NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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<   2007年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧

本ウェブログでのおしらせが遅くなってしまい、すみません。
イラク青年カーシムさんの緊急来日。
23日にぶじ日本入国、PEACE ON事務所に滞在した後、現在は各地で報告会をおこなっているところです。お近くのかたは、ぜひお出掛けください。わたしは4月2日、東京でお手伝いさせていただきます。会場でお会いしましょう!

○● 転送転載歓迎 ●○

マスコミもNPO/NGOも現地に入れない状態が続き、逆に続々と国外へ避難する人が絶えない…まるで見えない高い壁に囲まれてしまったかのような今のイラクについて、直接現地の声を聞くことのできるたいへん貴重な機会です。ぜひ一人でも多くの皆さまのご参加をお待ちしております。お見逃しなく!

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      緊 急 開 催!! イ ラ ク 開 戦 か ら 4 年
       戦 闘 地 域 ラ マ デ ィ か ら の 報 告

      『 イ ラ ク の 空 に は 何 が 見 え る ? 』
         ~ あるイラク青年の体験 ~
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  「テロとの戦い」の最大拠点と名指しされた
  イラク西部アンバール州ラマディ
  先月22日 ラマディ上空に米軍の戦闘機が飛来
  4軒の民家に爆撃 死者26名 負傷者多数

  家屋は潰され 学校は占拠された
  食料配給なし 医療配給なし

  空が恐怖に染まって4年
  増えていくのは民間人死者数とその遺族
  そして 報復を誓う抵抗勢力

  なぜ ラマディは「テロとの戦い」の
  最大拠点となったのか?
  なぜ 彼は米軍に拘束されたのか?

  世界中のメディアが近づけない戦闘地域ラマディから
  1人の青年が自分の体験を語るために来日した

≪プロフィール≫
カーシム・トゥルキ(30歳)
1976年11月27日生まれ。エイドワーカー。
イラクアンバール州ラマディ在住。アンバール大学機械工学部卒業。イラク戦争中は共和国防衛隊に所属。
イラク戦争直後4月28日にファルージャで起きた米兵によるデモ参加者乱射事件をバグダッドのメディアに報せに来たことをきっかけに、フリーのガイド兼通訳として米テレビCNN や日本人ジャーナリストに同行。同年6月、日本人と同行取材中に米軍に不当逮捕され9日間拘束。釈放後「イラク青年再建グループ」を主宰。これまでに学校などの修繕工事、診療所開設、避難民への緊急支援などを行っている。2004年からは日本の民間支援「ファルージャ再建プロジェクト」と協同し現場の指揮を執っている。昨年はラマディの様子を英語で記したブログがアメリカを中心に話題となるが、それを理由に再度米軍に拘束された。
『イラク・メール~ラマディからの声~』(日本語英語

≪全日程≫
3月25日(日)14:00~ 埼玉
      (※高遠菜穂子報告会のゲストとして)
      会場:秩父市歴史文化伝承館(中央公民館)(秩父市熊木町8-15/西武秩父駅より徒歩4分)
      参加費:500円(高校生以下無料)
      主催:秩父市ユネスコ協会準備会

3月26日(月)18:30~20:30(開場18:00)札幌
      会場:かでる2・76階学習室(札幌市中央区北2西7)
      資料代:500円
      主催:カーシムさんのお話を聞く会
      連絡先:011-758-2648(セイブイラクチルドレン札幌)

3月28日(水)18:30~ 静岡
      会場:静岡県男女共同参画センターあざれあ(駿河区馬淵1-17-1/静岡駅北口より徒歩7分)
      資料代:500円
      主催:静岡県労働組合評議会女性部
      後援:静岡県労働組合評議会
      連絡先:054-287-1293

3月29日(木)18:30~ 名古屋
      場所:名古屋市女性会館視聴覚室(中区大井町7-25/名城線・東別院駅1番出口より東へ徒歩3分)
      資料代:500円
      主催:イラク派兵差止訴訟の会
      協力:セイブ・イラクチルドレン・名古屋

3月30日(金)19:00~ 大阪
      場所:大阪府保険医協会(M&Dホール)(浪速区幸町1-2-33/なんば駅より徒歩5分)
      資料代:500円

4月1日(日)17:00~19:00広島
      場所:広島平和記念資料館地下会議室1
      資料代:500円
      共催:イラクホープネットワーク/ピースオン/NO DUヒロシマ・プロジェクト
      後援:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
      スピーカー:カーシム・トゥルキさん/高遠菜穂子さん/原文次郎さん/嘉指さん      

4月2日(月)18:30~(開場18:00)東京
      場所:文京区民センター2階2A(文京区本郷4-15-14/三田線・大江戸線春日駅A2出口の真上)
      参加費:500円
      共催:NPO法人PEACE ONイラクホープネットワーク/ファルージャ再建プロジェクト
      連絡先:03-3823-5508(PEACE ON)

※各会場ともご予約は不要です。直接開場へお越し下さいませ。取材等については事前にご一報をお願い致します。

≪総合問合せ先≫
  iraq_hope_net@yahoo.co.jp [イラクホープネットワーク]
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by peaceonkaori | 2007-03-27 22:03 | おしらせ

