NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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カテゴリ:国内活動( 26 )

安保理各国にミャンマー軍事政権の武力行使を阻止するよう求めるインターネット署名にサインはしたものの、いてもたってもいられなくなって、ビルマ大使館前での抗議行動に参加した。
大使館に近づくと、在日ビルマ人が現地語で叫ぶシュプレヒコールが聞こえてくる。テンポよくしゃきしゃきした声が住宅街に響き、恰好よい。恰好よいだなんてフキンシンなと思われるかもしれないが、イラクのデモの映像を見ていつも感じるように、やはり日本のそれとは異なり、当事者としての身体はった訴えが直にわたしの胸に届いて燃えるんである。
しかし日本人が少な過ぎた。わたしも1つのメールマガジンで情報を受け取っただけだから、広く知られていないのかもしれない。マスメディアが多く取材していたことが救いかも。
日本語でもやってくれたので、わたしも拳をあげて唱える。(囚人の釈放を)「急げ、急げ」、(国連は決議を)「急げ、急げ」、(武力行使を)「やめろ、やめろ」、(軍事政権を)「倒せ、倒せ」!
多くのビルマ人は「来てくれてありがとう、よろしく」と云うんであるが、隣のひとがぼそりと「うちらはもう20年もつづけているのに今さら…」と呟いた。これまでビルマ民主化運動に対してなにも行為してこなかった自分を省みる。せめて今こそと思う。精いっぱい、大使館にお花を投げ入れる。
(10/7追記*うえの段落、記述が不十分でした。コメント欄もあわせてお読みください。)
今日やって来たのは、大使館に抗議することよりも、ビルマの民衆に連帯の意を表することこそが、わたしなりの目的。イラクの民衆に対してと同じように、「わたし達は忘れない、諦めない」と伝えるために立ち上がった。
民衆の圧倒的なパワーを肌で感じた2時間だった。歴史の時に居合わせたと思えた。この感覚を大事に、活動していきたい。

明日も明後日も、抗議の声はつづきます。集まれるかたはぜひ。わたしも行きたいです。

●抗議行動●
9月29日(土)15:00~17:00
在日ビルマ大使館前(東京都品川区北品川4-8-26/JR品川駅高輪口から15分)

●デモ行進●
9月30日(日)14:00
五反田南公園(JR五反田駅)→在日ビルマ大使館(30~40分)
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by peaceonkaori | 2007-09-29 01:03 | 国内活動
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)のイラク人スタッフ、イブラヒム・ムハンマドが来日。30数日にも及ぶ、長いスピーキングツアーが始まった。
10日、"フンドコ・イラーキー"(イラク人ホテル)ことPEACE ON事務所にご宿泊いただく。

早くもイブラヒムはお疲れのご様子、食欲がないという。レストランでの夕食は、コーンポタージュとオレンジジュースだけ。お肉はハラール(イスラーム法にのっとった食べ物)しか食べられないし、和食はなんとなく手が伸びないのだろう。
帰りにスーパーマーケットに寄る。イラーキーが来ると、いつもそうするのだ。はじめはフーンといった感じに見ているのだが、「ほら、トマトが1つ1ドルなんよ」と言うと、信じられないという風の顔で驚く。「1キロじゃなくて、1個で?」とイブラヒムも自分が聞き違えたと思っているらしい。きゅうりは3本で1ドル、お茄子は1つ0.5ドル。「トマトは今やから1ドルなんやけど、冬なんか1JD(ヨルダン・ディナール)なんやから」と嘆くわたし。イブラヒムは「高過ぎる、問題や」と繰りかえしていた。そういえばPEACE ON現地スタッフのサラマッドが来た時には、「イラク支援よりも日本の食料支援プロジェクトをやらなあかん」と真顔で言っていたっけ。

PEACE ON事務所は、今までイラーキーがよろこばなかったことはない。
イラク国旗が掲げてあるし、ハニ・デラ・アリシルワン・バランなどのイラク絵画、観光地の写真が散りばめられたイラク土産のTシャツ、ウード(琵琶に似たアラブ楽器)、祈りのための絨毯、イラクのなつめやしで作った団扇などなど、まずは視覚的にイラーキーをウットリさせる。イブラヒムは、国旗を撫でながらなぜかしきりに「おーきに、おーきに」と口にしていた。
イブラヒムはウード奏者ナスィール・シャンマや歌手のカーズィム・アッサーヒルがすきだと言うので、シャンマやカーズィムのCDをかけたら、ほんとう大はしゃぎ。3人で指を鳴らしながら踊りまくってしまった。
イブラヒムが元気になってくれるのは、うれしい。わたしがイラクの衛星放送のシャルキーヤTVに出演した映像を見てわたしの「マルハバ(こんにちは)」の発音に大笑いするイブラヒム、イラクの有名な悪役役者のジャラル・カーミルとおくさんのサナと友達なんだと写真を見せるYATCHに感嘆するイブラヒム、一寸おめかししてズボンにアイロンをあてるイブラヒム、わたし達の結婚式の写真を欲しがるイブラヒム、日本語の縦書きと横書きに感心するイブラヒム、日本人のわたしら夫婦が交わすアラビア語の会話に満足そうなイブラヒム。
イブラヒムは日本に研修に来ていたアンサムとお友達らしく、かのじょが託したノーミーバスラ(乾燥レモンみたいなの)とバハラート(カレー粉)をお土産に携えてくれた。
イブラヒムは突然、「日本にもテロリストがいるのか?」と尋ねてくる。兄が妹を殺した事件を耳にしたらしい。強盗殺人とかではなくて妹を殺めるというのは、断じてあってはならないと言う。多くのイラーキーにするようにイブラヒムにも、1年に3万人以上が自殺するという日本の現実を話すと、イブラヒムもまた仰天し、「1日100人が殺されるイラクと一緒やないか」ととうてい理解できない風だった。
ふとしたことで、「イスティカン(イラクの茶器)にティースプーンが誤って2つ添えられていたら、そのひとは2人のお嫁さんをもらえる」というイラクのお茶にまつわる小噺が話題に出、「わたしアンマンで経験したからお婿さんもう1人やねん」とウキウキ告げると、イブラヒムは「僕は若い頃に幾度もスプーン2つの時あったよ。そうしたら妻は死んじゃった」。なんだかすまない話をしてしまった。おくさんのマリアムは白血病を患い、イブラヒムと3人のこどもを遺して2005年に亡くなったのだ。
おっととわたしが毎晩の習慣にしている黒酢を、イブラヒムもごくごく飲んでくれた。もう3時だ。おやすみなさい。

e0058439_223855100.jpg翌朝、イブラヒムは起きて早々ご飯をこしらえてくれた。イラク料理のバーミヤ(オクラのトマト煮込み)。
イブラヒムはおくさんを看病しながら、いっしょうけんめい料理を振る舞っていた。だからじょうずなんだそうだ。
アラブ人はお食事の前とかなにかを始める前によく「ビスミッラー」と唱えるんであるが、イブラヒムは包丁でお野菜を切る前にも、はたまた階段を下りる前にも「ビスミッラー」とつぶやいていた。ちなみに、くしゃみをした後には「アルハムドゥリッラー(神のおかげで)」と言っていた。

