NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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<   2006年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

夜明けまで

e0058439_738380.jpg午前3時を過ぎてなにか話し声が聞こえる。入国早々、気ぶんでも悪くなったかとしんぱいしてお部屋を覗いてみると、ハニシルワンが雑誌を片手に語らっていた。今夜は早く寝たのでもうすっかりいい気もちなんだそうだ。わたしも眠れなくなっていたので、チャイを入れて、おかきや茹で落花生などで、夜更かしにつきあう。YATCHはぐっすり眠ったままだ。
2人は自分らの絵を開梱して見せてくれたり、シルワンは絵の具を出してすこし手直ししたりしていた。ハニの絵は、相変わらずの「ハニ・デラ・アリ」なんだが、マテリアルや手法などやはり確実に進歩している。わたしは、へえ、と感嘆の息を吐いた。シルワンの絵も、かれのテーマである馬や牛をアブストラクトに描いた逸品ぞろいで、たちまち事務所はシルワン・ギャラリーと化した。日本人好みと思えるシックな絵。さすがのシルワン・バランであった。ギャラリーに飾るのが愉しみ、お客さんに観てもらえるのはもっと愉しみ。
シルワンは、ものの10分でわたしの似顔絵を描いてくれた。すこし眠そうなわたし。やっぱり日本人の目は細いんだそうだ。
そのまま朝になり、シルワンはヴィデオをまわしながら外へ出かけたりわたしにヨガを教えようとしたり、ハニはメールを書いたりメッカに向かってお祈りを捧げたり(教えた方角あってると思う…たぶん)と、なにかと元気。時差ぼけもあって、体内時計が狂っているみたい。それとも、これがアーティストのバイタリティか? わたしも過労がたたっていたから、へんな時間帯に起きつづける。シルワンは、お母さんに日本でお嫁さんを見つけてこいと言われたそうだ。かなりゲイシャに興味を抱いていた。んー、分からん…。2人はお散歩に行ってしまった。
さあ、今日が始まるぞー。わたしはシルワンのリクエストにこたえて、純和風の朝食の準備にとりかかるんであった。
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by peaceonkaori | 2006-09-30 07:38 | イラク人来日プロジェクト
29日、朝。眠い目をこすりつつ、成田空港まで向かう。帰国してから1週間、せかせか働いたりぶっ倒れたり皆さんの応援やご協力に感謝のこうべを垂れたりを繰りかえしていたら、あっという間にイラクの友がやってくる日になった。お出迎えは、いい顔でね。

ハニ・デラ・アリ画伯とシルワン・バラン画伯の来日!

11時に到着予定の飛行機、南ウィングにて待つ。韓国のサンさんという役者がやってくるらしく、出待ちのご婦人がたでごった返していた。YATCHが「(三十路男子の)あなたもサンさんのファンですか?」と訊かれていた。全員がハニ、シルワンのファンじゃないところがざんねん。

ところが、いつまで待ってもサンさんもハニ、シルワンも出てこない。わたしの携帯電話に、非通知設定で着信。空港内の入国管理局からだった。
ハニ、シルワンの名まえから滞在目的から滞在場所、期間まであらゆることを尋ねられる。わたしは怒りを抑えつつ、できるだけていねいに話すよう努めた。もうすこし経てば、出てこられるとのことだった。
イラク人という理由で、アラブ人という理由で、別室に呼ばれるなんて、人種差別にほかならない。わたしはその場に立ちあいたかったのだが、それは不可能だった。税関に電話は繋がらないだろうというのは、通り過ぎた関係者の話だった。もう時計は12時をまわっている。わたしは安易に電話を切ったのを後悔さえした。それでもYATCHにいわせれば、食ってかかるとよけいにかれらが尋問されるだけだから静かに待っていよう、とのことだった。

e0058439_2333194.jpgカートに大荷物を載せて2人が現われたのは、それから幾らか経ってから。「アハラン・ワ・サハラン(ようこそ)!」と駈けずりよって、キスを交わす。
かれらに言わせれば、日本は、とくにわたしとの電話のやりとりの後、これでもとても親切に扱ってくれたとのことだった。9.11の後、世界の国々はイラク人に対していつでもどこでもこうなんだと。
問題はトルコ。今回はトルコの飛行機で来日し、途中トルコでトランジットホテルを用意され1泊する予定だったのが、ホテルはすでに満杯と言われ、1人100ドル以上もする別のホテルに泊まらされたんであった。ヨルダンのチケット会社であれほど確認したのに、そんなばか騒ぎに巻き込まれるとは。満室というのは嘘で、イラク人だから泊まらせてくれなかったのだろう。ほんとうにすまない思いでいっぱいだった。

ハニは昨年も来ているからともかく、シルワンは初来日で嬉しそうにカメラやヴィデオをまわしていた。
魔都・東京を知っているハニは、田園などみどりの居並ぶ車窓の風景に、「なぜこんな素晴らしいところに住まずに、東京なんかに住んでいるんだ?」と言っていた。まったくの同感。わたしは東京が苦手なんである、はい。
シルワンは、慣れない自動改札機でもたもたしていた。クールなかれなのに、なかなか可愛らしい一面。

事務所に着くなり、シャワーを浴びて簡単な食事を済ませ、2人ともぐっすりお昼寝していた。ドカドカとノックしないと起きなかったぐらい。
ハニはいきなりナマの落花生を見つけてぽりぽり食べだすし(後で茹でてあげたけど)、シルワンは畳で思いっきり横になっているし、わたし達はわたし達でゲストが来たという感覚がほとんどなく家族のように振る舞っているし、どうなんだろう?と思いつつ、うまくやっていけてるのかなという感じ。
さてさて10日間、これからどうなることやら。とにもかくにも、アッラーイサハディック(おつかれさま)。
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by peaceonkaori | 2006-09-29 23:33 | イラク人来日プロジェクト
いよいよ今週末にイラク人画家2名が来日します。
銀座の中和ギャラリーでの展覧会、東京都美術館でのイベントに加え、京都でのイベントも急遽決定しました。みなさまのお越しをこころよりお待ちしています。

また、来日賛同についても、目標金額は50万円ですが、まだほとんど集まっていない状況です。賛同金は、おもに2名の渡航費、滞在費などに使用させていただきます。みなさまのあたたかいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。

