NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:中東にて( 56 )

卒園式

ハニ一家に誘われて、末っ子ハッスーニ(フセインの愛称)の卒園パーティにお出掛け。

ハニ宅の上階に住むイラク家族の赤ちゃんアッブーディ(アブドゥッラーの愛称)を保育園に預け、いざ学校へ。
e0058439_2373398.jpg到着すると、やってるやってる。ちいさなおんなのこが何人も、イスラームのような衣装を着てお遊戯。か・わ・い~! 思わずハートをうち抜かれ、溺愛の眼差しでシャッターをおしまくる。でも、こんなこども達がイラクで殺されたりしているんやなあ、とか。
e0058439_237565.jpgつづいて、ハッスーニやハヤ(ハニのいとこムサンナの娘さん)の番。「これからハッスーニのお洋服を買いに行くの」と連れ立つハッスーニ達と前日に近所で出逢ったが、なるほどこれか、スーツにネクタイでおめかししているな。お家でいっしょうけんめい練習していた英語の歌を披露。
This is a way, this is a way. I wash my face, I wash my face. Every morning,
every morning.
This is a way, this is a way. I brush my teeth, I brush my teeth. Every
morning, every morning.
This is a way, this is a way. I clean my shoes, I clean my shoes. Every
morning, every morning.
This is a way, this is a way. I walk to school, I walk to school. Every
morning, every morning.

e0058439_2381987.jpg親ばかというんでしょうか…携帯電話をかざして写真を撮っているほかの親御さんをかきわけ、「ハッスーニ!」と叫びながらいっとう前で必死にカメラを構えるわたし、そしてYATCH。将来こどもを授かったらまったくどうなるんでしょうねえ、この2人。
わたしら日本人を、園長先生らが歓迎してくださる。「フセインはいいこでしたよね?」とのわたしの問いに、「ヴェリー、ヴェリー、グーッド」ですって。やったネ。

うふふふ、ハッスーニは初恋のお相手ハヤに告白したのかしら。「ハヤ、すき?」とひやかすとハッスーニは、てれつつもウンウンうなずくのだった。
帰宅後に画像データを渡すとお兄ちゃんムスタファはさっそく、ほかのこを消してハッスーニとハヤのラヴリー2ショットに加工し、PCのデスクトップに設定していた。
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by peaceonkaori | 2007-06-14 23:08 | 中東にて

アンマンの床屋さん

e0058439_17342129.jpgYATCHが散髪したがったので、近所の床屋さんに入ってみる。前を通るたび、店主が「いらっしゃい!」と呼びかけてくれていたのだ。
ネクタイ姿の店主は陽気なパレスチナ人で、ひょいひょいとお客さんの髪を切っている。わたし達は椅子に腰掛けて待ち、そのようすをおそるおそる眺めていた。お客は髭にこまかく注文をつけていたが、満足したよう。YATCHの番になった。
まずは記念撮影。店主は息子さんに携帯電話のカメラで撮るよう言い、カシャ。「おくさんも」と言われてもう1枚、パシャ。日本人客なんてきっと初めてなんだろう。わたしは「とにかく短くしてやって」と指示する。店主は「ギューット? ギューット?」(←good?の意味と思う)と繰りかえしながらバサバサ切っていくので、YATCHは死刑台にでもいるような心情。「すいてください」というアラビア語が分からず、「今は髪が多いでしょ? すくなくして頂戴」とつたえても通じない。そもそも、髪をすく道具も見あたらないし。ギューット、どんどん短くなるばかりだった。
店主は、口にくわえた糸を顔面にすべらせて産毛を抜き始めた。これは日本にはない手法。YATCHのは「チクチクしたけど気もち好い」と言っていた。

あっという間にできあがり。ツンツンなYATCH、2ディナール(約350円)。ハニ真紀さんに尋ねてみると、4ディナールとか5ディナール払っていたそうなので、格安なのかな。またお願いね、ギューットな店主さん。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 17:03 | 中東にて

ヨルダン生活、つづき

しばらく更新が滞っていましたが、現地でUPできなかったアラブ滞在記のつづきです。

e0058439_1456546.jpg15日、朝。
YATCHが朝食を作ってくれた。フブス(アラブの薄焼きパン)とトマト、ゆで卵にレバン(水気のないヨーグルトのようなもの)、それにチャイ(アラブ茶)。ラーバアス(悪くない)。

