NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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<   2005年 12月 ( 12 )   > この月の画像一覧

ただいま発売中のミニコミ誌「恋するアジア」48号に、記事を書いてみました。タイトルはずばり、「イラクの恋、サラマッドとアマラ」。PEACE ONイラク現地スタッフ夫妻の恋愛話を書きました。

戦時下に咲いた恋の花を、巷で噂の(?)ラヴレターの文面も公開しつつ、甘いストーリーに仕上げてみました。あつあつの写真入りです。

本人らもこの記事をすごくよろこんでくれて、うれしい限り。
イラクには戦争や占領がある、だけど恋愛や友情もある。かれらの愛は、わたしにとっては希望です。
みなさまもぜひお買い求めください。
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by peaceonkaori | 2005-12-21 17:38 | おしらせ

「軍縮」1月号

ただいま発売中の月刊「軍縮 問題資料」2006年1月号に、「明日をひらく市民力7 イラクから友人がやってくる」と題し、ライターの芦澤礼子さん(PEACE ON会員でもあります)によるわたしの記事が掲載されています。

10月16日(日)に開催したPEACE ONイラク支援・ヨルダン帰国報告会でお話した内容を中心に、わたしがイラクに惹かれたきっかけから、9月のアンマン滞在事情、このたびのイラク人来日プロジェクトの準備に奔走する様子まで、わたしのPEACE ON史のようなものを総括して書いてくださっています。

お読みくださればうれしゅうございます。よろしくお願いします。
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by peaceonkaori | 2005-12-21 17:18 | おしらせ
PEACE ONのオフィシャルページでは告知していましたが、こちらでも。といってももう明日が最終日です。
東京銀座の中和ギャラリーにて12月12日(月)~17日(土)開催の「永遠のアジア ETERNAL ASIA」に、我らがLAN TO IRAQからもマヤサ・ムクダディサラーム・オマールの作品を出展しています。最終日は16時までですのでお気をつけて。

明日デートを控えていらっしゃるかた、アジアの美術をご鑑賞後にヘンデルのオラトリオ(1つ前の記事ご参照)なんてプランはいかがかしらん? ぜひにお待ちしています。
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by peaceonkaori | 2005-12-16 22:45 | おしらせ
PEACE ONとは関係ありませんが、おしらせです。

いよいよ明日に迫りました。JVC国際協力コンサート2005 第17回東京公演「ヘンデル『メサイア』」が開催されます。その一合唱団員としてわたしも歌います。

日時:2005年12月17日(土)16時開演
会場:昭和女子大学人見記念講堂
合唱団:JVC合唱団(募集中)、横浜シティ合唱団
S席10,000円、A席5,000円、B席4,000円、C席3,000円(全席指定:当日券あり)

空港会社やオーケストラなどそれぞれが協力し合い、チケットの収益金は1000万円ほどにもなるそうです。そのお金は、JVC活動資金として使われます。
降誕祭の間近に『メサイア』を聴いて、国際協力にもなるという、1粒で2度おいしいコンサート。みなさまもぜひにご鑑賞ください。

PEACE ON活動でいつもお世話になっている大御所NG0のJVCさんですが、将来はPEACE ONでも音楽隊ができれば面白いなあ。
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by peaceonkaori | 2005-12-16 22:35 | おしらせ

See you soon.......

3日深夜、ハニさんがアンマンのご家族に電話する。電話口でハニさん激怒、大迫力のアラビア語で捲くし立てている。とっくにバグダードからアンマンに着いているはずだのに、連絡がなかったからだった。
e0058439_17221590.jpgどうやらみんなぶじだそう。とはいえ、イラク・ヨルダン国境では12時間以上(20時間かも←ハニさんは英語数字が苦手)待たされ、ルカイアは具合を悪くしたみたい。わたしの大すきなルカイアが! アンマンではたくさん絵を描いてくれたし、今回ハニさんが持参してくれた絵もあった。はにかみやさんで、お絵かきとおめかしが大すきな、可愛い可愛いルカイア。そんなこどもを抱えた家族を寒い国境で延々と待たしておくなんて、と腹が立ってならない。
ラマディ付近に住むハニさんのお母さんも病気だそうだ。そしてハニさん自身だって、バグダードにいた頃はストレスに苦しんでいた。戦争はみんなみんなのライフを壊してゆく。
戦争と占領の被害は、なにも死者の数だけではない。道路封鎖されて迂回するひと、夜中に病院に行けないひと、たいせつに栽培していたなつめやしの木を戦車になぎ倒されたひと、国境で待たされて病むひと…そんな1つ1つが如何にも被害であり、わたしはそれを放っておきたくなくてくそーと下唇を噛みしめる。お父さんが一緒じゃなくて、こころ細かったことでしょう。ルカイアの容態が早くよくなりますように、とせめて祈る。

