NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:中東にて( 56 )

とうとう1滴の水も出なくなってしまった。シャワーも、洗面台も、おトイレも。フロント係に訴えるも、「出ないの?」だの「もうすこし待てばいい」だのとのん気なもんだが、こちらにとってはビッグ・ムシュケラ(問題)だ。ロビーの洗面所まで往復する。

なんというか、そういうのに慣れてきた。ハエがぷーんと寄ってきても、いっこうにかまわない。蚊などは刺すので嫌い、でもハエはなにもしない。日本では必死になって追い払っていたものだけど。

フロントへ行って尋ねると、この近辺一帯が出ないという。しかし、ほかのお部屋からシャワーの出る音は聞こえていたし、ロビーのお手洗いはだいじょうぶだったのだから、むぅ、と思うしかない。いつ復旧するのかとの問いにはやはり、「インシャッラー」。

秋にイラク人を日本へ招聘するためのヴィザ取得について問い合わせようと、日本大使館へ。
ホテルから途中までバス案内をしてくださったかたもやはり、イラク人。かれ自身は戦争前からカナダに住んでいたが、1年半前までイラクに住んでいたかのじょも一緒に住むべく手続き中だという。日本旅行がしたいとおっしゃっていた。

e0058439_1749572.jpge0058439_1750795.jpgムジャンマラガダンというバスターミナルまでセルビス(乗り合いタクシー)、そこでバスに乗り継ぐ。
ここのスーク(市場)は活気に満ちていて、日用品からフルーツまで揃い賑わっていた。音割れしていても音楽をガンガンにかけているところなど、アラブやわあとかんじる。それにしてもこの陽射しのもと、果物を並べてだいじょうぶなのかしらん。
バスはだいたい150fils(1JD=1000fils)とか210filsとかいったところ(約30円)。セルビスも1人150filsずつ。バス車内でカメラを向けると、笑って撮らせてくれた。

日本大使館では、ある書記官と話をすることができた。
イラク人についてはかれらの安全上、手続きが簡素化され、例外も認められるなど、配慮されるらしい。まったくもって有り難い。
昨秋イラクで人質として殺された香田証生くんについても会話した。かれは大使館員というより1人の人間として、あんなに近くにいたのになにもできなかったことを無念に思いつづけていた。クリフホテルで証生くんを見送った従業員もこころに傷を負っていて、たまに様子を見に行っているという。大使館は(わたし達のような立場の人間に)煙たがられているかもしれませんがといってかれは恐縮していらしたが、かれはこのイラク侵略・占領についてなど率直に意見を述べてくださったし、日本人はもちろんイラク人のことをとてもしんぱいしてらした。このようなかたが働いてらっしゃって、助かった。ありがとうございます。

大使館のそばで遅い昼食。アップタウンだけあってお値段は高い。ホンムス(お豆のペースト)とラムとサラダの1人前を2人で分けてセブンアップとチャイを2人前ずつ、それで5JD=800円。
e0058439_2023341.jpge0058439_2024334.jpge0058439_20254895.jpge0058439_20263444.jpge0058439_20283194.jpgちなみに、チャイの作りかたは写真のとおり。ちいさなグラスにお砂糖を入れてチャイ(今回のはミント入り)を注ぎかき回す。ん~、タイーブ。

夜のとばり落ちるアンマンの街を独りそぞろ歩き。
標高が600~900mほどあるここヨルダン高地の気候は、埃っぽい都市の大気をのぞけば、1年前まで住んでいた長野県松本市のそれと似ている。24歳のわたしはある日突然に隠居するといって2週間後には松本に移り住み、2年を暮らした。隠居するはずの地でイラクに出逢ってしまったのだから、これはもう見えざるみ手に従うほかない。松本去る時には松本のみんなは悲しがり、未だに「いつでも帰っておいで」と云ってくれる。京都の人びともおんなじだ。帰るところがあるから、わたしはこうやって元気に活動できる。皆にありったけの感謝を捧げる。アザーンが街に鳴り響き、ポリスも散髪屋のおじさんも、絨毯を敷いてメッカに向かい祈祷していた。こころに留めておきたい刹那だった。
…すこしおセンチになったかもしれない。鬱々とした状態までもが訪れた。持病のお薬をほとんど飲んでいないから、アンマンでも症状があらわれたようだ。気をとり直そう。涼やかな微風が、頬を撫でてはとおり過ぎる。ハロー、ヨルダンの夜だ。

