NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:中東にて( 56 )

やっぱしイラーキー

31日、朝。目覚めたらマーク・カフラバ、停電だ。クルディスタンでも停電はあるのだな。フロントで懐中電灯をお借りする。シャワーは途中でホースが破れて漏れるので桶をつかって、お湯は出ないみたいでお水で身体を洗う。さっぱり。
フロント係が、窓から景色の見える明るいお部屋に変えてくれる。このフロント係、英語は喋れないのだけれど、わたしの片言のアラビア語をいちいちクルド語になおして教えてくれる。にへらにへらとしたいい奴。こちらのお部屋には初めからシャワーなどなかった。やはりお湯は出ず。
近所のレストランでお食事、チキンのティッカ(焼き鳥)を食す。トマトときゅうりのサラダやオリーブの実、生たまねぎやお菜っ葉、トルシー(きゅうりみたいなお漬物)と、もちろんホブス(薄焼きパン)がついてくる。食後にチャイを飲んで、2人で4500ID(イラク・ディナール)=360円。
e0058439_23221480.jpge0058439_23224034.jpg気温は軽く40度を超えている。日本みたいに湿度がしつこくないので汗はかかないけれども、さすがにお外にいるだけで体力が消耗する。通りのお店もお昼間は閉まってい、ホテルの従業員もロビーのソファでお昼寝していた。
バグダードからツアーグループが来ていて、またもスーラ(写真)攻めに遭う。「ミン・バグダード(バグダードから)?」と尋ねるとみんなそうで、やっぱりバグダードは「ムーゼン(よくない)」と言う。皆ここで、束の間のバカンスを愉しんでいる風だった。
ところでホテルの名刺をもらったのだけど、この安宿とはまるで異なる立派なビルディングの写真なのよね。フロントにはバグダードの一流パレスチナホテルのカレンダーが貼ってあって、ごていねいに説明までしてくれる。フロント係は暇してソファで居眠り。この好い加減さ(やっぱしイラーキー)。

ゆうべの電話では正午に着くよと云っていたPEACE ONバグダード支部長のサラマッド達は、けっきょく午後4時頃に到着(やっぱしイラーキー)。通り越しに大声で呼びかけ、ぴょんぴょん飛び跳ねて出迎える。昨年の来日以来9か月ぶりの再会となった。サラムーディー(サラマッドの幼名)の満面の笑み、ほんとうすき。ご夫人アマラともキスでご挨拶。なにはともあれ、よかったよかった。三十路のサラマッドは、おなかがぷっくり出ていた(やっぱしイラーキー)。
サラマッド達は空いているお部屋に窓がなく気に入らないからと、近所のホテルに移っていった。アマラは「監獄のようだわ」と嫌がっていたが、そのお部屋、昨日わたし達が泊まっていたところなんですけど…。
近所のカフェでアルギレ(水たばこ)をくゆらせる。わたしはたばこは吸わないけれど、アルギレだけは吸う。ここシャクラワは驚くほど穏やかだし、2人とも元気そうに見えるけれども、やはりバグダードからの土産話はじつに恐ろしい(バグダードのお話は相澤のブログご参照)。 生きていること自体が、まるでミラクルだ。ストレスをはじめとする住民のこころの問題も相当なもので、わたしも軽度のうつを患っているが、そんなものとは比べものにならないほど。ショックで無口になったわたしを、サラマッドがお兄さんのようにしんぱいしてくれる。シュクラン(ありがと)。まだまだやね、あたし。

e0058439_23244140.jpg夕食は、サラマッドからのとっておきのプレゼント。なんとオム・サラマッド(サラマッドのお母さん)がわたし達のために、ドルマ(お野菜を繰りぬいてご飯をつめて煮込んだもの)とテブシ(トマトベースのシチューのようなもの)を作って持たせてくれたのだ。ホブスを買って、お部屋の床に新聞紙を敷いて、お鍋ごと喰らいつく。アナ・アヘッブ・ドルマ(ドルマ大すき)! 粋なはからい、サラムーディ(やっぱしイラーキー)。

e0058439_232545100.jpg9月1日、気晴らしに観光でもしようぜと、滝を見にゆくことにした。ホテルの近所のアマルくんという青年が車を出してくれるという。途中ドンキー(らば)や山羊などを目にしつつ、山を上ること1時間、ゲリアリベックという滝に到着した。金曜日の休日ということもあって、ここゲリアリベックはたくさんのひとで賑わっている。
e0058439_2327689.jpgイラクで見る滝、日本のそれとはムードが違う。マイナスイオンを浴びる暇も与えられず、ここでもイラーキーにとり囲まれて、かわりばんこに写真を撮られてしまう。YATCHやアマラは、川に入って水浴びを始めている。みんなにバッシャバッシャとお水をかけられてずぶ濡れに。あほやー。
e0058439_232802.jpge0058439_2328372.jpgこどもらと遊んでいるうちに向こう岸で休んでいるご家族が川で冷やした西瓜を食べてけーと声をかけてくださったので(やっぱしイラーキー)、YATCHらを連れて行ってみる。イラン製だというスイカは、形こそ楕円形だがお味は日本のそれとよく似ていて、シャムス(太陽)に疲れたわたしを甘やかに満たしてくれた。御一行はアルビルから来たクルディだそうで、しだいに話が弾んでゆく。わたしはこども達と一緒に赤ん坊をだっこしたりして遊んでいた。ゾル・スパース(どうもありがとう)。

