NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

<   2005年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

原爆の図/ハニ講演

e0058439_2115041.jpg23日、埼玉県にある丸木美術館を訪れる。
屏風に描かれた原爆の図。黒色と灰色と赤色は、つまり焦げた身体とスモークと血の色。人間としての本能で、ぜったいにあってはならないことを目撃してしまったような感触に陥った。人間としての大罪、同時に人間としての拒絶反応。
そして今イラクでおなじようなことが起こっている、そのイラクから来たハニさんとこれを見ている。わたしにはまったく居場所がなかった。ハニさんは静かに涙を溜めていた。絵を鑑賞して泣くのは初めてのことだという。

e0058439_212474.jpg夕刻になって、川越市でのLAN TO IRAQ展の最終日に顔を出す。ハニ画伯のご登場に、会場が沸く。
夜には講演もおこなった。ハニさんは最初きんちょうしていたようだったが、しだいにリラックスし出し、最後には冗舌に振る舞った。前夜、日本の発展のことやサッダームのこと、わたし達は色んな議論を交わした。ハニさんは云う-イラクには何千年の歴史があり、それはいかようにも踏みにじられないものなのだ。長老を敬い目下にはやさしくするってもんじゃないのか。それはハニさんの作品にくっきりとあらわれている。古代文明から得たインスピレーションの連なり、豊かな歴史への誇り、生き物として大地から吸いとった魂のようなものが、ハニさんの絵画にはある。ええ、わたしは純粋に、ハニ芸術のファンです。だからなおさら、人びとの生命のみならずこころや文化やちょっとした美術品までもが壊されてゆくイラクのこの現状に、黙ってはいられない。闘います、わたしは。
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-25 02:12 | イラク人来日プロジェクト
20日、前日5時まで仕事などに追われていたため、11時に起きてしまう。顔も洗わず、ハニさんにおはよう。先に起きていたハニさんが卵を焼いてくれた。
ハニさん、近所を散歩するといってお出掛け。そのお土産に、可愛らしいお花をプレゼントしてくれる。こころから、うれしい。そう、アンマン滞在時の文章を読み返してみると、「~してもらった」「~しれくれた」というフレーズがやたら目につく。イラク人、アラブ人と接していると、そんななのだ。

夕刻、アンマンからの約束どおり、ハニさんにわたしの油絵を描いてもらう。2時間ほどで描きあげるハニさん。思うような画材がなかったので出来ばえに満足していないようだったけど、それは黒田清輝なんかの明治・大正期の絵画にあらわれる日本女性のよう。やはりわたしの顔は大正浪漫なのか…。アンマンで描いてもらったスケッチは目が細かったので瞳を大きくしてねと云ったのだが、やっぱしちいさい。モデルと画家というのは、1対1の真剣勝負。見つめられると、しゃん、とする。だけど、友達の4歳のリちゃんがわたしの周りをちょこまかちょこまか遊びに来るのをわたしがかまうので、幾度もハニさんに「カオリ、ストップ」と注意される。リちゃんは完成した絵に「かおりんだ」とびっくりしつつも、「でも目がちいさいからダメ」とのご批評。作品は、トップのポートレートにしてみました。
PEACE ON会員のレちゃんのお家で夕飯をご馳走になっている最中、突然リちゃんが泣きだした。ハニさんが「イラクにおいで」と誘ったからだ。リちゃんは4歳なのに、イラクの惨状をよくわかっている。怖くて嫌いと云っていた。わたしは、今は怖いかもしれないけどすき。

