NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:中東にて( 56 )

e0058439_6593787.jpg24日朝、いよいよ作品を展示する。ちいさい作品を多数ピクチャーレールから透明の糸で吊るすしイラーキーは休み休みに作業するしで、数時間がかりでやっとこさ終える。
あとは、午後6時からのオープニングを待つのみだ。作家にとって個展の初日というのは最重要、そのきんちょうが見てとれた。

e0058439_70370.jpg夕刻、オープニングパーティにはぞくぞくとひとがつめかけた。日本では、まずこれだけの人数は集まらないだろう。さすがはアラブ、ダルブナー・ギャラリーである。さっそく1枚の絵が売れた。マブルーク(おめでとう)。
イラクのTV局、アル・シャルキーヤとアル・イラキーヤがインタビューに来た。川口ゆうこ画伯のみならず、わたしまでインタビューを受ける。シャルキーヤには、わたしが毎日のように胸に踊らせているイラク地図のペンダントについて、またイラク芸術について尋ねられた。レポーターの若い女性と息が合い、わたしはイラクを尊敬しているし手放しで大すきなんだ、そういうことがつたえられたと思う。イラキーヤには、わたしがカーヌーンの生演奏にあわせてイラクを代表する歌「ファーゲンナハル」を歌っているのをもろに録音された。こんなのが全イラク(どころか衛星放送で全世界)に放映されるだなんて…ワーオ。とにかく放送を待ってみよう。こちら時間で、イラキーヤは木曜日の18時から、シャルキーヤは20時からなので、イラクをはじめ世界のお友達にみなさまぜひにおつたえくださいまし。
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by peaceonkaori | 2007-02-28 07:00 | 中東にて

別世界のヨルダンへ

アテンド役としてアラブに来るのは初めてのことだ。2月20日、例のごとくぎりぎり魂で荷造りを終え、国内出張でも行くようなていで飛行機に乗り込んだ。
今回は、日本の川口ゆうこ画伯がPEACE ONのつながりでヨルダンの首都アンマンで個展をおこなうことになり、その文化交流の橋渡しを光栄にも引き受けさせていただいた。

21日朝、ヨルダンの空港に着いた途端にハプニング。なんと作品の一部が届いていないのだ。カウンターでがんがん物言っても、ここでは「インシャアッラー(神がお望みならば)」の世界。初アラブの川口さんは途方に暮れパニック、わたしはアッラーカリーム(神は慈悲深い)の精神で慰めるしかなかった。荷物はアルハムドゥリッラー(神のおかげで)、翌日に到着した。

個展会場であるダルブナー・ギャラリーのおんな主人のマダム・マヤミーンは、素敵でやり手な初老のイラク人。90年にイラクから移り住んだのだそうだ。若きマネージャーのムハンナドもイラク人、飾ってある作品もイラク作家のものが多かった。
以前ハニ・デラ・アリ画伯も云っていたけど、これってイラク人によるアート・オキュペーション!? 芸術の都バグダードからたくさんのイラーキーがやって来て、ヨルダン作家は負けているんではないだろうか?
e0058439_17365262.jpg電話をかけると、寝ていたシルワン・バラン画伯が飛び起きて駆けつけてきてくれた。ハニからはわたしが来ることなんて聞かされてなかったと云う。来日以来の4か月ぶりのハグ。「ふるさと」を歌ったりして、相変わらずのシルワンだった。

21日夜、ハニに誘われ、アンマン郊外のファヘイス村にあるアトリエ兼ギャラリーを訪ねる。
上の階ではハニ達が制作をしてい、下の階ではハニの具象画やシルワンの魚の絵など壁いっぱいに巨大な絵画が展示され各国からのアーティスト達が集っていた。制作は、1人で描くのではなく複数人によって、思い思いに絵の具をぶちまけたり筆を走らせたり削ったりしている。そこには、圧倒的なアートの生命力が脈打っていた。おすましした芸術なんかじゃない、生々しいアート。なんだか秘密結社のようで、我がハートがエキサイトしてゆくのが分かった。ハニはここで遊びながら闘いながらどんどん新しいアートに挑戦して、新しい"ハニ・デラ・アリ"になっていっているのだな。
初日にさっそくこんな世界を目の当たりにすることになって、川口ゆうこさんは画家として相当な刺激を受けたようだ。

e0058439_17374922.jpg22日は搬入。とりあえず作品をギャラリーに持ち込んで、飾る順番を決める。皆「ハルワ(素敵)」と云ってくれて、ほっ。大げさな表現かもしれないけれど、ヨルダンへはるばるヤバン(日本)を背負って来ているわけで、緊張さえおぼえる。ここインターコンチネンタルホテルという最高級の場所で個展を開催できるのは、ひじょうに名誉なことだ。日本人の作家がアラブで個展だなんて珍しいのだし。

e0058439_17383160.jpg5か月ぶりにハニのお家を訪ねる。
オム・ムスタファ(ハニの奥さん)はじめこども達もみんな元気でなにより。こどもらの成長の早いこと。長女のナバは、「おとこのこなんか興味ないわ。勉強がたいせつよ」と云っていた。ハニのこどもらは、成績が良くてお手伝いもしっかりやって親思い。ハニの人柄がよく出ている。だから大すき。日本のお雛さまを説明して、雛あられなどをプレゼントする。こども達は今3D制作にはまっているというから、おもちゃはもう卒業かな。二女ルカイアと二男ハッスーニ(フセイン)が、またもわたしの顔を描いてくれる。それにしても6歳のハッスーニはまだまだアブストラクト画家。鳥みたいにわたしを描いてケラケラ笑っていた。皆やはりイラクが恋しいと云う。けど、ハッスーニは「イラクなんか忘れちゃった」ですって。でもきっと、大人になれば…。

e0058439_17392612.jpge0058439_17394851.jpg夜には、イラク人コレクターのお家のパーティに招待される。
桁違いのリッチさで、シルワンをはじめイラクものを中心に様ざまな絵画が並べられてある。巨匠ムハンマド・ムハラッディーンのもある。PEACE ONの文化交流活動も言ってみればコレクター、わたしもある種のコレクターとして話が弾む。
パーティにはだんだんと人びとが集まりだした。ヨルダンや世界各国のアーティスト、コレクター、明後日バグダードのアダミヤに帰るイラク人。かれによれば、ニュースが大げさ過ぎるんであってアダミヤでも郊外はそんなに危なくないとのこと。そうなのかなあ、しんぱい。バーカウンターまであり、バーテンがジュースをいれてくれる。ウード奏者が、生でウードを奏でる。ハニも歌う。ちいさなアトリエのようなスペースもあり、気が向けばハニやシルワンやら画家達が絵を描いてゆく。氷を滑らせて水のかわりにしたりなんでもありなところなんか、お茶目というかさすがだ。こちらのアート界は、良い意味でのハングリー精神が宿っている。皆が即興で魂を競って遊んでいる。今日もまた、川口ゆうこさんは興奮していた。
裏の世界を垣間見た気がする、まったく、こんなヨルダンは初めてだ。おそらくパーティは朝までつづいたのだろう。わたし達は午前2時にはお宅をあとにした。