12月4日、とうとうかれらの日本出国の日がやって来た。サラマッドとアマラは午前中に出発。ハニさんとわたしは空港までお見送りにいけないため、事務所でお別れする。起きぬけなのに、涙がこぼれて終わらない。「わー、カオリがまた泣いたー」とサラマッドはあの笑顔で慰めてくれる。握手した手を離せない。「すぐに会えるよね?ね?」と繰りかえして繰りかえして、だけどももうさよならの時。さよならなんて云えないよ。ただ、「ほんまにすぐに会おうナ」とだけ。

e0058439_17223944.jpgサラマッドとアマラの使っていたお部屋に入ると、お布団のうえにYATCH宛てとわたし宛てそれぞれに置き手紙が残してあった。

Dear friend & sister
Thanks for working so hard to make us happy. It took me a while to know you better and all I can say is that you are a great girl with a great heart. Inchallah you come to France or to Iraq and I can take care of you too.
Wish you lots of luck and love with ......
And hope to see you soon.
I'll pray god to keep an eye on you.
Amara & Sarmad


ンもう。また泣かせやがって。空港にいるサラマッド達から、「もしもしー」と電話がかかってくる(サラマッドは日本人の「もしもし」とか「どもども」「はいはーい」なんかの真似が上手)。「お手紙、読んだよー。もうアイミスユーやでー」。ありがとう、サラマッド、アマラ、ほんまにね。

e0058439_17231023.jpge0058439_17232111.jpgその後、ハニさんとわたしは浅草へ行ってお土産ショッピング。
「なんだこれは?」とハニさんが興味を示したのは、100円ショップ。説明すると、この国のエクスペンシヴさにうんざりしていたハニさんは、大よろこびで入店する。「なんで今まで教えなかったんだ?」と、次つぎと買い物かごに入れてゆく。塗のお盆や重箱のようなものなど日本的なお土産を探すのだけど、かれのこだわりはあくまで「Made in Japan」。「品質は低いんやよ」と教えても、「そんなことはかまわない、日本製という表示が大事なんだ」とのこと。たしかに、イラクでの日本製品は神話のようだと聞いている。けっきょく3000円ほど買っていた。
で、かんじんの雷門から浅草寺までのお店の賑わいには、ほとんど興味を示さなかった。すこしだけでも見てもらう。日本的な浅草も、100円ショップにはかなわなかった。

天丼、食べる。食後のお茶をしながら、イスラムの結婚について教わる。ハニさんは「今度来日する時には新しいお嫁さんでも探そうかなあ」なんて冗談交じりに笑っている。「わたしはハニさんの奥さんがすきやから、かのじょを悲しませんといてや」と反対すると、「僕もだよ」と必ずつけくわえる。このひとは、街を歩けば「おっ、あの娘は好み、あっちはダメ」なんて品定めを始めちゃうし、鼻歌は四六時中フンフン歌っているし、悪口だって口にするし、写真ばっか撮らせるし、まったくオジサンそのものなんである。あんな絵を描くのにね。2人とも英語がそこまで得意じゃないのが妙に馴染んだのか、わたし達は兄妹のように仲良しになり、なぜかほかのひとより云いたいことも伝わった。実際わたしはすっかり、ハニ専属マネージャーと化していた。微酔してハニさんを叱ったことだってあった。この瞬間はいつまでもつづくと、思っていたかった。

YATCHと合流して、秋葉原の電気街へ。
長男ムスタファ用のゲームや、家族を今回バグダードまで連れて行ってくれたいとこに贈る髭剃りを探す。昨今のゲーム機は高性能で、融通が利かない。ハードとソフトがあって、ハードは電池式ではないうえに、ソフトは日本ぐらいでしか販売していない。そして阿呆らしいお値段。ゲーム機は、ムスタファへのプレゼントには相応しくなかった。
にしても、日本のこはこんなものを買い与えられているのだろうか? わたしはTVゲームのない家庭で育ったため、その感覚がわからないけれど。なにもかもが充実しているゲーム内容、ということはつまり想像力が欠如するということにならないだろうか? 創意工夫のもてない玩具は、"遊び"とはいえない。わたしは安曇野ちひろ美術館を思い出す。あそこのお庭は丘の曲線と浅い池のお水と草花しかないし、こどものお部屋には絵本の山とシンプルな積み木のようなものしかない。それでもこどもらは、きゃっきゃとじゆうに遊んでいる。なにより迫りくるアルプスと半球の透きとおった青空のうつくしいところだ、うん。

