NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2006年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

最終夜まで

京都から帰ってからは、わりとのんびりと過ごした。

10月6日には、ギャラリーに在廊。
e0058439_2328562.jpg途中でぬけ出して、昨年すっかりお気に召した100円ショップへとお出向き、大量にお買い物。ハニなんて6000円も買っていたもんなあ。シルワンは「汁椀」の札の前でちゃっかり写真撮影。5本指ソックスがかなり気に入ったらしく、こぬか雨のなかをあちらこちらと探し回る。

e0058439_23291051.jpg7日、ハニが日本のモスクに行ってみたいというので、代々木上原の東京ジャーミイへと向かう。
うつくしく神聖なジャーミイに、わたしはぺたんと座りこんであたまを空っぽにさせる。祈りはもちろん、これまでの感謝とイラクの平安についてだ。ハニは、イスラム教徒らしくとても敬虔な態度で祈祷している。シルワンはなかには入らず、カメラをピコピコさせていた。

今日はギャラリー最終日。
e0058439_23301879.jpg京都でのイベントに来てくださった現代アラブ文学者、フェミニズム思想家の岡真理さんに、インタヴューを受ける。以下、覚え書き(正式なインタヴュー原稿は、次号PEACE ON会報「PEACE ON JUNCTION」に掲載予定)。

シルワン「芸術をもって歴史と呼ぶ。とりわけ現在の状況について。証言記録としての芸術。リアリズムには限りがあり、それは終わった。作品は時代の要請によってつくられ、今はシンプルなものが求められている。日常生活は逆に複雑化、それに疲れて観るものはシンプルに。」

ハニ「古代からの歴史を表現したい。それは抽象でより伝えられる。見えかた、見かたの問題であり、自分ではアブストラクトとは思っていずにリアリズムと思っている。芸術は大使である。」

シルワン「このたびの戦争で人心が汚染された。世代のメンタリティをたて直すには200年かかる。殺すか殺されるかを選択しなければならない自分、イラク人。今回の戦争は今までのそれと違い、徹底的な攻撃性があった。宗教自体が攻撃され、利用されている。今の若者は、こういったものしか知らない。以前のイスラムは1つだったが、今は100もの解釈がある。」

シルワン「芸術は、生には別の次元すなわち美の哲学を教える、そういう力がある。」

ハニ「すべての芸術は、政治に利用されてはならない。美とアート、文化を追求せねばならない。外科医がメスを誤れば1人の人間だけが死ぬが、芸術家が誤れば大勢が死ぬ。最大の犯罪は、アメリカの占領。」

シルワン「なつめやしの木(イラクでは生命の象徴とされる)は歴史の幾世代もの記憶であり、7000年間も変わらない。」

ハニ「なつめやしの木は(枝葉がひろがっているので)天のよう、天空のよう、大地と天を結ぶよう。母の胎内に生きているよう。チグリス川、ユーフラテス川を抱いているよう。オロク文明では、木陰のせいで黒い大地といわれていた。」

わたしはハニに問うた、「ハニの作品を見ているとなんだか自分が今ここに存在しているんだということを強く感じる。それは歴史の力であり、ハニがそれを導きだしてくれているのか?」と。ハニは「シュクラン(ありがとう)、かおり」と云って、「歴史の深い長老が尊敬されなければならない」と答えた。
わたしはシルワンにも質問した、「今回のシルワンの作品群のテーマは『恐怖と逃亡』だが、その後にはなにが待っているのか?」と。シルワンは一言、「それは分からない」。

ハニとシルワンの作品が何点か売れ、展覧会は成功裡に幕を閉じた。

わたし達は明日に帰ってしまう2人のため、撤収の後はアフガン料理屋さんでささやかなお別れパーティの時をもった。2日の展覧会オープニングの日はちょうどシルワンのお誕生日でもあったので、みんなでハッピーバースデーを歌う。ハッピーバースデーは世界共通の歌なんやね。
わたしは体調不良が頂点に達していたため、ハニにだいすきなお酒を止められる。言われるまでもなく、今日はなにも口にできそうになかったので、お茶だけ飲んで申し訳ないなと思いながらも食べ物にはまったく手をつけなかった。帰り道、ハニはそれを知ると「俺は飲むなとは言ったけど、食べるなとは言ってないぞ。お家に帰ったらなにか食べなさい」と叱られた。んー、こんな時だけお父さんみたいなんだからー。シュクラン(ありがと)。