e0058439_1741109.jpg翌23日は金曜日でこちらでは休日。死海から3キロのところにあるマダム・ミヤミーンの別荘にお呼ばれする。
アンマンと違い海のそばで標高が低く、とても過ごしやすいところ。外壁には複数のアーティストによるペインティングが施され、ブランコやプールもある。トランプやバドミントンをしたり音楽にあわせて踊ったり、お庭の片隅で運転手のハッサンがケバブを焼いたり、ぼーっと過ごしたりして休日を愉しんだ。
半年前にバクーバから来たラナという女性は、バクーバは最悪でとても住めたものじゃないと云う。途中の車で一緒だったイブラヒム教授は、家族をアンマンに残して明日バグダードのハイファに戻ると云う。それでもこうして遊んでいるところがイラーキーだ。

これまでに見てきたイラクやヨルダンの現実とは違う、いわゆる富裕層のイラクの生活を見た。ただただ吃驚するわたしが、あった。それでもかれらは、イラクという大きな国を背負っていた。
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by peaceonkaori | 2007-02-27 17:42 | 中東にて

シリアでの色いろ

ヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカス(シャーム)まで、セルビス(乗り合いタクシ)で9JD=約1630円。ちぇー、昨年は8JDやったのになあ。
レイヨンちゃんという赤ちゃん連れの兄妹とご一緒する。レイヨンちゃんと遊んでいるうちにかれらと打ちとけ、別れ際には「ダマスでなんかあったら電話をよこして」と、携帯電話の番号を教えてもらった。

昨年も泊まったフンドコ・ザハランに宿をとる。1部屋700シリアポンド=約1650円。窓は外に通じてなく、便器に身体をこすりつけてシャワーを浴びるような狭さの洗面所。まるで監獄。これじゃ、心身ともにぐったり。屋上で、やけ酒のようにビールを飲んで、おやすみ。
翌日お部屋が空いたというので、さっそくもうすこしまともなところに移る。蟻の行列が凄まじいことには変わりない。蟻は、PCのなかにまで侵入してきやがった。

e0058439_4304021.jpge0058439_4305697.jpge0058439_4355854.jpgアサド大統領の親子の肖像が街中のいたるところに貼られているのは毎度のことだけれど、今回はそこにレバノンの組織ヒズブッラーの指導者ナスラッラーが加わっていた。バッシャール(大統領)とナスラッラー、アサド親子とナスラッラー、そしてナスラッラーとイラクのシーア派シスターニまで。シリア国旗やパレスチナ国旗(連帯を示す)とともにヒズブッラーの黄色い旗もが、商店の軒先などに掲げてある。初めは珍しがって、バッシャバッシャと写真を撮ったり人びとに「ナスラッラー、クワイアス(グッド)?」なんて訊いていたけど、そのうち飽きてくるほどナスラッラーは溢れかえっていた。果ては、ナスラッラーTシャツを着たおとこのこまで見つけてしまった。
シリアでアサドについて悪いことを言えば捕まってしまう。では、今やアサドと同等にまつられているナスラッラーを批判すればどうなるんだろう? とにもかくにも人びとは皆、ナスラッラーはグッドだと言っていた。

e0058439_4312594.jpg鳥なんかを売っているお店のまえを通る。これは食用なんやろうか、ペットなんやろうか? YATCHは蛇で遊んでいた。そのうち店主が蛇を天高く放り投げた! 鳥の餌になるんだそうな。ひえぇ。

e0058439_4313956.jpgダマスカスには、とにかく露店が多い。板の机を並べて、文房具から食べ物から日用品から、ほんとうなんでも売っている。机なんか並べなくたって、肩や手に大量のベルトなりタオルなりを持って歩きながら売っているひともいる。こんなんで食べていけているんやろうか?なんてよけいなお世話だけど、マジに思う。
女性の下着売りもひじょうにたくさんある。今回もふしぎに思っていたのだけれど、こういうのをお外でしかも男性が売るというのは、アラブ社会ではOKなのだろうか? わたしなんて恥ずかしがってよう買われへん。でも、ほんとうにほんとうに多いんである。ふしぎ、ふしぎ。

アクセサリー店で、イラクの形をしたちいさな銀のネックレスを購入。
県の境界線が引いてあって県名がアラビア語で書いてある。どうかこの形が崩れませんように。国家崩壊だなんて、認めたくない。イラクはイラクで在りつづけますように。今はどんなにバグダードが遠くかんじようとも、いつか旅することができますように。それまではずっと、装着していよう。
あたし、イラ子。

e0058439_432214.jpgなじみの骨董品屋さん、ユーセフさんのお店へ行く。
何百年、何千年も昔のほんまもんを触って、気を養う。こういう美を目にして恍惚(うっとり)とする時をもたないと、素敵なひとにはなれません。もちろんお高いのは見るだけね。
比較的、新しいもの(といっても80年ものだったりする)を仕入れる。ベドゥインのもの、シリアに住むパレスチナ人のもの。こんなにうつくしい手づくりの品が、このお店にはぎょうさんある。あたまがやわらかくなる。

ユーセフさんのご兄弟のアリさんには今回、クフィーヤと石鹸の問屋さんも紹介してもらい、たいへんお世話になった。ハンドルームの良質なクフィーヤと、6年間も乾燥させたアレッポ(ハラブ)のオリーヴ石鹸。今後の販売にご期待ください!
それと、大事なもの。月に1度の会員の茶話会"PEACE ON CAFE"のために、アラブ・チャイとドルマをご用意しようと、アリさんのご友人の乾物屋さんでカルダモン(ハール)やナーナ(ミント)、バーミヤン(オクラ)、フレーフレー(ピーマン)を買う。レモンのパウダーはなかった。ルーミーバスラ(乾燥レモン)をおまけにおねだりする。会員の皆さま、CAFEをお愉しみに!