<イブラヒム流バーミヤの作りかた>
1.オクラを茹でる。ザルにあげて、バハラート(カレー粉)をまぶす。
2.オリーブ油で玉ねぎを炒める。つづいてオクラも投入する。
3.トマトとにんにくを入れる。けっこうな強火で、どんどん煮込む。
トマトをかなり煮詰めてコクを出すのがポイントかな。イラクではもっと濃いらしいのだけど、用意したトマト缶は薄いので、長く火にかけていた。
4.水を足す。まだまだ煮込む。途中で味を見ながらお塩で味つけする。バハラートもちょっと追加。隠し味に、ノーミーバスラ(レモン)を入れてみる。
わたしの持っていたオクラはシリアで購入した乾燥オクラだったので、長い時間をかけたほうがいいみたい。日本のオクラは大きくて、イラーキーには不評。

わたしがてきとうに作る和風バーミヤと違って、イブラヒムのバーミヤはとってもシンプル。そして、とってもとーっても美味しい。イブラヒムはうれしがって、何度も「美味しい」の一言を聞きたがった。お水だけで炊きあげた日本のお米を、イブラヒムは不思議そうに食べていた。

今日11日は、イブラヒムが来日して2回目となる講演会。わたしが通訳を務めることになっている。
駅までのタクシでも初乗りが5ドルもする事実に、イブラヒムは耳を疑っていた。前日に乗った京都からの新幹線は片道で100ドル以上だと言うと、イブラヒムはアラブ人がよくするように口笛を吹いて目を丸くしていた。
会場は、最寄駅から10分ぐらい歩いたところ。イブラヒムは気温55度のバスラからやって来たと豪語しているのに、「暑い、暑い」ともんくを言っている。だのに、冷房の効いた涼しい控え室に入ったとたん「健康に良くない」ですって。ンもう。

まず、綿井健陽さんの『Little Birds-イラク戦火の家族たち-』の上映。
わたしはこの記録映画をもう何回も観ている。だけどイラク人と一緒に鑑賞するのははじめてだ。2003年のイラク攻撃開始の前夜から、映画はスタートする。空襲があり、病院はけが人で溢れ、遺体は並べられ、子どもらは遊び、怯え、服が血に染まり、手がもぎれ、人びとは泣き、怒り、苦しむ。隣でイブラヒムは、良くない状況の時にイラーキーがよくやる舌打ちを繰りかえし、その足は困惑や嘆きや同情を示すようにずっと揺れていた。わたしは全身が痛むようだった。このイブラヒムだって、1人の戦争犠牲者なのだ。自国の民が傷ついてゆくのを大画面で見、それはもちろん自分の身の回りでも起こっていることで、深い動揺や悲しみがかれを襲っているのはあきらかだった。イブラヒムが隣にいることで、フィルムにつまり戦火のイラクに彷徨ったような心地になった。だけど日本人のわたしは戦争加害者。劇中にかんじたこの痛みは、イラクの被害にたいする痛みであり、同時に加担させられた痛みなんだと思った。申し訳なさがあたまから離れない。

e0058439_22403562.jpgそしていよいよイブラヒムのトークとなった。
わたしは公の場で通訳させていただくのははじめてだったけれど、前日に打ち合わせをしていたから、イブラヒムが云いたいことをすーっと浮かびあがらせるようにしてつたえた。
イブラヒムは話す。かれ固有の物語を紡ぐ。数学の先生になったこと、経済制裁でみんながイラク国外に逃げたこと、イラク攻撃をイエメンでテレ・ヴィジョンで見て妻と泣いていたこと、ふたごを妊娠した妻が白血病にかかったこと、ふたごの帝王切開と妻の死、JIM-NETとの出会い、病院でのJIM-NETの仕事、電気飲み水もなく戦闘ばかりのバスラの状況、そして医療支援の継続が必要だということを。
終了後、イブラヒムは「ありがとう」と云ってくれた。手ごたえをかんじたようだった。

帰りの道すがら、モバイルショップで立ち止まる。日本はSIMフリーでなくロックされているというへんてこな国なので、イブラヒムはイラクで使う携帯電話は買えない。去りながらイブラヒムは「アリガトウゴザイマシタって日本語で言ったのに、ドウイタシマシテって返さへん。あの売り子はあかん」と憤慨している。
駅前のビラ配りにも吃驚して、「あの娘はお金をばらまいているのか?」とイブラヒム。

夜ご飯は、ペルシャ・トルコ料理屋ザクロにて。イブラヒムは「ワタシハかばぶガタベタイデス」と日本語で練習して、ハラール肉を食べられると愉しみにしてお腹を空かせていたから、満足そうに頬をほころばせている。イラン人の店長アリさんと、イラク人イブラヒムとの国際交流(?)もお見事。

イブラヒムの愛称はバルフーミ!
バルフーミ先生の日本探訪、北海道から九州まで全国各地にあらわれます。スケジュールはJIM-NETのページでご確認ください。
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by peaceonkaori | 2007-08-12 22:40 | 国内活動
Dance For Peace Japan 2007のピースワークショップでトークをさせていただくことになり、さてどんな風に喋ろうかと、あたまで練った。今回はイラク情勢や支援報告がテーマではなく、平和についてわたしが考えることをポジティヴに話してほしいということだった。
これまでのわたしが歩んできた道をふりかえる作業は、なんというか辛いものがあった。あたりまえだけど我が人生もまた、なにもかも順風満帆に進んできたわけじゃない。いや、逆風のほうが多かったんじゃないかとも思える。だいたいの案を代表YATCHに相談してみたら、おっとでもあるかれは「もっと洗いざらいぶちまけたほうがいい、怖がってはいけない」と云った。
さらにつっこんだ私的な体験をまぜこむことにした。自己の内面を掘り下げる表出の行為は、もうカサブタになっていると思っていたわたしの傷がまだ癒えていないことを、わたしに如実に示した。でも、とわたしは思った。このトークがうまくいけば、わたしは過去に一区切りつけられるはず、わたしはイラクへの初心をあらためて胸に刻み明日へと生きていけるはず。そう信じて臨んだ。