e0058439_23293014.jpgシャクラワに戻っても、写真攻撃は終わらない。3歩あゆめばスーラ、また3歩あゆんでスーラ。サラマッドには、「ポップスターやね」とからかわれる。ンもぅ。こんなちいさな町に珍しい日本人客、しかも町はバグダードからシアーハ(観光)に訪れたかたばかり。ムーゼンなバグダードからひと時でも逃れたいかのような拍車のかかったそのパワフルな熱狂ぶりに、逆にバグダードが悲しく想えてならない。女王バグダードは、どうなさったのか。
サラマッドとアマラのお宿もバグダードからの観光客でいっぱいで、こどもらが必死になって喋りかけてくれた。もっとアラビア語を勉強せねばと再認識、うん。
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by peaceonkaori | 2006-09-09 23:34 | 中東にて

イラクまで

8月28日、PEACE ON事務所を出る直前まで、事務仕事やら旅支度やら冷蔵庫の一掃やらで、あっという間に出発時間。この、ぎりぎり魂。
羽田空港には、会員のキさんが見送りに来てくださった。ご寄付を頂戴する。有難い。「この写真は貴重ですよー」なんて腹黒い冗談で笑いながらの写真撮影。まさかまさかの最期になりませんように、なんてね。

北部のクルディスタンとはいえ、今回のこのイラク行きを、会員を含めほとんどのかたに告げずに来た。もちろん、イラク人現地スタッフのサラマッドによる調査の末のOKと、日本国内の理事会での対策会議をもち、じゅうぶんと思えたからこそのイラク訪問だ。イラク攻撃開始から3年半、イラク行きの夢を抱き始めてから3年半、長い道のりではあった。バグダードへもヒートへもファッルージャへも今はまだ行けないけれど、それでも念願のイラク。一瞬一瞬をこころにふかく刻んで生きようと、思う。

関西空港で乗り換えて、ドバイまで。着陸時の急降下では、いつも耳からあたまにかけて激痛が走る。お隣さんにしがみついて、しばし悶絶。かなり嫌がられる。むぅ。
e0058439_2353991.jpg日付は変わっている。ドバイから、シリアのダマスカス国際空港へ。 ガラージュ・バラムケというバスターミナルまでバスで30分ほど行く。25シリアポンド=約60円。そこからガラージュ・ハラスタまでタクシで3ドル。街を走る車やその辺の壁のいたるところに、バッシャール(シリア大統領)とナスラッラー(レバノンの組織ヒズブッラーのリーダー)のコンビの肖像画が貼られている。タクシーの運転手に聞いてみても、「ナスラッラー、クワイアス(グッド)」とちゅぱちゅぱキスを送っていた(アラブでは、おとこのひともおとこのひとにチューをするの)。やはりナスラッラー人気は、ここでは確実なようだ。そしてわたし達はそのバスターミナルで、カーミシュリー行きのバスに乗りこんだんであった。

e0058439_23534639.jpge0058439_23541217.jpgダマスカスからカーミシュリーまでは、シリア国内とはいえ南西から北東まで砂漠の道をずーっと行って9時間もかかる。それでもバスなら7ドル、安過ぎ。『地球の歩き方』にも載っていないぐらいだから、そんな田舎まで旅する日本人はそうとう珍しいようだ。こどもらをきっかけに、乗りあった人びとと交流が始まる。片言の英語すら通じないものだからこっちはアラビア語の辞書を引っぱりだして、ぎこちないながらも、じゅうぶんとけ合うことができた。途中、ユーフラテス川を渡る。これを泳いでゆくとバグダードに着くのだなあ、と泳げないわたしは想う。いっとう話していた家族が降りると今度は、バス前方の御一行にこっちに来て来てとせがまれる。2人がけの座席に3人で座ったりして。いよいよカーミシュリーに着いて、さあホテルを探そうという段になっても、バスの乗客やら集まっていたタクシー運転手やらがみんな輪になって話し合ってくれる。たくさんの写真撮影をして大きく手を振り、バスは去っていった。タクシーにホテルまで案内してもらうも、ビジネスなど様ざまな理由でイラーキーが流れ込んできていて満員だという。それならと、運転手のスレイマンさんがお家に泊めてくれることになった。
e0058439_23544440.jpgシリア国境の町カーミシュリーでの、ふつーのお宅。1歳になる双子の赤ちゃん、電灯のないお外のおトイレ、チャイ(お砂糖たっぷりの中東の紅茶)やファラフェル(軽いコロッケのようなもの)でのおもてなし、瓶1杯のお湯で身体を洗い、ホースのお水で洗面、ダニのうじゃうじゃいるお布団まで用意してくれた(痒かったこと痒かったこと…)。