○● 転送・転載お願いします。 ○●

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イラク人画家シルワン・バラン&ハニ・デラ・アリ来日決定!
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シルワン・バラン&イラク現代作家展
初来日の若手画家シルワン・バランの作品を中心に、昨年来日し個展を成功させたハニ・デラ・アリ、そして伝説の巨匠イスマエル・ファッタなど、現代イラクアート界を代表する若手、ベテラン作家の新作を一挙公開します。

出展作家:シルワン・バラン Serwan Baran
そのほかにイラク現代作家:Ismael Fattah, Rafa Nasiri, Rajha Al-Qudsi, Khalid K.Thamer, Ghssan Gaib, Salah Al-Rahal, Nazar Yahya, Hani Al-Dalla Ali

会期:2006年10月2日(月)~10月7日(土)A.M.11:00~P.M.7:00(最終日P.M.4:00まで)
 *作家在廊日10月2日(月)、他
 **10月2日(月)P.M.3:00より記者会見
 ***10月2日(月)P.M.5:00よりオープニングパーティー(無料・軽食や飲み物など持ち寄りを歓迎します)
会場:中和ギャラリー(東京都銀座 曽根ビル3F)


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賛同のお願い
イラクと日本の文化交流事業活動をするNPO法人PEACE ONからのお願いです。
展覧会に伴い、期間中イラク人作家のハニ・デラ・アリ氏とシルワン・バラン氏の2名が来日します。
つきましては、みなさまに、日本イラク文化交流活動への賛同金のご協力をお願い申し上げます。

賛同金:個人一口1000円~/団体一口3000円~
賛同金振込先:郵便振替 00160-2-647637 
口座名:PEACE ON
備考欄:「イラク人来日企画賛同」とご記入ください。
*賛同者特典として、金額に応じて入場チケットとPEACEONバッジをさしあげます。
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イラク人画家来日記念企画・日本イラク文化交流講演会
シルワン・バラン+ハニ・デラ・アリ~イラク現代アートを描く!語る!~
メソポタミア文明から七千年も続く悠久の歴史に刻みこまれてきたイラクの文化、芸術。いにしえからの美と誇りは、屈せざる魂たちによって継承されてきた人類の遺産である。度重なる戦争、経済制裁、そして占領という破壊と苦悩の時代を生き抜き、混迷を極める祖国イラクを見つめてきた作家達は今何を想うのか。
10月2日から開催される銀座中和ギャラリーでのイラク現代作家展に先がけて、この度来日する二人の若手イラク人画家がイラクの現代アートについて語ります。また、ライブペインティングも行います。

日時:10月1日(日)11:00~15:30 
 第1部:即興ライブペインティング(11:00~12:00)
 第2部:講演会(13:00~15:30)
場所:(財)東京都歴史文化財団東京都美術館講堂(東京都上野公園内)
参加費:1000円/PEACE ON会員500円
主催:NPO法人PEACE ON
*取材ご希望のかたは、PEACE ON事務局までご連絡ください。


バグダードから京都へ ~イラク・日本 市民文化交流会~
--- イラク現代アート 京都初上陸! ---
「イラク、それはいま地上で最も暴力の吹き荒れる場所」---アナン国連事務総長はそのように語ります。報道を通じて私たちの目にさらされるイラクの現状は、目を覆いたくなるほど凄惨を極めています。けれど、そのイラクは砂漠に潤いをもたらすチグリス・ユーフラテス河に育まれた文明の故郷であり、現在もなお、多くの人が日々を過ごし、芸術や思索を深め、知識や技術を学び、子供たちを生み育てる生活の場所であることに変わりはありません。戦渦に呑まれながらも今日も独自の表現を追求し芸術による抵抗を続けるイラク人若手画家、シルワン・バランさん、ハニ・デラ・アリさんと、その作品をお迎えして、私たちの過去・現在・未来について、ゆっくり、ほっこり語っていただきます。バグダードから京都へ、京都からバグダードへ、鴨川のせせらぎを聞きながら、遠い文化のつながりに思いを馳せたいと思います。

・シルワン・バランさん、ハニ・デラ・アリさんのイラク現代アートを、教会に展示します。ごゆっくりご鑑賞ください。
・お茶や、お菓子を用意してお待ちしております。どうか、お気軽にお越しくださいませ。
・当日、フリータイムには楽器による演奏なども企画しています。そのほか、何が出てくるか分かりません。お楽しみに。

日時:10月3日(火)
 15:00 開場 (イラク現代アートの展示をお楽しみください。)
 15:30 シルワン・バラン、ハニ・デラ・アリ(イラク現代画家)講演
 17:30 相澤恭行(PEACE ON代表)イラク現地報告      
 19:00 文化交流会 (フリータイム)
 20:30 終了
場所:日本バプテスト京都教会(京都市上京区荒神橋通河原町東入ル)
 1.京阪電車・「丸太町」駅で下車。北に歩き、荒神橋をわたる。徒歩10分。
 2. 京都市バス:京都駅からA2バス乗り場「4系統.17系統・205系統」のどれかに乗り、「府立医大病院前」で下車。南に歩き、荒神口交差点を東に入る。徒歩5分。
参加費:無料(当日、カンパを募ります。)
主催:「バグダードから京都へ」実行委員会
共催:NPO法人PEACE ON
協力:日本バプテスト京都教会
連絡先:075-231-1351(京都教会)/090-9116-1364(瀬戸)
*京都実行メンバーを募集しております。希望者は瀬戸まで、よろしくお願いします。
**取材ご希望のかたは、PEACE ON事務局までご連絡ください。


e0058439_037457.jpg【プロフィール】
シルワン・バラン Serwan Baran
1968年 イラク、バグダード生まれ バベル大学美術科卒業 
1991年~バグダードを中心に中東諸国で展覧会多数
2002年 チュニス・アルミハリス国際フェスティバル金賞他入賞多数
2004年~ヨルダン国王から依頼され肖像画を描き始める
AIAP会員 イラク美術協会会員 国立美術協会会員

e0058439_038617.jpgハニ・デラ・アリ Hani Al-Dalla Ali
1969年 イラク、ヒート生まれ バグダード造形芸術院卒業
1988年~バグダードを中心に中東諸国で展覧会多数
2004年 日本、韓国での展覧会に初出展 
10月から2005年2月まで、ポーランド文化省の招待で美術品修復の技術を学ぶため、ポーランドのアカデミー・ファイン・アートに留学
2005年 銀座、中和ギャラリーにて個展
イラク芸術家協会会員  イラク造形芸術家協会会員