ユーセフさんのお宅に招待される。
郊外にある豪奢なフラットには、ショウルームみたいにビューティフルな家具や置物が並んでいた。「お店みたい」と言うと、「やめてくれ、ここはリラックスする家さ」と笑っている。お食事も、ユーセフさんの健康を気づかったお野菜中心のメニューが勢ぞろい。生ザータルやモロヘイヤの炒めたのとか、タイーブ・ジッダン(ちょう美味)でいうことなし。ウィスキーを手に、夜更けまで語らってしまった。

e0058439_4324710.jpge0058439_4325977.jpg翌日はユーセフさんのおすすめで、半日だけマアルーラ観光。
ダマスカスからタクシで30分強。岩山の渓谷にひっそりとある、マアルーラ村。ほとんどがキリスト教徒だそうで、家々の屋根のてっぺんや山の岩肌に十字架がかかげられていた。ここではイエスがはなしていたというアラム語を今でも話し、それを保存しようというプロジェクトも進んでいるそう。
しかしここでも、ヒズブッラーの黄色い旗がはためいていたんであった。もちろんバッシャール肖像も。
ひとけのすくない山峡を進むと、幾つもの洞穴がある。YATCHは「ここで古代の修行層が修行してたんだろうよ、すっげえ、行ってみようぜ」と喜び勇んでいたが、洞穴のなかに人糞を発見してガックシしていた。慰めても慰めても、「聖なる場所に…」と肩を落とすYATCH。人間は糞をするものです。
岩の教会、手を洗いお水を飲む。ろうそくの匂いは、わたしの中高時代の聖歌隊の青春を想起させる。いつの間にかわたしは座りこんで、お祈りを始めた。この旅の感謝、マアルーラやシリアの発展、イラクの平安…祈ることはたくさんある。神様、ていねいにお祈りを捧げたからちゃあんと聞いてね。
小1時間の小旅行にシュクラン(ありがとう)。

イラクから逃れてきたパレスチナ難民のことを調べてみる。PEACE ONはイラク内で、パレスチナ難民キャンプの支援もしてきたから、かれらのその後が気になっていたのだ。
かれらはダマスカス近郊にはいず、ハッサケに避難キャンプがあるとのこと。ハッサケといえば、カーミシュリー近くの町じゃない。知らずにバスで通り過ぎてしまったわけだ。シリア政府からの援助を受けているとはいえ、かれらの安全を祈り、いつか行ってみたいと願う。日本で調査をつづけることにした。

e0058439_4332044.jpg路傍の靴磨きの兄ちゃんにつかまる。そりゃあ、くる日もくる日も歩きっぱなしじゃあ、砂だらけ。お願いすることにした。イラクでこどもがやった時よりもていねい。50SP=約120円。兄ちゃんは、トルコ人なんだそう。
次の日も通りかかる。「寄ってけよ」という感じで、ただで磨きあげてくれた。シュクラン。

e0058439_4333975.jpg夜ごはんを食べて、オープンカフェで食後のチャイやカフワ(コーヒー)を飲みながら、水たばこをぷかぷかやる。こうしてぼんやりと街を見ていると、色んなひとがいて面白い。
わたしはふと考える。シリアにいると時にふと想う。この国に、この街に、戦争が襲ってきたらどうしよう?と。道端に座ってなぜかオープンカフェを仕切っているおじさんとか、得意気に水たばこの炭をかえてくれるお兄さんとか、手をひかれてこの日本人をふしぎそうに見ているこどもとか、「シーニ(中国人)?」と尋ねてくる青年とか、いっしょうけんめい野菜の繰りぬきを売ろうとしているおばさんとか、そのこどもとか、「ウェルカム」と声をかけてくれる少年とか、日本サッカーのユニフォームをなぜか着ている外国人とか、みんなみんな逃げ惑ったりするのかな? 死んじゃったり、死ななくても怪我をしたり家族を亡くしたり、家がなくなったり、こころが壊れたり、するのかな? その時、わたしはこの街にいるだろうか? 自問を繰りかえす。
常用しているお薬の計算を間違えて持ってきたため、お薬がなくなってとてもしんどい。一瞬、記憶がとぶような感覚に陥る。しんどいのはお薬のないせい? 分からないけど、お薬を飲みたくなる。

ダマスカスの安宿の屋上で、28歳の誕生日を迎える。YATCHとこっそりビールで乾杯。今年1年も、日々精進。シュワイヤ・シュワイヤ(ちょっとずつ)、大人になれるかな?
アラブ最終夜、ベッドに入るのがもったいなくて、わたし達は深夜まで語らっていた。
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by peaceonkaori | 2006-09-23 04:41 | 中東にて

アンマンでの日々

7日から15日までのヨルダン首都アンマン滞在、覚え書き。

お宿は、昨年とおんなじフンドコ・アルハダーッド(ガーデンズ・ホテル)。
今回も、わたしら以外は皆イラーキーだった。とりあえずなんとかイラクから出てきたひと、休暇で外国へと旅立つひと、お父さんの住むドイツへ行こうと試みるファミリー、行き先も訳も様ざまだが、やはり口をそろえて「バグダード、ムーゼン(良くない)」。それでもロビーに行けば、みんな笑顔で喋ってくれる。ホテルのスタッフやお客さんと、ロビーにチキンをひろげてたいらげたりもした。

アマラにちいさなちいさな黄色い表紙のクルアーンをプレゼントされる。
これを肌身はなさずたいせつに携えていれば、神様が守ってくれるという。おトイレに行く時は、洗面台のところに置いておいて、けっして個室便所には持って入らないこと。わたしはムスリマではないけれど、たいせつにしようと思う。昨年イラク少女からもらった、イスラームのペンダントとともに。

e0058439_23512015.jpgハニ・デラ・アリ画伯のお家を訪問する。
1年ぶりに再会したこどもらの、大きく育っていること! 長女ナバはもう15歳、立派なレディになっていた。12歳の長男ムスタファだって、大人の社交の仲間入り。7歳のルカイアと6歳のハッスーニ(フセインの幼名)は、まるでふたごの姉弟のようにころころ遊んでいた。ルカイアはもう、わたしとすこししか手を繋いでくれなくなった。でも今年も、わたしの絵を描いてくれた。ハニさんのご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)も、体調不良のなか快く迎えてくださった。
イラク料理の名手、オム・ムスタファの指導のもと、アラビ日本語辞書を片手にしたナバに助けてもらって、ドルマ作りに挑戦(作りかたは、1つ前の記事「ドルマのレシピ」ご参照)。
お父さんが絵描きなので、ルカイアの学校の教室に貼る時間割表を、ハニ父さんが書くことになった。皆でわいわい言いながら作業をしているうちに、ハニさんは書き間違え、ルカイアは「学校に持っていけない」と泣き出した。すこし重いけれどほかの厚紙で再チャレンジ。できあがった時にはルカイアは、もう眠っていた。
イケメン画家ハニさんは、髪が薄くなってきたことを気にしているご様子で、来日時には毛生え薬を買うと言っていた。もっか禁煙中だそう。

e0058439_23461319.jpgホテルの近所のファラフェル屋さんにファラフェルのサンドイッチを買いにゆく。店主のおじさんは覚えてくれていなかったようだけど、やっぱりここのファラフェルが安くて美味しいんだなあ。ホンムス(ひよこ豆のペースト)をぬってもらって、トマトやきゅうり、揚げ茄子やフライドポテトなんかも入れてもらって。1つ200fils=約34円。
帰り際、トラックでお野菜を売っているのをじーっと見ていたら、レモンを2ついただいた。シュクラン(ありがとう)!