ダルブナー・ギャラリーを訪ねてみると、ちょうどマダム・マヤミーンもムハンナドもラキーンも揃っていた。元気そうでなにより。さっそくボス兼おっとのYATCHを紹介する。ギャラリーは、明日から始まるナスィールというイラク人作家の個展の準備で忙しくしていた。
絵を描いている最中で忙しいシルワンが駆けつけてくれるというので、ギャラリーで3時間も待ちぼうけを食らったのに、いっこうにあらわれない。これぞ、イラーキー。あきらめて街へ出た。

16日、曇り時々雨。
この季節のアンマンにしては珍しく、マタル(雨)。人びとは傘をささないし、タクシ運転手もヨルダン訛りで「シタ(雨)」と呟いてよろこんでいる。わたしは風邪をひきそうだ。
おかしな気候といえば、数週間前にまるでイラクのような激しい砂嵐が起こったという。みんな、窓を閉め喉をやられ自動車事故が頻発して病院はたいへんだったとか。ここアンマンには100万人ともいわれるイラーキーが移住しているから、砂嵐も一緒にイラクからやって来たのだろう、なんて冗談を言って笑っていた。

定宿にしていたガーデンズ・ホテルを訪ねる。スタッフのムハンマドは車の教習所に行っているとかで、携帯電話も繋がらなかった。

3月に出逢ったイラーキーと再会することができた。イラクの大きな大学の英語の先生だったかれは、情勢悪化から、同じ宿にもう数か月も住んでいるらしい。かれの底抜けに明るいポジティブさがわたしの気に入って、コンタクトをとりつづけていたんであった。YATCHを紹介し、しだいに話が弾んでゆく。
今のイラクの若者にとって、なによりたいせつなのは教育だ。書を読めば、銃を持たないほんとうのデモクラシー、ほんとうのフリーダムが分かると、かれは信じていた。そのために、危険を承知で、若者向けに無料の本を出版したいという。わたし達はおおいに賛同した。方法は違えど、わたし達の新プロジェクトもおんなじことをしようとしている。つまり、教育。イラク国外に逃げて学校にも通えないこども達のために、寺子屋のようなものを作りたいと、今PEACE ONは模索している。かれのプロジェクトは6000ドルほどあれば可能というので、日本でも募金できないか、考えてみる。
多くのイラク人が希望を見失いかけているなかにあってかれはまだ、希望をたもっている。イラクをあきらめていない。それがなによりの、わたしのエネルギーとなった。かれのようなイラーキーがいるから、わたしもひとひらの希望も絶やせないのだった。

顔なじみのファラフェル屋を覗いてみる。
店主アブ・ハイサムに結婚した旨を報告すると、ファラフェルをご馳走してくれた。ザーキー(美味しい)、シュクラン(ありがとう)。

クリフ・ホテルのサーメルにも会いに行く。
かれは一時期、日本の報道で有名になった。2004年の秋に、日本という国の人質となってイラクで殺された香田証生くんを、アンマンで最後までひきとめ、今でもかれの死を悔んでいるサーメル。アンマンに「コーダ・ホテル」をオープンするのを夢としてる。今回はわたしは、たいせつなものをサーメルに渡す使命があった。それをサーメルは恐縮して受けとった。

e0058439_14553841.jpgハニと、アンマン郊外の町ファヘイスのハルドゥーンのところへ行く。
相変わらずマイペースのハルドゥーン、わたしらをモデルに写真を撮ったりじぶんの写真作品やウェブサイトを見せたり。3月に東京で開催したアラブ現代作家展の図録を贈るとかれは、酷評をくれた。多少のかれのジェラシーはあるにせよ、真摯に聞く。

シルワンは今日も「1時間後」と言いつづけ、電話が途絶えた。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 14:58 | 中東にて
e0058439_20482719.jpg13日に、中部国際空港セントレアからエミレーツ航空の飛行機に乗って、イラク隣国であるヨルダンの首都アンマンへ。飛行機という不自然な空間と時間はいつも苦手だ。でも、その先の、素敵になるだろう時と場所のために。

14日、空港へはシルワン・バランが車で迎えに来てくれることになっていたけど、YATCHもわたしも、こんな朝早くに夜型のシルワンには無理だろうと思っていた。そしたら案の定、出口にはハッサンがいたんである。
ハッサンとは、インターコンチネンタル・ホテルのなかにあるダルブナー・ギャラリーのおんな主人のもとで働くやさしい運転手で、2・3月に来た時に毎日のようにたいへんお世話になったおじちゃん。
今回もハッサンに会えて、旅の疲れも一気に吹き飛んだ。ハニ・デラ・アリのお家までわたし達を送ってくれたハッサン。シュクラン(ありがとう)。

