NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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2007年 06月 13日 ( 2 )

アンマンの床屋さん

e0058439_17342129.jpgYATCHが散髪したがったので、近所の床屋さんに入ってみる。前を通るたび、店主が「いらっしゃい!」と呼びかけてくれていたのだ。
ネクタイ姿の店主は陽気なパレスチナ人で、ひょいひょいとお客さんの髪を切っている。わたし達は椅子に腰掛けて待ち、そのようすをおそるおそる眺めていた。お客は髭にこまかく注文をつけていたが、満足したよう。YATCHの番になった。
まずは記念撮影。店主は息子さんに携帯電話のカメラで撮るよう言い、カシャ。「おくさんも」と言われてもう1枚、パシャ。日本人客なんてきっと初めてなんだろう。わたしは「とにかく短くしてやって」と指示する。店主は「ギューット? ギューット?」(←good?の意味と思う)と繰りかえしながらバサバサ切っていくので、YATCHは死刑台にでもいるような心情。「すいてください」というアラビア語が分からず、「今は髪が多いでしょ? すくなくして頂戴」とつたえても通じない。そもそも、髪をすく道具も見あたらないし。ギューット、どんどん短くなるばかりだった。
店主は、口にくわえた糸を顔面にすべらせて産毛を抜き始めた。これは日本にはない手法。YATCHのは「チクチクしたけど気もち好い」と言っていた。

あっという間にできあがり。ツンツンなYATCH、2ディナール(約350円)。ハニ真紀さんに尋ねてみると、4ディナールとか5ディナール払っていたそうなので、格安なのかな。またお願いね、ギューットな店主さん。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 17:03 | 中東にて

ヨルダン生活、つづき

しばらく更新が滞っていましたが、現地でUPできなかったアラブ滞在記のつづきです。

e0058439_1456546.jpg15日、朝。
YATCHが朝食を作ってくれた。フブス(アラブの薄焼きパン)とトマト、ゆで卵にレバン(水気のないヨーグルトのようなもの)、それにチャイ(アラブ茶)。ラーバアス(悪くない)。

ダルブナー・ギャラリーを訪ねてみると、ちょうどマダム・マヤミーンもムハンナドもラキーンも揃っていた。元気そうでなにより。さっそくボス兼おっとのYATCHを紹介する。ギャラリーは、明日から始まるナスィールというイラク人作家の個展の準備で忙しくしていた。
絵を描いている最中で忙しいシルワンが駆けつけてくれるというので、ギャラリーで3時間も待ちぼうけを食らったのに、いっこうにあらわれない。これぞ、イラーキー。あきらめて街へ出た。

16日、曇り時々雨。
この季節のアンマンにしては珍しく、マタル(雨)。人びとは傘をささないし、タクシ運転手もヨルダン訛りで「シタ(雨)」と呟いてよろこんでいる。わたしは風邪をひきそうだ。
おかしな気候といえば、数週間前にまるでイラクのような激しい砂嵐が起こったという。みんな、窓を閉め喉をやられ自動車事故が頻発して病院はたいへんだったとか。ここアンマンには100万人ともいわれるイラーキーが移住しているから、砂嵐も一緒にイラクからやって来たのだろう、なんて冗談を言って笑っていた。

定宿にしていたガーデンズ・ホテルを訪ねる。スタッフのムハンマドは車の教習所に行っているとかで、携帯電話も繋がらなかった。

3月に出逢ったイラーキーと再会することができた。イラクの大きな大学の英語の先生だったかれは、情勢悪化から、同じ宿にもう数か月も住んでいるらしい。かれの底抜けに明るいポジティブさがわたしの気に入って、コンタクトをとりつづけていたんであった。YATCHを紹介し、しだいに話が弾んでゆく。
今のイラクの若者にとって、なによりたいせつなのは教育だ。書を読めば、銃を持たないほんとうのデモクラシー、ほんとうのフリーダムが分かると、かれは信じていた。そのために、危険を承知で、若者向けに無料の本を出版したいという。わたし達はおおいに賛同した。方法は違えど、わたし達の新プロジェクトもおんなじことをしようとしている。つまり、教育。イラク国外に逃げて学校にも通えないこども達のために、寺子屋のようなものを作りたいと、今PEACE ONは模索している。かれのプロジェクトは6000ドルほどあれば可能というので、日本でも募金できないか、考えてみる。
多くのイラク人が希望を見失いかけているなかにあってかれはまだ、希望をたもっている。イラクをあきらめていない。それがなによりの、わたしのエネルギーとなった。かれのようなイラーキーがいるから、わたしもひとひらの希望も絶やせないのだった。

顔なじみのファラフェル屋を覗いてみる。
店主アブ・ハイサムに結婚した旨を報告すると、ファラフェルをご馳走してくれた。ザーキー(美味しい)、シュクラン(ありがとう)。

クリフ・ホテルのサーメルにも会いに行く。
かれは一時期、日本の報道で有名になった。2004年の秋に、日本という国の人質となってイラクで殺された香田証生くんを、アンマンで最後までひきとめ、今でもかれの死を悔んでいるサーメル。アンマンに「コーダ・ホテル」をオープンするのを夢としてる。今回はわたしは、たいせつなものをサーメルに渡す使命があった。それをサーメルは恐縮して受けとった。

e0058439_14553841.jpgハニと、アンマン郊外の町ファヘイスのハルドゥーンのところへ行く。
相変わらずマイペースのハルドゥーン、わたしらをモデルに写真を撮ったりじぶんの写真作品やウェブサイトを見せたり。3月に東京で開催したアラブ現代作家展の図録を贈るとかれは、酷評をくれた。多少のかれのジェラシーはあるにせよ、真摯に聞く。

シルワンは今日も「1時間後」と言いつづけ、電話が途絶えた。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 14:58 | 中東にて