NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:イラク人来日プロジェクト( 19 )

じつはまだ完結していなかったイラーキー滞在記、2006年のうちになんとか書きあげよう。2月も前のことになって、すみません。

10月8日、さようならの朝は早い。ゆうべは遅くまで起きていたから皆ぐったりとしていたが、それでも帰り支度をきびきびとこなす。
体調をこじらせても飛行場まで見送ろうとするわたしに、ハニシルワンも気を遣って「かおりはここ事務所でいい」と云う。「なんで? わたしとアンタ達は兄妹やんか」との言葉に、2人はおれた。

e0058439_18412382.jpg成田空港では、すんなりとチェックインも済まし、最後のティータイム。すこし寂しいけれど、まだ冗談ばっかり言ってるこのひと達。でもね、何度もお礼を述べられると、ほんとうに涙が出てきそうになるんよ。握手とキス。
いよいよ2人は、チケットをもぎられボディチェックを受けて、壁の向こうへ。大きく大きく手を振った。マッサラーマは笑顔でね。

e0058439_18413696.jpg2人が見えなくなると途端にわたしは、荷物用のカートに倒れこんでYATCHに運ばれる。ほかのお客はギョッとしたり見ないふりをしていたけれど、そんなのおかまいなし。10日間の記憶の渦が.......
この日から3日3晩、わたしは寝たきりとなった。

いつも歌うか踊るか描くかしていた2人。すっかり筆ペンが気に入って、色紙の裏にも菓子箱のなかにもその辺の紙袋にも絵や漢字を描きなぐっていたシルワン。シルワンより1つ年下なのに、ハニはまるで父親のように面倒をみていた。中和ギャラリーやオーナーへの感謝の歌を作っては歌いまくっていた2人。「ふるさと」の歌をがんばって覚えようとしていたシルワン。それを替え歌にして大笑いのハニ。「スーラ(写真)」と云ってはわたしに何100枚も撮らせようとするハニ。シルワンは座禅を組もうとして、おどけてオナラの出る真似をする。おんなのこなら誰でもガールフレンドにしたがるシルワンと、それを羨ましがる既婚者のハニ。わたし達の分からないアラビア語でなにか冗談めいたことを言っては笑い合っていた2人。わたしのイラク訛りの「ムー(でしょ)?」が面白いらしく、2人でいっつも真似していたよね。ハニが小銭があまりわたし達にジュースをおごってくれるというので、疲れ切っていたわたしらは「パワー!パワー!」と栄養ドリンクを求めたっけ。
みんなみーんな、たいせつな思い出。

数日後、ぶじに戻ったかとヨルダンのハニに電話をかけてみる。シルワンもハニもマーシー(だいじょうぶ)ですって。なら、連絡よこせよ。
ハニは、「かおり、カートに乗っていただろう。知ってんだぞ」とにやにや。「えー、なんで?」と不思議がるわたし。ばいばいした後も、硝子の壁でお見通しだったみたい。ンもう、ほんまに意地悪なんやからー。でも、ぶじでなにより。

今回の招聘企画では、賛同金が思うように集まらず、大赤字となってしまった。PEACE ON運営にとって、大打撃となるだろう(もうなってる)。しかし、ひととひととを繋ぐ芸術をとおしてのイラク支援への貢献、これはわたし達にとって大きな収穫となったはずだ。
今後も、イラクほかアラブの文化を日本に紹介しつづけるし、日本の文化もアラブに発信してゆく。わたし達は友となって、ずっとずっと繋がりつづけるんだ。お互いに、スドゥク(誠実)のこころでもって。 アルハムドゥリッラー(神のおかげで)!
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by peaceonkaori | 2006-12-30 18:41 | イラク人来日プロジェクト

最終夜まで

京都から帰ってからは、わりとのんびりと過ごした。

10月6日には、ギャラリーに在廊。
e0058439_2328562.jpg途中でぬけ出して、昨年すっかりお気に召した100円ショップへとお出向き、大量にお買い物。ハニなんて6000円も買っていたもんなあ。シルワンは「汁椀」の札の前でちゃっかり写真撮影。5本指ソックスがかなり気に入ったらしく、こぬか雨のなかをあちらこちらと探し回る。

e0058439_23291051.jpg7日、ハニが日本のモスクに行ってみたいというので、代々木上原の東京ジャーミイへと向かう。
うつくしく神聖なジャーミイに、わたしはぺたんと座りこんであたまを空っぽにさせる。祈りはもちろん、これまでの感謝とイラクの平安についてだ。ハニは、イスラム教徒らしくとても敬虔な態度で祈祷している。シルワンはなかには入らず、カメラをピコピコさせていた。

今日はギャラリー最終日。
e0058439_23301879.jpg京都でのイベントに来てくださった現代アラブ文学者、フェミニズム思想家の岡真理さんに、インタヴューを受ける。以下、覚え書き(正式なインタヴュー原稿は、次号PEACE ON会報「PEACE ON JUNCTION」に掲載予定)。