◇総合お問合せ◇
特定非営利活動法人PEACE ON(ピースオン)
〒113-0022東京都文京区千駄木5-38-4 Tel.Fax.03-3823-5508 office@npopeaceon.org
※HPからイベントフライヤーをダウンロードできます。

○● 転送・転載は以上。○●
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by peaceonkaori | 2006-09-27 00:37 | おしらせ

PEACE ONイラク帰国報告会

もう今日になってしまいましたが、おしらせです。

8月28日~9月21日までイラク北部等にて、イラク現地スタッフと打ち合わせ・調整をおこなった代表 相澤恭行(YATCH)と事務局長 高瀬香緒里の帰国報告会を開催いたします。
イラク最新情報から、支援活動報告、またアラブでのおもしろ文化事情などなど、盛りだくさんでご報告する予定です。
また、イラク・ヨルダン・シリアで仕入れた多彩なアラブ民芸品雑貨の初売りにも、ご期待ください。
お友達やお知り合いをお誘いのうえ、ぜひぜひご参加くださいね。

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日時:9月23日(土)14:00(開場13:30)
場所:本駒込交流館 4F会議室A
(東京メトロ南北線本駒込駅2番口右へ5分)
報告者:相澤恭行(代表)・高瀬香緒里(事務局長)
参加費:500円
主催:NPO法人PEACE ON
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by peaceonkaori | 2006-09-23 05:08 | おしらせ

シリアでの色いろ

ヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカス(シャーム)まで、セルビス(乗り合いタクシ)で9JD=約1630円。ちぇー、昨年は8JDやったのになあ。
レイヨンちゃんという赤ちゃん連れの兄妹とご一緒する。レイヨンちゃんと遊んでいるうちにかれらと打ちとけ、別れ際には「ダマスでなんかあったら電話をよこして」と、携帯電話の番号を教えてもらった。

昨年も泊まったフンドコ・ザハランに宿をとる。1部屋700シリアポンド=約1650円。窓は外に通じてなく、便器に身体をこすりつけてシャワーを浴びるような狭さの洗面所。まるで監獄。これじゃ、心身ともにぐったり。屋上で、やけ酒のようにビールを飲んで、おやすみ。
翌日お部屋が空いたというので、さっそくもうすこしまともなところに移る。蟻の行列が凄まじいことには変わりない。蟻は、PCのなかにまで侵入してきやがった。

e0058439_4304021.jpge0058439_4305697.jpge0058439_4355854.jpgアサド大統領の親子の肖像が街中のいたるところに貼られているのは毎度のことだけれど、今回はそこにレバノンの組織ヒズブッラーの指導者ナスラッラーが加わっていた。バッシャール(大統領)とナスラッラー、アサド親子とナスラッラー、そしてナスラッラーとイラクのシーア派シスターニまで。シリア国旗やパレスチナ国旗(連帯を示す)とともにヒズブッラーの黄色い旗もが、商店の軒先などに掲げてある。初めは珍しがって、バッシャバッシャと写真を撮ったり人びとに「ナスラッラー、クワイアス(グッド)?」なんて訊いていたけど、そのうち飽きてくるほどナスラッラーは溢れかえっていた。果ては、ナスラッラーTシャツを着たおとこのこまで見つけてしまった。
シリアでアサドについて悪いことを言えば捕まってしまう。では、今やアサドと同等にまつられているナスラッラーを批判すればどうなるんだろう? とにもかくにも人びとは皆、ナスラッラーはグッドだと言っていた。

e0058439_4312594.jpg鳥なんかを売っているお店のまえを通る。これは食用なんやろうか、ペットなんやろうか? YATCHは蛇で遊んでいた。そのうち店主が蛇を天高く放り投げた! 鳥の餌になるんだそうな。ひえぇ。

e0058439_4313956.jpgダマスカスには、とにかく露店が多い。板の机を並べて、文房具から食べ物から日用品から、ほんとうなんでも売っている。机なんか並べなくたって、肩や手に大量のベルトなりタオルなりを持って歩きながら売っているひともいる。こんなんで食べていけているんやろうか?なんてよけいなお世話だけど、マジに思う。
女性の下着売りもひじょうにたくさんある。今回もふしぎに思っていたのだけれど、こういうのをお外でしかも男性が売るというのは、アラブ社会ではOKなのだろうか? わたしなんて恥ずかしがってよう買われへん。でも、ほんとうにほんとうに多いんである。ふしぎ、ふしぎ。

アクセサリー店で、イラクの形をしたちいさな銀のネックレスを購入。
県の境界線が引いてあって県名がアラビア語で書いてある。どうかこの形が崩れませんように。国家崩壊だなんて、認めたくない。イラクはイラクで在りつづけますように。今はどんなにバグダードが遠くかんじようとも、いつか旅することができますように。それまではずっと、装着していよう。
あたし、イラ子。

e0058439_432214.jpgなじみの骨董品屋さん、ユーセフさんのお店へ行く。
何百年、何千年も昔のほんまもんを触って、気を養う。こういう美を目にして恍惚(うっとり)とする時をもたないと、素敵なひとにはなれません。もちろんお高いのは見るだけね。
比較的、新しいもの(といっても80年ものだったりする)を仕入れる。ベドゥインのもの、シリアに住むパレスチナ人のもの。こんなにうつくしい手づくりの品が、このお店にはぎょうさんある。あたまがやわらかくなる。

ユーセフさんのご兄弟のアリさんには今回、クフィーヤと石鹸の問屋さんも紹介してもらい、たいへんお世話になった。ハンドルームの良質なクフィーヤと、6年間も乾燥させたアレッポ(ハラブ)のオリーヴ石鹸。今後の販売にご期待ください!
それと、大事なもの。月に1度の会員の茶話会"PEACE ON CAFE"のために、アラブ・チャイとドルマをご用意しようと、アリさんのご友人の乾物屋さんでカルダモン(ハール)やナーナ(ミント)、バーミヤン(オクラ)、フレーフレー(ピーマン)を買う。レモンのパウダーはなかった。ルーミーバスラ(乾燥レモン)をおまけにおねだりする。会員の皆さま、CAFEをお愉しみに!