翌30日、スレイマンさんのタクシでトルコとの国境まで連れて行ってもらう。カーミシュリーには秘密警察がたくさんいるから、お宅にお泊まりさせてもらったことは内緒。こっそりと、さよなら。
シリア国境では別室に案内される。なにか問題でもあるのかとドギマギしながら待っていると、チャイをふるまってくれたりニッコリご挨拶してくれたり、果ては出国税も払わずに済んだりと(要らんのかしらん?)、なぜか好待遇。すーっと通ることができた。トルコ側の国境も、問題なし。
幸運なことに、イラクのクルディスタンのザホー行きのおじさんとめぐり会い(お祖父さんがその名もザホーなんですって)、タクシをシェアしていざトルコ。じつはわたしはトルコを怖がっていたのだけども、通過している間はほとんど眠りこけていたので、よく分からなかった、えへ。トルコ軍の戦車がちょいちょい停まっていたいたらしいけど。んで、数時間でいよいよイラク国境。
e0058439_23551933.jpg国境にはクルド軍隊ペシュメルガがいたんだけど、写真を撮っても怒られなくって、またまたチャイまでもらって、まったくマーク・ムシュケラ(問題なし)。ここからは、途中シロピから乗り合ったシャイシャイくんというタイ人の電気技師を迎えに来たスレイマニアの会社の車に同乗させてもらう。こっそり尋ねてみると、シャイシャイくんは29歳で、イラク行きの話をもちかけられた時は怖かったし両親も反対したんだけど、はるばる働きにやって来たらしい。きんちょうしているようすが、見てとれた。

e0058439_23555128.jpgあちらこちらでクルドの旗が翻り、ガソリンスタンドはピカピカ、検問所もさらっと停まるだけ、山岳地帯を時速100キロ超でひたすら走る。運転手さんもシャイシャイくんの上司になるかたもスレイマニアに住むクルド人、話す言語はアラビア語でなくクルド語。なにかが違った。わたしの想い描いていたイラク、あれはいったいなんだったんだろう。ここはクルディスタンでイラクといえどもアラブではない。イラクの一部と口に出せない雰囲気が、ここには充満していた。わたし達は話す時には、「中東」と言ったり「クルディスタンを含むイラク」と言ったりして気をつかった。

クルディスタンは、イラクにあってイラクにあらず。

e0058439_23562111.jpgもちろんピースフルなことはいいことだ。ドンパチがあったり、学校が休校になったり、道路が封鎖されたり、遺体が通りを転がっていたり、「マーク・マイ、マーク・カフラバ、マーク・ベンジン、マーク・アマン(水ない、電気ない、ガゾリンない、安全ない)」のバグダードなんか、もうたくさんだと云いたい。それでも、イラクの友から聞いていたイラクとのあまりのギャップに、わたしはとまどいを隠せないでいた。通りで売っている闇のガソリン、物価の上昇、韓国軍の駐留(クルディは韓国軍をグッドと言うけれど、国境で有刺鉄線の向こうの戦車とかを見た時はいい気はしなかったな)、クルディスタンにも問題は山積している。それにしたってクルディスタンはひじょうに穏やかだ、うん。やがて山の向こうに夕陽が沈んでいった。仄かなサンセット。

夜になって、アルビル近くのシャクラワというちいさな町に着いた。ここはアラビの多い観光地なんだそうだ。夜は涼しく、町は賑やかに人びとで溢れかえっていた。そのひょうじょうはのびやかで、皆にこにことしていた。やはりヤバニ(日本のおとこ)とヤバニエ(日本のおんな)は珍しがられ、写真やヴィデオを撮ったり声をかけてくれたりと一躍、町の噂になってしまった。 その歓迎のひょうじょうに、ここシャクラワはだいじょうぶなんだなと、ほっとしたわたしであった。相澤YATCHは、バグダードの市民のひょうじょうは情勢が悪化するにしたがって硬くなっていったけれど、戦前から2004年4月頃までのやわらかなひょうじょうによく似ているな、と言っていた。
こうして3日がかりでぶじ、イラクに到着した。
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by peaceonkaori | 2006-09-06 05:09 | 中東にて
荷造りをしてホテルをチェックアウト、骨董品屋ユーセフさんのお店で朝食をご馳走になる。
ユーセフさんは、イラクの次のターゲットはここシリアだといわれているがまだだいじょうぶだ、というようなことをおっしゃっていた。まだ、だいじょうぶなのか。「悪の枢軸候補国」であり「テロ支援国家」であるところのここシリアの市民は、いたって明るい。
数日違いでラマダンを経験することはできなかったが、なんと今日は日食だという。テレビで太陽と月の重なる様子が中継されていた。太陽を見ないようにと注意を受ける。まぶしがりやのわたしは、ふだんから太陽は見ない。

e0058439_2246242.jpg旧市街を散歩して、はずれにある聖アナニア教会へと足を運ぶ。ここは聖サウロの目を治したアナニアにまつわる教会で、地下に洞窟のような礼拝堂をもっている。椅子に座って戦争についてのお祈りをしていたら、うつらうつらしてしまった。

タクシーで空港まで半時間で500SP=1050円。
ドバイ経由で関空、羽田空港へと降り立つ手はず。14日に及ぶアラブ滞在の最後の時だというのに、飛行機に乗った途端に熟睡してしまい、離陸にもまるで気づかない。今朝から狂ったように眠ってばかりいる。日本に帰るとか、あたまがわかっていない。 思えば、日本を懐かしく思う日はなかった。あまりにも忙しかったからだろうか、アラブがわたしの気に入ったからだろうか。今はまだ、すべての言葉は未整理のまま。
マッサラーマ(さようなら)、アラブ。また近いうち来られますように、インッシャッラー。
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by peaceonkaori | 2005-10-05 22:49 | 中東にて
朝から腰がもげるように痛い。おなかいたもあたまいたも起こるので、薬局へと走った。