カーミシュリーでやられた虫のアレルギーを、知り合いの薬剤師さんに相談する。わたしはシャクラワでイラク製のお薬を買ってぬっていたのだが、それは弱いらしく、より強いぬり薬と錠剤も処方してもらった。
タブレットを飲むうちに、腕や脚など露出していて傷だらけになっていた部位が、だんだんと良くなっていった。

「イラクに行くことはわたしの3年半におよぶ夢だったけれど、今回イラクに行ってみて、とてもふくざつな思いがした。イラクといってもアラブじゃない。クルディはクルディで皆とてもいいひと達ばかりだけど、なんて云うたらええか分からへんけど、やっぱりわたしはアラブがすきなんやと思う」と、正直にその薬剤師さんに打ち明けた。するとかれは、「クルドのホスピタリティはね、長年の月日を経てアラブから学んだものなんだよ」と云う。そうなのかなあ、どうなのかなあ。かれはとても賢いかたで、「アラブは1つだ」とも云う。けれどもだからといって、わたしはクルディはクルディで、ていうか、うん…。わたしはまだ、自身の整理がついていない。

e0058439_23423348.jpgほかの中東諸国と同じく、ここヨルダンでもいたるところに国王アブドゥッラーの肖像やヨルダン国旗がかかっている。
今回はヨルダン国旗とともにアメリカの星条旗に似たのが掲げてあるなあ、この親米国はついにアメリカの属国になったのか?なんて思っていたら、それらはマレーシア国旗で、なんでもマレーシアから要人が来るらしい。失礼。その日は警備の配置も多かった。こないだ日本の首相が来た時には、日の丸いっぱいあったのかな?

ロビーでイラーキーと話していて思わず、「アナ・ウリード・アッ・アズヘッブ・イラ・バグダード(バグダードに行きたいねんよ)!」と云うと、バグダードから逃れてきたかれらは、「あと5年、いや10年はかかるね」と笑っていた。バグダードもずいぶんと遠くなってしまったのだな。

e0058439_23433695.jpge0058439_23453157.jpg来日するハニさんとシルワン・バランさんと、シルワンのお宅でミーティングをおこなう。
シルワン家は、瀟洒なフラットにモダンな内装、絵画がたくさん飾ってあった。かれは繊細なタイプ、絵にもどこか悩ましい魅力がかんじられた。
初対面のシルワンに、はじめましてとご挨拶。クルドの出のシルワンが教えてくれる、カオリという名はクルド語でちいさい鹿を意味するそうだ。そういえばイラクにいた時も、「カオリってクルディの名まえよ」と、幾人かのクルディに喜ばれたものだった。

国王アブドゥッラーは、パタリロに似ている。
午前1時を過ぎ、疲れてとぼとぼ帰ってきてわたし達は、薄暗がりのロビーでぽそぽそとハンバーガーを食べる。眼前のパタリロの巨大タペストリーに、食欲の失せる2人であった。

e0058439_23454663.jpgホテルに滞在する9歳の少女シャムスと仲良くなる。
かのじょとお姉さんとお母さん(美女ぞろい!)は、バグダードからギリシャ経由でドイツに住むお父さんと会う予定なのだが、なかなかヴィザが出ないようだ。お父さんとは5年間も会っていないというから、シャムスは覚えていないだろう。国々は、イラーキーにとても厳しい。なんとか会ってほしいと願う。
シャムスはアラビア語で、太陽の意。ほんとうに太陽のようにうつくしく輝かしいおんなのこ、シャムーシー(シャムスの幼名)。20歳ほども違うわたしがよっぽど幼く見えるらしく、わたしはあたまや頬を撫でられて可愛がられるのだった。片言しかアラビア語の分からないわたしに、シャムーシーは根気良くアラビア語で話しつづける。くる日もくる日も、ロビーで遊んでいた。PEACE ON缶バッヂをあげるとかのじょはとても嬉しがって、毎日のようにつけていたのだけれど、ある時はずれて失くしてしまったらしく、シクシク泣いていたという。わたしはもう1つ新しいのをあげた。かのじょはわたしに、つけていたおもちゃの指輪をプレゼントしてくれた。わたしもそれを、ほとんど毎日つけていた。

e0058439_23481682.jpg志葉玲さんの取材に同行させてもらい、アブグレイブ刑務所で虐待、拷問を受けたかたを訪問する。アブグレイブを象徴する、あの黒い袋をかぶせられて立たされているかただ。
アブグレイブでは承知のとおり、ありとあらゆる危険行為、嫌がらせ、屈辱が繰りかえされていた。実際にお会いしてお話を伺ってみると、そこでは人間としてのプライドがいっさい奪われているのがよく分かった。米兵は、人間は、ここまで残酷な狂人になれるのだ。同じ人間として、ひじょうに憂い青ざめたわたしがあった。

それにしても、タクシ運転手との闘いはほんとう疲れる。
前のお客のメーターのまま走り出そうとするひと、メーターをまわさず高値をふっかけてくるひと、行き先を間違えておいて行き過ぎた分まで徴収しようとするひと(この時は警官もまじえてもめにもめた)、夜間料金だといって高くし過ぎるひと。タクシに乗ったらまずメーターのチェック、そして遠回りしていないかの確認。こっちはアンマン事情みんな分かっとんねん。せこいねん! これにはイラーキーのハニさんもサラマッドも激しく怒っていた。ガソリンが値上がりしているにせよ、スドゥク(誠実)に頼むわ。

e0058439_23483034.jpge0058439_23484599.jpgクリフホテルのサーメルくんを訪ねる。
サーメルは、2004年10月にイラクで日本国家の犠牲として人質になって殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め、またかれの死を今でも深く悔い悲しんでいる人物だ。「香田証生ホテル」をつくるのが夢なのだけど、なかなかうまくはいかないみたい。わたしは、サーメルにたいせつな預かり物を渡した後、証生くんがやっていたというようにベランダの椅子に腰掛けてぼーっと街や大気や遠景の山を見るともなしに見ていた。

e0058439_2349435.jpgファッルージャで大評判だったというレストランがアンマンに開店したと聞いたので、JIM-NETの皆さんと夕食をともにする。わたしのイメージでは、ファッルージャのちいさな食堂が米軍による大侵攻で破壊され、さんざんのあげくアンマンに逃れてやっと再オープンした、という感じだったのだけれど、郊外にあったそれは想像以上にきらびやかで高めのレストランだった。なんとなくガッカリ。でも美味しい。2人で8JD=1366円。
ちなみに、翌日に行ったシティセンターにあるきれいじゃないけど大すきなイラク食堂は、2人で3.15JD=538円。

e0058439_23503067.jpgハニさんのお誘いで、オーファリ・アート・センターという有名なギャラリーへ行く。
ちょうど開催していたのは、アリ・タリブ展。日本にも通じるような、やさしくて深遠に吸いこまれそうな絵の数々だった。多くのイラーキー画家が集っていて、次つぎと紹介される。アリさんご本人にもお会いでき、お友達がお亡くなりになった時の作品のお話などうかがうことができた。