ユーセフさんのお宅に招待される。
郊外にある豪奢なフラットには、ショウルームみたいにビューティフルな家具や置物が並んでいた。「お店みたい」と言うと、「やめてくれ、ここはリラックスする家さ」と笑っている。お食事も、ユーセフさんの健康を気づかったお野菜中心のメニューが勢ぞろい。生ザータルやモロヘイヤの炒めたのとか、タイーブ・ジッダン(ちょう美味)でいうことなし。ウィスキーを手に、夜更けまで語らってしまった。

e0058439_4324710.jpge0058439_4325977.jpg翌日はユーセフさんのおすすめで、半日だけマアルーラ観光。
ダマスカスからタクシで30分強。岩山の渓谷にひっそりとある、マアルーラ村。ほとんどがキリスト教徒だそうで、家々の屋根のてっぺんや山の岩肌に十字架がかかげられていた。ここではイエスがはなしていたというアラム語を今でも話し、それを保存しようというプロジェクトも進んでいるそう。
しかしここでも、ヒズブッラーの黄色い旗がはためいていたんであった。もちろんバッシャール肖像も。
ひとけのすくない山峡を進むと、幾つもの洞穴がある。YATCHは「ここで古代の修行層が修行してたんだろうよ、すっげえ、行ってみようぜ」と喜び勇んでいたが、洞穴のなかに人糞を発見してガックシしていた。慰めても慰めても、「聖なる場所に…」と肩を落とすYATCH。人間は糞をするものです。
岩の教会、手を洗いお水を飲む。ろうそくの匂いは、わたしの中高時代の聖歌隊の青春を想起させる。いつの間にかわたしは座りこんで、お祈りを始めた。この旅の感謝、マアルーラやシリアの発展、イラクの平安…祈ることはたくさんある。神様、ていねいにお祈りを捧げたからちゃあんと聞いてね。
小1時間の小旅行にシュクラン(ありがとう)。

イラクから逃れてきたパレスチナ難民のことを調べてみる。PEACE ONはイラク内で、パレスチナ難民キャンプの支援もしてきたから、かれらのその後が気になっていたのだ。
かれらはダマスカス近郊にはいず、ハッサケに避難キャンプがあるとのこと。ハッサケといえば、カーミシュリー近くの町じゃない。知らずにバスで通り過ぎてしまったわけだ。シリア政府からの援助を受けているとはいえ、かれらの安全を祈り、いつか行ってみたいと願う。日本で調査をつづけることにした。

e0058439_4332044.jpg路傍の靴磨きの兄ちゃんにつかまる。そりゃあ、くる日もくる日も歩きっぱなしじゃあ、砂だらけ。お願いすることにした。イラクでこどもがやった時よりもていねい。50SP=約120円。兄ちゃんは、トルコ人なんだそう。
次の日も通りかかる。「寄ってけよ」という感じで、ただで磨きあげてくれた。シュクラン。

e0058439_4333975.jpg夜ごはんを食べて、オープンカフェで食後のチャイやカフワ(コーヒー)を飲みながら、水たばこをぷかぷかやる。こうしてぼんやりと街を見ていると、色んなひとがいて面白い。
わたしはふと考える。シリアにいると時にふと想う。この国に、この街に、戦争が襲ってきたらどうしよう?と。道端に座ってなぜかオープンカフェを仕切っているおじさんとか、得意気に水たばこの炭をかえてくれるお兄さんとか、手をひかれてこの日本人をふしぎそうに見ているこどもとか、「シーニ(中国人)?」と尋ねてくる青年とか、いっしょうけんめい野菜の繰りぬきを売ろうとしているおばさんとか、そのこどもとか、「ウェルカム」と声をかけてくれる少年とか、日本サッカーのユニフォームをなぜか着ている外国人とか、みんなみんな逃げ惑ったりするのかな? 死んじゃったり、死ななくても怪我をしたり家族を亡くしたり、家がなくなったり、こころが壊れたり、するのかな? その時、わたしはこの街にいるだろうか? 自問を繰りかえす。
常用しているお薬の計算を間違えて持ってきたため、お薬がなくなってとてもしんどい。一瞬、記憶がとぶような感覚に陥る。しんどいのはお薬のないせい? 分からないけど、お薬を飲みたくなる。

ダマスカスの安宿の屋上で、28歳の誕生日を迎える。YATCHとこっそりビールで乾杯。今年1年も、日々精進。シュワイヤ・シュワイヤ(ちょっとずつ)、大人になれるかな?
アラブ最終夜、ベッドに入るのがもったいなくて、わたし達は深夜まで語らっていた。
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by peaceonkaori | 2006-09-23 04:41 | 中東にて

アンマンでの日々

7日から15日までのヨルダン首都アンマン滞在、覚え書き。

お宿は、昨年とおんなじフンドコ・アルハダーッド(ガーデンズ・ホテル)。
今回も、わたしら以外は皆イラーキーだった。とりあえずなんとかイラクから出てきたひと、休暇で外国へと旅立つひと、お父さんの住むドイツへ行こうと試みるファミリー、行き先も訳も様ざまだが、やはり口をそろえて「バグダード、ムーゼン(良くない)」。それでもロビーに行けば、みんな笑顔で喋ってくれる。ホテルのスタッフやお客さんと、ロビーにチキンをひろげてたいらげたりもした。