シルワン「芸術をもって歴史と呼ぶ。とりわけ現在の状況について。証言記録としての芸術。リアリズムには限りがあり、それは終わった。作品は時代の要請によってつくられ、今はシンプルなものが求められている。日常生活は逆に複雑化、それに疲れて観るものはシンプルに。」

ハニ「古代からの歴史を表現したい。それは抽象でより伝えられる。見えかた、見かたの問題であり、自分ではアブストラクトとは思っていずにリアリズムと思っている。芸術は大使である。」

シルワン「このたびの戦争で人心が汚染された。世代のメンタリティをたて直すには200年かかる。殺すか殺されるかを選択しなければならない自分、イラク人。今回の戦争は今までのそれと違い、徹底的な攻撃性があった。宗教自体が攻撃され、利用されている。今の若者は、こういったものしか知らない。以前のイスラムは1つだったが、今は100もの解釈がある。」

シルワン「芸術は、生には別の次元すなわち美の哲学を教える、そういう力がある。」

ハニ「すべての芸術は、政治に利用されてはならない。美とアート、文化を追求せねばならない。外科医がメスを誤れば1人の人間だけが死ぬが、芸術家が誤れば大勢が死ぬ。最大の犯罪は、アメリカの占領。」

シルワン「なつめやしの木(イラクでは生命の象徴とされる)は歴史の幾世代もの記憶であり、7000年間も変わらない。」

ハニ「なつめやしの木は(枝葉がひろがっているので)天のよう、天空のよう、大地と天を結ぶよう。母の胎内に生きているよう。チグリス川、ユーフラテス川を抱いているよう。オロク文明では、木陰のせいで黒い大地といわれていた。」

わたしはハニに問うた、「ハニの作品を見ているとなんだか自分が今ここに存在しているんだということを強く感じる。それは歴史の力であり、ハニがそれを導きだしてくれているのか?」と。ハニは「シュクラン(ありがとう)、かおり」と云って、「歴史の深い長老が尊敬されなければならない」と答えた。
わたしはシルワンにも質問した、「今回のシルワンの作品群のテーマは『恐怖と逃亡』だが、その後にはなにが待っているのか?」と。シルワンは一言、「それは分からない」。

ハニとシルワンの作品が何点か売れ、展覧会は成功裡に幕を閉じた。

わたし達は明日に帰ってしまう2人のため、撤収の後はアフガン料理屋さんでささやかなお別れパーティの時をもった。2日の展覧会オープニングの日はちょうどシルワンのお誕生日でもあったので、みんなでハッピーバースデーを歌う。ハッピーバースデーは世界共通の歌なんやね。
わたしは体調不良が頂点に達していたため、ハニにだいすきなお酒を止められる。言われるまでもなく、今日はなにも口にできそうになかったので、お茶だけ飲んで申し訳ないなと思いながらも食べ物にはまったく手をつけなかった。帰り道、ハニはそれを知ると「俺は飲むなとは言ったけど、食べるなとは言ってないぞ。お家に帰ったらなにか食べなさい」と叱られた。んー、こんな時だけお父さんみたいなんだからー。シュクラン(ありがと)。

ところが事務所に戻っても、明日の荷造りやらお金の精算やらでなにかと忙しい。イラーキーは寝たがっているのだが、今夜だけは働いてもらわないと明朝に帰れないからね。うん、よくがんばった。
そんなこんなで、最終夜はパタパタと過ぎてゆくのであった。
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by peaceonkaori | 2006-11-28 23:30 | イラク人来日プロジェクト

私的キョート観光

10月4日は1日オフ。わたしの父のエスコートでシアーハ(観光)へと繰りだした。どこへ連れてゆこうかと迷う。だって、我が誇りの京をイラーキーのお2人にぞんぶんに味わってもらいたいんやもん。

e0058439_18251045.jpgまずは妙心寺の退蔵院。ここはわたしの幼なじみのお家で20年ものあいだ何度も来ているのに、実はきちんと拝観するのは初めて。有名な枯山水庭園などを眺め、お母さんの作ってくださった和菓子をお抹茶とともにいただく。イラーキーに侘び寂の精神を分かってもらえるかな、渋すぎるかなあ、なんてしんぱいしていたのは杞憂で、2人はとにかくはしゃぎ回っていたし、美のからくりの説明にも納得してくれた。

つづいては仁和寺で、仁王さんと五重塔だけちらっと見物。シルワンは出店で、椎茸の佃煮のようなものを買って食べていた。イラーキーはなにか食べ物をつまんでいるのがすきだ。ハニは僧侶と写真撮影。ハニが「かおり」と声をかければ、それは「スーラ(写真)撮って」ということ。はい、昨年も今年もおかかえカメラマンとなっとります。

e0058439_18253761.jpgそしてキンピカの金閣寺へ。シルワンが「パラダイスだー」といって嬉々としていたが、ここはこの世でのパラダイスをと建立されたのだからご名答。さすがシルワン、アーティスト。

寺町で紙司柿本さんやらで和紙などを購入。シルワンは、墨と硯まで買っていた。使いかた、分かってるのかな?

