NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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アルビルにて

e0058439_2117782.jpg4日、またも近所のアマルくんが車を出してくれるというので、感謝。シャクラワに別れを告げて、アルビルへと移動する。
途中の道路で売られている闇のガソリン、イラン製やトルコ製のなかからアマルくんは、バグダードのドーラ製のものを選んで買っていた。ドーラといえば、PEACE ONバグダード支部長サラマッドのお家のある地区だ。ドーラ製のガソリンは質がいいという。うれしくなって、YATCHとともにきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでしまった。
アマルくんは、バグダードのグリーンゾーンで働く傭兵なんだそうだ。シャクラワで会った何人かのイラーキーも、傭兵をしていると聞いた。イラーキーにして、米軍のところで働くというのはそのような心境なんだろう? とてもふくざつな思いがした。

e0058439_21174443.jpge0058439_2118925.jpgアルビルは大都市だ。自動車は渋滞、ここそこで真新しいビルディングや建設中のものを見かける。しばらく人口5000人のちいさな町シャクラワに滞在していたため、めまいすらおぼえるほどだ。なんとか安宿を確保して、アマルくんにさよならをし、街へと繰りだした。
シャクラワほどではないにせよ、やはりここでも日本人は珍しいらしく、笑いかけてくれたり声をかけてくれるひとがいる。韓国軍が駐留しているから、韓国人と思われるケースも多かった。英語の通じるかたは迷路のようなスーク(市場)を案内してくれたりもしたし、あるゴールド宝飾店の店主は荷車ジュース屋のジュースを奢ってくれたうえにうちのお店で休憩してけーと誘ってくれた。

e0058439_21185025.jpge0058439_21191673.jpge0058439_21194542.jpgイギリスから一時帰国しているというターリックくんに、レストランを紹介してもらったりもした。ぼったくられないように、お店まで連れてってくれる。
その後、ふたたびターリックくんのいるお店に戻る。じつは、行きたいところがあったのだ。それは、最近オープンしたという一大ショッピングモール。初エスカレーターにとまどい、乗るのをあきらめたり途中で倒れたりしている人びとの映像を、TBSの番組「報道特集」で久保田弘信さんがレポートされているのを、日本で見たんであった。わたしもエスカレーターの反応を撮りたい!と、ターリックくんの案内でわざわざそのナザモールまでタクシでかけつけた(ミーハー)。ところが、ところが、エスカレーターは停まっていた。なんでも、電力不足で今日は停めているらしい。皆は、階段のようにして歩いて上っていた。無念。店内は、まるで日本のショッピングモール同様に広くてきれいで衣料にしろ食料にしろ豊富な品揃えだった。違っていることといえば、イラーキーは大家族ゆえに、トマト缶や油やお肉なんかがどれもビッグサイズだったことぐらい。なかには、パーマにサングラスでお洋服姿のちょう現代的なガールがいて、シャーレ(スカーフ)をかぶっているわたしに「なんでそんなのかぶっているの? そんなの要らないわよ」と笑うんであった(バグダードでは今や、お家のなかでさえ、キリスト教徒でさえ、ヒジャーブをかぶらざるを得ないというのに)。そのシャイダちゃんとは、メールアドレス交換もした。

e0058439_21201033.jpgターリックくんは妹さんのお宅に滞在していて、「なんなら泊まっていけよ」と云ってくれる。わたし達はすでにホテルにチェックインしていたので、せめてもと夕ご飯をご馳走になりに行った。
ターリックくんの甥っ子、姪っ子は皆とても可愛らしく、とくにアーシアちゃんとは「ブラダー(お友達)」と云いあって手を繋いで遊んでいた。末娘のフーダちゃんは、1歳半になるのにまだ歩けないし話せない。聞くと、フーダちゃんの骨が軟らかくなってしまったのは、お母さんが妊娠時に劇薬を飲んだせいではないかという。なんとかこの愛くるしいフーダちゃんが良くなることを願う。
ターリックくんと年齢あてっこゲームをする。こっちのひとは皆だいたい年上に見えるので、わたしが「39歳?」と聞いてみると、じつはターリックくんは30歳なんであった。謝ってももう遅い。ターリックくんはわたしに「かおりは40歳以上だよ」とからかわれる。ぶぅ。
偶然に出逢ったわたし達にここまでしてくれるのも、イラーキーならでは。帰りはアーシアちゃんも一緒に車に乗って、ホテルまで送ってもらう。またね、ブラダー。