ホテル近くのアンマン城へ行ってみる。上り坂の勾配と真昼のシャムス(太陽)に疲れきっていたわたしには、2世紀の神殿跡を目にしても、ただのがれきにしか映らなかった。石に近づくとひんやりと冷たく、いにしえから幾重にも積まれてきた時を想う。ジャバル(山)のうえからアンマンの街を眺める。日陰を探してうろつきまわる。

ここヨルダンには、今や100万人以上のイラーキーがいるという。物価もどんどん上がっている。様ざまな理由で国境が厳しくなるのもやむを得ないのかもしれない、とかふと思う。
そんなことをいって、苦しみの果てに避難してきたイラーキーをさらに苦しめるつもりではない。ただ、祖国を逃れるというのはどれぐらいどのように嘆かわしいのだろうか、と。イラクの友からのメールには、「僕の家族はミゼラブルを超えている。僕のミゼラブルな生活をじゃましないでほしい」と強烈な皮肉がこめられていた。惨めなほうがまだましなミゼラブル以上の生活、わたしには返す言葉もない。

シリアへと戻る朝、シャムスは外出中でいなかった。わたしはフロントのムハンマドにわたしの名刺を託し、かのじょに渡すよう伝えた。大すきなイラクからお手紙が届くといいな、なんて思いながら。
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by peaceonkaori | 2006-09-23 00:43 | 中東にて

ドルマのレシピ

ハニ画伯のご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)に教わる、マドラサ・ドルマ(ドルマ学校)。ナバもアラビ日本語辞書を手にヘルプしてくれました。
レストランでは出てこない、イラクの家庭料理(もともとはトルコ)。お父さんのいる休日の金曜日には、家族そろってドルマを食べるそう。

1.トマト、茄子、玉ねぎ、ズッキーニを繰りぬく。玉ねぎは、床に叩いてやわらかくする。トマトはふたが閉められるように繰りぬく。
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2.トマト、にんにく、じゃが芋、玉ねぎ、セロリ、ズッキーニ、羊肉を細かく刻んでまぜる。トマト、ズッキーニは、1のなかみを使う。
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3.ほうれん草を茎と葉に切る。

4.洗って15分ほど水にひたした米を、1とまぜる。

5.ピーマン・パウダーとカレー粉、トマト・ペーストと少量の水と油を入れ、まぜる。

6.レモンを5個以上しぼり、4に入れる。レモン・パウダーがあればグッド。

7.油をしいた鍋に、鶏肉(お好みで)とほうれん草の茎をならべる。
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8.1に6をつめる。なかみが出ないように、ズッキーニに茄子や玉ねぎでふたをしたり、工夫する。ほうれん草の葉でも巻く。ほうれん草は上のほうに置いて、隙間を作らないように鍋に敷きつめていく。
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9.残りのほうれん草と6の余った水分を鍋に入れる。中火にかける。

10.グツグツしてきたら、水を入れる。
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11.30分ほど煮込んだら、弱火で5分。できあがり!

12.大皿に鍋をひっくり返して盛りつける。床に新聞紙をしいて、ホブス(薄焼きパン)やサラダとともに、いただきましょう!
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by peaceonkaori | 2006-09-20 01:04 | 中東にて

戦争の爪あと

ホテルではわたし達がイラク支援をするNGOワーカーだと知れ渡っていたので、ある日、ある家族を紹介された。わたしはかのじょらのお部屋にとおされた。

英語の話せないお母さんがアラビア語で、堰を切ったように話しつづける。通訳できるイラーキーをなんとか連れてきて聞いてみると、わたしはそのあまりの理不尽さに、抗不安剤を飲まざるを得なかった。

e0058439_0163075.jpgイラク人のお母さんは、10年以上前にヨルダン人の夫に蒸発され、娘と息子を1人で育てていた。1991年の湾岸戦争で、空襲などによる恐怖から娘のファーテンちゃん(現在26歳)が寝たきり状態になり、おトイレもお食事も1人ではできないようになってしまった。イラクのお医者さんがファーテンちゃんはイラクでは治せないと判断したため、お母さんはなんとかヨルダンに移ってきたのであった。
ただし第1の問題は、ファーテンちゃんにパスポートがないこと。今回は、イラクへは帰らないという約束で特別の許可をもらってヨルダンに入国できたという。が、アンマンの医者を訪ねても、パスポートのないひとは受診できないと拒否。父親がヨルダン人ということはファーテンちゃんもヨルダン人になるので、ヨルダンのパスポートを取得しようとお役所に行けば、イラクの外務省で結婚証明書にスタンプを押してもらってから来いと言われる始末。グリーンゾーン内にあるバグダードのお役所に、いったいどうやって行けるというのか。元・夫やその親戚とは連絡がとれないし、お手上げ状態だった。
第2の問題は、経済面。貯金はもう底をつき始め、いつホテルから追い出されるか分からないと、お母さんはおびえている。息子はもうはたちを過ぎているからじゅうぶん働けるはずなのに、そう助言すると「皆殺しにするぞ」と暴れるんだという。お母さんはイラク人だし、ファーテンちゃんのお世話で手いっぱいなので、働けない。ついには、ホテルにパスポートを預けられてしまった。
第3の問題は、お母さんの巨大なストレス。たび重なる戦争や経済制裁のなか10年以上も耐え忍んできたお母さんは、右胸の上に風船のように大きくふくらんだこぶができていた。痛みはないといえども、お母さんだって手当てが必要だ。でも、そんなお金もないという。

PEACE ONは医療や難民のスペシャリストではないので、悩んでしまった。取り急ぎ、日本のNGOワーカーやヨルダンの知り合いに相談してみる。ヨルダンの知り合い2人が同情を示し、かのじょらを助けてくれることになった。ひとまずはあんしん。今後どうなるかは分からないものの、ちょっとでもお役に立てたのならば嬉しいことだ。
支援活動をやっていていっとう辛いのは、懇願されるリクエストになんとか応えたいと思ってもすべてをカバーすることは不可能だということ。
ほんの少額だけど、お母さんに個人的なカンパ金を渡した。

戦争は、死者を増やすだけではない。こうやって、カウントされない犠牲者が無数にあることを、わたし達は胸にとめておかなければならない。
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by peaceonkaori | 2006-09-20 00:21 | 中東にて

ダマスの長い夜

6日、朝。今日こそはと鼻息も荒く、国境へと向かう。トルコ側あっさり通過、フン。

e0058439_5183451.jpgシリア側では、往きと同じく別室へ。係官のおじさんは、「おお、日本人か。ようこそ、ミスター・スズキ」なんてご冗談をば(たしかに日本の苗字で鈴木がいっとう多いけどー)。またもチャイなんぞをいただいたりして。
よし、わたしはありったけの笑顔で尋ねてみる、「ねえ、思い出に写真を撮ってもいい?」。通常は国境のしかも室内で撮影など厳禁のはず、係官はいぶかしそうに間をおいてから、OK。やったね! しっかりバッシャール(シリア大統領)の肖像とともに写ってます。成功、アラブおやじキラー!