インターネットカフェで作業をした後、高遠菜穂子さんや細井明美さんやJVC原文次郎さん(PEACE ON賛助会員でもあります)らと集まって、イラク映像を見、話し合いをおこなった。重苦しい時間がつづいた。イラクのために、外にいるわたし達ができること。ずっとずっと考える。パレスチナ食堂で晩ごはんをともにいただいているあいだも、フラッシュバックがやって来ては消えてゆく。

裏通りでこっそりと営業しているバーで缶ビールを購入して、とぼとぼと帰路についた。酒場で買ったとはいえ、2.25JD=約370円はかなり高い。酒屋さんで買うと、1.4JDだった。
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by peaceonkaori | 2005-09-29 20:31 | 中東にて
我が部屋に、深刻な水不足が到来した。
相変わらずシャワーは、チョロチョロ出て止まってと繰りかえしている。洗面所はお水が出なくなっていたからお湯の蛇口ばかりひねっていたのだけれど、お湯だって出なくなったりする。そして今まで水槽に手を突っこんで流していたおトイレのお水までも出なくなり、チョロチョロの洗面所からお水を汲んで水槽に入れる始末。
お部屋をかえてもらうか別のホテルに移るかしたほうがいいかもしれない。
水までも「インシアッラー」(神がお望みならば)というところか。

昼過ぎまでホテルでPC作業。ルームサービスで頼んだチャイは、劇的に甘かった。

e0058439_18111634.jpgシュワルマのサンドイッチを頬ばりながらインターネットカフェで作業。シュワルマは、回るチキンやミートを削ぎ落とす。0.5JD(ヨルダン・ディナール)=約75円はすこしお高め?

e0058439_18113316.jpg通りで散策していると、商人に呼びとめられた。かれはちいさなビンに色とりどりの砂を入れてゆく。それが大地をつくり砂漠をつくり駱駝をつくり山脈をつくり青空をつくり雲をつくり太陽をつくっていった。見事なアートだった。
それを一緒に見ていた家族連れと話をする。かれらもまた、イラク人だった。昨年にはもうアンマンに引っ越してきたらしい。街に、イラク人があふれている。

イラク人の顔がなんとなく分かるようになってきた。なんというか、田舎者っぽいのだ(失礼!)。アンマンにはパレスチナ人も多いが、パレスチナ人は恰好よい。

夕方になって、YATCHがイラク戦争中にイラクで出逢ったヨルダン人のお家に招待される。
かれはベドウィンの出で、日本の武道に興味があったり詩を書いたりするロマンチストでアツい人物だった。英語は映画から覚えたらしく、まるで映画俳優のような話しかたをする。なにかジョークがとび出すごと、YATCHと手を叩いてかたく握り合うところなんて、如何にもだ。その言動とおなじく、かれの人生もまたじつに波乱万丈。近況報告を聞くだけで、数時間が過ぎた。
e0058439_18115276.jpgそのうちにかれが、拘束された時の対処法やカラテの術などをわたし達に教え始める。YATCHとかれがやるそれは、小学生男子のようで微笑ましかった。銃弾こそ入っていないものの、ほんもののガンまで出てきた時には驚いた(おんな戦士の様子はトップ写真ご参照!?)。かれは、以前YATCHがプレゼントした「侍」Tシャツと今回わたしが贈った龍の手ぬぐいを着用し、「さあカオリ、どんどん写真を撮るんだ」とノリにノッていた。
e0058439_18121225.jpgかれが晩ごはんを作ってくれた。伝統的なベドウィン料理とのことで、チキンと色ごはん、それにヨーグルトやマヨネーズをかけて食べる。美味くってモリモリ食べたが、それでも多い。客人が食べきれないほどのお料理を出す、それがアラブのもてなしなのだ。残したことを謝ると「なぜsorryなんだい?」と逆に尋ねられる。いえ、やさしさなのはわかるけど、それにしたって食堂などで見る限り、アラブ人は残すことをなんとも思わない。
ついでにいうと、ゴミを分別するという概念はなくポイ捨ても平気で環境意識もゼロ、禁煙運動なんで起こりそうにもないし、携帯電話にマナーなどなし。 それがアラブだ。
かれと、イラク情勢や宗教などについて話を深めていると、次々と家族が現われては挨拶をして去ってゆく。家庭に、あたたかさがある。
夜が更けていった。帰りは、かれの近所のお友達が車を出してくれるという。また会おうと約束を交わし、ホテルまで戻った。