ハニはアップタウンのいわゆる高級住宅街に引っ越したので、そこへは今回が初めての訪問となる。ハニのおくさんオム・ムスタファと笑顔でご挨拶。新居は、狭いながらもきれいで居心地好かった。
末っ子のハッスーニ(フセイン)は、2か月ほど前から幼稚園のような学校へ行っているという。ちいさな可愛いハッスーニがもうそんな年になっただなんて。12時に終わるハッスーニを迎えにゆく。珍しいヤバニエ(日本人のおんな)が校内を歩いているものだから、こどもらがはしゃいじゃって、授業妨害ごめんなさい。こども達の元気いっぱいなことといったら。ハニのいとこのムサンナ・オベイディのおくさんで、この学校の先生をしているスーハと再会、よろこび合う。

今日のお昼はバーミヤン(オクラと羊肉のトマトスープ)。下校の道すがら、八百屋さんやらお肉やさんやらをまわってお買い物。オム・ムスタファはイラクのバーミヤン(オクラ)やお米のほうが、ヨルダンのものよりいいと言う。太陽いっぱいの国イラクは農業国としてうまくいけばな、と思う。イラクで作るバーミヤンでお腹を満たしたい。それでも、オム・ムスタファの作るバーミヤンはほんまに美味しい。
オム・ムスタファのバーミヤンと日本でわたしが作る和風バーミヤンとどっちがすきかを、おっとに尋ねて困らせる。

バグダードのシーア派地区に住むスンニ派のオム・ムスタファのご家族が、スンニ派地域のラマーディに逃れたそうだ。バグダードはシーアもスンニもクリスチャンだって混在していたはずなのに、棲み分けがどんどん進んでいる。
また、ハニのお母さんが目の手術のために、近々ヒートからシリアの首都ダマスカスに向かうらしく、ハニ一家も来週ダマスカスの病院を訪ねるというので、うまくいけばわたし達も合流してお母さんを見舞える。お母さんのシリア行きの道中の安全を祈る。

遠く旧居の近くの学校に通っているナバやムスタファやルカイアは、毎日5ディナール(約870円)もかけて、おつきの運転手さんが送り迎えをしているという。ナバもルカイアも近所にお友達がいなくなったので、前のお家のほうがいいと寂しがっていた。
オム・ムスタファやこどもらとお喋りしたり踊ったりケラケラと笑い合ったりしているうちに、ハニが帰宅。おっととわたしの結婚指輪は、ハニ絵画の特徴である古代イラクの美の女神イナナの従者ワシーファをモチーフにデザインしたので、さっそく見せて気に入られる。仏前結婚式の動画を見たり写真をあげたりして、「ハルワ(可愛くってすてき)」と云ってもらう。皆に「マブルーク(おめでとう)」と祝福されるのは、ほんまにしあわせ。

ダウンタウンの安宿を考えていたのだけど、ホテルより日割りでアパートメントを借りたほうがいいとハニにすすめられる。紹介されたところは、家具や食器などなんでも揃っていてガスコンロや電気冷蔵庫や電気洗濯機まで使えてシャワーのお湯も出て、1晩17ディナール(3000円弱)。アラブでの暮らしぶりを分かるためにも、ホテルより良いかもと決定。食料品など足りないものを買いに出た。ハニ一家と「ご近所さんだねー」とうれしがる。
さあて、フランスからバグダード支部長サラマッド&アマラ夫妻が来るまでのあいだ、アラブでの新婚生活を気どってみるか。
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by peaceonkaori | 2007-05-17 20:55 | 中東にて
あっという間に2週間が過ぎた。

川口ゆうこさんとわたしは、ヨルダンの空港に到着してすぐの荷物が届かないハプニングから、連日のアラブなノリに振り回されつつ、こちらのかたにたいへんお世話になった。初アラブの川口ゆうこさんは、目がぐるぐるするほどアラブを体感したよう。ハニをはじめ、皆がそれぞれに良くしてくれる。日本の習慣とは違えど、とても有難かったしなにより愉しかった。
ギャラリーのムハンナドにラキーン、エジプト人のレザ、おんな主人のマダム・マヤミーン、運転手のハッサン、ハニ一家には幾度もごはんをごちそうになり、シルワンも自身の個展があるというのにすごく親切に振る舞ってくれ、あとはサマー、ムハンマド、サーメル、ハイサム、ムサンナ、マルワン、ハルドゥーン、シャーディ、ファーディ、挙げればきりがない。