カーミシュリーからバスで9時間、ダマスカス到着。ヨルダンの首都アンマン行きのセルビス(乗り合いタクシ)のあるガラージュ・バラムケに着いたのは、夜の10時頃だった。
サラマッド達とここで夜9時頃に落ち合う予定になっていた。もし会えなければ先にアンマンに行って待っていよう、と。サラマッド達はいなかった。

12時をまわっても、2人は現われなかった。さすがに行こうかとYATCHが言う。
けれどもわたしは思う。今、イラーキーのヨルダン入りはひじょうに厳しくなっている。実際に、国境でレッド・スタンプを押されて追い返された知り合いもいる。もし、わたしら日本人と一緒にいることでなんらかの助けになれれば、と。保証はない。するっと通れるかもしれないし、逆に日本人なんて無力かもしれない。だけど、だけど、万が一にでもそういう可能性を考えてしまったら、待ちつづけるという選択肢しか、わたしには思い浮かばなかった。
「このままだと徹夜して朝まで待っても来ないかもしれんぞ。それでも待つのか?」と問うYATCHに、わたしは「うん」。

e0058439_5193218.jpgターミナルには、開店したほんの少しのお店と運転手と警官。閉店間際のレストランのお兄ちゃんに茹であがったひよこ豆を食べさせてもらったり、警官にチャイをもらったり、果てはYATCHとじゃんけんをしてみたり。にしても、待ちくたびれたというのはこういうことをいうのだな。昔と違ってこの27歳の身体に、オールナイトはさすがにきつい。独りぼっちじゃないのが、せめてもの救い。

待つこと7時間。
4時を過ぎて、遠くにたぬき面のサラマッドの姿が。「サラマーッド!」、わたしは手をぶんぶん振って駆け寄った。
まぎれもない、サラマッドだった。やはり国境で6時間ほど足止めを食らったらしい。一睡もしていないとはいえ、なんとか元気そうでなにより。お世話になったお店のひと達や警官らに「このひとが待ってたイラクからのお友達やの」と報告。
さっそくセルビスに乗り込んだ。朝だ。

ヨルダン国境では、サラマッド夫婦は別室に呼ばれたりもしつつ、問題なかった(自分の手続きが終わったわたしは、サラマッド達の係官をじーっと見据えていたんであった)。
アラブ諸国の国境では、アラブ人と非アラブ人の窓口が異なる。サラマッドは云う、「なんでアラブ人が別で時間がかかるか分かるかい? アラブ人はね、アラブ人が嫌いなのさ」。アマラも、「わたしらのパスポートや書類を見るのに時間がかかっているんじゃないのよ。奴らは別室で、たばこを吸ったりチャイを飲んだり恋人に電話をかけたりして時間をつかっているんだわ」と。わたしが「でもアラブ人も、アラブは1つだ、なんて云っているひともいるよ」と添えても、かれらはノー。「じゃあ、どうしてイラクがこんな状況になっているのに、アラブ諸国はなにもせず放っているの?」

こうして7日の午前、アンマンのホテルにチェックインした。
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by peaceonkaori | 2006-09-17 05:20 | 中東にて

トルコ

5日、早起きをしてアルビルを出る。今日中にイラクからトルコ、シリアのダマスカスへと強行突破で着きたかったからだ。神様お願い、わたしをダマスに連れてって!
ザホー行きのセルビス(乗り合いタクシ)の停まっているガラージュでチャイを振る舞ってもらい、朝イチのセルビスでいざ国境へ。

e0058439_4542223.jpgもちろん戦闘の激しいアラビーの都市モースルは避けてゆくのだけれど、途中そのモースルに属する村バシェーハという村を通過する。クリスチャンの住む村であり、後に聞いたところによるとかれらはアッシリア人らしい。とにもかくにもアラビー、わたしははしゃぎまくる。だってイラクへ来て初めてのアラブなんですもの。検問所でもわざわざ車から降りて警官に、「アナ・ハビッブ・アラビー(わたしアラビーが大すきやねん)!」と主張する。あららら、かなりびみょうなムード、クルディである運転手は「早く乗らねえと置いてくぞ」と機嫌が悪くなり、ヒヤヒヤ。アラブ警官は、なんと勤務中に撮影にまで応じてくれたうえに、なぜかメロンまで持たしてくれた。クルドとアラブ、難しいこと。

e0058439_4552525.jpge0058439_4572255.jpgトルコとの国境では、長蛇の車列。タクシを降りて川なんぞを眺める。ふらふら歩いていたら、トラック運転手のおっちゃんやご家族のこどもから、コークとか頂戴する。イラクでは、わたしは物をもらってばかりいる。
それにしても暑い。街でもそうだったが、ここそこにお水のタンクが置いてあるからマーシー(だいじょうぶ)。冷えた水道水でのどを潤す。

イラク側はなんなく通過。
そういえばイラクで問題があったのは、たった1度きりだった。あれは、ゲリアリベック滝へ行った時のこと。山の途中の検問で、わたし達4人は室内へと呼ばれた。なんでイラク人(サラマッド)とフランス人(アマラ)と日本人(YATCHとわたし)が知り合いなんだ、それにこのシャーレをかぶってサングラスをかけたエセ・ムスリマ(わたし)はなんだ、スパイじゃないのか?なんて聞かれたのだった。事情を説明してすぐにスルーできたものの、そんなにわたしは怪しいのかしらん?と少々むっときたものだった。