いよいよ明日は、イラク出国だ。
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by peaceonkaori | 2006-09-12 21:20 | 中東にて

シャクラワ最終夜

2日、朝、停電。ここのホテルはジェネレーターがじゅうぶんでないのか、客室より優先してロビーだけにしか電気をまわさない。まあ、いいんだけどさ。
停電といえば、このあいだ夜にサラマッド達とお外のレストランでだべっていた時、急に町が停電になったのだけど、そしたらなんと拍手が沸きあがったんであった。リエーシュ(なぜ)?とふしぎがっていたのだが、サラマッド曰く、「バグダードからの観光客ばっかりやから、ここクルディスタンでも停電があるんやーって面白がっているんと違う?」。単純なような複雑なような、なんだかなあ。

e0058439_4522091.jpg今日は、これまでの会計や今後のプロジェクト展開など、PEACE ONの打ち合わせをおこなう(詳細は相澤のブログご参照)。バグダードやモースルの病院や学校での支援の写真に、思わず咲みがこぼれる。PEACE ONはイラク人現地スタッフを雇っているので「直接支援」をしているわけだが、やはり日本人のわたし達もその場にいたいなあと思ってしまう。「現場」は近いようで、なかなか遠い。
バグダード郊外に住むお友達に電話をかけてみる。イラクに来ることは伝えてあったのだけれど、おんなじイラクでも会えないのが残念。サラマッドと喋っている間に、背後で爆発音が聞こえたらしい。やはり、バグダードとシャクラワではまったく違う。
バグダードで奔走してくれているサラマッドの弟とも、電話する。わたしはかれとお喋りするのは初めてだったから、ちょうどぎまぎ。いっしょうけんめいアラビア語で話すわたしに、かれはずっとくすくす笑っていた。そんなに可笑しいのかしらん? YATCHは、「冗談ずきのイラーキーが今や笑うこともなくなったなかで、かおりが笑かすのはすごいことだぞ」と、ほめているんだかなぐさめているんだか分からないことを云ってくれた。
ごはん時になり、サラマッドが聞いてくる、「かおり、なにが食べたい? ケバブ?それともケバブ?ケバブ?」。ちいさな町シャクラワの幾つかのレストランではどこも、ケバブしか置いていないんであった。

e0058439_4525479.jpg日本の靴屋さんで直してもらった革靴もここへ来てすっかり泥んこになってしまったので、路傍のこどもに靴磨きをお願いする。黒色か茶色の2色しかクリームを持っていないらしく、わたしのダークブラウンの靴は少々カラーが変わってしまったけれど、とにもかくにもゾル・マムヌー(どうもありがと)。最初は恥ずかしがっていた少年も、すなおに写真撮影に応じてくれた。色を塗っていっしょうけんめいタオルで磨いて、1000ID=約70円。

お部屋の扉をノックする音がする。開けてみると、バグダードからの2人の姉妹が一緒に写真を撮ってと頼んでくる。しかもわたしはイラク服のディシターシャからお洋服に着替えないとダメらしい。かのじょらも、西洋の服で思い思いにお洒落を愉しんでいた。
ふたたびノック。今度は町へ繰りだそうと言う。打ち合わせ中だったけど、わたしだけシュワイヤ(ちょっと)お出掛け。かのじょらと歩いていても、ヤバニエ(日本人のおんな)への写真合戦はすさまじい。PEACE ONのTシャツを着ていたわたしが、胸に躍るロゴマークの「シャーブ・ヤバニ・マー・シャーブ・イラキ(Japanese people with Iraqi People)」を説明すると、そこいらじゅうのイラーキーがいっせいに拍手喝采。ますますスーラ(写真)をせがまれるのだった。
かのじょらと、片言のアラビア語とほんの片言の英語と後はジェスチャーでなんとか会話を紡いでゆく。アダミヤ地区に住んでいるかのじょらは、まだ10代だというのに、通りに転がる遺体を日常的に目にしていたり、シーア派なんか最低と言い放ったりしていた。また、かのじょらのお父さんもお兄さんもアメリカ系の会社で働いているため、もしばれたらマハディ軍に殺されるとおびえてもいた。アダミヤといえば、シーア派のカズミヤ地区とのあいだにあるアインマ橋での事件が有名だが、そのことを話しても、シーア派とは完全に敵といった風にかのじょらは語るのだった。わたしはそんな日々を経験していないから、それを悲しいだとかなんだとか云えない。ただ、戦争はこどものこころをも支配してゆくのだなー、なんて。恋バナをしたり、アイスクリームやジュースを奢ってもらったりした(あたし年上やのにッ)。