昼過ぎまで自室でPC作業。ひっきりなしに聞こえてくる自動車のクラクション。
ゆうべチェックイン時に空き部屋を見せてもらった際、「ここはエアコンがつくんだ」といってスイッチをオンにしてくれたりしたけど、けっきょく決めたお部屋のエアコンはスイッチがつかない。街を歩けば、信号などないも同然で、車はいきなりバックしてくるし、トランクやバスの装置のふたが開いたままの状態も何台か見かけた。通りを横断するには、猛スピードで往来する車の隙をついて渡らないといけない。道路にも川にもポイ捨てが臭く、タクシー運転手も商人もしんじられない額をふっかけてくる。珍しく設置されているエスカレーターがやっと動いたと思ったら途中でとまって前につんのめった。
そんな1つ1つが、体調の悪いわたしを苛立たせるんであった。買いつけのためにスーク(市場)を歩いていても、あんなに愉しみにしていたシリアをじゅうぶんに愉しめない。日本の繊細さやていねいさに、あらためて感服したりもした。もちろんそこには差異があるというだけで、どちらがいいかはわからない。ただ、弱っているこの身体には、車の警笛音もしつこく呼びかける商売人もうるさくかんじるのであった。

だけど、わたしは想像する。もし、仮に、万が一、この街に爆弾の落ちる様子を、目の前を歩くこの女性が赤ん坊を腕に抱いて逃げまどう光景を。この街が気に入らないんじゃない。「ヤバニー(日本人)」と声をかけてくれるひと、誇り高く自信をもって販売するせっけん屋のおじさん、スーラ(写真)を撮ろうとすると急にはりきり出すカフェの給仕係、軒先の椅子に座り黙って手を振ってくれる老人…アンマンにしろダマスカスにしろ、笑顔で歩かないではいられない街なのだ。中国の器を口実に入店させてショールを売りつけた青年は、間違えた5OSP=105円のお釣りをわざわざ走って返しに来た。
e0058439_22412321.jpg初アラブにてほとんど仕事漬けのわたしに、代表YATCHが気を遣ってくれてすこしだけ、世界最古といわれるウマイヤド・モスクを見学する(男性は半袖でも問題ないのだが、女性は頭もふくめ全身を覆っていなければ入ることはできなかった)。聖なる場所は、疲労した心身をそっと静かにさせてくれる。
夕闇の迫る旧市街を迷路を辿るようにして歩いていると、いつの間にやらそこはキリスト教居住区だった。街の雰囲気や人びとの恰好がまるで違う。だけど、おんなじ街。教会の十字架を見上げていたら、遠くのモスクからアザーンが聞こえてきた。ぼんやりと霞む夕暮れになにもかも融合して大気に沈殿しつつあるそれを、わたしはぎゅっと胸に仕舞いこんだ。イスラム教とかキリスト教とか、そんな区別はどうだっていいことのようにかんじる。すくなくともこの街では、諍いなど起こりえないと思える。昔から共生してきたんだ。なにを今さら、ってね。

幾らか気ぶんは落ち着いてきたけども、それにしたってこの人ごみ。ラマダン前の買い物客が押し寄せているという。露出していた足首が真黒に汚れた。
スーク・ハミディーエにあるユーセフさんの骨董品屋を訪れる。閉店しかけていたのだけれど、気もち好く迎え入れてくださる。シルヴァーの首飾りや小箱など、素敵なものを仕入れることができました。みなさま、お財布を握りしめて物品販売を待っていてくださいネ。

夕食をとって、インターネットカフェで深夜まで。わたしのPCはここシリアでも、接続できなかった。
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by peaceonkaori | 2005-10-05 22:42 | 中東にて
おはよう。今日こそはシリアに行かなくては。臭いお部屋だったからか、鼻筋が痛い。