e0058439_4581145.jpg問題はトルコ側。
イラク入りの目的など詳細の質問を受ける。YATCHが「クルディスタンです」と答えると、「クルディスタンなんてない。イラクのどこへ行っていた?」と係官。「いや、だからクルディスタンの…」、わたし達は室内へと連れて行かれた。「いいか? クルディスタン(クルド人の国の意)なんて存在しないんだ。トルコでは、それを聞いて怒る奴がいる。注意しろ」とのこと。たしかにクルド人問題は、トルコがいちばんの問題国だ。3000万人ともいわれるクルディはトルコやイラク、シリアなどに分割され、未だ自分らの国をもてていない。とても繊細な問題。
両親の名前から色いろと尋ねられ、係官がそれを手書きでノートに書いてゆく。なぜ目の前のコンピューターに打たないのかと聞くと、向こうの上司に見せるからとかなんとか言っていた。へんなの。
ひと通りの質問が終わって外に出てみると、別の係官は自動車の座席の裏までチェックしているし、また別の係官はわたし達の鞄を開けて手さぐりで検査をしている。わたしなんぞは下着の類がいっとう上にあったものだから、ちょう赤面。EUに入りたがっている国が女性係官もつけないなんてと怒りが込みあげるも、ベソをかくだけのわたし(うわての女史は曰く、「そんなの甘ったるい甘ったるい。そういう時はわざとイヤラシイぱんつとかを上に置いて、ほぉらほぉらと顔に近づけてみせると、それ以上なにもされないものよ」。おみそれしました)。
けっきょく国境では4時間もかかってしまった。機械ぐらい導入しやがれ、くそっ。それでも、国境で20時間以上も待たされるイラーキーの気もちがすこしは分かったかな。

ようやくトルコ入国、幹線道路を疾走する。またも検問で停めら、鞄のチェック。そんなにわたしのぱんつが見たいのか、コンニャロー。代表YATCHに扇動されて、おもきし「HENTAI!」と叫ぶわたしであった。

シリア国境へたどり着く。いやな予感は的中、なんとここの国境は午後3時に閉ざされるんであった。朝10時からお昼3時までの国境、ちょっと怠慢じゃなくて?
トルコでの怒りがたまりにたまっていたわたしは日本語でまくしたてる、「あんたらトルコがイラク国境で4時間も待たしやがったせいで、こんな時間になってしまったんやろ。どないしてくれんねん! あたしゃなにがなんでも通りたいねんから、開けよしな。なんやの、あんたらッ」。もちろん、とっとと帰れというようなしぐさをされる。わたし達はトルコ側ヌサイビンで、宿をとるほかなかった。

e0058439_4592598.jpgトルコの夜はふけてゆく。晩ごはんを食べて、インターネットカフェで仕事をする。
Skypeでバグダードのイサームに電話をかけたら、かれは元気そうだったが相変わらずバグダードはムーゼン(良くない)。それでも、来年にはイサームに2人目の赤ちゃんが授かるという。最悪の街での、最高のニュース。わたしは、「マブルーク(おめでとう)!」を連発していた。
町をふらつく。おっさん群がカフェのようなお店で、トランプや麻雀みたいなゲームに興じていた。
連絡すると、サラマッド達も爆発事件でモースルを出られなくなり、明朝に出発するという。これも運命と思ってあきらめましょう。
明日こそは、ダマス。
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by peaceonkaori | 2006-09-17 05:00 | 中東にて

アルビルにて

e0058439_2117782.jpg4日、またも近所のアマルくんが車を出してくれるというので、感謝。シャクラワに別れを告げて、アルビルへと移動する。
途中の道路で売られている闇のガソリン、イラン製やトルコ製のなかからアマルくんは、バグダードのドーラ製のものを選んで買っていた。ドーラといえば、PEACE ONバグダード支部長サラマッドのお家のある地区だ。ドーラ製のガソリンは質がいいという。うれしくなって、YATCHとともにきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでしまった。
アマルくんは、バグダードのグリーンゾーンで働く傭兵なんだそうだ。シャクラワで会った何人かのイラーキーも、傭兵をしていると聞いた。イラーキーにして、米軍のところで働くというのはそのような心境なんだろう? とてもふくざつな思いがした。

e0058439_21174443.jpge0058439_2118925.jpgアルビルは大都市だ。自動車は渋滞、ここそこで真新しいビルディングや建設中のものを見かける。しばらく人口5000人のちいさな町シャクラワに滞在していたため、めまいすらおぼえるほどだ。なんとか安宿を確保して、アマルくんにさよならをし、街へと繰りだした。
シャクラワほどではないにせよ、やはりここでも日本人は珍しいらしく、笑いかけてくれたり声をかけてくれるひとがいる。韓国軍が駐留しているから、韓国人と思われるケースも多かった。英語の通じるかたは迷路のようなスーク(市場)を案内してくれたりもしたし、あるゴールド宝飾店の店主は荷車ジュース屋のジュースを奢ってくれたうえにうちのお店で休憩してけーと誘ってくれた。

e0058439_21185025.jpge0058439_21191673.jpge0058439_21194542.jpgイギリスから一時帰国しているというターリックくんに、レストランを紹介してもらったりもした。ぼったくられないように、お店まで連れてってくれる。
その後、ふたたびターリックくんのいるお店に戻る。じつは、行きたいところがあったのだ。それは、最近オープンしたという一大ショッピングモール。初エスカレーターにとまどい、乗るのをあきらめたり途中で倒れたりしている人びとの映像を、TBSの番組「報道特集」で久保田弘信さんがレポートされているのを、日本で見たんであった。わたしもエスカレーターの反応を撮りたい!と、ターリックくんの案内でわざわざそのナザモールまでタクシでかけつけた(ミーハー)。ところが、ところが、エスカレーターは停まっていた。なんでも、電力不足で今日は停めているらしい。皆は、階段のようにして歩いて上っていた。無念。店内は、まるで日本のショッピングモール同様に広くてきれいで衣料にしろ食料にしろ豊富な品揃えだった。違っていることといえば、イラーキーは大家族ゆえに、トマト缶や油やお肉なんかがどれもビッグサイズだったことぐらい。なかには、パーマにサングラスでお洋服姿のちょう現代的なガールがいて、シャーレ(スカーフ)をかぶっているわたしに「なんでそんなのかぶっているの? そんなの要らないわよ」と笑うんであった(バグダードでは今や、お家のなかでさえ、キリスト教徒でさえ、ヒジャーブをかぶらざるを得ないというのに)。そのシャイダちゃんとは、メールアドレス交換もした。

e0058439_21201033.jpgターリックくんは妹さんのお宅に滞在していて、「なんなら泊まっていけよ」と云ってくれる。わたし達はすでにホテルにチェックインしていたので、せめてもと夕ご飯をご馳走になりに行った。
ターリックくんの甥っ子、姪っ子は皆とても可愛らしく、とくにアーシアちゃんとは「ブラダー(お友達)」と云いあって手を繋いで遊んでいた。末娘のフーダちゃんは、1歳半になるのにまだ歩けないし話せない。聞くと、フーダちゃんの骨が軟らかくなってしまったのは、お母さんが妊娠時に劇薬を飲んだせいではないかという。なんとかこの愛くるしいフーダちゃんが良くなることを願う。
ターリックくんと年齢あてっこゲームをする。こっちのひとは皆だいたい年上に見えるので、わたしが「39歳?」と聞いてみると、じつはターリックくんは30歳なんであった。謝ってももう遅い。ターリックくんはわたしに「かおりは40歳以上だよ」とからかわれる。ぶぅ。
偶然に出逢ったわたし達にここまでしてくれるのも、イラーキーならでは。帰りはアーシアちゃんも一緒に車に乗って、ホテルまで送ってもらう。またね、ブラダー。