3日、サラマッドとアマラがモースルへ戻る日になった。2人とはまたすぐに、ダマスカスで落ち合う予定。

e0058439_4533173.jpge0058439_4535729.jpge0058439_4542047.jpgあーっ、ウロウロしている警官の帽子にイラク国旗が! ここクルディスタンで初めて見るイラク国旗。思わず写真撮影をお願いする。商店で見つけたディボスというメーカー(アディダスのぱちもん?)のジャージにもイラク国旗。けっきょくシャクラワでは、この2回しかお目にかかることがなかった。バルザーニが、イラク国旗をおろしてクルド旗を掲げるよう命令したという噂もある。イラク国旗をはがした跡の車も発見した。やはり、分離主義がはびこっているのか。

e0058439_4544861.jpgジューススタンドで濃厚なロマーン(ざくろ)ジュースを飲む。4つ星ホテルにあるこの町唯一のインターネットカフェは1時間4ドルもする。バグダードのアナスに電話をかけるも、イラク入りをメールしたのが遅過ぎたらしく、会う時間がとれなかったことを口惜しがる。夜は夜でアマルくんと町をふらつく。電池でぴかぴか光る花束、こども用の桃色スリップ、腕輪など行き交うイラーキー達から何故かもらう。商店で指輪を買おうとすると、ただで持たせてくれる。シャクラワ町長がアルギレ(水たばこ)カフェに入ってくる。護衛がカラシニコフを携えている。ゆうべ一緒に撮影したのの現像した写真を、ほれほれと見せてくれる少年がいる。どうどうと開店しているお酒屋さんでビールを買ってみる。そんな、シャクラワ最終夜。

翌4日、わたし達はシャクラワをあとにして、アルビルへと向かったのであった。
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by peaceonkaori | 2006-09-11 04:55 | 中東にて

やっぱしイラーキー

31日、朝。目覚めたらマーク・カフラバ、停電だ。クルディスタンでも停電はあるのだな。フロントで懐中電灯をお借りする。シャワーは途中でホースが破れて漏れるので桶をつかって、お湯は出ないみたいでお水で身体を洗う。さっぱり。
フロント係が、窓から景色の見える明るいお部屋に変えてくれる。このフロント係、英語は喋れないのだけれど、わたしの片言のアラビア語をいちいちクルド語になおして教えてくれる。にへらにへらとしたいい奴。こちらのお部屋には初めからシャワーなどなかった。やはりお湯は出ず。
近所のレストランでお食事、チキンのティッカ(焼き鳥)を食す。トマトときゅうりのサラダやオリーブの実、生たまねぎやお菜っ葉、トルシー(きゅうりみたいなお漬物)と、もちろんホブス(薄焼きパン)がついてくる。食後にチャイを飲んで、2人で4500ID(イラク・ディナール)=360円。
e0058439_23221480.jpge0058439_23224034.jpg気温は軽く40度を超えている。日本みたいに湿度がしつこくないので汗はかかないけれども、さすがにお外にいるだけで体力が消耗する。通りのお店もお昼間は閉まってい、ホテルの従業員もロビーのソファでお昼寝していた。
バグダードからツアーグループが来ていて、またもスーラ(写真)攻めに遭う。「ミン・バグダード(バグダードから)?」と尋ねるとみんなそうで、やっぱりバグダードは「ムーゼン(よくない)」と言う。皆ここで、束の間のバカンスを愉しんでいる風だった。
ところでホテルの名刺をもらったのだけど、この安宿とはまるで異なる立派なビルディングの写真なのよね。フロントにはバグダードの一流パレスチナホテルのカレンダーが貼ってあって、ごていねいに説明までしてくれる。フロント係は暇してソファで居眠り。この好い加減さ(やっぱしイラーキー)。