そしてなんとなんと、わたしが今回の新作でいっとう気に入った絵、記者会見でも質問したあの作品をプレゼントされてしまった! わたしがハニさんのこどもが大すきでギャラリーでもあの絵をずっとずっと観ていたのを、ハニさんはよく知っていたんであった。この抱えきれないしあわせを伝えるには、感嘆符を放ちまくった「アナサイーダ! アナサイーダ!」という言葉のほかにうまく見つからなかった。ありがとう、ハニさん。あなたのファンで光栄です。

ハニさんの飛行機の時間もいよいよ迫ってきた。
羽田空港へと向かう途中でもハニさんは「マイ・ブラザーとマイ・シスター」と次つぎに謝辞の言葉を紡いでゆく。わたしは浅草散策中に「すきなおとこのこの前ではもうすこし黙っていなさい」と諭されていたのだけども(むぅ)、空港のエスカレーターではさかんに「キープ・ラヴ」と云われた。新婚旅行には故郷ヒート案内を約束。「山があって農家がまたよくって水車が回っていて、ほんとうにいいところなんだ」と。今は激戦地域だけども、きっと将来は花やかな土地にまたよみがえるよう願う。ええ、ヒート訪問を愉しみに。
握手をしてお別れ。ハニさんが離れてゆく。身体検査と手荷物のチェックを済ませて、いよいよ姿が見えなくなるまで、わたし達は思い切り手を振った。つよくつよく振った。
そしてその後に、わたしはすこしだけ頬を湿らせた。「終わったな、2週間」とYATCHが呟いた。ハラース(お仕舞い)!

この2週間-極端な睡眠不足に陥りながら、咳が止まらなくなりながら、喧嘩を繰りかえしながら、持病が悪化しながら、微熱に浮かされながら、嘔吐しながら、泣きながら、大笑いしながら、愉しみながら、なにかにこころが満たされながら…ほんとうにひっちゃかめっちゃかな2週間だった。ほんの一瞬間さえ、憶えていたい日々だった。

エスカレーターの左右の列の違いを認識し、浄水器の蛇口を覚え、ウオシュレットのシステマチックなおトイレに笑い転げた。ハニさんはゴミ分別を習得し、日本の薄味を健康的だとほめた。サラムーディ(サラマッド)は孫の手をニヤニヤとうまく使ってみせ、YATCHが洗面所の電気がさを大音量で割ってしまったらちょうどもっていた包丁を振りかざして「誰かいるのか? 俺が退治してやるぞ」と目玉をギョロギョロさせてがなっていた。

サラマッドとアマラとハニさんとYATCHとわたしは、もう5人家族。インッシャッラー(神がお望みなら)、すぐに会えるかな?
イラーキーの残り香のする事務所で、わたしは胸にぎゅっと詰まらせる。ピースフル・ピース、かけがえのない兄弟姉妹に捧ぐ。
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by peaceonkaori | 2005-12-16 17:23 | イラク人来日プロジェクト

最終夜

3日の午後に札幌から東京へ。北海道のみなさんは最後の見送りまで、そのほかにもごはんやら送迎やら、ほんとうなにからなにまでお世話になりました。ハニさんの絵、札幌で3枚も売れたの。ありがとうございました。PEACE ON会員の千葉くんがいなかったら、北海道ツアーは実現していなかったことでしょう。ありがとう、アブジャージム(ハニさんが千葉くんをこう呼んでいた。ハニさんの知人のアブジャージムさんにそっくりなんだそうだ。ついでに云うとハニさんの千葉くんの物真似は"なまら"上手、さすが絵描きの観察力)。
離陸までに観光かお買い物かと提案したのに、ハニさんは空港で時間をつぶすといって聞かない。往きに走りまくって遅刻したのがトラウマになったみたい。日本では高速道路でも駐車場でもお金がかかるのを横目に、ハニさんは「ヤバン、ムシュケラ(日本は問題だ)」と呟いていた。
飛行機は半時間ほど遅れたが、サラマッドとアマラとYATCHもほぼ同時刻に成田空港に到着していた。たった1日しか離れていなかったのに、お互いよろこび合う。