バグダードに電話をかけると、スタッフは今夜なんとか帰宅できたとのこと。ほっとするのも束の間、道中でさんざんな目に遭ったという。詳しくは追って聞くことになったのだけど、それにしてもとりあえずは無事でなにより、ほっと息を吐いた。
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by peaceonkaori | 2005-09-27 03:35 | 中東にて

イラクへ(9月23日)

午前中はPC作業とお洗濯。遅めの昼食をとりに外に出る。ホテル前にはまた別の大荷物を積んだ車が停車していた。昼夜を問わず、次から次へとイラク人がやって来て、このホテルにはイラク人しか泊まっていないんじゃないかとも思う。

e0058439_18174183.jpge0058439_18175365.jpg近くのファラフェル屋さんへ入ると、店主は電話中で、奥で青年がはにかみながら手を振っていた。すぐにかれがファラフェルを包み始める。わたしが写真を撮ってもいいかと尋ねたら、かれは大急ぎでお店の奥に引っこんできれいなTシャツに着替えてきた。さらに、かれの写真を撮ったらば、店前にたむろしていた少年達が一気に押し寄せてき、 撮影をせがんで大騒ぎ。
街を歩けばこの日本人娘にみんな興味津々らしく、よく声がかかる。幼児にはきょとんとされるし、赤ちゃんは沈黙のうちに笑いながらヨダレを垂らしていた。YATCHにいわせるとしかし、これでもヨルダンはイラクよりずっとツンとしているという。若者が多いようにかんじるけれど、それは逆に日本がすくないということかしらん。

e0058439_18181698.jpg現地スタッフと最終ミーティング。始まっていることにも気づかずにぐっすり午睡に入ってしまっていた。迂闊だ。
と、日本のシャミール常岡さんから電話がかかってきた。ミーティング中だが皆にかわる。今年2月に現地スタッフと常岡さんがアンマンで会われた時の写真をわたしはしばらくPCのデスクトップにしていたぐらいだから、なんかうれしいんだなあ。

e0058439_1818369.jpgチャーミングなイラク人スタッフがハンバーガーを食べたいというので、恋バナなどしつつアラブ式ハンバーガー屋さんへ。もちろんハラール料理。わたしはケバブのバーガーを。ひさしぶりに炭酸でないジュースを飲んだ。アンマンでは、ペプシとかコカコーラとかセブンアップとかミリンダとかファンタとか、とにかくジュースといえば炭酸飲料なのだ。

ドキンドキンしている。今夜、スタッフがバグダードへ帰る。この数日は、毎日くたくたに疲れるほど、ハッピーな日々だった。わたしはスタッフのやさしい笑顔を見るたび、なにかあたたかい毛布みたいなものにくるまれているような心地になったものだった。
顔を出してくださった高遠菜穂子さんらも交えて、ロビーで歓談。医薬品なんかの大量の荷物を整えてGMCが来て、いよいよお別れ。
わたし達は、ターミナルまで行けないどころかホテル前で盛大にお見送りすることもできなかった。なぜなら、一緒にGMCをつかまえようとすれば外国人向けの値段をふっかけられるし、さらにたとえば運転手らがなんらかのグループと密通していて外国人と繋がっていることをチクられ身に危険が及ぶかもしれないから。悲しくなるよなそんな理由でわたし達は、ロビーで静かに握手を交わしカーテンに隠れながら窓の外を去ってゆくスタッフを見届けるしかなかったのだった。イラクと繋がっていたいからPEACE ONをしているのに、イラク人の安全のために支援もたんなる見送りすらもこっそり進めないといけないなんて、まったくどうかしている。しかし、今はこっそりとでも、繋がりつづけるということ、それだけだ。かれらの無事到着を全力で祈る。
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by peaceonkaori | 2005-09-27 03:06 | 中東にて
午前中はPC仕事。裏技でも使って今日こそメールチェックとインターネット接続を敢行しなければ。便利なはずのPCに振り回されているこの不便さ。