ところが事務所に戻っても、明日の荷造りやらお金の精算やらでなにかと忙しい。イラーキーは寝たがっているのだが、今夜だけは働いてもらわないと明朝に帰れないからね。うん、よくがんばった。
そんなこんなで、最終夜はパタパタと過ぎてゆくのであった。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-11-28 23:30 | イラク人来日プロジェクト

私的キョート観光

10月4日は1日オフ。わたしの父のエスコートでシアーハ(観光)へと繰りだした。どこへ連れてゆこうかと迷う。だって、我が誇りの京をイラーキーのお2人にぞんぶんに味わってもらいたいんやもん。

e0058439_18251045.jpgまずは妙心寺の退蔵院。ここはわたしの幼なじみのお家で20年ものあいだ何度も来ているのに、実はきちんと拝観するのは初めて。有名な枯山水庭園などを眺め、お母さんの作ってくださった和菓子をお抹茶とともにいただく。イラーキーに侘び寂の精神を分かってもらえるかな、渋すぎるかなあ、なんてしんぱいしていたのは杞憂で、2人はとにかくはしゃぎ回っていたし、美のからくりの説明にも納得してくれた。

つづいては仁和寺で、仁王さんと五重塔だけちらっと見物。シルワンは出店で、椎茸の佃煮のようなものを買って食べていた。イラーキーはなにか食べ物をつまんでいるのがすきだ。ハニは僧侶と写真撮影。ハニが「かおり」と声をかければ、それは「スーラ(写真)撮って」ということ。はい、昨年も今年もおかかえカメラマンとなっとります。

e0058439_18253761.jpgそしてキンピカの金閣寺へ。シルワンが「パラダイスだー」といって嬉々としていたが、ここはこの世でのパラダイスをと建立されたのだからご名答。さすがシルワン、アーティスト。

寺町で紙司柿本さんやらで和紙などを購入。シルワンは、墨と硯まで買っていた。使いかた、分かってるのかな?

北山の東洋亭で遅めの昼食を食べている頃から空模様があやしくなってきた。
ケーブルとロープウェイ(ロープウェイから今日は!)で比叡山の山頂に着いた頃には、わたし達は雨雲のなか。それでも、墨絵のように幻想的な光景に恍惚と酔いしれる。標高900メートルを超えるとやはり肌寒い。だけど、シルワンもハニも雨に唄って愉しそう。下りはドライブウェイから。

帰りの車内では2人ともうつらうつら。めいっぱい遊んで写真を撮りまくって、さぞおつかれのことでしょう。ずっと「キョート、キョート!」と叫んでいたような気がする。シルワンお目当てのちいさな松の盆栽は見つけられなかった。

e0058439_1826492.jpg夜ごはんはわたしの実家にて。贔屓のお料理屋さんに定休日のところをお願いして、お膳を頼んだのだった。これぞ都の味。
ハニは腹を括って、今まで挑戦しなかったお刺身を食していた。シルワンには、日本の習慣としての「おーとっとっと」というお酌のやり合いを教えてあげた。

ハニはさすがなんでも絵画に採りいれるミックスメディアの作家だけあって、家の壁の素材なんぞを尋ねたり像が誰なのかを気にしたりしていた。シルワンも、曽祖父の肖像画が着ているものといい手法といい額縁といいなぜフランス式なのかと問うていた。
そう、東京のテクノロジーでない京都の民家というのをぜひ紹介したかったのだ。2人とも興味津々のご様子。

e0058439_1826205.jpg2人はなにやら相談し、感謝のしるしとしてわたしの両親の肖像画をそれぞれ描いてくれることになった。なんたる光栄!
仏間に新聞紙をひいてさっそく始める。とてもていねいなその筆づかいに、2人の気持ちがつたわってきた。父は今日1日を接待に費やし、母はお膳の仕度をととのえ、とくべつなお客さんだからと大玄関から入ってもらったのが、2人の気に入ったのだと思う。その感謝の念に、わたしは感謝した。気に入ってくれてシュクラン(おーきに)。
父を描くシルワンに「どう?」と尋ねられたので、「ちょっと若く描いてへんか?」と返したら、そのとおりだった。そりゃアンタ、ヨルダン国王の3人のおかかえ肖像画家のうちでいっとう気に入られるヨ。もうすこし老けさせることにした。
できあがったそれら2枚は、父であり母であった。いつもの抽象画とは違う、アカデミックな作品。このひと達すごい、なんだって描けちゃうのね(←画家にたいしてしつれいな物言い)。垂涎、家宝モノ。両親も不器用に「サンキュー、サンキュー」と繰りかえす。シルワンとハニは、仏間の先祖代々の肖像が飾ってあるところに並べて掲げてよーですって。いやいや、そこは死者の飾られるとこやから…。