事務所に荷を置いて、ハニさんとYATCHは搬出のため中和ギャラリーへ。中和ギャラリーではなんと、5枚も売れてしまった。
サラマッドとアマラとわたしは、谷中銀座でお土産を探す。道中、アマラとわたしは腕を組んでガールズ・トークを弾ませる。恋の相談などをしていると、サラマッドも一緒になって励ましてくれた。わたしはアマラをこころからリスペクトしている。あの開戦時にもしわたしも"人間の盾"になってイラクに留まりイラク人男性と恋に落ちたとしても、わたしは結婚してイラクに住まうことができただろうか? 危険をかんがみて、首を横にふっていたかもしれない。たぶん恋のままに動いていたとは思う、でも確信はもてない。そう告白するとアマラは、そんなことはなんでもないといった風に「だって今のカオリだってすきでもない東京に居るでしょう。PEACE ONのために」と云ってくれる。ありがとう、アマラ。広島でも「えっ、お化粧していないの? ダメよー」と云って頬に塗ってくれたり香水をかけてくれたり、小樽では一緒に温泉、札幌でも盛んに恋バナしていたっけ。PEACE ON乙女部門ここにあり、ってね。

e0058439_0545324.jpg夜には神田カブール食堂で、会員さんや、『ファルージャ2004年4月』の訳者(共訳)でもあるいけだよしこさんらと、少人数でお別れパーティ。
アフガン料理はどうかなとしんぱいしていたのだけど、サラマッド達は大よろこび。「カオリ、イラクとおんなじホブス(薄焼きパン)だよ!」「カオリのすきなバーミヤンもあるね」「ティッカ(串焼き)が来たよ」「これも食べな、ほら、これもイラク料理だよ!」などと上機嫌。
お店の一家はアフガニスタンからの難民。イスラム教徒だそうで、ちょっとしたアラビア語なら通じる(日本語OKなので問題ないのだが、ハニさんが「喋ってみー」と云うので、知っているアラビア語をおずおずと話してみた)。こども達もみな愛らしい。「美味しかったよ、また来るかんね」。

地下鉄の駅で、みんながイラーキー達と最後の挨拶をしている。そして改札をくぐり抜けるイラーキーやわたし達にジャーナリストの村上和巳さんは突然、「ボロ・ビデム・ニブディークヤ・イラク!」と腕をブンブンさせて歌いだす。なんてお莫迦で洒落た演出。あの「血も魂もサッダームに捧げる!」というサッダーム時代にイラク人がみな歌っていた(歌わされていた)フレーズだ。一同大爆笑。ケラケラといつまでも歌ったりする。サッダームはバッドだったけど今はワースだ、とサッダーム時代を懐かしむ声は多い。
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by peaceonkaori | 2005-12-14 00:57 | イラク人来日プロジェクト

北海道にて

30日、寝坊する。出発時間まで半時間。イラーキーを起こして急かせて急かせて空港へと向かう。誰か、イラク人を急がせる方法をご存じのかたがあればご教授ください。電車が3分遅れで、飛行機に乗り遅れる。わたしとYATCHの日本人組は呆然とするも、イラーキー組は「喫煙時間ができたぜ」と喜ぶ始末。北海道は遠かった。
50分後の飛行機で千歳の空港に着くと、ぴん、とした大気がわたしの頬を叩いた。東京のそれとは違う、1年ちょっと前まで住んでいた信州の冬に似ている。凍みる、凍ばれる、という表現があるがまさにそのとおり、皮膚の表面が凍ったようになる寒さ、しゃんとする。ひさしぶりの真冬物語に、身体がよろこんでいる。
北海道のみなさんはアラビア語で「ようこそ」と書いた横断幕をもって迎えてくださった。札幌市内へと走る車道の両脇は、どこまで行っても林のようなのがつづく。自衛隊の土地なんだそうだ。町の経済状況や反対運動などについて聞いていると、戦闘機の飛ぶのが見えた。わたしは生まれて初めて、戦闘機というものを見た。ハニさんはさほど関心がないようだった。イラクには多国籍軍の基地が山とあるもの。そうでした、ごめんなさい。わざわざ日本まで来て見たくないわよね。

e0058439_2313051.jpge0058439_23131265.jpgハニ・デラ・アリ展「イラク 矢臼別~Save Children Save the future~」の会場であるギャラリー大通り美術館にて、さっそく記者会見。そして札幌市長のところへ表敬訪問。