e0058439_793320.jpgアンマン出発前に、画家のハニ・デラ・アリさんのお家に寄る。
まだ食べていないわたし達に、朝食まで用意してくださる。トマトの炒めたのとか、タイーブ・ジッダン(ちょう美味しい)。ご家族の笑顔に囲まれていただくごはんに、「アナ・サイーダ(I'm happy)」と繰りかえす。
ムスタファがYATCHに絵をプレゼント、わたしもナバから絵をもらう。11月に銀座のギャラリーでハニさんのワンマンショーが決まっているけど、ファミリーショーでもいいくらい。そしてなんと、ハニさんご自身がわたしの似顔絵を描いてくださった!(うれしいので、そのうちトップ写真にします。)
e0058439_7101075.jpge0058439_7113641.jpgハニさんとYATCHが来日時の航空券を手配しに行っている間、わたしはオム・ムスタファ(ムスタファのお母さん)とムスタファの先生との面談へ。ルカイアとハッスーニの手をひいて、学校まで。ムスタファの成績は、ヴェリーグッドだった。すきなスポーツを控えて勉強にいそしんだおかげで、イラクから移住しても保てたのだ。往き帰り、かたことの英語とかたことのアラビア語で色いろと話す。オム・ムスタファもやはり、イラクはよい国で恋しいけども今は危険だからとおっしゃる。6歳のルカイアまでもが愛らしい声で、「アメリーキ、ムシュケラ・カビール(アメリカ、大問題)」と叫んでいる。サダムの時代も悪かった、だけど今はもっと悪い…というのが、ここへ来てひじょうによく聞くイラク人の声だ。
e0058439_712119.jpgルカイアはまたもわたしのために、太陽とお花の輝く絵を描いてくれた。そしてハッスーニまで。鉛筆がきで見えにくいかもしれませんが、この宇宙人みたいなのが、ベッドに腰をおろしているわたしなのだそう! ハニ家イチの前衛画家ハッスーニ、まいりました。
アンマン駐在の原文次郎さんも合流して、お見送りしていただく。はらぶんさんは、医療支援で病気のこどもと多く会うので、元気いっぱいのこを見るとなんともよいものだとおっしゃる。
ルカイアは何度も「カオリ、バイバイ。バイバイ、カオリ」と云ってくれる。インシャッラー(神がお望みならば)、また会いましょう。

哀しいかな、ヨルダンではお買い物も観光もいっさいしなかった。ハードでタイトでヘビーで、それでいてハッピーな12日間だった。

e0058439_7112884.jpgアブダリというターミナルから、ダマスカス行きのセルビス(乗り合いタクシー)に乗る。1人8JD=約1280円で、4人揃ったところで出発。国境では出国税として、1人5JD=約800円を支払う。
同乗者はほとんど英語がつうじなかったので、かたことのアラビア語だけで会話。ここでも「アメリーキ、ムシュケラ・カビール」という声が。そして「ウサマ・ビンラディン、マーフィー・ムシュケラ(ノープロブレム)」といって笑いあう。
シリアに入ると、マクドナルドもケンタッキーフライドチキンもバーガーキングもピザハットも見あたらない。コカコーラだけはあるのだけれど。

e0058439_712476.jpg3時間半ほどでダマスカスに到着。ホテルにチェックインして、街を散策する。
街はもうすぐ始まるラマダンの準備に入っていた。三日月とお星さまのランプは、ラマダンの飾り。
e0058439_7122818.jpge0058439_7124347.jpgブツブツのついた橙色の果物を売る屋台がやたらと目にとまる。聞くと、サバーラといってサボテンの果実なんだそうだ。試食させてもらうと、ひんやりと甘かった。
お酒屋さんでビールを買うことにする。ところがお店のひとが売ってくれない。宙を指さすのでハテネと思っていたら、おおそうなのね、モスクからイスラム教のお祈りの声が街に響いているあいだは販売しないらしい。皆おもてに出て、じっと聴き入っている。ダマスカスにはキリスト教徒も多いと聞いているけど、こういった配慮はなんだか好いね。
7つのジャバル(山)のあるアンマンとは違って、ここダマスカスは自転車やバイクをよく見かける。ちょっとした洒落っ気など街もどこか西欧風にもかんじる。長い歴史をもつせいか、様ざまな血の混じったような彫りの深い顔つきのひとが多い。代表YATCHは「シリアは美女が多いなあ」と鼻の下を伸ばしていた。
e0058439_7135166.jpgオープンカフェでアルギレ(水たばこ)をぷかぷかする。こういったなんでもない時間をもてるのは、かなりひさびさのこと。あらわれては消えゆくスモークに、しばし身体をもたれさす。騒がしいこの街で、すこしゆっくりできたらいいけど…どうかしら。
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by peaceonkaori | 2005-10-03 07:13 | 中東にて

境(9月30日)

今日から冬時間になるそうである。1時間とくした気ぶん。

e0058439_75417.jpge0058439_74430.jpgよく買いに行っていたホテル近くのファラフェル屋さんにて。「今日シリアへ発つの。あなたのファラフェルはとっても美味しかったわ」と告白すると、おじさんは「そうかい、そうかい」とにこにこ笑ってくれた。初めて来た時よりずいぶんフレンドリーな感じ。ファラフェルとジュースで30fils=約45円、おまけしてくれたのかも。