北山の東洋亭で遅めの昼食を食べている頃から空模様があやしくなってきた。
ケーブルとロープウェイ(ロープウェイから今日は!)で比叡山の山頂に着いた頃には、わたし達は雨雲のなか。それでも、墨絵のように幻想的な光景に恍惚と酔いしれる。標高900メートルを超えるとやはり肌寒い。だけど、シルワンもハニも雨に唄って愉しそう。下りはドライブウェイから。

帰りの車内では2人ともうつらうつら。めいっぱい遊んで写真を撮りまくって、さぞおつかれのことでしょう。ずっと「キョート、キョート!」と叫んでいたような気がする。シルワンお目当てのちいさな松の盆栽は見つけられなかった。

e0058439_1826492.jpg夜ごはんはわたしの実家にて。贔屓のお料理屋さんに定休日のところをお願いして、お膳を頼んだのだった。これぞ都の味。
ハニは腹を括って、今まで挑戦しなかったお刺身を食していた。シルワンには、日本の習慣としての「おーとっとっと」というお酌のやり合いを教えてあげた。

ハニはさすがなんでも絵画に採りいれるミックスメディアの作家だけあって、家の壁の素材なんぞを尋ねたり像が誰なのかを気にしたりしていた。シルワンも、曽祖父の肖像画が着ているものといい手法といい額縁といいなぜフランス式なのかと問うていた。
そう、東京のテクノロジーでない京都の民家というのをぜひ紹介したかったのだ。2人とも興味津々のご様子。

e0058439_1826205.jpg2人はなにやら相談し、感謝のしるしとしてわたしの両親の肖像画をそれぞれ描いてくれることになった。なんたる光栄!
仏間に新聞紙をひいてさっそく始める。とてもていねいなその筆づかいに、2人の気持ちがつたわってきた。父は今日1日を接待に費やし、母はお膳の仕度をととのえ、とくべつなお客さんだからと大玄関から入ってもらったのが、2人の気に入ったのだと思う。その感謝の念に、わたしは感謝した。気に入ってくれてシュクラン(おーきに)。
父を描くシルワンに「どう?」と尋ねられたので、「ちょっと若く描いてへんか?」と返したら、そのとおりだった。そりゃアンタ、ヨルダン国王の3人のおかかえ肖像画家のうちでいっとう気に入られるヨ。もうすこし老けさせることにした。
できあがったそれら2枚は、父であり母であった。いつもの抽象画とは違う、アカデミックな作品。このひと達すごい、なんだって描けちゃうのね(←画家にたいしてしつれいな物言い)。垂涎、家宝モノ。両親も不器用に「サンキュー、サンキュー」と繰りかえす。シルワンとハニは、仏間の先祖代々の肖像が飾ってあるところに並べて掲げてよーですって。いやいや、そこは死者の飾られるとこやから…。

来日してからというものイベントつづきでシルワンもハニも相当つかれていただろうから、束の間の休暇を愉しんでもらえたことと思う。

かたぶつな両親も、娘の仕事ぶりがよく分かったろうし、なにより「戦争の国から来た」イラク人がこんなに親しみのあるひとらなんて思いもよらなかっただろう。
翌5日も、等持院や新京極などをぶらりして帰る段になって、体調不良のうえに父の車には乗り切れなかった母がなんと自力で京都駅まで見送りに来、積極的に英語で話していた。これにはシルワンもハニもびっくり。
両親は後日、金の額と銀の額を買ってきて2人の肖像画を床の間に飾っていた。

これぞ、民間外交やね!
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by peaceonkaori | 2006-11-25 18:28 | イラク人来日プロジェクト
遅蒔きながら、イラーキー滞在記のつづき。

10月3日、京都へと向かうため、新幹線に乗り込む。
曇り空で富士山は臨めなかったが、イラーキーの2人と高い山の競争をして愉しむ。なんと、イラク北部のクルディスタンには3600メートルほどの山があるという。たしかに山岳地帯だったけど、富士山の3776メートルに及ぶ勢いの山があろうとは。イラク、奥深し。

ハニと2人、日本の現状についての話をする。格差社会、すさんだ都会人、ありとあらゆる犯罪、マイホームに35年の借金、1日100人もの自殺者…かれはたとえば窃盗の件数を1年で100件と答えたけれど、とんでもない。とかく日本に憧れるイラーキー、でもハニは2度目の来日で少しずつ現実が見えてきたようだ。日本に失望して危険なイラクに帰ったひとを、わたしは知っている。
ハニは云う、「バグダードでは真っ昼間の街でひとが殺される。そういうのをこども達に見てほしくはなかった。だからヨルダン移住を決意したんだ。ものすごいストレスとこころの荒廃が、僕らにはある」と。

京の都とバグダードを繋げられたら…生まれ故郷の京都での企画は、わたしの夢だった。
今回の企画は不可能なように思われた。シリアで何度も電話のカードを切らしながら、会員の瀬戸さんとやるかやらないかの決断を悩んだ。無理をお願いして実際に動いてくださった会員の水野さんはじめ実行委員会の尽力がなければ、とてもじゃないけど実現できなかった。ほんとうに感謝の一言に尽きる。
ぎりぎりの企画、集まる人数は気にせずのんびりゆっくりやりましょう。