e0058439_17271576.jpg5月30日、浜松駅から車で1時間以上もかけて、龍山青少年旅行村というキャンプ場に辿り着く。山の天気は変わりやすく、雨がしとしと降ったかと思えば、その後には何年ぶりかの虹を拝むことができた。
サンセットタイムにスピーチと聞いていたのに、行ってみたらわたしの出番は翌31日のお昼1番だと言われる。そうですかということになり、せっかくなのでイヴェントを愉しむことにした。
サイケというかトランスというかヒッピーな感じにつつまれて、いたるところにピースマークが飾ってある。ティピなどのテントを皆それぞれに設置し、思い思いの時を過ごしている。途中から一緒に車に乗って来たパーカッショニストの山北健一さんというかたは舞台で、太鼓だけで人びとを踊らせている。夕暮れがあり、夜の闇があった。酔いどれたトルコのクルド人が、クルディスタンについて嘆いている。わたしは焚き火の炎がこんなにも透明感に溢れたものなのかとじいーっと魅入るはめになり、しかし見上げればまたお月さんや星々が凛然と輝いているのも仰がずにはいられなかった。物品販売のグッズが、夜露に濡れた。

31日ヌーン、わたしはおずおずと話し出す。みんな、あたたかい顔で聞いてくれる。
詳しい内容はないしょ、うふふ。だって極私的なんですもの、その場にいてくださったかただけに。いずれ本でも出版することがあれば、文字にするかもね。
イラクに一目惚れした昔のわたし、「There is no way to peace, peace is the way(平和に至る道はない、平和こそが道なのだ)」という言葉を、「Peace」の能動性を信じてアクションしつづける今のわたし。イラクが地獄と化しても、それでもイラクをあきらめない、意地でもあきらめないその決意。それは、わたしがイラクという国の魅力に助けられたという思いがあるから。恩がえし? なんなんでしょう、このご縁は。ねえ?

ワークショップを終えてブースに戻ると、幾人かが集まってくれた。「Peace on youっすよね」と笑いかけてくれる爽やかな青年、ドレッドヘアの男性は涙腺を滲ませて「さっきイラクのひとがホープレスって云ってたけど、でも…僕には光が見えた」。かれは熱心にPEACE ONの記事を読み始めた。ピース! 溢れるユニヴァース、繋がっていると思う。

予定より早く下山することにした。携帯電話の電波が届くようになって、おっとからメールが届いた。ラヴ。
帰洛して、両親のもとでしばらく過ごそう。わたしは帰りの切符を京都行きに変更した。

*写真は、うっすらと空に架かるレインボー。見えるかな?
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by peaceonkaori | 2007-06-02 17:27 | 国内活動
3月23日、来日するカーシムのため、京への里帰りは1泊のみで、東京へととんぼがえり。
PEACE ON事務所、みんなソワソワしている。カーシムが日本にやって来るだなんて未だ、信じがたいのだ。思えばつい3週間前などは、わたしがヨルダンの日本大使館でかれのヴィザを申請するも、イラク人のヨルダン入国にまつわる厳しい状況にただただ祈るしかなかった。10日ほど前には、皆の願いとは裏腹にやはりヨルダン国境を突っ撥ねられ、1度は日本への渡航を断念したんであった。それがアルハムドゥリッラー(神のおかげで)、とくべつな大どんでん返しというやつで、わたし達はうれしい悲鳴をあげ、急いで全国での報告会の支度をととのえた。
いよいよ、いよいよなんだ!

ぞくぞくと空港に集まる日本の友。TVカメラも回っているから、ほかのお客がなんだなんだとざわついている。わたしは通りすがりのおばさんに「誰か来るんですか?」と尋ねられ、「はいっ、イラクからゆうめいな青年が!」と嬉々として答えた。そしてついに、我らがカーシムがご到着。みんなニコニコ、カーシムも疲れた笑顔、周囲はなぜか写メールなんぞバッシャバシャ。アハランワサハラン(ようこそ)、カーシムくん。
わたしはアンマン以来1年半ぶりの再会だった。

カーシムは、先端技術のお出迎えのハイブリッドカーに乗ってご機嫌のよう。
PEACE ON事務所に到着してからも、持参のアラブやクルドのCDをかけたりして、時は流れてゆく。PEACE ONイラク人スタッフのサラマッドに電話して、近況を話し合ったり温泉をすすめられたり(サラマッドだって最初は温泉なんか信じられないという風だったのに、はしゃぎまくっていたものねえ。それからかれへのお土産は、各地の温泉の入浴剤だったりする)。
深夜2時過ぎまで語らいはつづいた。

e0058439_0542688.jpg翌24日、朝。
腕をふるって、ニッポンの朝食をこしらえる。白飯、お豆腐とおねぎのお味噌汁、焼き魚はハタハタ、小松菜のごま和え、だし巻き玉子、それに納豆と梅干しまで。バクテリアのソイビーンズと説明したのが生々しかったのか、スティーッキーな見かけだけでもじゅうぶんヘンテコリンだからか、さすがに納豆には仰天するカーシム。それでも身体に良いからねと、なんとか食べさせるわたし達。お菜っ葉のシムシム(ごま)和えがたいそう気に入ったよう。シムシムはイラクでも食すけど、すりごまは初めてだそう。「イラクでもやってみるよ」と云っていた。卵やお茶など、おんなじ材料でもイラクと違って甘くないからだいじょうぶかしらん、としんぱいをよそに、ご飯の1粒も残さずに食べてくれた。ビラーフィ(よろしおあがり)。

e0058439_0544714.jpgお昼からは、浜離宮恩賜庭園でお散歩。
300年の松や菜の花を眺める。運良く始まった神楽の曲芸に、よろこんでバクシーシ(お恵み)を払うカーシム。
それから水上バスに乗る。水辺はすきなようだけど、イラク人は慣れていないらしい。「この川の水はどこから? 海から流れて来ているの?(逆、逆!)」「(船の1階席で水面を見て)水際より下に僕らはいるよ。水が流れ込んだり魚が入ってきたりしない?(しーひんって)」と、ツッコミどころ満載のかれの発言に、リラックスしてくれている様子が見てとれる。
浅草で、浅草寺(おみくじは凶!)と仲見世の見物、そして天ぷらご膳。かれのために次つぎと日本人が集まってくる、イラク同窓会だ。
PEACE ON事務所に戻ってからも、「早く寝なさい、もう何時だと思ってるのさ」との声に、「イラク時間じゃ、まだ7時だもん」とニコッとする可笑しなカーシム。風邪っぴきなのに、チョコチョコちょこちょこしている。