ハニさんと目を合わせて笑う、「昨日のわたしとおんなじやね」と。
ゆうべハニさんとYATCHが話しこんでいる間、わたしはほとんどなにも云えなかった。ハニさんが寝に行った後になってわたしは泣きじゃくり、ハニさんのお部屋をノックすることになった。扉を開けて驚くハニさん、そりゃそうだ。「わたしの払った税金がイラクの人びとを殺しているの、わたしがイラク人を殺しているってことなのよ」と主張する。ハニさんは「それはシステムの問題で、カオリは気にしないで」と云ってくれるのだけども、噴出したわたしはおさまらない。だって、ずっとずっとこころにあった謝罪なんだもの。「わたしはイラクのお家1軒1軒をまわって謝りたい、ミスター・ハニ、アイムソーリー、アイムソーリー…」。「わかった、バグダードに帰ったら、日本にこういうおんなのこがいるってことを伝えるよ」とハニさんが云ってくれる。YATCHには、「泣くだけではなにも解決しないじゃないか、僕らは地道にやるしかないんだ」と叱られる。たしかにそのとおりで、それはハニさんもわたしも認めるところだ。ごめんなさい、戯言とは承知でハニさんにぶつけてしまったのだった。

e0058439_450931.jpg21日の個展初日には、ハニさんはスーツにネクタイ姿でご登場。絵描きさんとしての個展への意気込みが、びしびしと伝わってくる。 それでも笑顔でチャーミングなところが、イラーキーなのだけれども。
大勢のかたが観にいらした。記者会見もオープニングパーティもぶじ終了。わたしは記者でもないのに、記者会見で質問してしまう。だけどその質問がハニさんの気に入ったみたい。
ハニさんの絵からは、何千年にも及ぶ豊かな歴史をかんじさせるし、このたびの個展ではギャラリーの中央に立ってぐるりの壁から迫ってこられそうな勢いを享ける。そしてお聞きしたかったのは、今回の新作の1つに、かれのこどものルカイアとハッスーニの描いた絵が用いられている、そのことについて(ルカイアの描いたミサイルを落とされているおんなのこは、わたし?)。こどもは未来を象徴する、ハニさんはつまりそれを描こうとしたのか、と。かれは「ありがとう」と云って、答えてくれた。爆撃音を聞いて育ったこどもへの思い、そして託す未来。あの愛らしいルカイアもハッスーニもナバもムスタファも、そしてイラク中のこどもが爆撃音を耳にして暮らしている。その事実に、わたしはどう対峙できるのか。

e0058439_4502496.jpg22日、イラク大使と参事官がギャラリーに来てくださる。温和な大使は、作品に微笑みながらたいせつそうに観て回ってらした。ファルージャの出身らしく、わたしが驚いたのは「市民は市民、政府は政府、市民同士っていうのが大事なんですね」なんて云われたこと。やるではないですか、大使。月末には夕食にお呼ばれまでしてしまいました。