鴨川沿いの教会は穏やかで、晴天にもめぐまれ、2人ははしゃいでいた。
チャペルに2人の数点の絵画を展示し、お茶やお菓子(ラマダーンの時に食すものだそう)も用意していただいた。わたしが売り子のアラブ民芸雑貨も、「もうちょっとこうやったほうがええやん」と皆さんがあんじょうやってくれはるし、お客さんも「いやあ、これきれいでよろしいねえ」とほんまにええもんを分かってくれはる。やっぱり京都やなあ、ほっとするわ。疲労で発熱していたわたしのほうが、京のこころに癒される(来てくれた友人に「そんな気力だけで動いてんと休みやす」と叱られる、エヘ)。
現代アラブ文学者でありフェミニズム思想家の岡真理さんが、京都大学の講義をこのイベントに切り替えて来てくださった。どうりで学生が多いと思った。うれしいね。

e0058439_1641428.jpgまずはシルワンとハニの講演。イラクのこころの拠りどころとしてのなつめやしのこと、戦争という日常のこと、身に及んだ危険のこと、そして歴史の指紋のようなうつくしさとか芸術とかのこと。戦争で破壊されたものを直すのはそれなりにできる、けれど戦争で破壊されたこころは何世代もかけないと治せない。そのなかで芸術にはなにができるのか?

e0058439_1642597.jpgつづいておこなった相澤恭行のイラク報告の後は、鴨川べりに移動して、みんなで夜のピクニック。お茶を飲んだりお菓子をつまんだりして、バグダード人と京都人の交流。シルワンは絵の道具をとり出してなにやら描き始めた。悪寒のするわたしにシルワンがジャケットを貸してくれる。みんなニコニコ。やっぱりイベントをして正解だった。とっても素敵な夕べ。シュクラン・ジャジーラン(おーきにありがとう)。夜は更けていった。わたしは熱に浮かされぼわーんとしながら、ハピネスを身体でかんじていた。きっと、シルワンもハニも。
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by peaceonkaori | 2006-11-24 16:42 | イラク人来日プロジェクト
e0058439_18162476.jpg10月1日、今日は1日かけてのイベントの日。
イラク情勢のせいで日本人スタッフの現地行きが招聘1週間前ぎりぎりにまでになり、中和ギャラリーでの今回のイラク人作家展も都合により早まってしまい、予期しない事態が次から次へと舞いこんできた。実行メンバーとのミーティング不足や事務局としての作業の遅さなど、始まる前から反省点を挙げてもきりがない。
e0058439_18163715.jpg後悔さきに立たず、後悔は終わってからでもいいよね。インシャアッラー(神がお望みならば)の精神で、睡眠不足の我が身に気合いを入れ、えいっと乗り切ることにする。
会場の東京都美術館は「ペルシャ文明展」の最終日でもあるし流れのお客でも来ていただければ、などと前向きに考えてみたりもする。人数だけが問題でもない、メイン出演者であるシルワンハニと主催者であるPEACE ONの両者が、ほんとうに有意義と思えるイベントをつくり上げていこう。それは素直に信じられた。実行メンバーのあたたかさも身にしみてくる。よっしゃ、本番や。

午前からのライヴペインティング。
シルワンとハニの2人は、大きめの色紙に即興でアクリル画を描いてゆく。ものの5分か10分で、1枚ができあがってしまう。2人とも即興が得意ではあるけどもそれにしたって、速い。シルワンがイラクの生命を象徴するなつめやしを描いたかと思えば、ハニは顔をモチーフにカッターや筆の逆をつかってワシーファなどの文様を入れてゆく。まさに、競演。ナスィール・シャンマとオユーンのアラブ音楽をバックに、2人は時にくすくすとお喋りをしながら、あっという間に1時間が経過した。2人ともそれぞれ4枚ずつを完成させて、終了。
オペラだってオーケストラだって歌舞伎だってお芝居だってほかのどんな芸術でもそうだけど、ライヴというのは、アーティストとわたしとが同時代に生きているという喜び、その創られる場に立ちあえるという喜び、今ここにわたしが存在していると認識できる喜び.......芸術活動においてそれらに勝る喜びをわたしはまだ識らない。

午後からは、まず相澤がかんたんにPEACE ONとLAN TO IRAQプロジェクトの説明など。そして、シルワン、ハニがそれぞれ講演。わたしは受付などばたばた動いていたためほとんど聞けなかったのだけれど、質疑応答や即興アートの解説など充実した内容だったようで、よかったよかった。だってイラクには7千年もの豊富な歴史があるんですものね。始まる前に「なに話すか決まった?」と尋ねたら、「何時間でも話せるよ」ですって。
そしてなにより、終了後の2人の満足そうなお顔。それを見ただけで、もうどうでもよくなってしまう。アッラーイサハディック(おつかれさま)、そしてシュクラン・ジャジーラン(どうもありがとう)。
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by peaceonkaori | 2006-10-11 18:18 | イラク人来日プロジェクト