ラマディで、近しいひとを亡くしじぶんも拘束され拷問を受けて、周りの者とおなじようにレジスタンスになりかけてはそれを止めてきたカーシム。
常にきんちょうした面持ちでいるより、ここ日本で束の間でも頬を弛緩させてほしい。なによりあなたには、こんなにたくさんの日本の仲間がいる。それを忘れないでほしい。そのためにも、わたしはできるだけのおもてなしをさせていただきたい、そう思っている。

25日、早朝。イラク式のカルダモン入り紅茶を飲んで、ヨルダンのお菓子をつまみ、大雨のなかかれはスピーキング・ツアーへと旅立っていった。シリアで購入したという電気ピカピカのフラワーを、ウェディングの贈り物と置いていって。
各地での成功ぶりが、ぞくぞくと報告されている。かれの本が売れて、サイン会まで催しているそうだ。
そして明日は全国ツアー最終日、東京。この青年が体験してきたこと、それを今この日本でつたわってほしい。そのためなら、全力でお手伝いをさせてもらいましょう。当日わたしは司会を担当するので、よろしくお願いします。


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イラク人の青年カーシムさんが来日し、各地でトーキングツアーを開催中!
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カーシムさんはジャーナリストでも政治家でも医師でもない、ごくふつうの青年です。彼は日本のメディアや民間の支援者たち、そしてインターネットを通じてイラクのありのままの現状を外に向けて発信しています。
目の前で倒れている人が米軍の戦車にひかれていくのを目撃したり、怪我をした自分の兄が病院へ向かう途中、米軍の検問を通してもらえずに亡くなってしまったり、甥が不当に逮捕されたり、自分も拷問を受けたり・・・。日本にいるとにわかには信じられないような現実が、イラクでは日常茶飯事に起きているといいます。
その怒りや悲しみ、絶望を抱えたイラクの人達は、武器を持とうとします。しかし、カーシムさんが考え抜いた末の答えは、「武力では何も解決しない」「非暴力で平和を作り上げていかなくては」 と、いうことでした。そして彼は、戦禍のイラクのなかにいながら、それを実践しています。
戦後60数年経ち、すっかり戦争の怖さを忘れてしまった日本は、イラク人をはじめ世界中の人がうやらむ戦争放棄のうたった“憲法9条”を手放そうとさえする議論が起きています。
深呼吸して、カーシムさんの声をじっくり聞きに来てください。「戦争で平和は作れない」・・・

ぜひ彼のブログ「Iraq Mail」(日本語版/英語版)もお読みください。

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    緊 急 開 催!! イ ラ ク 開 戦 か ら 4 年
     戦 闘 地 域 ラ マ デ ィ か ら の 報 告

     『 イ ラ ク の 空 に は 何 が 見 え る ? 』
          ~ あるイラク青年の体験 ~
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  「テロとの戦い」の最大拠点と名指しされた
  イラク西部アンバール州ラマディ
  先月22日 ラマディ上空に米軍の戦闘機が飛来
  4軒の民家に爆撃 死者26名 負傷者多数

  家屋は潰され 学校は占拠された
  食料配給なし 医療配給なし

  空が恐怖に染まって4年
  増えていくのは民間人死者数とその遺族
  そして 報復を誓う抵抗勢力

  なぜ ラマディは「テロとの戦い」の
  最大拠点となったのか?
  なぜ 彼は米軍に拘束されたのか?

  世界中のメディアが近づけない戦闘地域ラマディから
  1人の青年が自分の体験を語るために来日した

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◎プロフィール◎
カーシム・トゥルキ(30歳)
e0058439_1105685.jpg1976年11月27日生まれ。エイドワーカー。
イラク、アンバール州ラマディ在住。アンバール大学機械工学部卒業。
イラク戦争中は共和国防衛隊に所属。
イラク戦争直後4月28日にファルージャで起きた米兵によるデモ参加者乱射事件をバグダッドのメディアに報せに来たことをきっかけに、フリーのガイド兼通訳として米テレビCNN や日本人ジャーナリストに同行。同年6月、日本人と同行取材中に米軍に不当逮捕され9日間拘束。釈放後「イラク青年再建グループ」を主宰。これまでに学校などの修繕工事、診療所開設、避難民への緊急支援などを行っている。2004年からは日本の民間支援「ファルージャ再建プロジェクト」と協同し現場の指揮を執っている。昨年はラマディの様子を英語で記したブログがアメリカを中心に話題となるが、それを理由に再度米軍に拘束された。

*写真は、PEACE ON事務所にて、どんぶく(綿入りはんてん)を着てアラブ布クフィーヤを巻いたお茶目なカーシム。

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●日程●
3月25日(日)14:00~ 埼玉  <終了>
3月26日(月)18:30~20:30 札幌  <終了>
3月28日(水)18:30~ 静岡  <終了>
3月29日(木)18:30~ 名古屋  <終了>
3月30日(金)19:00~ 大阪  <終了>
4月1日(日)17:00~19:00 広島  <終了>    
4月2日(月)18:30~(開場18:00) 東京
      場所:文京区民センター2階2A(文京区本郷4-15-14/三田線・大江戸線春日駅A2出口の真上)
      参加費:500円
      共催:NPO法人PEACE ONイラクホープネットワーク/ファルージャ再建プロジェクト
      連絡先:03-3823-5508(PEACE ON)
 ※各会場ともご予約は不要です。直接開場へお越し下さいませ。取材等については事前にご一報をお願い致します。
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by peaceonkaori | 2007-04-02 00:54 | 国内活動
e0058439_1755393.jpge0058439_1761828.jpgヨルダンから50キロを軽く超える大量の絵画を持ち帰って10日間、アラブ現代作家展の準備に大わらわ。図録作りに、額縁修復(イラーキーのハニ画伯のあの雑な梱包で、額縁が壊れ硝子が割れという事態に)、告知宣伝、価格決めなど、こちらPEACE ON東京事務所は徹夜につぐ徹夜。
メールではらちがあかないとハニに催促や相談の電話するも、急くわたしをどうどうと落ち着かせ「しんぱいすんな、だいじょうぶだよ。インシャッラー(神がお望みならば)さ」ですって、トホー。
そんなこんなで届いていない作品がありつつも、搬入をなんとか終え、昨日ぶじにオープニングを迎えられたよろこび。アッラー・カリーム(神は慈悲深い)、たぶんね。