インターネットカフェ、そしてクリフホテルのサーメルくんのところに寄る。

「燃えるイラク」議長として日本でも講演なさったイラク人のマジドさんと落ち合う。来日時にナンパしてメル友になり(?)、アンマンで再会というわけだ。
待ち合わせ場所をこちらの安宿に変更してもらうとかれは時間きっかりにご到着、逆に待たせるはめになる。しかもタクシー運転手が道もわからず猛進し、激しく時間をロス。3JD以上を要求する運転手に、わたしは1JD札を突きだしてタクシーを飛び降りた。かれは、ロビーでは待たずに、おつきの2名を従えておもてをうろついてらした。高級車で高級ホテルへと連れてゆかれる。かれのその貫禄たっぷりの体格といい物腰といいこのシチュエーションといい、なにかの物語のなかに迷いこんだみたいだ。
カフェテリアであらためて話し始める。ボスとしてYATCHを紹介し、YATCHがPEACE ONワークスをプレゼン。かれは、ファルージャ避難民キャンプへの支援の内容やイラク人スタッフのことなどについて、調べ上げるようにメモをとる。信頼できるかをチェックされているわけだが、ひじょうにていねいに聞いてくれた。かれはドレイミ族のとても頼りになるかたなので、今後どのように連携してゆけるかを議論した。
おつきのかたは隣のテーブルで片時も気をゆるめてはいなかった。かれがさっと手をあげたり声をかけたりすると、かれらはじつにスマートに対応していた(かれは会話中は携帯電話のバッテリーまで抜くんであった)。わたしが途中でお手洗いに行きたいと申し出ると、おつきの1人がその鍛えあげた身体で案内して待っていてくれた。
イラクについて話し合っている時はあふれる威厳がかれのオーラを形づくっているのだけれど、わたしと他愛もない話をする時にはかれはにっこりと頬を弛緩させてくれた。そのコントラストがかれの紳士的チャーミングさを増し、そのやさしさに包まれるようにしてわたしは、イラクの厳しい現実について会話しても、どこかほっとできたんであった。
帰りもわざわざ送っていただき、おわかれ。かれとかれらの無事を願う。

e0058439_754315.jpg原文次郎さんと、イラク食堂で晩ごはん。ほんとうならダマスカスへ向かっているところなのに、もう1件の約束の相手が連絡をよこさず出発できないでいたのだった。
通りには、赤色ナンバープレートのイラク行きGMCが停まっていた。これに乗れる日は、いつやって来るのだろうか。
午後10時、チェックアウトしたホテルのロビーでうなだれる。YATCHがフロント係に叫ぶ、「ねえ、もう1度チェックインしてもいいかなァ」。
鼻のひん曲がるような臭いのお部屋で、寝るだけ寝ることにした。明朝、シリアへ。
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by peaceonkaori | 2005-10-03 07:04 | 中東にて
フロントに内線電話をかける。「どうも、411号室の者です」と切り出すと、「チャイとトイレットペーパーだね」と返される。毎朝おんなじ電話をかけるから、からかわれちゃった。

パンをかじりつつ、インターネットカフェでPC作業。時間がないので切り上げる。
日本大使館でイラク人ヴィザ取得のための手続き。

e0058439_703264.jpg薬剤師のハイサムさんの薬局へ行く。
ハイサムさんは、アラブ服をプレゼントしてくださった! 黒いワンピースに伝統的なパレスチナの柄が手縫いで刺繍されている、うつくしくシックで乙女らしいドレス。シャーレ(髪もすべて覆うのがヒジャーブ、髪がすこし出ていてもOKなのがシャーレだそう)とともに、さっそく着用してみる。ジャミーラ! 落ち着いた色合いなのでクラシック日本人顔のわたしでも似合う…気がする。みんなに褒めてもらう。うれしい。YATCHはディシターシャ(男性の白ワンピース)などをもらっていた。

パレスチナのワンピースをそのまま着、画家のハニ・デラ・アリさんのお宅で夕食をいただく。
e0058439_72134.jpgアルジャジーラTVが、イラクの爆発のニュースを報じていた。食卓に一瞬、憂いのムードが漂う。ハニさんがそっと、「これが民主主義さ、ブッシュのね」と呟いた。イラク人と一緒にイラクのニュースを見るのは、あまりに悲痛だ。食事前にも、米国ハリケーンのニュースが流れた時、イラクから来ているお客さんが「これは神の怒りだ」と静かに云い、またハニさんのこどもでさえも「グッド、グッド」と叫んでいた。侵略と占領をつづけるアメリカへの憤りが、これほど和やかな家庭の1人1人にまで及んでいる。それだけの被害をかれらは受けている。イラク治安悪化のためヨルダンに移り住んだかれらだが、ハニさんはもちろんこどもらもバグダードのお友達がしんぱいだしイラクに帰りたいとも云う。その言葉は、遣り切れなくもなるけれど、逆にそのほんまもんの愛国のこころが、あきらめたらアカンねと勇気をもらえるものでもある。
またもムスタファとルカイアの絵をもらった。ムスタファは、お父さんのアートの後継者になれそう。
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by peaceonkaori | 2005-10-03 07:02 | 中東にて
シュワルマを食べて、インターネットカフェへ。ほとんど接続できなかったのは、後から聞いたところによると、この地域一帯がそうだったのだという。マイッタ、仕事にならない。