イラク人の生の声を聞く機会を今回わたし達はもてたのだし、イラーキー3人にはひじょうに感謝している。ぜひとも大いに語ってもらいたい、そう願っている。
ただ、ハニさんがどんどんナーヴァスになってきているのも事実だ。
かれはイラク人、それでいてアーティストなんである。もちろんかれだって平和なんてもんを祈っているし、7千年の歴史を誇るイラクを描くことによって闘いを挑んでいるといってもいいかもしれない。だけど、かれに向けられる質問といえば「この絵にこめられた(政治的)メッセージは?」だとか「これは戦火の様子を描いているのですか?」だとか。イラク人だという理由だけで、かれを単なる「反戦画家」として位置づけるの? たしかに、ヒロシマなどを題材にした作品もある。けれどもわたしが思うのは、かれはいつだって真の美を求めているということ、ただそのことのみが芸術たるゆえんであり、芸術は葛藤と平安であり、美の追求を死守することであるのだと。もしお望みなれば、それを「芸術による抵抗」と呼んでもいいとは思うのだけれど。

翌12月1日朝の酪農学園大学の講演へ向かう途中も、かれは悩んでいる風だった。「わたしはハニさんのアートがすき。たとえハニさんがイラク人じゃなくてヨルダン人でも中国人でもアメリカ人でも、わたしはあなたがすきなんよ。話をすればみんなわかってくれると、思う」とわたしは口にしたが、かれは「絵のないところで話したくない、絵の前で絵について話すのはかまわないけど」と云うんであった。いつもより強い口調で、わたし達は話し合ってみた。そして本番、かれはほんのすこしだけご挨拶をして、スピーチを終えたのだった。
e0058439_23134930.jpgところが、である。1時間半の講義の後にまだ話したいという生徒さんらが何10人と集まってきた。そのなかの幾人かはハニさんのもとへ来てはずかしそうに、展覧会のことやハニさんの作品について尋ねたりした。「ほらね」とわたしはハニさんの前に立ってどうどうと笑いかけてみる、「あなたがちょっと喋れば、みんなハニ芸術に興味津々になっちゃったでしょう」。生徒さんらはサラマッド達に、熱心に質問を浴びせていた。窓の外にひろがる風景を眺めながら、わたしのなかに心地の好い爽やかな風が過ぎていった。

さてここで、ハニ様の大危機なのです。かれは15日ヴィザを申請していたのだが、当初の予定より1日スケジュールを早めて来日したため、16日間の滞在となる。1日でも不法滞在、日本の強制収容所こと入国管理局行きになってしまう。緊急ハニ救済プロジェクト、札幌の入管へ行って手続きをすることにした。アンマンの航空会社まで問い合わせるなど悪戦苦闘するも、4000円もかかってなんとか延長可能に。マブルーク(おめでとう)、檻に入っちゃったらドウシヨウなんて思っていたヨ。書類には所持金なんかの記載欄もあって、思わずわたしは「クレイジー・クエスチョン」とハニさんに叫んで説明してしまった。初めての入管、ここにもたくさんの外国人が悲しみのうちに収容されているのだろうか。

日暮れる前に、小樽にある温泉まで車を飛ばしてもらう。イラーキー達はみな、困惑のご様子。"裸のお付き合い"というのは、アラブ圏、イスラム教世界では考えられないものね。アマラと女湯へ。最初かのじょは「マジで? なんてことっ」と大きいバスタオルで必死になって隠してい、さらに露天風呂に入ろうと誘うと「ヤだー、うそでしょ」と目をまんまるくさせてなかば怖がっていたのだけれど、いちどつかってみるともう極楽。「これが日本なんよ、温泉に行ったりするんすきやねん」とわたしも得意顔。アマラはすっかり気もち好くなって、わたしが「はよ出なアカン」と急かすぐらいのんびり愉しんでいた。脱衣場まで来て「カオリ、あなた脚が真っ赤よ」と驚くアマラ、「アマラこそすごいやん」とかのじょの脚を指さすとかのじょは心底仰天、2人してきゃっきゃきゃっきゃと笑い転げてしまった。ロビーに行くと、男性陣もえびす顔。女湯にいても男湯から、おとこのこの大きな赤ちゃんのような喚声が聞こえてきたほどだったもの(殿方のはしゃぎようはYATCHブログにて)。

e0058439_2314276.jpg札幌へ戻り、講演会「バグダッド市民が語る イラクは今」。イラクは今…たとえようもないほど混乱状態で、話を聞けば聞くほど奈落のようにさえかんじてしまう。だけどそんななかでも、サラマッド達が奇跡的ともいっていいくらいに元気で生きていて、PEACE ONの活動をしてくれている。それだけがわたしが確信をもてる唯一の希望に思う。

e0058439_23152495.jpg翌2日の、北海学園大学での「イラクは今-芸術による闘い-」と題された講演でハニさんは、イラクの一市民として、また1人の芸術家として、淡々と話を進めてゆくのだった。イラク人としての静かな怒りと誇りとが、ふだんはイケメンと茶化しているかれの顔から声から動作から、滲み出ていた。質疑応答で、PC映像で紹介したかれの作品自体についての質問が相次いたことが、かれの熱意を加速させた。そばに寄って黒板に図を描くよう促す。この来日期間中なぜかすっかりかれの専属マネージャーとなってしまったわたしも、この講演を誇らしく思う。イナナという美の女神の使者ワシーファのこと。バビロンの三角形のこと。なんだって訊いてくださいな。ピース!