以下、展覧会の開催に際してのご挨拶。

 イラク支援活動を行うNPO法人PEACE ONが、イラク現代アートを扱う文化交流事業として新しく「LAN TO IRAQ」を立ち上げましたのは、2004年2月のことでした。そのプロジェク
トを通し、これまでに日本や韓国の数十の都市で展覧会をしてまいりました。題して、「混沌からの光」。未だ戦火の止まない芸術の都バグダードからの一条の光が、人々を魅了しました。2005年、2006年と来日したハニ・デラ・アリや2006年に来日したシルワン・バランをはじめ、ヌーリ・ラーウィ、ムハンマド・ムハラッディーン、カシム・サブティ、マヤサ・ムクダディ、インテラグ・アリなど多くの作家によるコレクションとなりました。
 そして今回、イラク一国のみならずシリア、エジプト、ヨルダン、スーダン、イエメン、サウジアラビアのアラブ諸国からの作品を一挙に取り揃え、こうしてアラブ現代作家展を開催することができましたことは、私どもにとりましてまた日本の美術界にとりましても、まことに喜ばしいことです。作品の収集に尽力くださったハニ・デラ・アリ氏に、多大なる感謝の念を捧げます。日本のみなさまが、悠久の歴史をたたえたアラブの文化に触れ、こころ揺さぶられますことを願っております。
  2007年3月     NPO法人PEACE ON事務局長 高瀬 香緒里

Peace On, which is a nonprofit organization working to provide various kinds of support in Iraq, began a cultural exchange program in February 2004 focusing on the work of contemporary Iraq artists. Called "LAN to Iraq" (with LAN meaning both "Local Area Network" and "Love Art Network"), this program has brought exhibitions featuring the work of Iraqi artists to dozens of cities in both Japan and Korea since its inception. The exhibitions, which showed the work of artists from the artistic and yet war-ravaged capital city of Baghdad, were titled "Light from Chaos" and captivated all who came to see them. The artists from this collection included Hani Al-Dalla Ali, who came to Japan in 2005 and 2006, Serwan Baran, who came to Japan in 2006, as well as Nuri Al-Rawi, Mohammad Muhraddin, Qasim Al-Sabti, Mayasa Al-mukdadi, and Intelag M. Ali.
We are now extremely gratified that "LAN to Iraq" has expanded beyond Iraq to include the work of contemporary artists from other countries throughout the Arab world, including Syria, Egypt, Jordan, Sudan, Yemen and Saudi Arabia. We are most grateful to Hani Al-Dalla Ali for his work in securing the pieces in this collection, which represents an extremely exciting development in the Japanese art world. We are most hopeful that this exhibition will provide audiences in Japan with a moving introduction to the rich and lengthy history of the various cultures in the Arab world.
Kaori Takase, Executive Manager NPO Peace On
March 2007


e0058439_1763781.jpg日本ではまずお目にかかることのないと思われるアラブ諸国の現代アートを前に、みなさまのご意見は様ざま。
なにが合わないのか、どういうのがしっくりくるのか、をわたしも知りたいと思う。出展してくださった作家さんがたは、それぞれ「日本」「トーキョー」に期待をいただいてくれている。それを裏切らないようにするのが、またかれらに実態をつたえるのが、わたしの仕事と考えるから。次に、その次、その次の次に繋げるために。

オープニング・パーティには、母の若かりし頃のワンピースでおめかしして出席。もちろん、イラク地図のネックレスをつけて。
こうしたちいさな歩みではあるけれど、人びとのこころでアラブと日本の距離が近づきますように。そして願わくば、絵の隣に売約済みのシールがたくさん貼られますことを!
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by peaceonkaori | 2007-03-20 17:36 | 国内活動

イラク女医さんと

札幌で研修中のイラク南部バスラの女医さん2人が東京にやって来るにあたり、わたし達PEACE ONがそのアテンドを務めることになった。日頃おとこのイラク人と接することが多いので、おんな同士で仲良くなれるかしらん、と愉しみにしつつ空港へ迎えにゆく。

いざ会ってみると2人は対照的で、グフランはおっとりタイプ、アンサムはしゃきしゃきタイプ、しかしながら2人ともお嬢さまなんであった。日本にいてもなんと毎日2時間はご両親とヤフーメッセンジャーで話し、札幌の受け入れ先でもとてもたいせつにされているらしい。
シャーレ(アラブの女性がかぶるスカーフ)の身につけかたを教わると、アンサムはじぶんのシャーレを1枚プレゼントしてくれた。

初日2月3日は、六本木ヒルズで東京見物。展望台より、ムラサキに染まる富士山のサンセットを眺める。
e0058439_20391212.jpg夜は、イラク大使公邸にて晩餐会。政治的な話にすっかり花を咲かせてしまい、5時間も長居した。ジュマイリ大使は政治家の立場だけど、ほんとうはわたし達と考えが近いから、イラク人もわたしもジュマイリさんがすきになる。

翌4日、かのじょらは能の観劇。むずかしくってスローリーで、「15分だけ面白かったわ」とのこと。その後すぐに講演会場へ。
e0058439_2031773.jpg「イラクのいま~二人のイラク人・女性医師に聞く~」と題した報告会、イラクの歴史から現在の状況、こども達の苦しみまで、分かりやすく話がなされる。新生児が専門のかのじょらは、毎日のように赤ちゃんが亡くなってゆく現場にいてどれほどこころを痛めていることだろう。「スンニもシーアもクルドもない、イラクは1つなんです」ということを強調してらしたことに、ほっとあんしん。わたしはこれからもけっしてイラクを忘れないし、たとえどんなに細々とでも繋がりつづけてゆこうと、決意を新たにした。当日は120名のかたにお越しいただき、複数の外国人からも活発な意見が飛び交うなど、共催者としては満足なイベントになった。アッラーイサハディック(おつかれさま)。