ゆうべの電話では正午に着くよと云っていたPEACE ONバグダード支部長のサラマッド達は、けっきょく午後4時頃に到着(やっぱしイラーキー)。通り越しに大声で呼びかけ、ぴょんぴょん飛び跳ねて出迎える。昨年の来日以来9か月ぶりの再会となった。サラムーディー(サラマッドの幼名)の満面の笑み、ほんとうすき。ご夫人アマラともキスでご挨拶。なにはともあれ、よかったよかった。三十路のサラマッドは、おなかがぷっくり出ていた(やっぱしイラーキー)。
サラマッド達は空いているお部屋に窓がなく気に入らないからと、近所のホテルに移っていった。アマラは「監獄のようだわ」と嫌がっていたが、そのお部屋、昨日わたし達が泊まっていたところなんですけど…。
近所のカフェでアルギレ(水たばこ)をくゆらせる。わたしはたばこは吸わないけれど、アルギレだけは吸う。ここシャクラワは驚くほど穏やかだし、2人とも元気そうに見えるけれども、やはりバグダードからの土産話はじつに恐ろしい(バグダードのお話は相澤のブログご参照)。 生きていること自体が、まるでミラクルだ。ストレスをはじめとする住民のこころの問題も相当なもので、わたしも軽度のうつを患っているが、そんなものとは比べものにならないほど。ショックで無口になったわたしを、サラマッドがお兄さんのようにしんぱいしてくれる。シュクラン(ありがと)。まだまだやね、あたし。

e0058439_23244140.jpg夕食は、サラマッドからのとっておきのプレゼント。なんとオム・サラマッド(サラマッドのお母さん)がわたし達のために、ドルマ(お野菜を繰りぬいてご飯をつめて煮込んだもの)とテブシ(トマトベースのシチューのようなもの)を作って持たせてくれたのだ。ホブスを買って、お部屋の床に新聞紙を敷いて、お鍋ごと喰らいつく。アナ・アヘッブ・ドルマ(ドルマ大すき)! 粋なはからい、サラムーディ(やっぱしイラーキー)。

e0058439_232545100.jpg9月1日、気晴らしに観光でもしようぜと、滝を見にゆくことにした。ホテルの近所のアマルくんという青年が車を出してくれるという。途中ドンキー(らば)や山羊などを目にしつつ、山を上ること1時間、ゲリアリベックという滝に到着した。金曜日の休日ということもあって、ここゲリアリベックはたくさんのひとで賑わっている。
e0058439_2327689.jpgイラクで見る滝、日本のそれとはムードが違う。マイナスイオンを浴びる暇も与えられず、ここでもイラーキーにとり囲まれて、かわりばんこに写真を撮られてしまう。YATCHやアマラは、川に入って水浴びを始めている。みんなにバッシャバッシャとお水をかけられてずぶ濡れに。あほやー。
e0058439_232802.jpge0058439_2328372.jpgこどもらと遊んでいるうちに向こう岸で休んでいるご家族が川で冷やした西瓜を食べてけーと声をかけてくださったので(やっぱしイラーキー)、YATCHらを連れて行ってみる。イラン製だというスイカは、形こそ楕円形だがお味は日本のそれとよく似ていて、シャムス(太陽)に疲れたわたしを甘やかに満たしてくれた。御一行はアルビルから来たクルディだそうで、しだいに話が弾んでゆく。わたしはこども達と一緒に赤ん坊をだっこしたりして遊んでいた。ゾル・スパース(どうもありがとう)。

e0058439_23293014.jpgシャクラワに戻っても、写真攻撃は終わらない。3歩あゆめばスーラ、また3歩あゆんでスーラ。サラマッドには、「ポップスターやね」とからかわれる。ンもぅ。こんなちいさな町に珍しい日本人客、しかも町はバグダードからシアーハ(観光)に訪れたかたばかり。ムーゼンなバグダードからひと時でも逃れたいかのような拍車のかかったそのパワフルな熱狂ぶりに、逆にバグダードが悲しく想えてならない。女王バグダードは、どうなさったのか。
サラマッドとアマラのお宿もバグダードからの観光客でいっぱいで、こどもらが必死になって喋りかけてくれた。もっとアラビア語を勉強せねばと再認識、うん。
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by peaceonkaori | 2006-09-09 23:34 | 中東にて