ランチに招待されて、画家のハニ・デラ・アリさんのお宅へ。ハニさんのお宅を訪問するのはずっと愉しみにしていたから、少々きんちょう。
高台にあるきれいなアパートメントに、自宅とアトリエをかまえていらした。居間の真っ白な壁に、ハニさんの絵が並ぶ。新作にウットリとするわたし達に、ハニさんは説明をくわえてくださる。
e0058439_18335919.jpg写真などで見て会いたかった4人のこども達も、はじめまして。初めははずかしがって奥に引っ込んだりしていたおさなごとも、プレゼントに持っていったくまの飛び出すオルゴールをきっかけに、じょじょに仲を深めてゆく。ナバはしっかり者のお姉さん、さっそくメールアドレス交換をして、アラビア語で「香緒里」と書いてくれたり乙女トークに弾んだりする。ムスタファは背伸びの年頃の長男(なので敬意をもってハニさんを呼ぶ時は、「アブ・ムスタファ」という)、わたしの片言のアラビア語におなかを抱えて笑ったかと思えばカナヅチで果物の種を割ってなかのちいさな種を食べるように冗談で促がす。プレゼントしたハニさんのイラストを用いたPEACE ONオリジナルTシャツをさっそく着てくれた。ルカイアはキュートな6歳のおんなのこ、わたしの似顔絵を描いてくれた。大きな眼鏡のフセインは愛称ハッスーニ、わたしが長年たいせつにしていたオルゴールをずっと鳴らして気に入ってくれた。そして驚くべきは、4人の絵の才能。ハニさんのアトリエにこども達の描いた絵が飾ってあったのだが、色彩といい構成といい、もんくなしにファンタスティック。とりわけ、4歳のハッスーニのアブストラクトでプリミティヴな絵は、わたし達を驚かせた。(4人の作品写真はYATCHのブログでご紹介。)
e0058439_18235711.jpgさて、今日の目玉は、なんといってもドルマ。お野菜に色ごはんを詰めこんだこのお料理は、手間と時間を惜しまないとっておきの逸品。食前にお台所で見せてもらったが、大きなお鍋にすでに用意されていて、お鍋に一回り大きなお皿をかぶせてえいっとひっくり返すダイナミックな盛りつけ。アラブの大家族ならではのお料理だ。そして、お台所でお喋りしていた時につまみ食いさせてもらった新鮮なタマル(デーツ、なつめやし)は、最高だった。日本で食したイラク土産のドライフルーツのようなタマルもいいんだけど、フレッシュフルーツとしてのタマルは一口で好物になった。黄金色に輝くそのボディ、口中で弾けてひろがる果汁。タマルはイラク人の誇りだから、わたしが感激していると皆が喜んでくれて、ムスタファやナバはさらに桃のような果実のシロップ漬けやそのシロップも味見させてくれた。「トーキョーのお野菜は美味しくないのよ、アラブがうらやましい」などと、しばしお料理事情の話を咲かす。イラク人だろうが日本人だろうが婦女子は皆おんなじやわ、とお台所にいるとそう思う。
e0058439_18245988.jpg居間に敷物を敷き座りこんで、いただきます。「ヴェリー・タイーブ」「アナ・サイード」などとへんてこアラビア語で悶絶。ミートの入ったライスコロッケ風のクバも、ミートのスープも、トマトときゅうりとピーマンの生サラダも、なにもかもが美味しい。スープやホブスやお水なんかは皆で分け合うから、人数分の器はないし、とって置いておいたホブスも隣のひとがちぎったりする。みんなで囲むお食事、という感じがして愛しく思う。
イラクの習慣どおり、ハニさんのワイフやナバやルカイヤやほかの来てらした女性は、そこには現れなかった。わたしはお客だからいいけど、家族の女性はお客のいる時は一緒に食さないのだ。かのじょらは、残りのごはんを別室で食べ始める。チャイのおかわりをいただきながら、わたしも女性群の仲間入り。
e0058439_1824306.jpgYATCHらが11月のハニさん来日に向けてアートプロジェクトのミーティングをしているあいだ、わたしは女性社会に入りこんで日本とアラブの文化について語らったりイラクについて訊いてみたりこども達と遊んだりしていた。「イラクはとてもいいところだけども、今は危険になったわ」と皆は話す。ナバはバグダードの学校やお友達の写真も見せてくれたが、現在はアンマンの学校に通っている。戦争が、かのじょらを離れ離れにさせたということ。わたしが「いつかイラクに行きたいの」と云うと、ジェスチャーで「ボンッボンッ」と爆発の多発するさまを示しながら、「今は危ないよー」と返される。そのしぐさにみんな笑っていたけれど、つい数か月前まではバグダードに住んでそういう環境に囲まれていたわけで、かのじょらのこころの傷を憂う。イラクがすきと云うかのじょらを、アンマンでの日々が癒しますように。そしてイラクで穏やかに暮らせる日がふたたび到来しますように。わたしも遊びにゆくから。
e0058439_18312563.jpg気がつけばもう夕刻、打ち合わせも一区切りついたみたいだ。ハニさんが、わたしに1枚の絵を渡す。来て早々わたしが絶賛したやつだ。イスラームの神をあらわすアッラザックという文字の小品で、わたしは「渋い」と日本語でしか表現できなかったのだった。「え、わたし買ってもいいの?」と尋ねると、なんと「かおりにプレゼントさ」とおっしゃる。わたしは半ば奇声のような音を発して、跳びあがって喜んだ。大ファンのハニさんから、絵をもらえるなんて…!
「必ずまた来てね、会おうね」とナバやお母さん達が幾度も云ってくれる。わたしはルカイヤとハッスーニにキスをして、さよならをした。
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ホテルに戻って、昨日のミーティングのつづき。今後のプロジェクト内容など。