いよいよ明日は、イラク出国だ。
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by peaceonkaori | 2006-09-12 21:20 | 中東にて

シャクラワ最終夜

2日、朝、停電。ここのホテルはジェネレーターがじゅうぶんでないのか、客室より優先してロビーだけにしか電気をまわさない。まあ、いいんだけどさ。
停電といえば、このあいだ夜にサラマッド達とお外のレストランでだべっていた時、急に町が停電になったのだけど、そしたらなんと拍手が沸きあがったんであった。リエーシュ(なぜ)?とふしぎがっていたのだが、サラマッド曰く、「バグダードからの観光客ばっかりやから、ここクルディスタンでも停電があるんやーって面白がっているんと違う?」。単純なような複雑なような、なんだかなあ。

e0058439_4522091.jpg今日は、これまでの会計や今後のプロジェクト展開など、PEACE ONの打ち合わせをおこなう(詳細は相澤のブログご参照)。バグダードやモースルの病院や学校での支援の写真に、思わず咲みがこぼれる。PEACE ONはイラク人現地スタッフを雇っているので「直接支援」をしているわけだが、やはり日本人のわたし達もその場にいたいなあと思ってしまう。「現場」は近いようで、なかなか遠い。
バグダード郊外に住むお友達に電話をかけてみる。イラクに来ることは伝えてあったのだけれど、おんなじイラクでも会えないのが残念。サラマッドと喋っている間に、背後で爆発音が聞こえたらしい。やはり、バグダードとシャクラワではまったく違う。
バグダードで奔走してくれているサラマッドの弟とも、電話する。わたしはかれとお喋りするのは初めてだったから、ちょうどぎまぎ。いっしょうけんめいアラビア語で話すわたしに、かれはずっとくすくす笑っていた。そんなに可笑しいのかしらん? YATCHは、「冗談ずきのイラーキーが今や笑うこともなくなったなかで、かおりが笑かすのはすごいことだぞ」と、ほめているんだかなぐさめているんだか分からないことを云ってくれた。
ごはん時になり、サラマッドが聞いてくる、「かおり、なにが食べたい? ケバブ?それともケバブ?ケバブ?」。ちいさな町シャクラワの幾つかのレストランではどこも、ケバブしか置いていないんであった。

e0058439_4525479.jpg日本の靴屋さんで直してもらった革靴もここへ来てすっかり泥んこになってしまったので、路傍のこどもに靴磨きをお願いする。黒色か茶色の2色しかクリームを持っていないらしく、わたしのダークブラウンの靴は少々カラーが変わってしまったけれど、とにもかくにもゾル・マムヌー(どうもありがと)。最初は恥ずかしがっていた少年も、すなおに写真撮影に応じてくれた。色を塗っていっしょうけんめいタオルで磨いて、1000ID=約70円。

お部屋の扉をノックする音がする。開けてみると、バグダードからの2人の姉妹が一緒に写真を撮ってと頼んでくる。しかもわたしはイラク服のディシターシャからお洋服に着替えないとダメらしい。かのじょらも、西洋の服で思い思いにお洒落を愉しんでいた。
ふたたびノック。今度は町へ繰りだそうと言う。打ち合わせ中だったけど、わたしだけシュワイヤ(ちょっと)お出掛け。かのじょらと歩いていても、ヤバニエ(日本人のおんな)への写真合戦はすさまじい。PEACE ONのTシャツを着ていたわたしが、胸に躍るロゴマークの「シャーブ・ヤバニ・マー・シャーブ・イラキ(Japanese people with Iraqi People)」を説明すると、そこいらじゅうのイラーキーがいっせいに拍手喝采。ますますスーラ(写真)をせがまれるのだった。
かのじょらと、片言のアラビア語とほんの片言の英語と後はジェスチャーでなんとか会話を紡いでゆく。アダミヤ地区に住んでいるかのじょらは、まだ10代だというのに、通りに転がる遺体を日常的に目にしていたり、シーア派なんか最低と言い放ったりしていた。また、かのじょらのお父さんもお兄さんもアメリカ系の会社で働いているため、もしばれたらマハディ軍に殺されるとおびえてもいた。アダミヤといえば、シーア派のカズミヤ地区とのあいだにあるアインマ橋での事件が有名だが、そのことを話しても、シーア派とは完全に敵といった風にかのじょらは語るのだった。わたしはそんな日々を経験していないから、それを悲しいだとかなんだとか云えない。ただ、戦争はこどものこころをも支配してゆくのだなー、なんて。恋バナをしたり、アイスクリームやジュースを奢ってもらったりした(あたし年上やのにッ)。

3日、サラマッドとアマラがモースルへ戻る日になった。2人とはまたすぐに、ダマスカスで落ち合う予定。

e0058439_4533173.jpge0058439_4535729.jpge0058439_4542047.jpgあーっ、ウロウロしている警官の帽子にイラク国旗が! ここクルディスタンで初めて見るイラク国旗。思わず写真撮影をお願いする。商店で見つけたディボスというメーカー(アディダスのぱちもん?)のジャージにもイラク国旗。けっきょくシャクラワでは、この2回しかお目にかかることがなかった。バルザーニが、イラク国旗をおろしてクルド旗を掲げるよう命令したという噂もある。イラク国旗をはがした跡の車も発見した。やはり、分離主義がはびこっているのか。

e0058439_4544861.jpgジューススタンドで濃厚なロマーン(ざくろ)ジュースを飲む。4つ星ホテルにあるこの町唯一のインターネットカフェは1時間4ドルもする。バグダードのアナスに電話をかけるも、イラク入りをメールしたのが遅過ぎたらしく、会う時間がとれなかったことを口惜しがる。夜は夜でアマルくんと町をふらつく。電池でぴかぴか光る花束、こども用の桃色スリップ、腕輪など行き交うイラーキー達から何故かもらう。商店で指輪を買おうとすると、ただで持たせてくれる。シャクラワ町長がアルギレ(水たばこ)カフェに入ってくる。護衛がカラシニコフを携えている。ゆうべ一緒に撮影したのの現像した写真を、ほれほれと見せてくれる少年がいる。どうどうと開店しているお酒屋さんでビールを買ってみる。そんな、シャクラワ最終夜。

翌4日、わたし達はシャクラワをあとにして、アルビルへと向かったのであった。
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by peaceonkaori | 2006-09-11 04:55 | 中東にて