ギャラリー搬入

30日、通訳の田浪亜央江さんが打ち合わせのため事務所にいらしたのに、シルワンハニはお散歩からいっこうに帰ってこない。
ようやくの昼下がりのお食事は、わたしのよく作るてきとうなトマトシチューだったのだが、2人は「イラク料理やー、うまいよカオリ」ともぎゅもぎゅ。岩手の会員、瑠璃屋さんからカンパとして送られてきたアエーシも、有難くいただく。

e0058439_1358616.jpg午後4時からの中和ギャラリーへの搬入は、やはり時間がかかってしまった。アーティストとして、己の作品をいかに見せるか。シルワンは幾度もやり直しては相談し、やり直しては意見を聞き、ギャラリーの空間をコンセプトをもって1つの作品のように作り変えるんであった。ふだんの阿呆なイラーキーっぷり(←ほめ言葉です)とは違い、念入りな作業。それでも歌を歌いながらだったりするのだけれど。
今回は、シルワン・バランを全面的に日本に紹介したいということで、ハニは自らかれの後ろ楯のようになっていた。同志としての絆、画家の絆、イラクの絆、仲間の絆.......

その後は新宿へと向かい、明日のイベント用の色紙や画材を購入。絵を描く時は無論そうだし、搬入したり画材を選んだりする時も、かれらは画家として鋭く目を光らせる。その一瞬一瞬の緊張感を間近で味わえるというのは、わたしにとっても貴重な経験といつも思う。大型電気屋も見てまわる。
ぐったり疲れての夕食は、蟹料理屋にて。和食にはしゃぐシルワン、すこしずつチャレンジするハニ。
こうして2日目の夜は、更けてゆくのであった。
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by peaceonkaori | 2006-10-06 13:58 | イラク人来日プロジェクト

夜明けまで

e0058439_738380.jpg午前3時を過ぎてなにか話し声が聞こえる。入国早々、気ぶんでも悪くなったかとしんぱいしてお部屋を覗いてみると、ハニシルワンが雑誌を片手に語らっていた。今夜は早く寝たのでもうすっかりいい気もちなんだそうだ。わたしも眠れなくなっていたので、チャイを入れて、おかきや茹で落花生などで、夜更かしにつきあう。YATCHはぐっすり眠ったままだ。
2人は自分らの絵を開梱して見せてくれたり、シルワンは絵の具を出してすこし手直ししたりしていた。ハニの絵は、相変わらずの「ハニ・デラ・アリ」なんだが、マテリアルや手法などやはり確実に進歩している。わたしは、へえ、と感嘆の息を吐いた。シルワンの絵も、かれのテーマである馬や牛をアブストラクトに描いた逸品ぞろいで、たちまち事務所はシルワン・ギャラリーと化した。日本人好みと思えるシックな絵。さすがのシルワン・バランであった。ギャラリーに飾るのが愉しみ、お客さんに観てもらえるのはもっと愉しみ。
シルワンは、ものの10分でわたしの似顔絵を描いてくれた。すこし眠そうなわたし。やっぱり日本人の目は細いんだそうだ。
そのまま朝になり、シルワンはヴィデオをまわしながら外へ出かけたりわたしにヨガを教えようとしたり、ハニはメールを書いたりメッカに向かってお祈りを捧げたり(教えた方角あってると思う…たぶん)と、なにかと元気。時差ぼけもあって、体内時計が狂っているみたい。それとも、これがアーティストのバイタリティか? わたしも過労がたたっていたから、へんな時間帯に起きつづける。シルワンは、お母さんに日本でお嫁さんを見つけてこいと言われたそうだ。かなりゲイシャに興味を抱いていた。んー、分からん…。2人はお散歩に行ってしまった。
さあ、今日が始まるぞー。わたしはシルワンのリクエストにこたえて、純和風の朝食の準備にとりかかるんであった。
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by peaceonkaori | 2006-09-30 07:38 | イラク人来日プロジェクト
29日、朝。眠い目をこすりつつ、成田空港まで向かう。帰国してから1週間、せかせか働いたりぶっ倒れたり皆さんの応援やご協力に感謝のこうべを垂れたりを繰りかえしていたら、あっという間にイラクの友がやってくる日になった。お出迎えは、いい顔でね。

ハニ・デラ・アリ画伯とシルワン・バラン画伯の来日!

11時に到着予定の飛行機、南ウィングにて待つ。韓国のサンさんという役者がやってくるらしく、出待ちのご婦人がたでごった返していた。YATCHが「(三十路男子の)あなたもサンさんのファンですか?」と訊かれていた。全員がハニ、シルワンのファンじゃないところがざんねん。