ハニさんと2人で帰る途中、わたしは反対方向の地下鉄に乗ってしまう。5駅! かれはニヤニヤ許してくれるのだけれど、その後ずーっと「ハムサ(ファイブ)ステーション」と繰りかえしてわたしをからかうんであった。「カオリには2つも弱みがある。まず1つ、夜に泣き出したこと、そんでハムサ・ステーション」なんて意地悪く笑うもんだから、こちらもすっかり内弁慶がとけてしまった。もうすっかり家族のよう。ハニさんは恋のお話をやたら聞きたがるのだけれど、本人はしんぱいでたまらない奥さんから毎日のように国際電話がかかってくるのですよ。
e0058439_450398.jpgそして今夜は、ハニさんが持参したバーミヤン(乾燥オクラ?)で、約束の夕ごはんを作ってくれたのだった! バーミヤンとチキンのトマトスープ。イラクの食べ物、イラクの匂い、イラクの味だと、行ったことのないわたしは想像してウットリする。大きなお鍋で作ったから、明日の朝食にもとってあるんだ。愉しみだから、明日は早く起きられるかな。
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-23 04:50 | イラク人来日プロジェクト
18日、ハニさんが日本へやって来た!
e0058439_1546657.jpge0058439_1546166.jpg夜も11時をまわり、代表YATCHやジャーナリストのシバレイとともに空港でソワソワ、ソワソワして待つ。そしてあらわれたハニさんとガラス越しに再会を喜び合うも、警備員に止められて、仕方なくハニさんはベルトコンベアー前で、ニヤニヤしてこちらに手を振りながら、荷物を受けとっている。「シュローネック(ご機嫌いかが)!」と叫びながら握手、もう嬉しくてたまらない。チョット~ハニさんニッポン来はったえぇ、とそれだけで胸がいっぱいに溢れっかえる。大すきなハニさん、たった1月半ぶりだというのに、ほんとう会いたかったん、うん。
長旅にもかかわらずハニさんお元気そうでなにより。アンマンの空港では多く質問を受けたらしいが、関空ではマーク・ムシュケラ(ノー・プロブレム)だったよう。ほっ。
一時解雇された(※11月21日訂正:正式には解雇ではなく、配慮であったと、本人から訂正依頼がありました。不法就労とも呼べるイラク人が多いため、国にチェックされないよう会社側が数日のお休みを与えてくれたそうです)会社にもぶじ復帰できたそう。何10万人ものイラク人が流入しているヨルダンの現況をかんがみると、イラク人をみなクビにするのは、会社だってまわらないだろう。なにやってんだかね。とにもかくにも、よかった。
シノさんの車で送っていただき、事務所に着いたとたんにハニさんは、荷物から新作群を引っぱり出して次つぎに見せてくれる。9月にアンマンのお家で見た時にも感じたことだけど、イラクにいらした頃の絵より、より色鮮やかによりしなやかに力づよくなっていっているように思う。カナヅチで心臓のどこかをコンとやさしくノックされたような、快い衝撃が我が身を走る。これら新作は、銀座の中和ギャラリーで21日から12月3日までご覧になれますので、これはぜひにどうぞ。初日はハニさんも在廊し、記者会見やパーティもあります。(ちなみに埼玉県での展覧会はすでに始まっています。)
ひと通り開梱すると、今度は急にシャワーを浴びたいと云い、ハニさんご入浴。すっかりアラビックなペースに。事務所もどことなく、アラブのかおり。
その後は、軽い夜食でささやかに来日を祝う。ハニさんは、白飯も納豆もお味噌汁も秋刀魚のみりん干しも梅干も、お食べになった。梅干なんぞは気に入って、5つも6つも食べつづける。お味噌汁も「ビューティフル」と云ってくれた。2週間の日本滞在、だいじょうぶそうやね。

翌19日は、わたしは自分の出演するイベントへ向かう。
e0058439_15464792.jpge0058439_15465612.jpgPEACE ON以外での初めてのパネリスト出演でしかも短時間ということもあり、慣れないわたしはとうていうまくお話できたとはいえず、猛省。ざわついた場の雰囲気に呑まれてしまった。今後も地道に場数を踏んで、修行するしかない。
それでも、アンマンでイラクの人権団体から受け取ったスンニ派イラク人の拷問死の映像をお見せし、その他アンマンのイラク避難民についても、少しはイラクの実態をお伝えできたのではないかと。とにかくイラクの現状は複雑、焦ると言葉がもつれていけない。お出でになっていたジャーナリストの村上和巳さん(PEACE ON会員でもあります)に助け舟を求めたりする。はい、村上さんにはいつも勉強させてもらっています。今号の「軍事研究」にも記事を載せていらっしゃるので、必読。
わたしの出たセッションは、「〈反戦〉の意味をつかみなおす」というテーマだったのだけど、日頃からその語義についてしばしば考えをめぐらせ自分ではほとんど用いない、「反戦」という言葉。「反戦」ってなんだろう? わたしはイラクという国に魅力を感じて「反戦」している、という面もある。だけど「反戦」する人びとには、それぞれの「反戦」がある。今回はそれが再認識でき、出演した意義があったと思っている。ありがとうございました。