川口ゆうこさんの個展は、3枚の作品が売れ、残りは全てマヤミーンとハニが預かり、今後も紹介してくれることになった。イラク・ヨルダンと日本の美術の交流は、今後も継続しておこなおうと約束。PEACE ONとしては、うれしい限り。

e0058439_0332059.jpg3月19日から31日まで東京・銀座の中和ギャラリーで開催するアラブ現代作家展のために、大量の絵画を持って帰るのも今回のたいせつなミッション。ハニが中心となってアラブ諸国から集めてくれているのだけれど、これがまたたいへん。インシャッラー(神がお望みならば)の精神で、けっきょく帰国前日に荷造りとなった。イラーキーのハニはたばこを吸って鼻歌を歌いながら、雑に梱包してゆく(日本に帰国して開梱してみたら、額縁が壊れていたり硝子が割れていたりしたけど、ハニは問題ないと笑っていた…)。こんな大荷物、女性2人でどうやって運ぶのかしらん?

ハニは1年間ヨルダンに住める許可をもらった。マブルーク(おめでとう)! そして良いお家を見つけて来週にも引っ越すことが決まった。
壁にもお財布にもヨルダン国王アブドゥッラーの肖像があった。「キング・アブドゥッラーは良い人物だ」と言うハニ。わたしはびっくりした。アラビはいつだって強い指導者を求めるものなのかなあ。ヨルダンは、親米国でイラク侵略戦争だって手助けしているはずなのに。

e0058439_0333530.jpge0058439_0334861.jpg帰国前日、ハニの二女ルカイアが怒っている。わたしが日本に帰るのが不満なんだそうだ。「アンティ・フィー・ハキーバティ・イラ・ヤバン(わたしの荷物に入って日本まで行く)?」なんてジョークを飛ばしても、さびしいのはわたしもおんなじ。「ノー、カオリ。ノー、カオリ」と抱きついて、わたしの似顔絵を描いてくれる。こんなに愛くるしいルカイア。ブッセ、ブッセ、と云って、たくさんキスをした。また来るかんね。

ムハンマドのご家族やハイサムが食事に招待してくれるというのも、時間がなくて断らざるを得なかった。申し訳ない。ハイサムとはとくに、サッダームの死の悲惨さや中東の今後について話を展開させたかった。

アル・シャルキーヤTVのヌールがわたし達の映像をくれた。イラクと日本の繋がり、とても良い番組に仕上がっていると思う。シュクラン(ありがとう)。

旅立ちの日、ハッサンが空港まで送ってくれる。途中シルワンのお宅に寄り、シルワンともマァッサラーマ(さようなら)。川口ゆうこさんは、ハッサンとのお別れに涙していた。
ラータンサー・フィー・カルビ(こころに忘れないで)。アッシューフィック・カリーベン・インシャッラー(神がお望みならば近いうちにお逢いしましょう)!

わたし達は60キロは超えているだろう荷物とともに、ぶじに羽田空港までたどり着いた。道すがら、イエメン人のムハンマドさんというエンジニアと仲良くなった。
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by peaceonkaori | 2007-03-10 00:33 | 中東にて

Anything.......

ダウンタウンまで出掛けて、クリフ・ホテルのサーメルを訪ねる。
かれは、日本国の人質として殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め今でも悔んでいる人物で、コーダ・ホテルを建てるのを夢としている。前回に携えて行った証生くんの写真とかれが持っていたというイラクのこどもの写真が、ロビーに置いてある落書き帳"サーメル・ブック"に貼ってあった。クリフは今もお客の9割が日本人バックパッカーなんだそうだ。
e0058439_23172784.jpg働かされっ放しのサーメルだが、その翌日には、5時間ほどの休憩時間をもらえたと喜び勇んで、川口ゆうこさんの個展に足を運んでくれた。クリフ以外で見るサーメルなんて、初めて。とても大きな花束を川口ゆうこさんとわたしにプレゼントしてくれ、わたしがアンマンを去る前夜にはわざわざ電話をかけてきてくれて例のか細い声でお別れの言葉を述べてくれた。

その後、定宿にしていたガーデンズ・ホテルまで行ってみる。わたし達のほかは全てイラクからの避難民が泊まっていて、こっそり「フンドコ・イラーキー(イラク人ホテル)」などと呼んでいたものだった。
e0058439_23221460.jpg今回はいわゆる富裕層の人びとと接することが多いもので、東部の大げさに言えば貧民街のような地域に来ると、ほっと頬がほころぶ。こどもらが寄ってくるので、「おっしゃー、みんなでスーラ(写真)撮んでー、ええかー」と叫んで、パシャ。元気いっぱいのムードで呼吸する。道を訊けば、周りとともに教えてくれたり親切にも連れて行ってくれたりするところが、アラブ。分からないなりにアラビア語で喋ってみて、心地好く歩むわたし。やっぱりこれよ、うん。