e0058439_1705815.jpg薬剤師のハイサムさんにイエメン料理をご馳走になる。色ごはんにミートのごろごろ乗ったメイン料理も美味しかったが、ミートをホイルに包んで釜にぶち込む料理がスパイシーでザーキー(美味しい)。ハイサムさんが店員さんと「ハニデラ」と繰りかえすたび、YATCHとわたしは画家のハニ・デラ・アリさんを想起してくすくす笑っていたが、そういう名前のお料理らしい。
わたしの持病を説明すると、ハイサムさんは「ここアンマンに数か月もいれば治るよ」と云ってくださる。たしかにそうかもしれない。東京は窮屈だもの。
わたし達はちょうどラマダン(断食月)の始まる日のあたりに帰国するので、ラマダン中の街の雰囲気を味わえず残念だ、という話をする。ラマダンは一度は経験してみたい。体調がすぐれず朝から晩まで食べものを口にしないことはたまにあるけども、それはラマダンとはまるで違うだろう。ラマダンは街全体でおこなわれる。レストランも営業しないし、キリスト教徒だって配慮するらしい。家族の、そして街中の絆が深まる。そしてそれは月によって決定される。ファンタスティックなムードが街を覆うのだろうかと、しばしウットリする。
e0058439_1721638.jpgハイサムさんの薬局に戻って、カフワ(アラブのコーヒー)をいただきながら談笑。カフワはどろっとしていて初めはびっくりするけど、しだいに慣れてきた。ただ問題は、飲むとおなかがゆるくなってしまうこと。実際にそういう作用があるらしい。ちょびっとだけ飲む。
ハイサムさんは「アラブは1つだ」とおっしゃる。かれ自身、イラク、パレスチナ、クウェート、シリア、ヨルダンなど色いろな縁がある。日本人、すくなくともわたし個人には、そのような感覚が備わっていないので、うらやましいのかなんなのか不思議な気もちになる。まあアラブ人だって、国ごとに誇り高く、しばしば他国をばかにしたりするんだけどね。
JIM-NETの井下さんが遊びに来られた。

e0058439_17132963.jpge0058439_17131832.jpg打ち合わせのため、高遠菜穂子さんや細井明美さんらと合流してイラク食堂へ。お客さんは全員がイラク人。イラク入りしたことないのはわたしだけ、みんなはイラクの味を懐かしがって食している。食後のチャイも、イラクはだんぜん濃い。いい体つきのちいさなグラスもまた、愛らしい。チャイを飲んでも、5人で5JD=800円未満というのはうれしい価格。
店内には、1月30日の在外投票のポスターがまだ貼ってあった。わたしは初め、ペプシのマークかと見紛ったけど。
e0058439_17161545.jpgお外のテーブルで食べている家族のおとこのこが興味深そうにこちらを見るので手を振ると、とってもはずかしそう。かたことのアラビア語で話しかける。はにかみ屋さんのアブドゥッラーくんは6歳。イラク人のおとこのこは可愛いなあ。だのに、大人になるとなんであんなにむさ苦しくなるんだろう(これまた失礼!)。

クリフホテルを訪問する。ここは、日本人バックパッカーのたまり場的場所で、お客の9割を占めるともいう。ロビーでは、日本人ばかりが何人かで情報交換をしていた。
わたしは、従業員のサーメルくんに話があって来たんであった。かれは一時、日本のメディアで有名になった。昨秋に人質として殺害された香田証生くんの事件の時だ。わたしはあの時のことを直接かれに聞きたかったのだ。
e0058439_17164675.jpgかれは語りだす、「来たときからミスター・コーダは悲しそうだった」。「かれはイラクへ行きたいと云った。イラクのこどもを見たいと云った。僕は何度も説得を試みたし、日本人もかれと3時間ほど話をした。僕はかれに考えを変えてほしかった。かれは、ロビーに群がるほかの日本人とは離れ、独りバルコニーに佇み、とても悲しそうだった。僕がジョークを飛ばしてもまるでダメだった。なぜかはわからない、でもとても悲しそうだった」とかれはつづける。「『行ったら死ぬぞ』と僕は云ったが、かれは『オーケー、わかってる』って云ったんだ」…わたしの両の目からは次つぎに涙のしずくが落ちてゆく。サーメルくんは証生くんのパスポートを見たそうだ。そこにはイスラエルのスタンプが押印してあった。そのこと、つまりイスラエルに入国した事実がどれほどハイリスクかをもかれは忠告したのだが、証生くんは考えを変えることはなかった。
サーメルくんはすぐに日本大使館に連絡をとったのだが、大使館の対応はつめたかった。大使館は、国境まで素っ飛んで行ってバスを止めることもできたはずなのに、そんなことはしなかった。情報を得ていながら大使館は、なにもしなかった。サーメルくんは、1日1日と証生くんの帰りを待った。じりじり、じりじりと時が流れていった。
事実を確かめられないのだが、かれはサマワへ赴いたという。外国人宿泊客がいると襲撃の対象になるため、ホテルはかれの宿泊を断った。かれはサマワの路上で7日間を過ごし、バグダードへ戻って、アンマン行きのバスに乗ろうとした。ところがバスはメッカ行きのものしかなく、途方に暮れているところで声をかけられ連れて行かれたのではないか、という話もある。
アルジャジーラTVに映しだされたかれの映像を目にしたサーメルくんの、その心情ははかりしれない。そしてかれはまもなく、死に至った。
死を覚悟して、あまりに高確率な死を覚悟して、かれはイラクへと発った。うん、気もちはおんなじなんだ。わたしだってイラクへ行きたい、イラクのこども達を見たいし、イラクで起こっていることを全身全霊で体験したい。そんな願望をあたためながら、情勢はどんどん悪化し、わたしは行くことが困難になっていっただけなのだ。かれはイラク入りを叶えていのちと引きかえに、なにかを得たのだろうか。わたしはただ鎮魂を、と思うほかない。
引っ掻き傷みたいにずっとこころにあった証生くんへの思いに、ようやく一区切りつけられたかもしれない。ロビーに置いてある「サーメル・ブック」には、宿泊客からのたくさんのメッセージに埋もれるようにそっと、ミスター・コーダの写真が貼ってあった。その頁とサーメルくんとで写真を撮影する。