イラクまで

8月28日、PEACE ON事務所を出る直前まで、事務仕事やら旅支度やら冷蔵庫の一掃やらで、あっという間に出発時間。この、ぎりぎり魂。
羽田空港には、会員のキさんが見送りに来てくださった。ご寄付を頂戴する。有難い。「この写真は貴重ですよー」なんて腹黒い冗談で笑いながらの写真撮影。まさかまさかの最期になりませんように、なんてね。

北部のクルディスタンとはいえ、今回のこのイラク行きを、会員を含めほとんどのかたに告げずに来た。もちろん、イラク人現地スタッフのサラマッドによる調査の末のOKと、日本国内の理事会での対策会議をもち、じゅうぶんと思えたからこそのイラク訪問だ。イラク攻撃開始から3年半、イラク行きの夢を抱き始めてから3年半、長い道のりではあった。バグダードへもヒートへもファッルージャへも今はまだ行けないけれど、それでも念願のイラク。一瞬一瞬をこころにふかく刻んで生きようと、思う。

関西空港で乗り換えて、ドバイまで。着陸時の急降下では、いつも耳からあたまにかけて激痛が走る。お隣さんにしがみついて、しばし悶絶。かなり嫌がられる。むぅ。
e0058439_2353991.jpg日付は変わっている。ドバイから、シリアのダマスカス国際空港へ。 ガラージュ・バラムケというバスターミナルまでバスで30分ほど行く。25シリアポンド=約60円。そこからガラージュ・ハラスタまでタクシで3ドル。街を走る車やその辺の壁のいたるところに、バッシャール(シリア大統領)とナスラッラー(レバノンの組織ヒズブッラーのリーダー)のコンビの肖像画が貼られている。タクシーの運転手に聞いてみても、「ナスラッラー、クワイアス(グッド)」とちゅぱちゅぱキスを送っていた(アラブでは、おとこのひともおとこのひとにチューをするの)。やはりナスラッラー人気は、ここでは確実なようだ。そしてわたし達はそのバスターミナルで、カーミシュリー行きのバスに乗りこんだんであった。

e0058439_23534639.jpge0058439_23541217.jpgダマスカスからカーミシュリーまでは、シリア国内とはいえ南西から北東まで砂漠の道をずーっと行って9時間もかかる。それでもバスなら7ドル、安過ぎ。『地球の歩き方』にも載っていないぐらいだから、そんな田舎まで旅する日本人はそうとう珍しいようだ。こどもらをきっかけに、乗りあった人びとと交流が始まる。片言の英語すら通じないものだからこっちはアラビア語の辞書を引っぱりだして、ぎこちないながらも、じゅうぶんとけ合うことができた。途中、ユーフラテス川を渡る。これを泳いでゆくとバグダードに着くのだなあ、と泳げないわたしは想う。いっとう話していた家族が降りると今度は、バス前方の御一行にこっちに来て来てとせがまれる。2人がけの座席に3人で座ったりして。いよいよカーミシュリーに着いて、さあホテルを探そうという段になっても、バスの乗客やら集まっていたタクシー運転手やらがみんな輪になって話し合ってくれる。たくさんの写真撮影をして大きく手を振り、バスは去っていった。タクシーにホテルまで案内してもらうも、ビジネスなど様ざまな理由でイラーキーが流れ込んできていて満員だという。それならと、運転手のスレイマンさんがお家に泊めてくれることになった。
e0058439_23544440.jpgシリア国境の町カーミシュリーでの、ふつーのお宅。1歳になる双子の赤ちゃん、電灯のないお外のおトイレ、チャイ(お砂糖たっぷりの中東の紅茶)やファラフェル(軽いコロッケのようなもの)でのおもてなし、瓶1杯のお湯で身体を洗い、ホースのお水で洗面、ダニのうじゃうじゃいるお布団まで用意してくれた(痒かったこと痒かったこと…)。