インターネットカフェで、ウェブメールを使ってたまっていたメールに目をとおし、ブログで報告UP。自分のPCは使えそうにないから、アンマン滞在中は厄介な作業になりそうだ。目がチカチカと痛むまでした。

ホテルに帰ると、またもイラク避難民と思われるお客さんの車。おとこのこがふあんそうにちょろちょろしている。そういえば、ハニさん一家だってイラクから逃れてきたのだ。ここアンマンにいて、イラクがとてもよく見える。
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by peaceonkaori | 2005-09-24 23:42 | 中東にて
ヨルダンの朝。
シャワーのお湯はちょろちょろとしか出ないうえに途中で出なくなるし、おトイレのお水を流すレバーが外れているから水槽のなかに手を突っこんで流さないといけないけれど、ホテルはまあまあだ。テンションがぴんと張っているからか、体調だって日本にいる時よりずっと良い。
外に出てファラフェルやトマトなんかを入れてもらったサンドイッチを頬ばる。「ウェルカム、ジョルダン」「ジャッキーチェーン」などと、街のみんなが声をかけてくれる。

e0058439_18431578.jpgホテルのロビーでミーティング。このたび現地スタッフとわたしが新しく理事に就任したので、おお、これは理事会だ。そういえば数か月前、バグダードからかれの住民票が届いた時は感激したものだなあ。
ゆうべから話を聞けば聞くほど、バグダードは最悪を超えて最悪な状況だ。

e0058439_18435121.jpge0058439_1844186.jpgさきほどからチラチラと目が合ってはずかしそうにしているおんなのこに手を振ったりそのうち一緒に写真を撮ったりして遊んでいると、かのじょら一家はバグダードから来たということがわかった。ホテル前には、たくさんの荷物を積んだ大きな車が停まっている。さっそく現地スタッフがアラビア語でお父さんに事情を聞き始めた。この辺のくだりは代表YATCHがブログで詳しく述べるが、なんでもエジプトに移り住むという。多くのイラク人が周辺諸国に逃げているのは知っていたし、ここヨルダンなんかはそのせいで経済がずいぶんと潤っているとも聞いていたけれど、実際にそんなご家族にお会いすると、胸がうずいて呆然としてしまった。これが現実だ。
英語の通じないおんなのこやおとこのこ達と、片言のアラビア語を用いて仲良くなる。たくさん撮っているのにまだ「スーラ、スーラ(写真)」と繰りかえすのでハテネと思っていたら、なんとわたしの写真が欲しいという。うれしくなって自室まで駆け上がり、パスポート紛失用に持ってきておいた証明写真をとってきて、名刺とともにあげる。こどもらはマジになって喜んでくれた。ああ、このこらはなんて可愛らしい笑顔を見せるんだろう、なんてうれしそうにはしゃぎ回るんだろう。おじいさんや親戚が殺されたり拷問されたりし、じぶんらはバグダードから避難してきたこのこ達のそのひょうじょうに、わたしはひどく癒される。ピースフルな気もちになる。現地スタッフは、バグダード支援用に買っていたお菓子をお母さんに渡していた。わたしはPEACE ONの缶バッヂをプレゼント、胸につけてとせがまれた。「ジャミーラ」「ジャミール」(可愛いね)とわたしは云う。そうしたらかのじょらは、じぶん達の写真をわたしにくれたのだ。ドレスを着たとびっきりの写真。さらに、じぶんのつけていたペンダントまでもらってしまった。アッラーとムハンマドと書いてあるムスリマのペンダントだった。「マークムシュケラ?」(ノープロブレム?)とわたしがお母さんに訊いているあいだ、かのじょはわたしの首にそのペンダントをつけてくれた。すっかりサディーク(友達)ね。現地スタッフに頼んで、エジプトの住所が決まったらぜひ連絡して頂戴、写真を送るから、とお父さんにつたえたが、どうなるかはわからない。わたし達は出発の準備ができるまで、手をつないだりぎゅっと抱きしめたりいっぱいキスをしたり「アイラヴユー」と云い合ったりしていた。ばいばい、ラガド、ヘンデ、ムハンマド、アハメッド。わたしの出逢った初めてのイラキ・キッズ達。ちいさなちいさな国際交流。サイード(幸福)を願う。