アマラにちいさなちいさな黄色い表紙のクルアーンをプレゼントされる。
これを肌身はなさずたいせつに携えていれば、神様が守ってくれるという。おトイレに行く時は、洗面台のところに置いておいて、けっして個室便所には持って入らないこと。わたしはムスリマではないけれど、たいせつにしようと思う。昨年イラク少女からもらった、イスラームのペンダントとともに。

e0058439_23512015.jpgハニ・デラ・アリ画伯のお家を訪問する。
1年ぶりに再会したこどもらの、大きく育っていること! 長女ナバはもう15歳、立派なレディになっていた。12歳の長男ムスタファだって、大人の社交の仲間入り。7歳のルカイアと6歳のハッスーニ(フセインの幼名)は、まるでふたごの姉弟のようにころころ遊んでいた。ルカイアはもう、わたしとすこししか手を繋いでくれなくなった。でも今年も、わたしの絵を描いてくれた。ハニさんのご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)も、体調不良のなか快く迎えてくださった。
イラク料理の名手、オム・ムスタファの指導のもと、アラビ日本語辞書を片手にしたナバに助けてもらって、ドルマ作りに挑戦(作りかたは、1つ前の記事「ドルマのレシピ」ご参照)。
お父さんが絵描きなので、ルカイアの学校の教室に貼る時間割表を、ハニ父さんが書くことになった。皆でわいわい言いながら作業をしているうちに、ハニさんは書き間違え、ルカイアは「学校に持っていけない」と泣き出した。すこし重いけれどほかの厚紙で再チャレンジ。できあがった時にはルカイアは、もう眠っていた。
イケメン画家ハニさんは、髪が薄くなってきたことを気にしているご様子で、来日時には毛生え薬を買うと言っていた。もっか禁煙中だそう。

e0058439_23461319.jpgホテルの近所のファラフェル屋さんにファラフェルのサンドイッチを買いにゆく。店主のおじさんは覚えてくれていなかったようだけど、やっぱりここのファラフェルが安くて美味しいんだなあ。ホンムス(ひよこ豆のペースト)をぬってもらって、トマトやきゅうり、揚げ茄子やフライドポテトなんかも入れてもらって。1つ200fils=約34円。
帰り際、トラックでお野菜を売っているのをじーっと見ていたら、レモンを2ついただいた。シュクラン(ありがとう)!

カーミシュリーでやられた虫のアレルギーを、知り合いの薬剤師さんに相談する。わたしはシャクラワでイラク製のお薬を買ってぬっていたのだが、それは弱いらしく、より強いぬり薬と錠剤も処方してもらった。
タブレットを飲むうちに、腕や脚など露出していて傷だらけになっていた部位が、だんだんと良くなっていった。

「イラクに行くことはわたしの3年半におよぶ夢だったけれど、今回イラクに行ってみて、とてもふくざつな思いがした。イラクといってもアラブじゃない。クルディはクルディで皆とてもいいひと達ばかりだけど、なんて云うたらええか分からへんけど、やっぱりわたしはアラブがすきなんやと思う」と、正直にその薬剤師さんに打ち明けた。するとかれは、「クルドのホスピタリティはね、長年の月日を経てアラブから学んだものなんだよ」と云う。そうなのかなあ、どうなのかなあ。かれはとても賢いかたで、「アラブは1つだ」とも云う。けれどもだからといって、わたしはクルディはクルディで、ていうか、うん…。わたしはまだ、自身の整理がついていない。

e0058439_23423348.jpgほかの中東諸国と同じく、ここヨルダンでもいたるところに国王アブドゥッラーの肖像やヨルダン国旗がかかっている。
今回はヨルダン国旗とともにアメリカの星条旗に似たのが掲げてあるなあ、この親米国はついにアメリカの属国になったのか?なんて思っていたら、それらはマレーシア国旗で、なんでもマレーシアから要人が来るらしい。失礼。その日は警備の配置も多かった。こないだ日本の首相が来た時には、日の丸いっぱいあったのかな?

ロビーでイラーキーと話していて思わず、「アナ・ウリード・アッ・アズヘッブ・イラ・バグダード(バグダードに行きたいねんよ)!」と云うと、バグダードから逃れてきたかれらは、「あと5年、いや10年はかかるね」と笑っていた。バグダードもずいぶんと遠くなってしまったのだな。

e0058439_23433695.jpge0058439_23453157.jpg来日するハニさんとシルワン・バランさんと、シルワンのお宅でミーティングをおこなう。
シルワン家は、瀟洒なフラットにモダンな内装、絵画がたくさん飾ってあった。かれは繊細なタイプ、絵にもどこか悩ましい魅力がかんじられた。
初対面のシルワンに、はじめましてとご挨拶。クルドの出のシルワンが教えてくれる、カオリという名はクルド語でちいさい鹿を意味するそうだ。そういえばイラクにいた時も、「カオリってクルディの名まえよ」と、幾人かのクルディに喜ばれたものだった。

国王アブドゥッラーは、パタリロに似ている。
午前1時を過ぎ、疲れてとぼとぼ帰ってきてわたし達は、薄暗がりのロビーでぽそぽそとハンバーガーを食べる。眼前のパタリロの巨大タペストリーに、食欲の失せる2人であった。

e0058439_23454663.jpgホテルに滞在する9歳の少女シャムスと仲良くなる。
かのじょとお姉さんとお母さん(美女ぞろい!)は、バグダードからギリシャ経由でドイツに住むお父さんと会う予定なのだが、なかなかヴィザが出ないようだ。お父さんとは5年間も会っていないというから、シャムスは覚えていないだろう。国々は、イラーキーにとても厳しい。なんとか会ってほしいと願う。
シャムスはアラビア語で、太陽の意。ほんとうに太陽のようにうつくしく輝かしいおんなのこ、シャムーシー(シャムスの幼名)。20歳ほども違うわたしがよっぽど幼く見えるらしく、わたしはあたまや頬を撫でられて可愛がられるのだった。片言しかアラビア語の分からないわたしに、シャムーシーは根気良くアラビア語で話しつづける。くる日もくる日も、ロビーで遊んでいた。PEACE ON缶バッヂをあげるとかのじょはとても嬉しがって、毎日のようにつけていたのだけれど、ある時はずれて失くしてしまったらしく、シクシク泣いていたという。わたしはもう1つ新しいのをあげた。かのじょはわたしに、つけていたおもちゃの指輪をプレゼントしてくれた。わたしもそれを、ほとんど毎日つけていた。

e0058439_23481682.jpg志葉玲さんの取材に同行させてもらい、アブグレイブ刑務所で虐待、拷問を受けたかたを訪問する。アブグレイブを象徴する、あの黒い袋をかぶせられて立たされているかただ。
アブグレイブでは承知のとおり、ありとあらゆる危険行為、嫌がらせ、屈辱が繰りかえされていた。実際にお会いしてお話を伺ってみると、そこでは人間としてのプライドがいっさい奪われているのがよく分かった。米兵は、人間は、ここまで残酷な狂人になれるのだ。同じ人間として、ひじょうに憂い青ざめたわたしがあった。