ところが、いつまで待ってもサンさんもハニ、シルワンも出てこない。わたしの携帯電話に、非通知設定で着信。空港内の入国管理局からだった。
ハニ、シルワンの名まえから滞在目的から滞在場所、期間まであらゆることを尋ねられる。わたしは怒りを抑えつつ、できるだけていねいに話すよう努めた。もうすこし経てば、出てこられるとのことだった。
イラク人という理由で、アラブ人という理由で、別室に呼ばれるなんて、人種差別にほかならない。わたしはその場に立ちあいたかったのだが、それは不可能だった。税関に電話は繋がらないだろうというのは、通り過ぎた関係者の話だった。もう時計は12時をまわっている。わたしは安易に電話を切ったのを後悔さえした。それでもYATCHにいわせれば、食ってかかるとよけいにかれらが尋問されるだけだから静かに待っていよう、とのことだった。

e0058439_2333194.jpgカートに大荷物を載せて2人が現われたのは、それから幾らか経ってから。「アハラン・ワ・サハラン(ようこそ)!」と駈けずりよって、キスを交わす。
かれらに言わせれば、日本は、とくにわたしとの電話のやりとりの後、これでもとても親切に扱ってくれたとのことだった。9.11の後、世界の国々はイラク人に対していつでもどこでもこうなんだと。
問題はトルコ。今回はトルコの飛行機で来日し、途中トルコでトランジットホテルを用意され1泊する予定だったのが、ホテルはすでに満杯と言われ、1人100ドル以上もする別のホテルに泊まらされたんであった。ヨルダンのチケット会社であれほど確認したのに、そんなばか騒ぎに巻き込まれるとは。満室というのは嘘で、イラク人だから泊まらせてくれなかったのだろう。ほんとうにすまない思いでいっぱいだった。

ハニは昨年も来ているからともかく、シルワンは初来日で嬉しそうにカメラやヴィデオをまわしていた。
魔都・東京を知っているハニは、田園などみどりの居並ぶ車窓の風景に、「なぜこんな素晴らしいところに住まずに、東京なんかに住んでいるんだ?」と言っていた。まったくの同感。わたしは東京が苦手なんである、はい。
シルワンは、慣れない自動改札機でもたもたしていた。クールなかれなのに、なかなか可愛らしい一面。

事務所に着くなり、シャワーを浴びて簡単な食事を済ませ、2人ともぐっすりお昼寝していた。ドカドカとノックしないと起きなかったぐらい。
ハニはいきなりナマの落花生を見つけてぽりぽり食べだすし(後で茹でてあげたけど)、シルワンは畳で思いっきり横になっているし、わたし達はわたし達でゲストが来たという感覚がほとんどなく家族のように振る舞っているし、どうなんだろう?と思いつつ、うまくやっていけてるのかなという感じ。
さてさて10日間、これからどうなることやら。とにもかくにも、アッラーイサハディック(おつかれさま)。
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by peaceonkaori | 2006-09-29 23:33 | イラク人来日プロジェクト

See you soon.......

3日深夜、ハニさんがアンマンのご家族に電話する。電話口でハニさん激怒、大迫力のアラビア語で捲くし立てている。とっくにバグダードからアンマンに着いているはずだのに、連絡がなかったからだった。
e0058439_17221590.jpgどうやらみんなぶじだそう。とはいえ、イラク・ヨルダン国境では12時間以上(20時間かも←ハニさんは英語数字が苦手)待たされ、ルカイアは具合を悪くしたみたい。わたしの大すきなルカイアが! アンマンではたくさん絵を描いてくれたし、今回ハニさんが持参してくれた絵もあった。はにかみやさんで、お絵かきとおめかしが大すきな、可愛い可愛いルカイア。そんなこどもを抱えた家族を寒い国境で延々と待たしておくなんて、と腹が立ってならない。
ラマディ付近に住むハニさんのお母さんも病気だそうだ。そしてハニさん自身だって、バグダードにいた頃はストレスに苦しんでいた。戦争はみんなみんなのライフを壊してゆく。
戦争と占領の被害は、なにも死者の数だけではない。道路封鎖されて迂回するひと、夜中に病院に行けないひと、たいせつに栽培していたなつめやしの木を戦車になぎ倒されたひと、国境で待たされて病むひと…そんな1つ1つが如何にも被害であり、わたしはそれを放っておきたくなくてくそーと下唇を噛みしめる。お父さんが一緒じゃなくて、こころ細かったことでしょう。ルカイアの容態が早くよくなりますように、とせめて祈る。

12月4日、とうとうかれらの日本出国の日がやって来た。サラマッドとアマラは午前中に出発。ハニさんとわたしは空港までお見送りにいけないため、事務所でお別れする。起きぬけなのに、涙がこぼれて終わらない。「わー、カオリがまた泣いたー」とサラマッドはあの笑顔で慰めてくれる。握手した手を離せない。「すぐに会えるよね?ね?」と繰りかえして繰りかえして、だけどももうさよならの時。さよならなんて云えないよ。ただ、「ほんまにすぐに会おうナ」とだけ。

e0058439_17223944.jpgサラマッドとアマラの使っていたお部屋に入ると、お布団のうえにYATCH宛てとわたし宛てそれぞれに置き手紙が残してあった。

Dear friend & sister
Thanks for working so hard to make us happy. It took me a while to know you better and all I can say is that you are a great girl with a great heart. Inchallah you come to France or to Iraq and I can take care of you too.
Wish you lots of luck and love with ......
And hope to see you soon.
I'll pray god to keep an eye on you.
Amara & Sarmad