ミーティングを終えてから部屋に帰り、わたしは咽び泣いた。かのじょらはただじぶん達の生まれた土地に住んでいただけだのに、そこを追われるのはなぜ? あんなにピースフルなご家族が、なぜひどい目に遭わなければいけないの? そして、加害国である日本人のわたしにあんなに仲良くしてくれるこども達やお母さんに、わたしは申し訳が立たない。
ノー、だけどわたしはPEACE ONスタッフとして、冷静に現実を把握し、できる限りのことをなさねばならない。涙を流すだけの無力なじぶんを反省した。
身体がほてっていた。初めてのアラブで吸収することが多過ぎるからか、この身体は知恵熱のような熱を帯びていた。

遅いお昼ごはんは、評判の大衆食堂にて。ごはん詰めのチキンと、サラダ。「地どり」なんておかしな言葉のある日本とは違って、こちらのかしわはそこいらじゅうを走り回っている鶏。タイーブ(美味しい)! ガブガブ飲んでから気づいたけども、このボトルに入っているお水は水道水らしい。おなか、だいじょうぶよね。そしてアラブ料理を食した後は、チャイが飲みたくなる。お砂糖たっぷりの甘い紅茶。「ネイン・チャイ」と注文したら、「Two tea」と返される。ンもう、意地悪。近くに座っていた地元の婦女子と笑い合う。

ゆうべも試したインターネットカフェに行くも、やはりラップトップが使えない。別のインターネットカフェでもダメ。PC上で2日も不在にしていたら、みなさまがしんぱいなさっているかもしれない。ションボリとしつつ、明日また出直すことにする。
ションボリついでに、酒屋さんでビールを購入する。ええ、ここヨルダンはお酒を飲んでも咎められないのです。ただ大失敗をやらかしてしまったのは、わたしがヒジャーブかぶってさっきのイラク少女にもらったコーラン型のペンダントをまだつけていたこと。お店に入るなり「オーマイガーッド」と云われてしまった。ムスリマ気取りはもうやめよう。

夜になって、ヨルダンに移住したイラク人画家のハニ・デラ・アリさんが、ホテルに顔を出してくれた。YATCHが「She is your big fan」と紹介するものだから、わたしははずかしがってなにも云えない。5人で繁華街に食事に出ることにした。
e0058439_18442550.jpgハニさんは11月に銀座での個展が決定したのを機に、PEACE ONで日本に招聘する。その打ち合わせなどを、近況報告を交えておこなう。ハニさん来日は、PEACE ONにとってビッグイヴェントだ。
レストランを出ても、街はまだ活気に満ちていた。わたし達はオープンカフェで水たばこを吸いながら、談笑をつづけた。現地スタッフはバグダードではこんなことはできないだろうから、束の間の夜遊びを堪能してほしい。気がつけば深夜1時をまわっていた。

買ったビールは飲まずに、わたしはベッドに潜りこんだ。
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by peaceonkaori | 2005-09-23 04:22 | 中東にて
出発直前まで事務所であたふた準備をしていると、用があるからといってジャーナリストの安田純平さんがやって来た。代表YATCHと3人でビールなど飲みつつ、安田さんはごろごろ、わたし達はPC仕事をしていた。そのまま出発時刻になり、見送られる形でさよなら。
2003年の冬、わたしは松本でちょっとした記者のような仕事をしていた。安田さんが戦争が始まるであろうイラクに出発する直前の報告会、それを取材したのが安田さんとの出会いだった。かれとの雑談のなかで一市民としてイラク戦争へ行けると知っていよいよ、わたしはイラクに興味を抱くようになり、戦争へは行かなかったものの、その後悔からじょじょにイラク行きの夢がふくらみ、ついにかれをとおしてPEACE ONを知ったのだから、かれにはある種の恩をかんじざるをえない。
そんなこんなで、わたしの初めてのアラブ行きをかれに見届けられたのは、なにか象徴的というか暗示的というか、妙に感慨深いものがあった。ま、考え過ぎなんですけどもね。