次の日は5時起き。というのも、東京ディズニーランドで1日をエンジョイするのがかのじょの夢なのだ。苦しい…。
ディズニーといえば、占領地のはずのエルサレムをイスラエルの首都として提示しイスラエルからお金をもらった、イスラエル支援企業。わたしはそれを知ってから誰に誘われても行かなかったのだが、今回ばかりは仕方ない。開園前にグフランにぼそっと告げると、その事実にビックリしつつも、「今日だけはそんな政治的なことは抜きにしてー」ですって。朝からケンカしていたYATCHとの仲直りもとりもってくれたことだし、まあどうせならわたしも愉しんでやろうじゃないか!
e0058439_20324438.jpg水路を行くアトラクション"スプラッシュマウンテン"では、最前列にいたYATCHとわたしがびしょ濡れに。「いいシャワーやったわあ、今度はシャンプーが必要やね」などと冗談をかましながら、夜に再度チャレンジ。「最前列はドローワバシャリーヤ(人間の盾)だ」と"盾"出身者のYATCHが皆を守ろう(?)とすると、今度はグフランがわたしもと申し出る。シャーレがびっしょりになりながらも、とても良い思い出になったみたい。瞬間の写真を購入し、眺めては何度も笑い合っていた。「イラクで辛くなったら、これを見て元気を出しよし」と。
e0058439_2034314.jpgそれにしても、ディズニーランドはまったくもって「夢の国」だ。汚いものがなに1つない場所、西部開拓をフロンティアとして美化する場所、「誰だってハリウッド・スターになれるんだよ」と夢見心地にさせる場所、宇宙にまで行って戦争する場所。ああ、これがアメリカなんだ、アメリカは世界をディズニーランドに仕立て上げたいんだ、とわたしはぐったりと落ち込んでしまった。きゃっきゃきゃっきゃしながらアンサムも、この現実を分かっていたようだ。ゆうべの講演会の来場者は少数で、大多数の日本人はここへ来て(冬の平日なのに何10分も待った)、ぞんぶんに夢に浸っているのだ。それが悪いこととはわたしには云えないけれど。
朝の7時半から夜の11時半頃まで15時間も、ディズニーランド。

当初は2日連続ディズニーランドと無謀な提案をしていた2人も、さすがに1日で満足したようで、6日は東京見物をすることにした。
e0058439_20351110.jpg浅草の浅草寺と、お土産物ショップ。ここでも2人は対照的で、アンサムはお買い物ずきでぽんぽんと買うのにたいし、グフランは荷物が重くなるからとじっくり吟味したうえでひょいっとかさばらない軽めのものを選ぶ。あたまの良くなる煙をあたまにかけて、おみくじを引けば、なんと凶! 大ショックだけれど、「仏教徒じゃなくってイスラーム教徒だからよかったね」と慰めなんだかなんだか、な言葉をかける。おみくじを結んで、凶とさようなら。
e0058439_20364559.jpg2人が好物という天ぷらを食べて、両国の江戸東京博物館へ。アンサムは疲れもあってか、興味がない様子。わたしはグフランと回り、江戸の糞尿を運ぶ桶をかついでみたり、明治の初の公衆電話で「アロアロー、シュローネッチ(お元気)?」とイラクに電話をかけてみたり、人力車や自転車に乗ってみたり。バスラでは自転車はおとこの乗り物だそうで、グフランは自転車初体験(動かない見本だけど)。愉しむ乙女2人。東京大空襲など戦争のところは、やはりさっと見でとばした。実際に今、戦争のただなかにいるかのじょに、戦争の模型を見せられなかった。
グフランに政治的な話をしてごめんねと断ってから、今の状況やサッダームについてどう思っているのかも聞いてみた。かのじょはわたしの結婚式の日取りが4月9日のバグダード陥落の日ということに目を丸くして、「なんでそんなに政治的なのー」と繰りかえすんであった。それでも、日本髪のすきなグフランには、わたしのしろむく姿の写真を送ってねとお願いされた。

札幌では連日のハードな研修でまいることもあるだろうけど、そのぶん東京ではぞんぶんに羽を伸ばしてもらえたように思う。同行された札幌在住フリーライター木村さん曰く、「札幌ではこんなに笑顔の2人は見たことないわ」とのこと。アテンド役としてはうれしい限り。
アラビア語もみっちり学べたしね。今までハニなんかに教わった、たとえば「タアー(来いよ)」という言葉なんかは、ペットの動物かよっぽどの親しい間柄じゃないと使わないらしく、お嬢さま2人には「なんて悪友をもっているの」と怒られたんでありました、はい。
今度はバスラで会えたらいいな。「アッシューフィッチ・インシャッラー(神がお望みならばまた会いましょう)」と、何度も云って。
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by peaceonkaori | 2007-02-19 20:37 | 国内活動

Dream in Baghdad

3つ前の記事「演劇『バグダッドの夢』イラクから来日公演のおしらせ」のイラクの劇団の来日公演の会場で、イラク絵画の展示とアラブ雑貨の販売をやらせてもらえることになり、1月18日に準備をしに出掛けた。