ンもう。また泣かせやがって。空港にいるサラマッド達から、「もしもしー」と電話がかかってくる(サラマッドは日本人の「もしもし」とか「どもども」「はいはーい」なんかの真似が上手)。「お手紙、読んだよー。もうアイミスユーやでー」。ありがとう、サラマッド、アマラ、ほんまにね。

e0058439_17231023.jpge0058439_17232111.jpgその後、ハニさんとわたしは浅草へ行ってお土産ショッピング。
「なんだこれは?」とハニさんが興味を示したのは、100円ショップ。説明すると、この国のエクスペンシヴさにうんざりしていたハニさんは、大よろこびで入店する。「なんで今まで教えなかったんだ?」と、次つぎと買い物かごに入れてゆく。塗のお盆や重箱のようなものなど日本的なお土産を探すのだけど、かれのこだわりはあくまで「Made in Japan」。「品質は低いんやよ」と教えても、「そんなことはかまわない、日本製という表示が大事なんだ」とのこと。たしかに、イラクでの日本製品は神話のようだと聞いている。けっきょく3000円ほど買っていた。
で、かんじんの雷門から浅草寺までのお店の賑わいには、ほとんど興味を示さなかった。すこしだけでも見てもらう。日本的な浅草も、100円ショップにはかなわなかった。

天丼、食べる。食後のお茶をしながら、イスラムの結婚について教わる。ハニさんは「今度来日する時には新しいお嫁さんでも探そうかなあ」なんて冗談交じりに笑っている。「わたしはハニさんの奥さんがすきやから、かのじょを悲しませんといてや」と反対すると、「僕もだよ」と必ずつけくわえる。このひとは、街を歩けば「おっ、あの娘は好み、あっちはダメ」なんて品定めを始めちゃうし、鼻歌は四六時中フンフン歌っているし、悪口だって口にするし、写真ばっか撮らせるし、まったくオジサンそのものなんである。あんな絵を描くのにね。2人とも英語がそこまで得意じゃないのが妙に馴染んだのか、わたし達は兄妹のように仲良しになり、なぜかほかのひとより云いたいことも伝わった。実際わたしはすっかり、ハニ専属マネージャーと化していた。微酔してハニさんを叱ったことだってあった。この瞬間はいつまでもつづくと、思っていたかった。

YATCHと合流して、秋葉原の電気街へ。
長男ムスタファ用のゲームや、家族を今回バグダードまで連れて行ってくれたいとこに贈る髭剃りを探す。昨今のゲーム機は高性能で、融通が利かない。ハードとソフトがあって、ハードは電池式ではないうえに、ソフトは日本ぐらいでしか販売していない。そして阿呆らしいお値段。ゲーム機は、ムスタファへのプレゼントには相応しくなかった。
にしても、日本のこはこんなものを買い与えられているのだろうか? わたしはTVゲームのない家庭で育ったため、その感覚がわからないけれど。なにもかもが充実しているゲーム内容、ということはつまり想像力が欠如するということにならないだろうか? 創意工夫のもてない玩具は、"遊び"とはいえない。わたしは安曇野ちひろ美術館を思い出す。あそこのお庭は丘の曲線と浅い池のお水と草花しかないし、こどものお部屋には絵本の山とシンプルな積み木のようなものしかない。それでもこどもらは、きゃっきゃとじゆうに遊んでいる。なにより迫りくるアルプスと半球の透きとおった青空のうつくしいところだ、うん。

そしてなんとなんと、わたしが今回の新作でいっとう気に入った絵、記者会見でも質問したあの作品をプレゼントされてしまった! わたしがハニさんのこどもが大すきでギャラリーでもあの絵をずっとずっと観ていたのを、ハニさんはよく知っていたんであった。この抱えきれないしあわせを伝えるには、感嘆符を放ちまくった「アナサイーダ! アナサイーダ!」という言葉のほかにうまく見つからなかった。ありがとう、ハニさん。あなたのファンで光栄です。

ハニさんの飛行機の時間もいよいよ迫ってきた。
羽田空港へと向かう途中でもハニさんは「マイ・ブラザーとマイ・シスター」と次つぎに謝辞の言葉を紡いでゆく。わたしは浅草散策中に「すきなおとこのこの前ではもうすこし黙っていなさい」と諭されていたのだけども(むぅ)、空港のエスカレーターではさかんに「キープ・ラヴ」と云われた。新婚旅行には故郷ヒート案内を約束。「山があって農家がまたよくって水車が回っていて、ほんとうにいいところなんだ」と。今は激戦地域だけども、きっと将来は花やかな土地にまたよみがえるよう願う。ええ、ヒート訪問を愉しみに。
握手をしてお別れ。ハニさんが離れてゆく。身体検査と手荷物のチェックを済ませて、いよいよ姿が見えなくなるまで、わたし達は思い切り手を振った。つよくつよく振った。
そしてその後に、わたしはすこしだけ頬を湿らせた。「終わったな、2週間」とYATCHが呟いた。ハラース(お仕舞い)!