ホテルに行ってみると、スタッフ達はわたしを覚えていてくれていた。近所のファラフェル屋さんも。ひと通りの挨拶を済ませて、様子をうかがってみる。
以前とはすこし違っていた。今やイラク人だけではなくアラブ諸国や欧米からのお客もいるらしい。このホテルもじゅうぶん安いが、イラク人はもっと東部の安宿にいるのではないかという話だった。それでもやはりイラク人のお客もいたので、わたしは「ムサハダード」だと自己紹介して胸のイラク地図のネックレスを見せてイラクずきをアピールし、話を聞いてみる。
そのうちの1人は、民兵のマハディ軍によって片目と片足を失っていた。今回はその手術と外国へ行くヴィザ取得のために、ヨルダンにやって来たのだと言う。かれはサングラスを外して義眼を見せ、「あんたムサハダードなら、日本に連れて行ってくれよ」とでも云いたそうだった。わたしはなにも、云えなかった。「ムサハダードでイラクずきのくせに、こんな小娘になにができるんだい?」-皆の眼からは、そういったあきらめにも似た冷たさがかんじられた。

「なんでそうイラクにこだわるんだい?」と、スタッフのムハンマドからも尋ねられる。「わたしはイラク戦争を支持した日本政府の加害国の人間で、イラクの人びと全員に謝りたい、すこしでも償いたいんよ」とつたえても、かんたんには分かってくれない。「政府は政府、人びとは人びとだよ。だいたいカオリになにができるのさ? 民兵と話ができる? イラク傀儡政府に物言える? この世のどこを探したってデモクラシーなんてないんだよ」と。
ダルブナー・ギャラリーのマネージャーのイラク人ムハンナドは、イラク侵略戦争前の2000年に難民としてアンマンで暮らし始めた。かれは、「人びとが政府を育てるんだ。イラクがこんなになってしまったのは全てサッダームのせいさ。サッダームの前は、イラクはほんとうに平和だった。だから僕は、サッダームの死は当然のことと思っている。僕はヨルダンがすきではないけども、ほかにどうしろって言うんだ? 仕方ないじゃないか」と云っていた。
サーメルでさえ、「カオリがどうがんばっても、今はただ待つよりほかはない」と云うんであった。「アンマンでのホテル同時爆破事件では、ふつうそうに見えるイラク人女性が未遂として逮捕された。そんなだから、ヨルダン政府がこれ以上イラク人を受け入れるのは困難だ。ストリクトもやむを得ない」とも。もちろん、100万人を超すともいわれているイラクからの避難民で、街はあふれている。いっぱいいっぱいのヨルダンがイラク人にたいして厳しくするのも、当然かもしれない。イラク人が祖国を追われるという根本的な問題が解決しない限り。
ハニは、わたしがガーデンズに行くのにちょっとした不快感を示した。「困っているイラク人の例なんてなんぼでもある。俺のいとこだって、ヒートで職がない。かれは家の前にお店を出してほそぼそと商売をしている。なぜ家の前かって、爆発があればすぐに帰れるようにだよ。そんな話、幾らだってしてやるよ」と、けわしい顔でかれは云うんであった。ハニの家族は、電話も通じなくなったヒートから親戚がやって来て、手紙を交換していた。もう2年も帰れていないのだそうだ。ハニのいとこのムサンナの奥さんにだって、「今は祈るだけよ」と微笑まれた。

日本にいるいいなずけにSkypeで泣きついてみても、返ってきた答えは、「そんなに辛かったら、今回は文化交流に専念していればいいんじゃないのか」。
日本やヨルダンのひとにも、そしてイラクからの避難民にすら、「今のカオリはイラクのためになにもできない」「Can not do anything(なにひとつできない)」「祈っておけばいい」と言われる無力なわたし。話を聞くだけ聞いておいて、ほんとうになにもできない自身が偽善者に思えてくる。苦しくて苦しくて、我の無力さを恥じて寝て、悪夢にうなされる。莫迦だ。焦燥で空回りしているのは分かっている。こんな苦しさ、イラクのひとに比べたら屁でもない。苦しむ自分を責めた。
ヨルダンにいて、イラクはあまりに遠かった。