来日してからというものイベントつづきでシルワンもハニも相当つかれていただろうから、束の間の休暇を愉しんでもらえたことと思う。

かたぶつな両親も、娘の仕事ぶりがよく分かったろうし、なにより「戦争の国から来た」イラク人がこんなに親しみのあるひとらなんて思いもよらなかっただろう。
翌5日も、等持院や新京極などをぶらりして帰る段になって、体調不良のうえに父の車には乗り切れなかった母がなんと自力で京都駅まで見送りに来、積極的に英語で話していた。これにはシルワンもハニもびっくり。
両親は後日、金の額と銀の額を買ってきて2人の肖像画を床の間に飾っていた。

これぞ、民間外交やね!
[PR]
by peaceonkaori | 2006-11-25 18:28 | イラク人来日プロジェクト
遅蒔きながら、イラーキー滞在記のつづき。

10月3日、京都へと向かうため、新幹線に乗り込む。
曇り空で富士山は臨めなかったが、イラーキーの2人と高い山の競争をして愉しむ。なんと、イラク北部のクルディスタンには3600メートルほどの山があるという。たしかに山岳地帯だったけど、富士山の3776メートルに及ぶ勢いの山があろうとは。イラク、奥深し。

ハニと2人、日本の現状についての話をする。格差社会、すさんだ都会人、ありとあらゆる犯罪、マイホームに35年の借金、1日100人もの自殺者…かれはたとえば窃盗の件数を1年で100件と答えたけれど、とんでもない。とかく日本に憧れるイラーキー、でもハニは2度目の来日で少しずつ現実が見えてきたようだ。日本に失望して危険なイラクに帰ったひとを、わたしは知っている。
ハニは云う、「バグダードでは真っ昼間の街でひとが殺される。そういうのをこども達に見てほしくはなかった。だからヨルダン移住を決意したんだ。ものすごいストレスとこころの荒廃が、僕らにはある」と。

京の都とバグダードを繋げられたら…生まれ故郷の京都での企画は、わたしの夢だった。
今回の企画は不可能なように思われた。シリアで何度も電話のカードを切らしながら、会員の瀬戸さんとやるかやらないかの決断を悩んだ。無理をお願いして実際に動いてくださった会員の水野さんはじめ実行委員会の尽力がなければ、とてもじゃないけど実現できなかった。ほんとうに感謝の一言に尽きる。
ぎりぎりの企画、集まる人数は気にせずのんびりゆっくりやりましょう。

鴨川沿いの教会は穏やかで、晴天にもめぐまれ、2人ははしゃいでいた。
チャペルに2人の数点の絵画を展示し、お茶やお菓子(ラマダーンの時に食すものだそう)も用意していただいた。わたしが売り子のアラブ民芸雑貨も、「もうちょっとこうやったほうがええやん」と皆さんがあんじょうやってくれはるし、お客さんも「いやあ、これきれいでよろしいねえ」とほんまにええもんを分かってくれはる。やっぱり京都やなあ、ほっとするわ。疲労で発熱していたわたしのほうが、京のこころに癒される(来てくれた友人に「そんな気力だけで動いてんと休みやす」と叱られる、エヘ)。
現代アラブ文学者でありフェミニズム思想家の岡真理さんが、京都大学の講義をこのイベントに切り替えて来てくださった。どうりで学生が多いと思った。うれしいね。

e0058439_1641428.jpgまずはシルワンとハニの講演。イラクのこころの拠りどころとしてのなつめやしのこと、戦争という日常のこと、身に及んだ危険のこと、そして歴史の指紋のようなうつくしさとか芸術とかのこと。戦争で破壊されたものを直すのはそれなりにできる、けれど戦争で破壊されたこころは何世代もかけないと治せない。そのなかで芸術にはなにができるのか?

e0058439_1642597.jpgつづいておこなった相澤恭行のイラク報告の後は、鴨川べりに移動して、みんなで夜のピクニック。お茶を飲んだりお菓子をつまんだりして、バグダード人と京都人の交流。シルワンは絵の道具をとり出してなにやら描き始めた。悪寒のするわたしにシルワンがジャケットを貸してくれる。みんなニコニコ。やっぱりイベントをして正解だった。とっても素敵な夕べ。シュクラン・ジャジーラン(おーきにありがとう)。夜は更けていった。わたしは熱に浮かされぼわーんとしながら、ハピネスを身体でかんじていた。きっと、シルワンもハニも。
[PR]
by peaceonkaori | 2006-11-24 16:42 | イラク人来日プロジェクト