そうしてふだんの延長のような感じで羽田から関西空港まで飛び、エミレーツ航空に乗り換える。
e0058439_40913.jpgエミレーツの機内食は美味しかった。わたしはチキンを頼んだのだが、もちろん宗教的にきちんとほふられたハラール料理。豚肉は出さないらしい。それに、定刻になると、メッカの方角を映像で示してくれる。わたしの周囲で祈祷するイスラム教徒はいないみたいだけれど(夜更けだから皆ぐーすか)、そんな1つ1つがアラブに近づいていっている手ごたえがして、なんだか…いいのよ!
さあて、わたしも寝なくっちゃ。その前に、ビールをもう1杯。 隣でYATCHは、戦闘ゲームに興じていた。

ドバイ時刻で午前4時過ぎに到着。朝焼けでも拝もうかと空港内を散策していると、礼拝の声が聞こえてきた。空港にも男女別のモスクが設けられているのだ。

「エクスキューズミー、にほんじん?」―急に声がかかり、そこには黒色のベレー帽をななめにかぶり鼻のあたまにあぶら汗をたっぷりかいたおじいさんが立っていた。
聴くと、真夜中の飛行機に乗り遅れたソウルのかたで、翌日のチケットと交換してもらえたもののどうしたらいいかわからない、韓国語は通じないし日本語がすこし話せるだけで英語は話せない、とだいぶお困りのよう。わたし達はチケット片手に、インフォメーションセンターやらエミレーツ航空デスクやら大韓航空デスクやらを行き来して、2-3時間が過ぎる。結果、やはり翌日=今夜2時まで待たねばならないことが判明した。夕方6時に発つ他の航空会社のチケットは、2100ドルもしてとても払えたもんじゃない。ソウルの飛行場に迎えに来る妻がしんぱいだと繰りかえされるので、国際電話もかけた。搭乗時刻とインフォメーション画面の見方を何度も何度も確認した。
e0058439_359555.jpgきちんとネクタイをしめたその73歳のキムさんは、カイロに住む娘と孫に会いに行った帰りのトランジットとしてドバイに降り立ったそうだ。韓国の国力が弱いせいで乗客が3人しかいなかったから飛んでくれなかったんだとかれは主張したが、実際は搭乗時刻の仕組みを知らずに乗り過ごしてしまっただけだった。知らない国で言葉もつうじずただ独り、さぞ心細かったことと思う。キムさんは涙を流しそうになりながら、わたし達にお礼を述べてくださった。コーヒーを飲んで落ち着いて、いろいろと話をした。
国民学校の生徒だったかれは、思春期の頃に日本から解放されたことになる。アジアに対して日本はとても悪いことをしたといってわたし達が謝ると、キムさんはそんなことはまったくないどころか日本人は世界的に正直で良心があるとまで云ってくださった。韓国が強かったら韓国がほかの国を植民地にしていただろうし、日本人はやさしかった、中国の下についていたら今頃こんなに発展していなかっただろうから日本でよかった、と。かれが日本語を話せることにすくなからずの心苦しさをかんじていたわたし達だったが、そのおかげでキムさんと出逢えたのだし、キムさんのすこしでもお役に立てたわけだから、この複雑な心理はどう云ったらいいのかわからない。昨今の報道では反日のムードばかりが伝えられるが、かれのように思っているひともいるということを忘れないでおきたい。
住所交換をして握手をしてお別れした。キムさんは今夜、ぶじに乗れるだろうか。雑魚寝もせず(「どうぞ寝てくださいね」というと「方法がない」といわれた)食事もろくにとらないで(使いかたがわからないといってドバイ通貨をくださった)丸1日を過ごすのは、年齢的にかなりきついだろう。とってもしんぱい。