アナスやヤーセルの久々の面々に加え、イスラーとバーンというおんな役者、照明や音響や舞台美術の裏方さん、そして作・演出のアル・カサーブ教授まで、大勢がやって来ていた。
なぜか天井からロープが下がっていて、その場にいた幾人かがそれで首を吊るような恰好をして遊んでいたので、わたしが思わず「あかんあかん、サッダームみたいになってまう」と言うと、かれらはサッダームの処刑をたいそう喜んでいた。サッダームの死をうれしがるひとに初めて出くわしたので、わたしは少々とまどった。もちろんわたしは、それを良いとか悪いとか言える立場にはない。イラクに住んでいるイラク人なんだ、色んな風に思うひとがいる。いっぽうで、わたしが販売用に持っていたかつてサッダーム政権下で使われていたサッダーム紙幣に、ちゅっちゅとキスをしてサッダーム支持をあらわすひともいた。「わたしもサッダームすきよ」と、わたしは小声で伝え悲しみをあらわした。
アル・カサーブは耳がちょっと遠いようで、最初は気難しそうと思っていたのだけれど(ハニ・デラ・アリやムハンマド・ムハラッディーンの絵を見せてもダメだと言い、シルワン・バランの絵は動きがあるとほめてくれた)、そのうちにまるでおじいちゃんと孫のようにうちとけられた。かれはわたしに、ジャケットやズボン、白色や黒色など1つ1つの単語をアラビア語で教えてくれるんであった。本番中にも遠くからキスを投げてくれたりした茶目っ気たっぷりの65歳、アル・カサーブ。「今のバグダードで教授だなんて危ないんでは?」と尋ねると、やはり「難しいさ」とのこと。
なかには、「俺はマハディさ。今マハディは400万人もいるんだぜ」と誇らしげに言うひともいて、わたしが吃驚仰天して「えーっ、じゃあ銃を携えてひとを殺しているの?」とストレートに聞くと、かれこそ気が高まって「断じてそんなことはない。俺らはクルアーンを勉強しているんだ」と返してくる。「殺している輩は外国人に決まってる。アフガンとかシリアとかサウジとかヨルダンとか」とも。「ムクタダ(サドル)については?」と言ってみれば、「おいおい、この娘ムクタダって言ってるぜ」というように周りと騒ぎ、ていねいな口調で「いいかい。ムクタダはね、神に近い存在だよ」と。聞いていたとおり、ムクタダの神格化が進んでいるらしい。マハディのかれには、「バグダードに来るなら俺が守ってやる」とまで云われる始末。アメリカにかんしてはやはり、大問題だという答えだった。
イスラーとバーンとは、乙女トークを弾ませる。かのじょらは「ちょっと口にしてみて」と、わたしに「ラーイラーハイッラッラー、ムハンマドラスールッラー(アッラーのほかに神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり)」と唱えさせようとした。これを2人以上のイスラーム教徒の前で云うと、イスラーム教徒になってしまうのだ。「ンもう、知ってるんやからね」と冗談で怒るわたし。宗教についてはじつは今おおいに悩んでいる最中なのだけれど、いちおうじぶんはブディストと答えると、かのじょらは仏教を尊重してくれた。
なによりうれしかったのは、わたしのアラビア語がそこそこ通じるのか、皆アラビア語で話しかけてくれること。まだまだ勉強中のアラビア語だけども、すこし話せるだけでずいぶんと信頼してくれるみたい。学習意欲もわくってもんよ。

さて肝心の演劇のほうはというと、我われ観客は各々どう見たってOKなんだが、どうしても難解に思えた。わたしは東京での全公演すなわち19日から21日までの4回も観劇したので、やっと分かったかなという感じ。雨漏りを恐れる一家の顛末、それは精神的な雨漏りのことでもある。
終演後のアフタートークでも解説を求める声が多かったが、かれらは「ご自身で考えてください」とのこと。やっぱりアーティストやね。政治的な質問にたいしては、「民主的な選挙もあった。今の混乱も近い将来にはおさまるだろう」の一点ばりのアナス。イラクのイメージアップを図りたいのか、かれは政治権力側にいるのか。ともかく、アーティストなんだからと政治の話はしたくなさそうだった。
なかには、「各自の名まえと、スンニ派かシーア派かを順に答えてください」というとんでもなく無礼な質疑があった。これにはさすがに、聴衆からブーイングの嵐。ところが最初のイスラーは凛然と、「イスラーといいます。ムスリマ(イスラム教徒のおんな)で、イラク人です」と延べたんであった。場内は拍手。わたしも大きく手を叩く。スンニもシーアもない、イラクは1つなんだと、そう信じたい。

「アッラーイサハディック(おつかれさま)」と皆に声をかける。ろくに電気もつかない稽古場に集まるのも一苦労のバグダードで、ずっと練習を重ねてきたんだ。
「アッシューフィッチ・インシャッラー(神がお望みならばまた会おう)」と云ってキスをして、わたし達はお別れした。「バグダードで会おう」という夢は、まだ口には出さないでおいた。
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by peaceonkaori | 2007-02-10 00:15 | 国内活動
e0058439_22322025.jpg9日、午前11時。この1月ほどのあいだに集めた署名5495筆(Web1631・紙媒体3864)を携えて、アメリカ大使館前。
抗議行動なんかでは"アメ大"前へは行くことができず200メートルの彼方まで押し下げられるので、わたしは"アメ大"前に来るのが初めて。イラク大使館とは違って、かなりご立派な建物とものものしい警備なのだなあ、というのが第一印象。ヴィザ取得のために並ぶ傘の列がずらーっとつづいていた。

出てこられたのは、政治部スタッフではなく、警備課スタッフと称する男性。大使館のかたとどんなことをお話しよう、などと思っていたのに、門の前ですぐにでも終わってしまいそうな雰囲気になる。もちろん色んなグループが次から次へと色んな抗議文やら署名やら写真やらを持ってくるわけだから、いちいち対応していられないのも分からないではない。
けれどもこちらだって、40余国5495名分の思いを引っさげてやって来ているのだ、イラクの友の家族が死んでいったりしているのだ。すごすごと踵を返すわけにはいかない。ていねいに文書の説明をおこなった。これは単純な米軍のイラク撤退を訴えたものではないこと、米兵のイラク人への態度を改めてほしいということ、米軍が悪行を重ねれば重ねるほどイラク人は米国を敵とみなしレジスタンスが増えるという悪循環に陥るということ…。
担当者の態度がしだいに変わってきたのがみてとれた。文書と署名は責任をもって担当に渡すと約束してくださる。大使館員スタッフが確認後、本国に電報で概要を送った後に現物を送る手はずだそうだ。わたし達が前もって渡していた資料を、このかたは前日にきちんと目を通してくださっていたのも、ありがたい。

ほんとうに本国へ渡るのか、最終的に宛先である大統領ブッシュの目に触れるのかは、知ることはできないけれども、とりあええずありったけの思いを託して大使館を後にした。
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by peaceonkaori | 2006-08-10 22:31 | 国内活動
6日に文京シビック小ホールで開催された「おかしいぞ!警察・検察・裁判所」第4弾「共謀罪をぶっつぶせ!」へ行ってきた。
行く前は、持病の発作のようなものに見舞われびくびくしながらの参加だったけれど、充実した3時間を過ごすことができた。ほっ。

まずは、弁護士である安田好弘さんの講演。
1999年の山口県光市の母子殺害事件の少年の被告の話を挙げ、これはいかに自白させて作り上げた事件か、また事実を検証しようとしない裁判所、「国民的生存権を保たなければならない、悪のもとを断たなければならない、未成年など考慮すべきでない」と死刑を求める検察のことなど、司法がイコール行政になってしまっている現実をお話くださった。
このような司法に共謀罪を握らせたらどうなるのか、ということだ。