その後は会員のヨさんのお宅で、ハニさん歓迎パーティ。ハニさんはわざわざスーツを着てお出まし。アラブのおもてなしは最高に素晴らしかったが、日本のおもてなしもなかなか素敵でしょ、とこころでハニさんに尋ねてみる。気がつけば終電車を逃していた。

(空港での左写真の撮影はシバレイ氏・イベントでの写真撮影は村上和巳氏)
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-20 15:49 | イラク人来日プロジェクト
「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉2005─戦争国家の足もとを揺らせ!戦争機械を止めろ!」で、パネリストとして出演することになりました。

日時:2005年11月19日(土)12:00~21:00
場所:渋谷区立千駄ケ谷区民会館(東京都渋谷区神宮前1-1-10・JR原宿駅or東京メトロ明治神宮前駅10分)
   
見る─MOVIE/見る─GALLERY/交流する─PRESENTATION BOOTH/体験する─WORKSHOP/意思表示する─DEMONSTRATION/感じる─MEDIA INSTALLATION…
などのコーナーが設けられていて、そのなかの、「聞く─TALK SESSION」という部門でお話させていただくらしい。

Session-B 〈反戦〉の意味をつかみなおす (15:30~17:00/集会場)
[ゲスト]高瀬香緒里(特定非営利活動法人 PEACE ON 事務局員)/田巻一彦(脱軍備ネットワーク・キャッチピース)/井上森(立川自衛隊監視テント村) [司会]茂木遊(戦争に反対する中野共同行動)
空爆開始から2年半をへてもなお、イラクの惨禍を防ぎえないという焦燥感……あるいは状況が好転しないことから生ずる関心の低下。国内の反戦・基地・管理・監視・安全安心など、それぞれに深刻である諸課題への取り組みが縦割りになっていく状況。これらをともにはねかえすものとして、〈反戦〉の意味をつかみなおす。

短時間の決められた範囲内でまたも暴走しないように、慎重に且つ大胆にお話させていただこうと思います。アンマンでイラク人から頂戴した映像もお見せするつもりです。
当日は、キュートなパレスチナのインティファーダーの首巻き(じつはパチンコ玉を打とうとしている覆面少年の絵)でも巻いていこうかしらん。それにしても、反戦てなんでしょうねえ。
よろしくお願いします。
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-18 01:27 | おしらせ
前回11月12日付け記事の末尾に、「今とても、きんちょうしている」と記した。その自分内のきんちょうは、日に日に高まっている感がある。

事件を聞いてすぐ、アンマンに住んでいたりアンマンにいそうな友人に、「だいじょうぶなの?」とメールした。だいたいのひとからは返信があった。
もちろん罪のないひとが殺されるのは悲しい犯罪だけれども、イラクではそれは毎日毎日それこそ何10件と起きている。イラク人は、今回のアンマンでの事件のような危機に日常的にさらされている。アンマンの件だけが連日のように大きくとりあげられるのは、ひらたくいってフェアじゃない。だから、たとえばサマワにいるイラク人からは、アンマンの事件についての話題もそこそこにサマワの状況を書いてきたし、ほかのイラク人からは、以下のように云われた。

ヨルダン人については、僕はマジにはしんぱいしていないよ。なぜって、僕がタクシーに乗ったりヨルダン人たちと会ったりする時にいつだってかれらは「イラクでムジャヒディンはアッラーのもとでよくやってるよ」なんて話すから、僕は罪のない人びとでなくアメリカ人を殺すムジャヘッド(ムジャヒディンの単数形)について言って、そしていつもいつもかれらヨルダン人は「戦争なんてもんはすべて犠牲がつきものだ」って話すんだ。そう、だったら僕は今、この犠牲(アンマンでの連続爆破事件)をテストせよと思っている。信じてくれ、かれらヨルダン人はイラク人たちを人間でなく犬のように扱う、ってことを。国境では、悪い言葉で僕らを罵り、寒かろうが暑かろうが12時間も待たせやがる。でも僕はイラク人たちしかケアしない、というのもかれらはもっと悪く扱われるだろうから。ヨルダンに住むイラク人に訊いてみるといいよ、「ヨルダン人は君や君の家族をどんな風に扱うの?」ってね。