昼食を摂って、サラマッドとアマラとYATCHは函館へ。ハニさんとわたしはそのまま札幌。
e0058439_23153870.jpg夜は、ギャラリーでハニさんを囲んでのアートトーク。持ち寄った食べ物やお酒をつまみつつ、ハニ画伯の抽象画にたいする話が弾む。古代文明の細かな説明にハニさんは、「カオリ、もうわかってるだろ、頼むよ」と任せるほど上機嫌。故郷ヒートのアスファルトのこと、バビロンのこと、イラクの木なつめやしのこと、光のこと。昨日の酪農学園大学の生徒さんもいらしてくださった。30人ほどのパーティ、ささやかで贅沢な時間が流れていった。
LAN TO IRAQプロジェクトに携わる者として、作品が売れることはよろこばしいのと同時に、我が子のように溺愛している絵とお別れするのが子離れできない親にも似た心境になる。すきだよ、元気でね、可愛がってもらってね、とお酒を片手に1人、売れていったアート達にさよならを告げる。でもそうやって、展示や売却によってイラクの文化や芸術が日本にひろまることは、わたしの本望であり務めなのだから。
アッラーイサハディック(おつかれさま)、ミスター・ハニ。外に出ると、目に見えるか見えないかというぐらいほんのりと、雪が舞っていた。
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by peaceonkaori | 2005-12-13 23:16 | イラク人来日プロジェクト
e0058439_1144610.jpg29日夜、広島から戻ってオメカシをしてすぐに、イラク大使公邸へ。先日ギャラリーまでお越しいただいた大使が、わたし達を晩餐会に招待してくださったのだ。
約束の時間に遅れ大使を待たしているというのに、イラーキー達は「かれらもイラーキーだぜ、マークムシュケラ(ノープロブレム)さ。これがイラク式だよ」と、のん気に笑顔。トホー。
e0058439_0304693.jpgアラブのかおりのするゴージャスなお部屋にとおされる。イラク国旗と日の丸が掲げられ、首相小泉との写真も見える。ハニさんが、日本との文化交流に貢献したとして感謝状のようなものを大使からいただいた。マブルーク(おめでとう)!
e0058439_031183.jpg談笑の後に、待ちに待ったディナータイム。すーっとドアが開くとそこには、料理長が腕を振るったと思われるイラク料理がずらり並んでいた。わたしはさきほどからおなかを鳴らしてはずかしい思いをしていたので、お皿に載りきらないほどのごはんを盛る。そして、ほとんどがアラビア語で会話されていたので、わからないわたしは黙々と食す。時折「タイーブジッダン(すっごい美味しい)」、「アナサイーダ(わたししあわせ)」などと口にして。1通り食べ終えてぼーっとしていると、大使が「もっととらないといけないよ。ドルマはあなたのために作ったんだからね」とおっしゃる。そういえばギャラリーで今回の招待のお話があった時、「きゃー、ほんとうですか? わたしドルマとかクッバとか大すきなんです!」と感嘆符つきで喰いついたんであった。ぼっと赤面。胃下垂の臓器が下腹部で膨らんでいる。
デザートまでたいらげて、また応接間でチャイをいただきながら歓談。10年前まで絵を描いていたという大使の絵も見せてもらう。ささやかでやさしい、お花の絵だった。かれも、大使という立場ながら、そしてイラク国外の日本在住という立場で、祖国にたいし色いろと思うところはあるようだ。
アルプスの少女ハイジのオンジのような素敵なお顔の大使さん、今後とも繋がっていければいいなと思う。そしてそして、料理長にイラク料理を教わって、PEACE ONイラク食堂を開きたいのだけども。
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by peaceonkaori | 2005-12-08 00:31 | イラク人来日プロジェクト

Hiroshima

「プリーズ・ホロシャマ(広島に連れてって)!」

壊れた英語でそう乞われたのは、ハニさん来日前の準備段階でのメールで。そこまで云われちゃなんとかせねばなるまい。ダメモトで進めてみると、なんだかスルスル、アレヨアレヨという間に広島行きが決まってしまったのであった。アラカリーム(神は慈悲深い)。こないなったらハニ、おもきし広島をかんじようや!