実際、助けを求められることもあった。ダルブナー・ギャラリーのマダムがPEACE ONのリーフレットを読んで、「イラクからのがん患者のこどもを救おうとしているんだけど、わたし達だけではお金がもたないの」と懇願される。PEACE ONは医療のスペシャリストでもなければ個人的ケースにも対応できていないので、急遽ほかの日本のイラク支援団体に相談させてもらった。己の力不足を痛感。大先輩の日本のイラク支援者はとにかくポジティブなかた、いつもほんのりと勇気づけられる。しかしかれもまた、今はほんとうに遣り切れなさがあると云う。

e0058439_23175774.jpgわらをもすがるように、翌々日もガーデンズに行く。
バグダードのムスタンシリア大学で先生をしている親子と出会う。ムスタンシリア大学といえば、最近2度も爆発事件が起こった大学。様子を聞いてみると、大学がマハディ軍に占領されて学校は半ば閉鎖状態にあるとのことだった。かれらは、職探しと本の出版のためにアンマンに来ていた。まだ25歳の息子さんと、もともとはファッルージャ出身というバグダードのオマルさんと話が弾む。オマルさんは名がスンニ特有というだけで逃げてきていた。「何週間か過ごしたらまた戻るほかないね」とあきらめ顔で苦笑い。サッダームの話題をふってみたら、ほかのイラク人もこぞって「サッダーム、ナンバーワン!」と答えるんであった。
このように、今までと状況が変わってきている。家財道具を車に詰めるだけ詰めこんで一家で逃れていた時期から、それもできなくなって命からがら避難してきていた時期を、これまでに見てきた。そして、手術やヴィザ取得のために男性だけが来るケース、おんなこどもより男性が危険なため男性のみ逃げてくるケース、を今回は見た。お金も底を尽きて一家で逃げるのは厳しくなり、またヨルダン国境で追い返されることも多いと思われる。家族が大すきなイラク人、家族がはなればなれになるなんてたいそう辛いことと思う。
イラクの有名な「フォーゲンナハル」を歌ったり、水たばこを吸わせてもらったりしているうちに、だんだんとうちとけてきた。とにかくその25歳の若いのは賑やかで、冗談をかましてばっかりいる。暗い情勢だって、かれの唇からは咲みとともに語られるのであった。これぞイラーキー。そんなつもりはなかったのだが宗派によって立つ姿勢が違うという話(スンニ派はお腹の上で手を重ねる、シーア派はキヲツケ)になり、シーア派のかれは気を遣って、じぶんの宗派を片手を真っ直ぐに下ろし片手をお腹の上に乗せるという半分半分のポーズを取ってみせた。機転の利いた有難いジョーク、そう、ほんとはほんとは宗派なんか関係ないものね。かれはNGOをたくさん知っているというので、今後は連絡を取り合うことにした。なんとかホープを繋ぎとめられたのかな?
最終日に泊まっていたホテルで知り合ったイラク人は、電気やお水なんかを輸入しているのだという。あのイタリアの「2人のシーモアさん」とも親しいと言っていた。かれも「どんなことでも相談してきなさい」と云ってくれたので、なんだか今後に期待できそうかな? どうかな?

今、イラクを支援しつづけるということはとんでもなく難しいし、理解も得難い。それでも、それでも、と繰りかえしながら進むしかない。希望の芽を摘んでしまってはいけない、とか、言うのはかんたんだけども。この艱難が玉になる日を祈りながら。答えなんて出せなくて、ぐしゃぐしゃのままで。
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by peaceonkaori | 2007-03-09 23:18 | 中東にて
e0058439_20351741.jpge0058439_20354894.jpg2月28日、シルワンの個展がアンマンのオーファリー・アート・センターで始まった。

オーファリーは、前回のアンマン訪問時にも来たが、石造りの素敵な建物で、イラク人作家の展示が多くなされている。いつかここで日本人アーティストの企画展をできればなあと思う。
このような庭付き一戸建てのギャラリーは、以前のバグダードには25、もっとちいさなギャラリーもあわせると60はあったと、ハニが云う。芸術の都バグダードは、人びとの命や日常生活のみならずこのような贅沢な空間だとか時間だとかまで、奪われてしまったのだ。PEACE ONがたいへんお世話になったバグダードのヘワー・ギャラリーのオーナー、カシム・サブティは未だにオープンさせているらしいが、お客さんは来るのだろうか?