朝も明けたことだしと、わたし達はバスに乗ってドバイの繁華街へと繰りだす。ヒューミッド! そこは、想像していたアラブの気候ではなかった。海沿いだけあって、湿気が高い。重い荷物と空腹と睡眠不足、それにこの威圧的な蒸し暑さが、わたし達をぐったりさせた。川辺でジュースを飲んで、この街がそれほど魅力的じゃないことこぼす。建ち並ぶビルディング、如何にも作られた街という感じ。「ナリキンやね」「アカンね」と話し合いながら、大衆食堂に入っていった。
e0058439_42253.jpgファラフェルというコロッケのような揚げ物とビーンズ料理を注文する。それを薄焼きパンで巻いてかぶりつく。隣席のアラブおじさんなんかは手でチョッチョッチョっとおかずをあつめて摘まむのだけど、初心者のわたしはなかなかうまくいかない。YATCHはさすがにまあまあといったところ。カクテル(フルーツミックスジュース)もヨシ。「タイーブ、タイーブ(美味しい)」と明るく口にしながら、元気をとりもどしていった。うん、やっぱり旅はお食事から始めなくっちゃ。やっとアラブに来たような心もちがしてきた。
「シュクラン(ありがとう)」と云うと、「アフワン(どういたしまして)」と返してくれるアラブ人。ただしニヤリとして。「きゃー、初"アフワン"いただきました!」などといちいちはしゃぐわたしを、YATCHは愉快そうに眺めている。なにせファーストアラブ娘、こうなんである。
あまり見るものもなかったので、空港に戻ることにした。往きのバスでも婦女子のわたしに席を譲ってくれたり、帰りだって「エアポート、エアポート」とお客さんがこぞって降りる停留所を教えてくれたり、親切なアラブの気質を目のあたりにして感謝する。話には聞いていたけど実際に触れてみるのは全然、違う。沈黙のうちに席を奪い合うようなトーキョーなんぞ、まるで陳腐だ。

空港のインターネットカフェで、YATCHがメールを拾う。あまりシチュエーションの良くないメールを受け取ってからここ数日、現地スタッフとの連絡が途絶えていた。「How do you feel now?」「Now? I'm worried about him and Kim-san」とか会話するほど、わたし達は気がかりだった。かれからのメールは、なかった。

アイリッシュパブでギネス飲みつつ、書き物を。そしてふたたび搭乗。キムさんとは遭えなかった。ああ、数秒ごとにキムさんが浮かんでくる。ほんとうに、しんぱいだ。

ドバイからアンマンへと行く途中、わたしは訳のわからないおセンチに溢れていた。ずっと夢見ていたアンマン行きを眼前に、恐いのだろうか。現在地を示すモニタの地図を見てバグダードやナジャフなんかのイラクの地名が出てくるたび、「突撃!」なんて冗談を交わす。こんなに近づいているのに、飛行機はイラクへは向かわなかった。こんなに近づいているのに、そこは遠かった。たぶん、わたしはそれが悲しいのだ。
隣のYATCHにそう告白すると、かれはうなずいてくれた。だけど、6度のイラク入りを果たしているかれにとっては、わたしとはまた異なるより複雑な感情を抱いていることと思う。なぜ、わたし達はイラクへ入れないのか、と呪文のようにこころで唱える。とにもかくにも、アンマン。

クイーン・アリア国際空港からアンマンの中心地までは、空港バスで40分ほど。埃っぽいそのバスに、わたしはすこし鼻水を垂らした。「きたないでしょ。でもアンマンからバグダードに行くバスは、もっときたなかったなあ」とYATCH。

バスターミナルで降りて、坂を歩く。さっそく「スーリア?」とシリア行きタクシーが声をかけてきたりする。わたし達は流しのタクシーをつかまえた。降車場のそばに停まっているタクシーは、外国人を見るとぼったくったりするからだ。

ガーデンズホテルに到着。チェックインの交渉をしていたその時、ああ! それはなんてミラクルな出来事だったでしょう。そこに現れたのは、なんとなんと現地スタッフだったのだ。
かれとYATCHが熱い抱擁を交わしているその後ろで、わたしは涙が終わらなかった。世界中で最も会いたかったかれ、あんなにしんぱいを重ねてきたかれが、今わたしの目の前に立ってこれ以上ないやさしい微笑みを浮かべている。それが、それがわたしにとってどんなに素晴らしい光景だったか、ここに書き留めることはできない。かれはわたしに気がついた。「ほんとにほんとに、あなたをしんぱいしていたのよ」「すっごく会いたかった」と泣きじゃくって云うわたしを、かれはその微笑みでつつんでくれた。とても、ピースフルな瞬間だった。

移動の疲れ、また諸々の疲れがどっと出て、ぐっすりと眠りこんだ。今まで生きてきた27年間で、いっとう長い誕生日だった。
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by peaceonkaori | 2005-09-23 04:04 | 中東にて