e0058439_2381636.jpg28日、早朝の暗いうちに新幹線に乗り込んで広島へ。
広島平和記念資料館をすこしだけ見学して、画材を購入しに商店街まで。高価な品々に驚き躊躇するハニさんに、わたしはつい声を荒げる。「アンタ、芸術家でしょう。せっかく夢の広島まで来たんやったら、すっごい絵を描いてよ! PEACE ON会計なんで気にせんでええて」。ハニ、大人しくなる。

e0058439_2384215.jpg晴天にめぐまれながら、原爆ドーム前でのハニさんのゲリラ的ライヴペインティング。セイブ・ザ・イラクチルドレン広島の助けをお借りし、地元画家の吉野誠さんも参加。わたしは拡声器で通りの人びとに呼びかける。「広島のみなさん、こんにちはー。1人のイラク人画家が、今まさに原爆ドーム前でヒロシマを描いています。その名は、ハニ・デラ・アリ。おとこ36歳! 未だ戦火の止まぬイラクからやって来ましたー。かれは広島に来たいっ、広島で絵を描きたいっと嘆願して、ついにその夢が実現しました。イラクとヒロシマはおなじ痛みを共有しているんだとかれは、深い深い共感をヒロシマに抱いています。ヒロシマとイラクの繋がる瞬間をどうぞ、どうぞ目撃してください」。
ちらほらと人だかりが生まれる。1人のイラク人画家が原爆ドーム前に座り込んで黙々と描いてるそのわきで、みながそっと見守っている。そのなかに、1人の女性の姿があった。すこし話をするうちに、かのじょが泣きだして事情を語りはじめる。かのじょの息子さんは、平和のためになにかしたいと志し兵庫の大学へ通っていたのだが、あの阪神淡路大震災で命を落としてしまったのだった。ハニさんやわたし達を見ているうちに、息子を思い出して生きていたら今頃こういうことをしているのだろうと、かのじょははらはらと涙を零していた。わたしはかのじょをハニさんのもとへお連れする。ハニさんもいたく感銘を受けたようだった。「一緒に写真を撮りましょう。笑ってください、そのほうがずっとおきれいですよ」。かのじょはしずくを拭いて笑顔で撮影に応じ、かたい握手を交わして帰っていった。ハニさんの絵は、確実にひとのこころを動かす類のものである。それはたいてい、芸術と呼ばれる。

日暮れる前に完成した絵は、数日前に見た丸木さんの原爆の図を想起させるものだった。後で聞いてみると、絵そのものは描くのと同時進行で思い浮かんでいたらしいのだが、そのカラーは丸木の黒と赤と灰色を用いたという。悲しい惨状がそこにひろがっているものの、不思議と最後はやすらかな心地のする、そんな1枚。
イラクのいいつたえでは、死んだこどもは羽がはえて空へ飛んでゆくのだそう。ハニさんの希望により、作品は広島のグループにお預けして機会があるごと広島の人々に見てもらうことにした。
e0058439_233679.jpg


翌29日朝、ホテルのロビーでハニさんがバグダードのお家に電話をかける。ヴィザの関係で、いとこに連れられて妻とこども達がアンマンからバグダードへ向かっている予定だった。バグダードは早朝。電話が繋がらない。わたしの心臓はビートを速める。ハニさんの顔がけわしくなった後、電話が繋がった。すぐに切るハニさん、どうやら番号を間違えていたようだ。ンもう。再度かけ直すと、今度はご家族に繋がった。みんなぶじだという。電話をかけるだけでこんなにきんちょうするだなんて、まったくなんてこったイラクは。わたしは大すきなこどもらの顔を思い返しながら、ほっと息を吐いた。
ハニさんはさらに、昨日のライヴペインティングの様子が載った新聞記事を見て、満足そう。