翌30日、スレイマンさんのタクシでトルコとの国境まで連れて行ってもらう。カーミシュリーには秘密警察がたくさんいるから、お宅にお泊まりさせてもらったことは内緒。こっそりと、さよなら。
シリア国境では別室に案内される。なにか問題でもあるのかとドギマギしながら待っていると、チャイをふるまってくれたりニッコリご挨拶してくれたり、果ては出国税も払わずに済んだりと(要らんのかしらん?)、なぜか好待遇。すーっと通ることができた。トルコ側の国境も、問題なし。
幸運なことに、イラクのクルディスタンのザホー行きのおじさんとめぐり会い(お祖父さんがその名もザホーなんですって)、タクシをシェアしていざトルコ。じつはわたしはトルコを怖がっていたのだけども、通過している間はほとんど眠りこけていたので、よく分からなかった、えへ。トルコ軍の戦車がちょいちょい停まっていたいたらしいけど。んで、数時間でいよいよイラク国境。
e0058439_23551933.jpg国境にはクルド軍隊ペシュメルガがいたんだけど、写真を撮っても怒られなくって、またまたチャイまでもらって、まったくマーク・ムシュケラ(問題なし)。ここからは、途中シロピから乗り合ったシャイシャイくんというタイ人の電気技師を迎えに来たスレイマニアの会社の車に同乗させてもらう。こっそり尋ねてみると、シャイシャイくんは29歳で、イラク行きの話をもちかけられた時は怖かったし両親も反対したんだけど、はるばる働きにやって来たらしい。きんちょうしているようすが、見てとれた。

e0058439_23555128.jpgあちらこちらでクルドの旗が翻り、ガソリンスタンドはピカピカ、検問所もさらっと停まるだけ、山岳地帯を時速100キロ超でひたすら走る。運転手さんもシャイシャイくんの上司になるかたもスレイマニアに住むクルド人、話す言語はアラビア語でなくクルド語。なにかが違った。わたしの想い描いていたイラク、あれはいったいなんだったんだろう。ここはクルディスタンでイラクといえどもアラブではない。イラクの一部と口に出せない雰囲気が、ここには充満していた。わたし達は話す時には、「中東」と言ったり「クルディスタンを含むイラク」と言ったりして気をつかった。

クルディスタンは、イラクにあってイラクにあらず。

e0058439_23562111.jpgもちろんピースフルなことはいいことだ。ドンパチがあったり、学校が休校になったり、道路が封鎖されたり、遺体が通りを転がっていたり、「マーク・マイ、マーク・カフラバ、マーク・ベンジン、マーク・アマン(水ない、電気ない、ガゾリンない、安全ない)」のバグダードなんか、もうたくさんだと云いたい。それでも、イラクの友から聞いていたイラクとのあまりのギャップに、わたしはとまどいを隠せないでいた。通りで売っている闇のガソリン、物価の上昇、韓国軍の駐留(クルディは韓国軍をグッドと言うけれど、国境で有刺鉄線の向こうの戦車とかを見た時はいい気はしなかったな)、クルディスタンにも問題は山積している。それにしたってクルディスタンはひじょうに穏やかだ、うん。やがて山の向こうに夕陽が沈んでいった。仄かなサンセット。

夜になって、アルビル近くのシャクラワというちいさな町に着いた。ここはアラビの多い観光地なんだそうだ。夜は涼しく、町は賑やかに人びとで溢れかえっていた。そのひょうじょうはのびやかで、皆にこにことしていた。やはりヤバニ(日本のおとこ)とヤバニエ(日本のおんな)は珍しがられ、写真やヴィデオを撮ったり声をかけてくれたりと一躍、町の噂になってしまった。 その歓迎のひょうじょうに、ここシャクラワはだいじょうぶなんだなと、ほっとしたわたしであった。相澤YATCHは、バグダードの市民のひょうじょうは情勢が悪化するにしたがって硬くなっていったけれど、戦前から2004年4月頃までのやわらかなひょうじょうによく似ているな、と言っていた。
こうして3日がかりでぶじ、イラクに到着した。
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by peaceonkaori | 2006-09-06 05:09 | 中東にて