アンマンに2週間ほど滞在していた時、街で会話を交わしたヨルダン人らに「イラクをサポートしているのよ」とPEACE ONの活動を話してみると、たいていは「いいことしているね、イラクはひどいからね」とは云われるのだが、それ以上の興味を示すひととそうでないひととがいた。
全員に興味を抱いてもらえるとは思わないけれども、器のちいさいわたしはこころのどこかで「隣の国やろ、なんでそんなんやの」と思ってしまったこともあった。無論わたしはわたしなりに、地道に活動をつづけてゆくのみなのだが。

爆発物は天井に仕掛けられていたという話もある。そもそも当局は、あの短時間でどのようにして犯人をイラク人だと断定したのか? 自爆未遂犯として告白しているあの女性は何者なのか? わたしにはわからないことだらけ。

アンマンに住む大すきなイラク人の友人が、爆破事件の直後に職を解雇された(※11月21日訂正:正式には解雇ではなく、配慮であったと、本人から訂正依頼がありました。不法就労とも呼べるイラク人が多いため、国にチェックされないよう会社側が数日のお休みを与えてくれたそうです)。ヨルダンに移住したイラク避難民は50万人とも100万人ともいわれるが、かれらへの締め付けが今後ますますひどくなっていくことは間違いないと思う。昨日は1日その事実で悶々として、事務所で招聘準備などの仕事に追われつつ唸り声ばかりあげてしまっていた。
今週末にはいよいよ画家のハニさんが来日する。ヴィザはとうに取得しているのに、この期に及んでまだ日本側からのインヴィテーションが要るという。無事に飛行機で時間どおりに到着できるのかしら。イラク人であるというだけの理由でおこなわれる無駄で厭らしい検査で、ハニさんが不快な思いをしませんように、どうか。
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-15 10:20

アンマン爆破事件のこと

アンマンの連続爆破事件については、悲しみやら説明しがたいふしぎな気ぶんやらが入り乱れている。こころの整理はつけられていない。

朝、枕もとに置いておいた携帯電話に、幼なじみからメールが入った。「日本にいるよね? しんぱいなので返事ください」と、文字が急いていた。かなたじけないとは思ったのだけど、こちらはアンマンを出国して1月も経つのでだいじょうぶ。
そのかわり、アンマンで友達になったヨルダン人やアンマンにいるかもしれないイラク人の友達に「オーケー?」とメールするわたしは、どきどきしている。

数人からは「ありがとう、しんぱいしないで」「神のおかげだよ」と返事があった。
ただ、あるアンマンの友達の大の大の大のお友達が、被害に遭ったらしい。かれは疑問符と感嘆符を多用して、「アブ・ムサーブ(ザルカウィ)が俺の連れを殺したのか」と嘆いていた。「アブ・ムサーブは俺の敵で、すべての真なるムスリムの敵だ」と罵り、「色いろあってもヨルダンは俺の国で、俺はヨルダンを愛しているんだ」という決意にも似た感情ををあらわにしていた。
それはとても悲痛で、わたしはどう言葉をかければいいのか悩み、そのメールにたいして未だに返信できないでいる。

すきなひとのすきなひとが殺される、ついこの前にわたしの歩いた街で素敵な友人がたくさん住む街でイノセントなひとが殺される-なんだそれは、と口惜しくてならない。
「ヨルダンの9.11」という形容もされている。イラク人が犯行におよんだという、よく理解できない声明まで出ている。今後の動きはどう考えても穏やかなものにはならないだろう。今とても、きんちょうしている。
[PR]
by peaceonkaori | 2005-11-12 10:52