川辺で朝食をとってから、ふたたび資料館へ。
e0058439_23121533.jpge0058439_23123692.jpg穏やかな平和記念公園、だけど60年前のあの日のこの川は、焼け爛れて水を求める者で埋まっていたことだろう。そして水を飲めば、彼らは確実に死んでいったのだ。
被爆したアオギリのそばのノートブックに、ハニさんがイラクのいのちを象徴するなつめやしとともに、そっとスケッチする。
じつはわたしがここを訪れたのは、初めてのことだった。原爆前の街並みからアメリカ政府の思惑、そして原爆投下と、展示は進んでゆく。詳細な情報、証言、写真、食べられることのなかった黒焦げのお弁当、衣服、頭髪。直観でわかる、過去から未来から凡ての人間にとってこれは起こってはならないことなのだと。自分の身体がこわばっているのをかんじる。高温でぷちぷちができた瓦に、手を伸ばして触れてみる。指先のみならず全身の皮膚が、その展示物の経験した出来事を拒絶しようとした。ふわっと涙腺がゆるんだ。わたしは口惜しかったのだ。実験のようにして大量破壊兵器を落とした奴らを許せそうにない、こんなことをほとんど教えようとしない日本の教育を許せそうにない。わたしは知らなかった、知らされていなかった。もし多くの日本人が学校でもっともっと教わるのなら、今の世界にたいして我われは黙ってはいないだろう、そう、行為するだろう。
e0058439_23131417.jpgわたしが遅いので迎えに来たYATCHに、待ち惚けを喰らっているイラク組のところにたどり着くまで、わたしは泣きべそをかきながら呟きつづけた。「わたし、PEACE ONやるから。日本人としてわたし、ちゃんとするから。PEACE ONがんばろうね、ぜったいがんばろうね」。PEACE ONへの誓いを新たにした。イラクの友とヒロシマへ来ることができて、よかった。わたし達の、ホロシャマ.......
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by peaceonkaori | 2005-12-07 23:21 | イラク人来日プロジェクト
26日夜、サラマッドからイラクの現状のヴィデオ群を見せられる。拷問死の映像は、すでにアンマンでイラクの人権団体から受け取っていたものだった。これでもか、これでもか、というほど目を背けたくなるような現実がつづいてゆく。それを今わたしは、イラク人と見ている。
19日の深夜には日本到着早々のハニさんに、おなじものを見せてしまった。わたしの翌日の講演のために訳してもらう必要があったので。もちろんそんなもの、大すきなイラクのひとに見せるのは厭だ。ハニさんは衝撃を受けていたようだった。それでもきちんと訳してくれた。
このような仕事に就いているのにこのような事実を叩きつけらると貧弱なわたしは、入浴中にフラッシュバックが連続したり連夜の悪夢にうなされたりと、情けない事態を起こしてしまう。けれどこれらは現在イラクで実際にある状態であり、知った責任はあまりに重いが、それに耐えつつけっしてアクションを止めてはいけない。

e0058439_15513362.jpgそうして27日は、朝から準備に追われてバタバタと。今回の目玉イヴェントともいえる講演会。題して「そうだ!イラクの友に聞いてみよう」。
この日のために会議を重ねてきた実行委員会メンバーの会員さん達も次つぎに事務所に到着、さっそく仕事を進めてくださっている。みなさんにはイヴェントごとにいつも手伝っていただいていて、たいへんに有難い。
会場は事務所のお隣、臨済宗妙心寺派の養源寺さん。ふだんは法事などを執りおこなうホールでの、イラク人講演。目標の100人には及ばない45人程度の参加者でしたが、森住卓さんをはじめとするイラク色の濃いかたがたも多数お出でいただき、さらにうれしいことに遠くはるばる岩手から福岡から徳島から福島から会員さんが駆けつけてくだいました。そしてなにより、イラクからサラマッドとアマラというPEACE ONメンバーがやって来たのですもの! PEACE ONにとってまたとない良い時間だったのではないでしょうか。
前日にひきつづきまたもわたしは内容をほぼ聞き逃したのだけど、イラク大すきメンバー揃い踏みのディープな2時間半を過ごせたことと思います。お越しくださったみなさま、ありがとうございました。後日、この講演会を撮影したヴィデオから書き起こしをしようと考えています。

e0058439_15514819.jpg終了後の交流パーティは、ペルシャ&トルコ料理レストランzakuroにて。
1つめのサプライズは、サラマッドとアマラの結婚パーティ。サラマッドが戦時下でアマラに宛てたラヴレターをここでふたたび読み上げると、みんなからヒヤカシの声やら歓声やらが沸き起こり。キルトの正装とイラク国旗を身に纏った軍事ジャーナリスト&バグパイパー加藤健二郎さんによるバグパイプ演奏も披露され、大いに盛り上がったところで、2つ目のサプライズ。それは、PEACE ON代表YATCHこと相澤恭行からの婚約発表。記者会見さながらのフラッシュがたかれて眩しい。PEACE ONの裏組織(?)"LOVE ON"のリーダーであるサラマッドの顔もゆるみっ放し。YATCHとサラマッドのわかち難い友情が、お互いを祝福する。みなさまから色紙が贈られる。まさにピースフルな刹那が流れゆく夜なんであった。

(写真提供はPEACE ON会員でもあるWattan.こと渡邉修孝さん)
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by peaceonkaori | 2005-12-06 15:51 | イラク人来日プロジェクト