それにしても、タクシ運転手との闘いはほんとう疲れる。
前のお客のメーターのまま走り出そうとするひと、メーターをまわさず高値をふっかけてくるひと、行き先を間違えておいて行き過ぎた分まで徴収しようとするひと(この時は警官もまじえてもめにもめた)、夜間料金だといって高くし過ぎるひと。タクシに乗ったらまずメーターのチェック、そして遠回りしていないかの確認。こっちはアンマン事情みんな分かっとんねん。せこいねん! これにはイラーキーのハニさんもサラマッドも激しく怒っていた。ガソリンが値上がりしているにせよ、スドゥク(誠実)に頼むわ。

e0058439_23483034.jpge0058439_23484599.jpgクリフホテルのサーメルくんを訪ねる。
サーメルは、2004年10月にイラクで日本国家の犠牲として人質になって殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め、またかれの死を今でも深く悔い悲しんでいる人物だ。「香田証生ホテル」をつくるのが夢なのだけど、なかなかうまくはいかないみたい。わたしは、サーメルにたいせつな預かり物を渡した後、証生くんがやっていたというようにベランダの椅子に腰掛けてぼーっと街や大気や遠景の山を見るともなしに見ていた。

e0058439_2349435.jpgファッルージャで大評判だったというレストランがアンマンに開店したと聞いたので、JIM-NETの皆さんと夕食をともにする。わたしのイメージでは、ファッルージャのちいさな食堂が米軍による大侵攻で破壊され、さんざんのあげくアンマンに逃れてやっと再オープンした、という感じだったのだけれど、郊外にあったそれは想像以上にきらびやかで高めのレストランだった。なんとなくガッカリ。でも美味しい。2人で8JD=1366円。
ちなみに、翌日に行ったシティセンターにあるきれいじゃないけど大すきなイラク食堂は、2人で3.15JD=538円。

e0058439_23503067.jpgハニさんのお誘いで、オーファリ・アート・センターという有名なギャラリーへ行く。
ちょうど開催していたのは、アリ・タリブ展。日本にも通じるような、やさしくて深遠に吸いこまれそうな絵の数々だった。多くのイラーキー画家が集っていて、次つぎと紹介される。アリさんご本人にもお会いでき、お友達がお亡くなりになった時の作品のお話などうかがうことができた。

ホテル近くのアンマン城へ行ってみる。上り坂の勾配と真昼のシャムス(太陽)に疲れきっていたわたしには、2世紀の神殿跡を目にしても、ただのがれきにしか映らなかった。石に近づくとひんやりと冷たく、いにしえから幾重にも積まれてきた時を想う。ジャバル(山)のうえからアンマンの街を眺める。日陰を探してうろつきまわる。

ここヨルダンには、今や100万人以上のイラーキーがいるという。物価もどんどん上がっている。様ざまな理由で国境が厳しくなるのもやむを得ないのかもしれない、とかふと思う。
そんなことをいって、苦しみの果てに避難してきたイラーキーをさらに苦しめるつもりではない。ただ、祖国を逃れるというのはどれぐらいどのように嘆かわしいのだろうか、と。イラクの友からのメールには、「僕の家族はミゼラブルを超えている。僕のミゼラブルな生活をじゃましないでほしい」と強烈な皮肉がこめられていた。惨めなほうがまだましなミゼラブル以上の生活、わたしには返す言葉もない。

シリアへと戻る朝、シャムスは外出中でいなかった。わたしはフロントのムハンマドにわたしの名刺を託し、かのじょに渡すよう伝えた。大すきなイラクからお手紙が届くといいな、なんて思いながら。
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by peaceonkaori | 2006-09-23 00:43 | 中東にて

ドルマのレシピ

ハニ画伯のご夫人オム・ムスタファ(ムスタファのお母さんの意)に教わる、マドラサ・ドルマ(ドルマ学校)。ナバもアラビ日本語辞書を手にヘルプしてくれました。
レストランでは出てこない、イラクの家庭料理(もともとはトルコ)。お父さんのいる休日の金曜日には、家族そろってドルマを食べるそう。

1.トマト、茄子、玉ねぎ、ズッキーニを繰りぬく。玉ねぎは、床に叩いてやわらかくする。トマトはふたが閉められるように繰りぬく。
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2.トマト、にんにく、じゃが芋、玉ねぎ、セロリ、ズッキーニ、羊肉を細かく刻んでまぜる。トマト、ズッキーニは、1のなかみを使う。
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3.ほうれん草を茎と葉に切る。

4.洗って15分ほど水にひたした米を、1とまぜる。

5.ピーマン・パウダーとカレー粉、トマト・ペーストと少量の水と油を入れ、まぜる。

6.レモンを5個以上しぼり、4に入れる。レモン・パウダーがあればグッド。

7.油をしいた鍋に、鶏肉(お好みで)とほうれん草の茎をならべる。
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8.1に6をつめる。なかみが出ないように、ズッキーニに茄子や玉ねぎでふたをしたり、工夫する。ほうれん草の葉でも巻く。ほうれん草は上のほうに置いて、隙間を作らないように鍋に敷きつめていく。
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9.残りのほうれん草と6の余った水分を鍋に入れる。中火にかける。

10.グツグツしてきたら、水を入れる。
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11.30分ほど煮込んだら、弱火で5分。できあがり!