この2週間-極端な睡眠不足に陥りながら、咳が止まらなくなりながら、喧嘩を繰りかえしながら、持病が悪化しながら、微熱に浮かされながら、嘔吐しながら、泣きながら、大笑いしながら、愉しみながら、なにかにこころが満たされながら…ほんとうにひっちゃかめっちゃかな2週間だった。ほんの一瞬間さえ、憶えていたい日々だった。

エスカレーターの左右の列の違いを認識し、浄水器の蛇口を覚え、ウオシュレットのシステマチックなおトイレに笑い転げた。ハニさんはゴミ分別を習得し、日本の薄味を健康的だとほめた。サラムーディ(サラマッド)は孫の手をニヤニヤとうまく使ってみせ、YATCHが洗面所の電気がさを大音量で割ってしまったらちょうどもっていた包丁を振りかざして「誰かいるのか? 俺が退治してやるぞ」と目玉をギョロギョロさせてがなっていた。

サラマッドとアマラとハニさんとYATCHとわたしは、もう5人家族。インッシャッラー(神がお望みなら)、すぐに会えるかな?
イラーキーの残り香のする事務所で、わたしは胸にぎゅっと詰まらせる。ピースフル・ピース、かけがえのない兄弟姉妹に捧ぐ。
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by peaceonkaori | 2005-12-16 17:23 | イラク人来日プロジェクト

最終夜

3日の午後に札幌から東京へ。北海道のみなさんは最後の見送りまで、そのほかにもごはんやら送迎やら、ほんとうなにからなにまでお世話になりました。ハニさんの絵、札幌で3枚も売れたの。ありがとうございました。PEACE ON会員の千葉くんがいなかったら、北海道ツアーは実現していなかったことでしょう。ありがとう、アブジャージム(ハニさんが千葉くんをこう呼んでいた。ハニさんの知人のアブジャージムさんにそっくりなんだそうだ。ついでに云うとハニさんの千葉くんの物真似は"なまら"上手、さすが絵描きの観察力)。
離陸までに観光かお買い物かと提案したのに、ハニさんは空港で時間をつぶすといって聞かない。往きに走りまくって遅刻したのがトラウマになったみたい。日本では高速道路でも駐車場でもお金がかかるのを横目に、ハニさんは「ヤバン、ムシュケラ(日本は問題だ)」と呟いていた。
飛行機は半時間ほど遅れたが、サラマッドとアマラとYATCHもほぼ同時刻に成田空港に到着していた。たった1日しか離れていなかったのに、お互いよろこび合う。

事務所に荷を置いて、ハニさんとYATCHは搬出のため中和ギャラリーへ。中和ギャラリーではなんと、5枚も売れてしまった。
サラマッドとアマラとわたしは、谷中銀座でお土産を探す。道中、アマラとわたしは腕を組んでガールズ・トークを弾ませる。恋の相談などをしていると、サラマッドも一緒になって励ましてくれた。わたしはアマラをこころからリスペクトしている。あの開戦時にもしわたしも"人間の盾"になってイラクに留まりイラク人男性と恋に落ちたとしても、わたしは結婚してイラクに住まうことができただろうか? 危険をかんがみて、首を横にふっていたかもしれない。たぶん恋のままに動いていたとは思う、でも確信はもてない。そう告白するとアマラは、そんなことはなんでもないといった風に「だって今のカオリだってすきでもない東京に居るでしょう。PEACE ONのために」と云ってくれる。ありがとう、アマラ。広島でも「えっ、お化粧していないの? ダメよー」と云って頬に塗ってくれたり香水をかけてくれたり、小樽では一緒に温泉、札幌でも盛んに恋バナしていたっけ。PEACE ON乙女部門ここにあり、ってね。

e0058439_0545324.jpg夜には神田カブール食堂で、会員さんや、『ファルージャ2004年4月』の訳者(共訳)でもあるいけだよしこさんらと、少人数でお別れパーティ。
アフガン料理はどうかなとしんぱいしていたのだけど、サラマッド達は大よろこび。「カオリ、イラクとおんなじホブス(薄焼きパン)だよ!」「カオリのすきなバーミヤンもあるね」「ティッカ(串焼き)が来たよ」「これも食べな、ほら、これもイラク料理だよ!」などと上機嫌。
お店の一家はアフガニスタンからの難民。イスラム教徒だそうで、ちょっとしたアラビア語なら通じる(日本語OKなので問題ないのだが、ハニさんが「喋ってみー」と云うので、知っているアラビア語をおずおずと話してみた)。こども達もみな愛らしい。「美味しかったよ、また来るかんね」。

地下鉄の駅で、みんながイラーキー達と最後の挨拶をしている。そして改札をくぐり抜けるイラーキーやわたし達にジャーナリストの村上和巳さんは突然、「ボロ・ビデム・ニブディークヤ・イラク!」と腕をブンブンさせて歌いだす。なんてお莫迦で洒落た演出。あの「血も魂もサッダームに捧げる!」というサッダーム時代にイラク人がみな歌っていた(歌わされていた)フレーズだ。一同大爆笑。ケラケラといつまでも歌ったりする。サッダームはバッドだったけど今はワースだ、とサッダーム時代を懐かしむ声は多い。
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by peaceonkaori | 2005-12-14 00:57 | イラク人来日プロジェクト