて思わず、「アナ・ウリード・アッ・アズヘッブ・イラ・バグダード(バグダードに行きたいねんよ)!」と云うと、バグダードから逃れてきたかれらは、「あと5年、いや10年はかかるね」と笑っていた。バグダードもずいぶんと遠くなってしまったのだな。

e0058439_23433695.jpge0058439_23453157.jpg来日するハニさんとシルワン・バランさんと、シルワンのお宅でミーティングをおこなう。
シルワン家は、瀟洒なフラットにモダンな内装、絵画がたくさん飾ってあった。かれは繊細なタイプ、絵にもどこか悩ましい魅力がかんじられた。
初対面のシルワンに、はじめましてとご挨拶。クルドの出のシルワンが教えてくれる、カオリという名はクルド語でちいさい鹿を意味するそうだ。そういえばイラクにいた時も、「カオリってクルディの名まえよ」と、幾人かのクルディに喜ばれたものだった。

国王アブドゥッラーは、パタリロに似ている。
午前1時を過ぎ、疲れてとぼとぼ帰ってきてわたし達は、薄暗がりのロビーでぽそぽそとハンバーガーを食べる。眼前のパタリロの巨大タペストリーに、食欲の失せる2人であった。

e0058439_23454663.jpgホテルに滞在する9歳の少女シャムスと仲良くなる。
かのじょとお姉さんとお母さん(美女ぞろい!)は、バグダードからギリシャ経由でドイツに住むお父さんと会う予定なのだが、なかなかヴィザが出ないようだ。お父さんとは5年間も会っていないというから、シャムスは覚えていないだろう。国々は、イラーキーにとても厳しい。なんとか会ってほしいと願う。
シャムスはアラビア語で、太陽の意。ほんとうに太陽のようにうつくしく輝かしいおんなのこ、シャムーシー(シャムスの幼名)。20歳ほども違うわたしがよっぽど幼く見えるらしく、わたしはあたまや頬を撫でられて可愛がられるのだった。片言しかアラビア語の分からないわたしに、シャムーシーは根気良くアラビア語で話しつづける。くる日もくる日も、ロビーで遊んでいた。PEACE ON缶バッヂをあげるとかのじょはとても嬉しがって、毎日のようにつけていたのだけれど、ある時はずれて失くしてしまったらしく、シクシク泣いていたという。わたしはもう1つ新しいのをあげた。かのじょはわたしに、つけていたおもちゃの指輪をプレゼントしてくれた。わたしもそれを、ほとんど毎日つけていた。

e0058439_23481682.jpg志葉玲さんの取材に同行させてもらい、アブグレイブ刑務所で虐待、拷問を受けたかたを訪問する。アブグレイブを象徴する、あの黒い袋をかぶせられて立たされているかただ。
アブグレイブでは承知のとおり、ありとあらゆる危険行為、嫌がらせ、屈辱が繰りかえされていた。実際にお会いしてお話を伺ってみると、そこでは人間としてのプライドがいっさい奪われているのがよく分かった。米兵は、人間は、ここまで残酷な狂人になれるのだ。同じ人間として、ひじょうに憂い青ざめたわたしがあった。

それにしても、タクシ運転手との闘いはほんとう疲れる。
前のお客のメーターのまま走り出そうとするひと、メーターをまわさず高値をふっかけてくるひと、行き先を間違えておいて行き過ぎた分まで徴収しようとするひと(この時は警官もまじえてもめにもめた)、夜間料金だといって高くし過ぎるひと。タクシに乗ったらまずメーターのチェック、そして遠回りしていないかの確認。こっちはアンマン事情みんな分かっとんねん。せこいねん! これにはイラーキーのハニさんもサラマッドも激しく怒っていた。ガソリンが値上がりしているにせよ、スドゥク(誠実)に頼むわ。

e0058439_23483034.jpge0058439_23484599.jpgクリフホテルのサーメルくんを訪ねる。
サーメルは、2004年10月にイラクで日本国家の犠牲として人質になって殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め、またかれの死を今でも深く悔い悲しんでいる人物だ。「香田証生ホテル」をつくるのが夢なのだけど、なかなかうまくはいかないみたい。わたしは、サーメルにたいせつな預かり物を渡した後、証生くんがやっていたというようにベランダの椅子に腰掛けてぼーっと街や大気や遠景の山を見るともなしに見ていた。

e0058439_2349435.jpgファッルージャで大評判だったというレストランがアンマンに開店したと聞いたので、JIM-NETの皆さんと夕食をともにする。わたしのイメージでは、ファッルージャのちいさな食堂が米軍による大侵攻で破壊され、さんざんのあげくアンマンに逃れてやっと再オープンした、という感じだったのだけれど、郊外にあったそれは想像以上にきらびやかで高めのレストランだった。なんとなくガッカリ。でも美味しい。2人で8JD=1366円。
ちなみに、翌日に行ったシティセンターにあるきれいじゃないけど大すきなイラク食堂は、2人で3.15JD=538円。

e0058439_23503067.jpgハニさんのお誘いで、オーファリ・アート・センターという有名なギャラリーへ行く。
ちょうど開催していたのは、アリ・タリブ展。日本にも通じるような、やさしくて深遠に吸いこまれそうな絵の数々だった。多くのイラーキー画家が集っていて、次つぎと紹介される。アリさんご本人にもお会いでき、お友達がお亡くなりになった時の作品のお話などうかがうことができた。

ホテル近くのアンマン城へ行ってみる。上り坂の勾配と真昼のシャムス(太陽)に疲れきっていたわたしには、2世紀の神殿跡を目にしても、ただのがれきにしか映らなかった。石に近づくとひんやりと冷たく、いにしえから幾重にも積まれてきた時を想う。ジャバル(山)のうえからアンマンの街を眺める。日陰を探してうろつきまわる。

ここヨルダンには、今や100万人以上のイラーキーがいるという。物価もどんどん上がっている。様ざまな理由で国境が厳しくなるのもやむを得ないのかもしれない、とかふと思う。
そんなことをいって、苦しみの果てに避難してきたイラーキーをさらに苦しめるつもりではない。ただ、祖国を逃れるというのはどれぐらいどのように嘆かわしいのだろうか、と。イラクの友からのメールには、「僕の家族はミゼラブルを超えている。僕のミゼラブルな生活をじゃましないでほしい」と強烈な皮肉がこめられていた。惨めなほうがまだましなミゼラブル以上の生活、わたしには返す言葉もない。

シリアへと戻る朝、シャムスは外出中でいなかった。わたしはフロントのムハンマドにわたしの名刺を託し、かのじょに渡すよう伝えた。大すきなイラクからお手紙が届くといいな、なんて思いながら。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-09-23 00:43 | 中東にて