シルワンのお家で見せてもらった新しい作品も、きちんと額縁に入れられて飾られている。少々政治的なきらいにふあんがあったが、さすがのシルワン、そこには芸術的に洗練された美がどうどうと在りわたしは圧倒された。
川口ゆうこさんも同じ画家として、「シルワンのお友達で光栄です」と云っていた。

翌日に再訪すると、すでに3分の1は売れていた。いつもは阿呆な冗談を言い合ったり歌い合ったりしていても、シルワン画伯は天才とわたしはこころの底からほめ讃える。
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by peaceonkaori | 2007-03-09 20:35 | 中東にて

平日のドルマ

2月27日、今日はおんなこどもでドルマの日。
ドルマはふつう、休日にお父さんがいる時に食すイラクの家庭料理だけれど、今回はとくべつにわたし達はオム・ムスタファに招待されてドルマの昼食をとることになった。

e0058439_15221655.jpg11時過ぎにハニ宅を訪ねて、さっそく 買い出し。ハッスーニの手を引いて、近所のホブス(薄焼きパン)屋さんやお肉屋さん、八百屋さんにてお買い物。アラブ諸国の中でも物価が高いといわれているヨルダンだけど、日本の物価高に比べればなんてことはない。ホブスが2キロで0.5JD(約85円)、トマト7キロが1JD(約170円)、お米が5キロで4.5JD(約765円)、といった感じ。以前ハニ来日時に、日本のホブスは1枚1ドルと教えたら、ハニはびっくりして食べなくなったっけ。こちらでも皆、「じゃあ、いったい日本でなにを食べているの?」と目を丸くされてばかりいる。お留守番係の上司は今頃、日本事務所のお台所でツナ缶でも漁っているのだろうかねえ。
e0058439_15223597.jpgドルマは教えてもらったことがあるから、わたしも手伝う。料理上手のオム・ムスタファ師匠はけっこう手厳しい。「日本で作った時は4時間もかかっちゃった」と報告すると、「まだまだね、わたしは1時間よ」と返される。
e0058439_15225223.jpgこどもらも、それぞれ学校から下校してきた。敷物をひろげてお皿を並べるイラク式。ビスミッラー(いただきます)!
もちろんタイーバ(美味しい)、初めて食す川口ゆうこさんも、オム・ムスタファのドルマの素晴らしさに感動していた。わたしがなによりうれしかったのは、これまで男性のYATCHと来るとオム・ムスタファやナバやルカイアら女性陣と一緒に食べられなかった(もしくはわたしも女性陣の仲間入りして男性陣とは離れていた)けれど、今回はオム・ムスタファもシャーレ(あたまにかぶるスカーフ)を外してみんなで一緒に食べられたこと。家族になれたみたいで、うれしい。こどもらの宿題を見たり、TVを眺める昼下がり。
ギャラリーに戻って、ドルマ自慢をする。イラク人が多いので、皆うらやましがっていた。ヨルダン訛りでは、ドルマはマルフーフというらしい。

アンマンでは今、アーモンドの花が咲いている。
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by peaceonkaori | 2007-03-08 15:21 | 中東にて

突然のグループ展

2月26日朝、ハニから突然の電話。今から迎えが来るから、ファヘイス村へ行けとのこと。なにがなんだか分からないまま仕度をする。
e0058439_6455731.jpg冷たい雨のなかファヘイス村のアトリエを訪ねると、オーナーのハルドゥーンやその息子のシャーディ、ファーディが、川口ゆうこさんに絵を描くよう指示する。じゅうぶんな画材もなく、しかも誰かが描いた絵を塗りつぶした上に、仕方なく言われるがまま描き始める川口ゆうこさん。その間わたしはハルドゥーンに、かれの作品をPCで見せられる。ハルドゥーンは、この村に12ものギャラリーを持っているという。
アトリエに戻ると、川口ゆうこさんが怒りに満ちつつ勢いに任せてえいっと描き終え、ストーヴで乾かしているところだった。ティッシュペーパーや櫛を用いた、アクリル中心のミックスメディア。
先日は夜だったので分からなかったのだけど、ここファヘイスはクリスチャンの村で、ハルドゥーン一家もキリスト教徒だった。お昼ごはんをごちそうになりながら、お母さんや奥さんと話をする。アラビア語圏なのでイスラーム教徒と同じく、「インシャッラー(神がお望みならば)」とか「アルハムドゥリッラー(神のおかげで)」とか「アッラー・カリーム(神は慈悲深い)」とは口にするが、「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」とか「ラーイラーハイッラッラー(神のほかに神はなし)」はイスラーム独特の表現だからキリスト教では言わないらしい。こういうの、興味深い。
「アラーマハリク(ゆっくりやりましょう)」と云っても太っちょファーディが急かすので、なんだろうと思えば、まだ乾いていない作品を強引に車で運ぼうとする。日頃は大人しい川口ゆうこさんも、さすがに「やめてー」と叫ぶ。まったく、「マーフィー・ムシケラ(ノープロブレム)」じゃないってば。聞けば、なんと今日から始まるグループ展に出品すると言う。展覧会のカタログにもすでに、「Y.Kawaguchi」の名が印刷されている。そんな話、聞いちゃいない!
e0058439_6464832.jpg案内されたロワク・アル・バルカ・アートギャラリーは、教会のそばにある洞穴のような造りの素敵な建物。床に滴り落ちる絵の具、ジャバル・フジ(富士山)が崩れてゆく。そうこうしているうちに、人びとが集まりだす。価格表には1400JD(約238000円)という値が書かれていた。描く前から値段が決まっているとは。
ひととおりオープニングパーティが終わり、ほうほうのていでアンマンのハニのお家へ行く。今度ばかりはわたしも、いったいどういうことなんだと怒る。ハニ曰く、展覧会があるのは知っていたけど日程までは知らなかった、ハニ自身の作品もどれが何点いくらで出展されるのか聞かされていなかったとのこと。それでも、「ヨルダンにやって来て個展もグループ展もできるというのは、ユウコの経歴にとってとても良いチャンスだろ?」ですって。そりゃそうだけど、ほどほどにね。画伯は呆れ果ててホテルでお休みなのよ。
ふう、なんていうか…そう、That'sアラブ。
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by peaceonkaori | 2007-03-04 06:47 | 中東にて