ホテルに戻ってフロント係と話をする。やはりわたし達以外はすべて、イラク人客らしい。
ジャーナリストのみなさま、イラク避難民を取材したかったら、ガーデンズホテルへいらしたらいいと思いますわよ。

数日前からおなじホテルに宿泊していたサマワ出身のジャーナリストさんのお部屋を訪ねる。バクラワをいただいて、お喋り。そしておやすみなさい。
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by peaceonkaori | 2005-09-30 22:05 | 中東にて
e0058439_17301358.jpg朝から、イラクの人権団体のガジさんと面会。目を逸らしてはいけないが、実際ヘビーな内容だった。受けとめるだけで精一杯、というか受けとめられたかもわからない。それぐらい、イラクの状況は異常だった。これからどう動くべきなのか、皆は話す。だけどわたしは抗不安剤を飲んだりする始末、情けない。だけど、知った責任、というものがある。

e0058439_17324056.jpge0058439_17324872.jpgその後、シメサニというアップタウンのレバノン食堂でお昼ごはん。店員さんがみんな「ウェルカム」なムードで、厨房まで入って集合写真を撮ってしまった。フルーツをふんだんにかざっている店内はカラフルで明るかった。
と、禁煙席を発見。アラブ人は皆、信じられないほどの本数のたばこを吸う。禁煙、なんて言葉などないと思っていたら、見つけてしまったー。

e0058439_17354751.jpgイラク「命の水」支援プロジェクトの会議に出席。気温50度を超える真夏のバグダードで水が不足している地域があると聞き、緊急支援として始まったこのプロジェクト。PEACE ONも呼びかけ団体になっている。9月8日には、東京都内で報告会も予定されている。

e0058439_17361191.jpg終了後原文次郎さんとヨルダン大学近くの薬剤師のハイサムさんを訪れる。薬局のオフィスには、日本のNGOからの感謝状がならんでいた。PEACE ONもファルージャ緊急支援など医療支援をおこなう時にお世話になっている。

夜も更けてゆくのだが、招待されていたヨルダン在住のパレスチナ人ムハンマドのお宅へ向かう。
e0058439_17362469.jpgカリフラワーの色ごはんにチキンが乗っている。お店でも家庭でも、どこに仕舞っておくのかというぐらいの大皿が、アラブでは使われている。それにキュウリとトマトのサラダやヨーグルトをかけて食す。あとはモロヘイヤのスープ。今ではアンマンの人口の7割をパレスチナ人が占めているが、パレスチナ人が最初にやって来た時はヨルダン人にとってはモロヘイヤなど家畜の飼料だったそうだ。こんなに美味しいのだから、今ではヨルダン人も食べる。
イスラーム教では占いや手品はハラームとされる。だけどオマルは「これは手品じゃなくて、トリックだよ」といって、様ざまな技を演じてくれた。わたし達は「ハラーミーだ、ハラーミーだ」といってからかう。2つ、トランプ手品を覚えた。わたしはムスリマじゃないから、いいんである。
わたしとYATCHが日本の「ふるさと」や「赤とんぼ」の歌を披露し、アラブの歌も教えてもらって皆で歌った。ベドゥインの歌もわたしの知っていたイラクの歌も、律動といい音階といい素晴らしい。それにしても、「ふるさと」は名曲だなあ。
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by peaceonkaori | 2005-09-30 21:52 | 中東にて
アルハンドゥリッラー(神のおかげで)! シャワーも洗面台もおトイレも、チョロチョロとはいえお湯やお水が出るようになった。途中で止まらないかとビクビクしつつ、シャワーを浴びる。これでお洗濯もできる。

夕方までホテルのお部屋でPC作業。

途中、ファラフェルを買いに出ると、先日の従業員の青年が「オー、ハロー」といってかたい握手を交わしてきた。すっかり気に入られてしまったみたい。
ここのファラフェルのサンドイッチは、200fils=約32円と安く、しかも美味。

お洗濯もする。空気が乾燥しているので、洗濯物がパリッと乾くのが気もち好い。信州の松本に住んでいた頃もそうだった。東京では、生乾きのままとり込むことになる。

パンをかじりながらの、ネットカフェ。PCの動作の遅さが異常。苛々がつのる。
帰りに独りで歩いていると、わたしのかぶっているヒジャーブを指して「グッド」と云ってくれる商店のおじさん、さきほどのパン屋のおじさんも「コーヒーかチャイでも飲んでくか?」と。

e0058439_21255783.jpgホテルにハニ・デラ・アリさんがヴィザ申請のための書類を持って訪ねてきてくださった。YATCHと書類を揃えていると、ホテルの玄関に猫が遊んでいたので、にゃんにゃん戯れる。従業員のおじさんも携帯電話のカメラで猫とわたしをバシャバシャ撮っては見せてくれるのだが、猫は病気持ちだから嫌いだという。どっちやねん!

深夜、またも一昨日のヨルダン人のおうちに呼ばれる。アラブ人は、招待ずきだ。
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by peaceonkaori | 2005-09-30 21:29 | 中東にて