12.大皿に鍋をひっくり返して盛りつける。床に新聞紙をしいて、ホブス(薄焼きパン)やサラダとともに、いただきましょう!
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by peaceonkaori | 2006-09-20 01:04 | 中東にて

戦争の爪あと

ホテルではわたし達がイラク支援をするNGOワーカーだと知れ渡っていたので、ある日、ある家族を紹介された。わたしはかのじょらのお部屋にとおされた。

英語の話せないお母さんがアラビア語で、堰を切ったように話しつづける。通訳できるイラーキーをなんとか連れてきて聞いてみると、わたしはそのあまりの理不尽さに、抗不安剤を飲まざるを得なかった。

e0058439_0163075.jpgイラク人のお母さんは、10年以上前にヨルダン人の夫に蒸発され、娘と息子を1人で育てていた。1991年の湾岸戦争で、空襲などによる恐怖から娘のファーテンちゃん(現在26歳)が寝たきり状態になり、おトイレもお食事も1人ではできないようになってしまった。イラクのお医者さんがファーテンちゃんはイラクでは治せないと判断したため、お母さんはなんとかヨルダンに移ってきたのであった。
ただし第1の問題は、ファーテンちゃんにパスポートがないこと。今回は、イラクへは帰らないという約束で特別の許可をもらってヨルダンに入国できたという。が、アンマンの医者を訪ねても、パスポートのないひとは受診できないと拒否。父親がヨルダン人ということはファーテンちゃんもヨルダン人になるので、ヨルダンのパスポートを取得しようとお役所に行けば、イラクの外務省で結婚証明書にスタンプを押してもらってから来いと言われる始末。グリーンゾーン内にあるバグダードのお役所に、いったいどうやって行けるというのか。元・夫やその親戚とは連絡がとれないし、お手上げ状態だった。
第2の問題は、経済面。貯金はもう底をつき始め、いつホテルから追い出されるか分からないと、お母さんはおびえている。息子はもうはたちを過ぎているからじゅうぶん働けるはずなのに、そう助言すると「皆殺しにするぞ」と暴れるんだという。お母さんはイラク人だし、ファーテンちゃんのお世話で手いっぱいなので、働けない。ついには、ホテルにパスポートを預けられてしまった。
第3の問題は、お母さんの巨大なストレス。たび重なる戦争や経済制裁のなか10年以上も耐え忍んできたお母さんは、右胸の上に風船のように大きくふくらんだこぶができていた。痛みはないといえども、お母さんだって手当てが必要だ。でも、そんなお金もないという。

PEACE ONは医療や難民のスペシャリストではないので、悩んでしまった。取り急ぎ、日本のNGOワーカーやヨルダンの知り合いに相談してみる。ヨルダンの知り合い2人が同情を示し、かのじょらを助けてくれることになった。ひとまずはあんしん。今後どうなるかは分からないものの、ちょっとでもお役に立てたのならば嬉しいことだ。
支援活動をやっていていっとう辛いのは、懇願されるリクエストになんとか応えたいと思ってもすべてをカバーすることは不可能だということ。
ほんの少額だけど、お母さんに個人的なカンパ金を渡した。

戦争は、死者を増やすだけではない。こうやって、カウントされない犠牲者が無数にあることを、わたし達は胸にとめておかなければならない。
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by peaceonkaori | 2006-09-20 00:21 | 中東にて

ダマスの長い夜

6日、朝。今日こそはと鼻息も荒く、国境へと向かう。トルコ側あっさり通過、フン。

e0058439_5183451.jpgシリア側では、往きと同じく別室へ。係官のおじさんは、「おお、日本人か。ようこそ、ミスター・スズキ」なんてご冗談をば(たしかに日本の苗字で鈴木がいっとう多いけどー)。またもチャイなんぞをいただいたりして。
よし、わたしはありったけの笑顔で尋ねてみる、「ねえ、思い出に写真を撮ってもいい?」。通常は国境のしかも室内で撮影など厳禁のはず、係官はいぶかしそうに間をおいてから、OK。やったね! しっかりバッシャール(シリア大統領)の肖像とともに写ってます。成功、アラブおやじキラー!

カーミシュリーからバスで9時間、ダマスカス到着。ヨルダンの首都アンマン行きのセルビス(乗り合いタクシ)のあるガラージュ・バラムケに着いたのは、夜の10時頃だった。
サラマッド達とここで夜9時頃に落ち合う予定になっていた。もし会えなければ先にアンマンに行って待っていよう、と。サラマッド達はいなかった。

12時をまわっても、2人は現われなかった。さすがに行こうかとYATCHが言う。
けれどもわたしは思う。今、イラーキーのヨルダン入りはひじょうに厳しくなっている。実際に、国境でレッド・スタンプを押されて追い返された知り合いもいる。もし、わたしら日本人と一緒にいることでなんらかの助けになれれば、と。保証はない。するっと通れるかもしれないし、逆に日本人なんて無力かもしれない。だけど、だけど、万が一にでもそういう可能性を考えてしまったら、待ちつづけるという選択肢しか、わたしには思い浮かばなかった。
「このままだと徹夜して朝まで待っても来ないかもしれんぞ。それでも待つのか?」と問うYATCHに、わたしは「うん」。

e0058439_5193218.jpgターミナルには、開店したほんの少しのお店と運転手と警官。閉店間際のレストランのお兄ちゃんに茹であがったひよこ豆を食べさせてもらったり、警官にチャイをもらったり、果てはYATCHとじゃんけんをしてみたり。にしても、待ちくたびれたというのはこういうことをいうのだな。昔と違ってこの27歳の身体に、オールナイトはさすがにきつい。独りぼっちじゃないのが、せめてもの救い。

待つこと7時間。
4時を過ぎて、遠くにたぬき面のサラマッドの姿が。「サラマーッド!」、わたしは手をぶんぶん振って駆け寄った。
まぎれもない、サラマッドだった。やはり国境で6時間ほど足止めを食らったらしい。一睡もしていないとはいえ、なんとか元気そうでなにより。お世話になったお店のひと達や警官らに「このひとが待ってたイラクからのお友達やの」と報告。
さっそくセルビスに乗り込んだ。朝だ。

ヨルダン国境では、サラマッド夫婦は別室に呼ばれたりもしつつ、問題なかった(自分の手続きが終わったわたしは、サラマッド達の係官をじーっと見据えていたんであった)。
アラブ諸国の国境では、アラブ人と非アラブ人の窓口が異なる。サラマッドは云う、「なんでアラブ人が別で時間がかかるか分かるかい? アラブ人はね、アラブ人が嫌いなのさ」。アマラも、「わたしらのパスポートや書類を見るのに時間がかかっているんじゃないのよ。奴らは別室で、たばこを吸ったりチャイを飲んだり恋人に電話をかけたりして時間をつかっているんだわ」と。わたしが「でもアラブ人も、アラブは1つだ、なんて云っているひともいるよ」と添えても、かれらはノー。「じゃあ、どうしてイラクがこんな状況になっているのに、アラブ諸国はなにもせず放っているの?」