ヨルダンのイラク

2月25日昼、シルワンにマターム・イラーキー(イラク食堂)に招待されて、日本人の一行で連れ立つ。シルワンはお鮨(と日本酒)を食べたかったそうなのだが、うちらはアラブ料理を選ぶに決まっているやないか。

e0058439_19592961.jpg雨が激しく降っていた。わたしはアラブでの雨が初体験だったので最初のうちははしゃいでいたのだけれど、こう冷たい雨ではかなわない。シルワンも雨は嫌いと云っていた。シルワン・バランの「バラン」は雨の意なのに。

e0058439_20029.jpgクージーをはじめ、トルシャーナ(杏のおかず)、テブシー、バーミヤン、デザートにはズヌーダルシット(女性の二の腕のような形のお菓子)まで、どれもタイーブ・ジッダン(ちょう美味しい)、最高だった。

食事中、シルワンが急にすごく恐い形相をしてかたまった。ぴくりとも動かない。おそるおそる尋ねてみると、なんとマハディ軍の連中がお店に入ってきたのだと云う。かれらはシルワンの周りのひとを含めたくさんのひとを殺しているらしい。直接的な憎しみを抱えつつ、シルワンはなんとかその場を遣り過ごしたのだった。ここヨルダンにもマハディが侵入してきているんだ。在ヨルダンのイラク人は今や100万人を超えているというから、それも当たり前なのか。イラク地図のネックレスを日々身につけているわたしは、ぞっとした。イラク食堂は、イラクの縮図のよう。ほかのイラク食堂でも、シーア派のTV番組かスンニ派のそれかでチャンネル争いなどがあるとも聞いた。うっかりすると、ヨルダンでもたいへんなことが起こりうる。

e0058439_2005079.jpgその後、シルワンのお宅に連れて行ってもらう。
個展前の準備で散らかっていたが、かれの新作を観ることができた。それらは、すこし政治的になっていた。女性が描かれ、滲ませたアラビア語で傀儡政権を揶揄している。「毎日のように悪いニュースが右耳から左耳から入ってきて、それを表現せざるを得なかった」と、シルワン。いつもはおどけふざけているかれももちろんイラーキー、祖国への想いは相当なものなのだ。前回の日本での展覧会のかれのテーマは「恐怖と逃亡」だった。「じゃあその後はどうなるの?」と聞いたわたしに、「分からない」と答えたシルワン。次はこうなのか。

シルワンがわたしに、『恋するアラブ人』で著者の師岡カリーマ・エルサムニーさんが絶賛していたイラク人シンガー、カーズィム・アッサーヒルのCD(コピーじゃなくオリジナル)をプレゼントしてくれた。かれのカリスマ性はアラブ諸国を駆け巡り、昨年末に殺されたあのイラク大統領サッダーム・フセインも唯一かれに世界中どこへでも訪問できるパスポートを与えたという。カーズィムの話を持ち出すと、アラブの人びとは皆ほめたたえる。やったね、ゾル・スパース(どうもありがとう)。

ハニは仕事後に毎日、ダルブナー・ギャラリーに顔を出してくれる。有難い。
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by peaceonkaori | 2007-03-02 20:00 | 中東にて