第2部は、色いろな事件の「被告」や関係者のスピーチ。
たった2行の「他人の権利を害してまで表現の自由を行使してはいけない」と判決された立川反戦ビラ事件の大西章寛さん、社会保険庁職員で選挙チラシ配布をした国公法弾圧事件の堀越明男さん、新宿の野宿者を無罪にした裁判長だのに都庁や公安の圧力によって悲しい有罪となってしまった板橋高校事件の藤田勝久さん、344日も不当に拘留され裁判でも頻繁な裁判官の交代で無罪を妨げられているJR浦和電車区事件の大澗慶逸さん、関西からは連帯労組関西生コン支部弾圧事件の西山直洋さんが、発言された。
共謀罪が成立していない現在でも、このような事件が多く発生している。ケースは違えど皆さん一様に、「司法は壊れている」とおっしゃっていた。

e0058439_22285548.jpgつづいてのパネルディスカッションでは、途中でヒューザーの小嶋さんの面会に行ってしまわれた安田さんと、60年前は沖縄の海が沖縄の人を助けたのに今はイラクへ海兵隊を送るという人殺しの島になっていると嘆かれたジャーナリストの大谷昭宏さん、共謀罪は「殺笑罪」になっていると揶揄された評論家の佐高信さん、イラク派兵からすでに戦時下なんだとおっしゃった漫画家の石坂啓さん、こども全員が対象となる教育基本法改悪にも目を向けてくださいと訴えられた社民党の保坂展人さんが、ご出演。
保坂さんからは、今日やっと、(どんでん返しにならない限り)共謀罪が"フリーズ"になったという朗報があった。秋の臨時国会に向けて闘いはつづくとはいえ、ひとまずは休める~、というか休ませてぇ。
「責任逃れしつづける司法の責任を追及せよ」、また共謀罪について「思想が普遍的になればなるほど、越境性を帯びるではないか」とひどくまっとうなことを云われた安田さん、そして「戦争の始まりなんてどこでどうやって分かる? もうこの国は戦時下なのよ」と卒業式などの例を挙げてくださった石坂さんのお言葉が、ひじょうに印象に残る時間だった。
わたしも、2004年10月に香田証生さんが日本の人質として殺されたあの瞬間には、日本は戦時下なのだと実感して震えたものだ。わたし達のこの国は、もう何年も戦争をつづけている。

弁護士だって代議士だって漫画家だって、アプローチの仕方は様ざまだ。わたしのようなNPO職員にもやることは、山とある。この絶望的と思えるような社会においても、各方面で繋がってやっていこうと思えた集会だった。やったるえ!と、終了後に立ち呑み屋で生ビールやりつつ決意を新たにするのであった。
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by peaceonkaori | 2006-06-08 22:27 | 国内活動
そんなこんながあってから、2日のお昼わたしは「国会まで、急いで」とタクシに飛び乗ったんであった。

5月23日に書いたように「共謀罪の奇妙な静けさ」は、わたしにとって長く短くつづいた。
わたしも協力させていただいた30日発売の「週刊SPA!」は、議員にも大臣にもぜひ読んでいただきたいものだと、ふふふと思っていた。
31日の朝刊1面には「共謀罪 成立見送り」とあり、ほっとしていいのやらどうしていいのやらで、足踏み的感覚にとらわれた。

そして一転、である。与党が民主党案を丸呑みにし、次の国会で修正を図る目論見、とのこと。それがほんとうなら、相当なめられているなと思いつつ、翻った与党はその説明責任を要する。そうはいっても、民主党がそんなことに合意するはずがない、という情報も得た。
とにかく行ってみよう。

議員会館前で大勢が歌ったり踊ったりして共謀罪に反対しているかたがたの姿が、タクシの車窓から見えた。ひそかにエールを送る。

今日も傍聴人は多かった。傍聴席は15人分しか設けられていないので、16番目のわたしはモニタのある別室で待機。ほんとういうと、こうやって傍聴に来るよりTVやインターネットで情報を追っているほうが、よっぽど事情がよく分かる。だって、ここへは筆記具しか持ってこられないんだもの(そしてそのメモ帳だって、検査で中身を確認される)。
開会予定の13時になっても中継は始まらなかった。理事会でもめているようだ。やはり民主党は頑なに拒否をつづけているもよう。
そして、ロビイストの関組長によれば、なんとあんなに通したがっていたようにみえた法務大臣の杉浦正健さんが「今日は止してくれ」とおっしゃっているという。
なんのことやらさっぱり、混乱しているということだけは分かった。こうやって何時間も待ちぼうけを食わされているのはひじょうにイライラしてしまうけれど、委員会が始まって強行採決に持ち込まれるよりかはよっぽどましな状況な訳で、大人しくしておくほかない。
また、強行採決かもしれないと、マスコミの数も凄まじいとか。こんな場面だけでなく、今までの状況を地道に報道してきたマスコミはいったいどれだけあるのか? 多くの情報を市民に提示して考える材料にしてもらうのが、マスコミの役目ではないのか? やれやれ、なんて云っても仕方ないけど…やれやれ。

4時間半以上の缶詰め状態の後、17時45分から委員会が始まった。野党委員は欠席。
自民党の西川公也さんが冒頭、再三の協議で機は熟したのに野党は採決に応じてくれないと、こぼされる。
これにたいし早川忠孝さんが、5月19日から26日にかけて与野党で共同修正を試みたが至らず、26日に委員長の石原伸晃さんから言われ実務者協議をおこなった旨を話された。
外務副大臣の塩崎恭久さんは、「条約の担保要請を改めて申しあげただけで、早期成立を希望する」と外務大臣の麻生太郎さんの伝言を読みあげられた。麻生発言が民主を撥ねつけた原因でもあるため、そのような発言が必要だったのだろう。
西川さんがまた、なんだかんだとねちっこく述べられるのだが、なにか異様に空気が動いて、強行採決されることなく、18時15分に委員会は終了した。

細かい理由は分からない、けど与党はどうしても強行採決に踏み切れないらしい。委員会には、たしかに異様な空気があった。「とうとう来る!」と目をつぶりそうになったら、委員長は閉会を告げたのだ。政党間の駆け引きで、このような悪法が決まるか決まらんか変わってくるのだろうか? わたし達の知りえないものが、うごめいているのだろうか? わたしは気味が悪いような気になって、もうすでにニュースやらなんやらで事情は分かったにもかかわらず、今日までこのもようを本ウェブログに記録できなかった。政治には、不思議に気味の悪い瞬間というものがあるのだなあ、と。

帰宅して、民主党の法務委員の全員に、今日の英断ありがとう、とファクスを送っておいた。とりあえず。
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by peaceonkaori | 2006-06-08 21:16 | 国内活動