こうして7日の午前、アンマンのホテルにチェックインした。
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by peaceonkaori | 2006-09-17 05:20 | 中東にて

トルコ

5日、早起きをしてアルビルを出る。今日中にイラクからトルコ、シリアのダマスカスへと強行突破で着きたかったからだ。神様お願い、わたしをダマスに連れてって!
ザホー行きのセルビス(乗り合いタクシ)の停まっているガラージュでチャイを振る舞ってもらい、朝イチのセルビスでいざ国境へ。

e0058439_4542223.jpgもちろん戦闘の激しいアラビーの都市モースルは避けてゆくのだけれど、途中そのモースルに属する村バシェーハという村を通過する。クリスチャンの住む村であり、後に聞いたところによるとかれらはアッシリア人らしい。とにもかくにもアラビー、わたしははしゃぎまくる。だってイラクへ来て初めてのアラブなんですもの。検問所でもわざわざ車から降りて警官に、「アナ・ハビッブ・アラビー(わたしアラビーが大すきやねん)!」と主張する。あららら、かなりびみょうなムード、クルディである運転手は「早く乗らねえと置いてくぞ」と機嫌が悪くなり、ヒヤヒヤ。アラブ警官は、なんと勤務中に撮影にまで応じてくれたうえに、なぜかメロンまで持たしてくれた。クルドとアラブ、難しいこと。

e0058439_4552525.jpge0058439_4572255.jpgトルコとの国境では、長蛇の車列。タクシを降りて川なんぞを眺める。ふらふら歩いていたら、トラック運転手のおっちゃんやご家族のこどもから、コークとか頂戴する。イラクでは、わたしは物をもらってばかりいる。
それにしても暑い。街でもそうだったが、ここそこにお水のタンクが置いてあるからマーシー(だいじょうぶ)。冷えた水道水でのどを潤す。

イラク側はなんなく通過。
そういえばイラクで問題があったのは、たった1度きりだった。あれは、ゲリアリベック滝へ行った時のこと。山の途中の検問で、わたし達4人は室内へと呼ばれた。なんでイラク人(サラマッド)とフランス人(アマラ)と日本人(YATCHとわたし)が知り合いなんだ、それにこのシャーレをかぶってサングラスをかけたエセ・ムスリマ(わたし)はなんだ、スパイじゃないのか?なんて聞かれたのだった。事情を説明してすぐにスルーできたものの、そんなにわたしは怪しいのかしらん?と少々むっときたものだった。

e0058439_4581145.jpg問題はトルコ側。
イラク入りの目的など詳細の質問を受ける。YATCHが「クルディスタンです」と答えると、「クルディスタンなんてない。イラクのどこへ行っていた?」と係官。「いや、だからクルディスタンの…」、わたし達は室内へと連れて行かれた。「いいか? クルディスタン(クルド人の国の意)なんて存在しないんだ。トルコでは、それを聞いて怒る奴がいる。注意しろ」とのこと。たしかにクルド人問題は、トルコがいちばんの問題国だ。3000万人ともいわれるクルディはトルコやイラク、シリアなどに分割され、未だ自分らの国をもてていない。とても繊細な問題。
両親の名前から色いろと尋ねられ、係官がそれを手書きでノートに書いてゆく。なぜ目の前のコンピューターに打たないのかと聞くと、向こうの上司に見せるからとかなんとか言っていた。へんなの。
ひと通りの質問が終わって外に出てみると、別の係官は自動車の座席の裏までチェックしているし、また別の係官はわたし達の鞄を開けて手さぐりで検査をしている。わたしなんぞは下着の類がいっとう上にあったものだから、ちょう赤面。EUに入りたがっている国が女性係官もつけないなんてと怒りが込みあげるも、ベソをかくだけのわたし(うわての女史は曰く、「そんなの甘ったるい甘ったるい。そういう時はわざとイヤラシイぱんつとかを上に置いて、ほぉらほぉらと顔に近づけてみせると、それ以上なにもされないものよ」。おみそれしました)。
けっきょく国境では4時間もかかってしまった。機械ぐらい導入しやがれ、くそっ。それでも、国境で20時間以上も待たされるイラーキーの気もちがすこしは分かったかな。

ようやくトルコ入国、幹線道路を疾走する。またも検問で停めら、鞄のチェック。そんなにわたしのぱんつが見たいのか、コンニャロー。代表YATCHに扇動されて、おもきし「HENTAI!」と叫ぶわたしであった。

シリア国境へたどり着く。いやな予感は的中、なんとここの国境は午後3時に閉ざされるんであった。朝10時からお昼3時までの国境、ちょっと怠慢じゃなくて?
トルコでの怒りがたまりにたまっていたわたしは日本語でまくしたてる、「あんたらトルコがイラク国境で4時間も待たしやがったせいで、こんな時間になってしまったんやろ。どないしてくれんねん! あたしゃなにがなんでも通りたいねんから、開けよしな。なんやの、あんたらッ」。もちろん、とっとと帰れというようなしぐさをされる。わたし達はトルコ側ヌサイビンで、宿をとるほかなかった。

e0058439_4592598.jpgトルコの夜はふけてゆく。晩ごはんを食べて、インターネットカフェで仕事をする。
Skypeでバグダードのイサームに電話をかけたら、かれは元気そうだったが相変わらずバグダードはムーゼン(良くない)。それでも、来年にはイサームに2人目の赤ちゃんが授かるという。最悪の街での、最高のニュース。わたしは、「マブルーク(おめでとう)!」を連発していた。
町をふらつく。おっさん群がカフェのようなお店で、トランプや麻雀みたいなゲームに興じていた。
連絡すると、サラマッド達も爆発事件でモースルを出られなくなり、明朝に出発するという。これも運命と思ってあきらめましょう。
明日こそは、ダマス。
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by peaceonkaori | 2006-09-17 05:00 | 中東にて