3月20日

今朝は5時半に目が覚めた。眠れなくなって起きた。なんでかな? ゆうべ見たTBS「ニュース23」の特集のせいなのかな。

3月20日は、4年前にイラクが侵略軍によって攻撃を開始された日。

番組では、イラクの友のワリード一家の様子がレポートされていた。奥さんが買い物に行ったのを、危ないからと銃をしのばせ迎えに出るワリード。こども達は、ジハードごっこをして遊んでいる。サマーワからバグダード郊外へ引っ越しを余儀なくされる家族。
ひさびさにワリードを見られた喜びは幾らかあるものの、かれの置かれた過酷な状況にうちのめされる。ほんとうは、放映された以上にミゼラブルな日々をかれは過ごしている。
そして、かれはとくべつなのではない。一般の、とくにスンニ派のイラク人はみんな、似たような厳しい現況下に暮らしているのだ。
バグダード入りしていらっしゃる綿井健陽さんが云う。この4年間でイラク人が得たものは、銃声と爆音と殺し合いだけだと、バグダードはまるで大きな牢獄のようだと。

4年前のイラクでは「開戦日」もなにもなく、人びとの営みがあった。4年後の「開戦記念日」だって人びとは営みをつづけているのだが、今日も100人を超えるかたがたが殺されるのだろう。考えたくない予想だけど、たぶん、当たっている。

e0058439_2248671.jpg今日3月21日は、WORLD PEACE NOW主催のイベント。どうせつまらないだろうと参加しないつもりでいたけど、つまらないかどうかは行ってみて考えようと決断し、途中から出向いた。「デモなどはやって当然なんだ、前提なんだ。やったうえでその先どうするのかが問われる」という、ケン・オキーフさんの言葉もあたまに残っていたから、行かないでいるのは後ろめたくもあった。
最近ではパレードと呼ばれるデモ行進のみ、参加した。主催者発表で2000人とされていたけど、きっとそれは多めの数字。いつも東京はそう。皆それぞれにのぼりを持って、お決まりのコースを歩く。何年も同じコースをたどっても変わらないのに、それでもやりかたを変えない。前のほうでは拡声器で替え歌を歌いなにか訴えているけど、しらけたムード。そばの老女に「一緒に歌いませんか」と誘われたが、「賛同できないので」と断った。デモに人数が必要なのは分かっている。でも、こうやってなんとなく集まった人間がただ練り歩くだけで、いったいなにを変えられるというのか。どうせ最後には労働ナントカとかナントカ教組とかの各団体で万歳三唱かなにかして、「おつかれさまでしたー」とかなんとか言ってにこやかに終わるのだろう。今この瞬間にも、イラクではひとが誘拐され拷問され殺されているというのに。
わたしはしだいに腹が立ってきた。こんなデモの一部になってしまっているじぶんが、こころの底から嫌になった。わたしは独りでわめき散らした、「みんなイラクのことを考えろー、イラクのことを考えてデモをしろー」「だらだら歩くなー、しゃきっとしろー」「くだらない歌を歌うなー」「惰性でデモをするなー」「デモのためのデモをするなー」。デモ行進のなかにいて、デモ批判をした。周りのひとは、笑ったり聞こえないふりをしていた。わたしはつづけた。
でもそのうちに、これはじぶん自身にたいする怒りであり苛立ちであるということが分かってきた。わめいたところで世界は変わらない。第一にじぶんが変われないから、わたしは怒っているんだなと。矛先が我に向いて、わたしは沈黙のうちに歩きつづけた。時折、「イラク戦争反対!」「これ以上イラクのひとを殺すなー」などと叫んだ。喉が痛くなるまで、大声で。ここ東京でなくバグダードでデモをしたいとも思った。なんというか、戦場にいないことがもどかしかった。わたしは国民投票法案にも憲法改悪にも反対の立場だが、そのシュプレヒコールには応えず、イラクに関係することだけ口にした。イラク、イラク、イラク。わたしが大のイラクずきということが今のわたしにとって逆にあだになっていることにも、じつは気づいていた。でも今日はイラク戦争を止めるために集まったイベントなのだから、わたしはわたしの思うがままにデモ行進をした。代表は、そんなわたしを黙って見守ってくれていた。
終着地でスピーチをさせていただいた。わたしはイラク情勢をかんたんに説明したうえで、とにかくイラク人の「ノー・ライフ」の日々を想像してくださいと、希望の途絶えた絶望のイラク人のためにわたしら国際社会は本気でほんとうの本気で挑むしかないんですよと、呼びかけた。そのあとで数人のかたに声をかけていただけたのが、今日のせめてもの救いだった。

ヨルダンで幾人もに「Nothing」と云われたことがまだ、わたしを葛藤のただなかに置き去りにする。ヨルダンでイラク人と喋っていても日本でデモ行進をしていてもイラクはあまりに遠くかんじるし、今すぐの解決策なんてそもそも見つかりっこない。答えは出せないが、前進しなくてはならない。声をあげて歩きながら、イラク地図のネックレスがわたしのちいさな胸に躍っていた。

写真提供、渡邉修孝さん。
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by peaceonkaori | 2007-03-21 22:55
e0058439_1755393.jpge0058439_1761828.jpgヨルダンから50キロを軽く超える大量の絵画を持ち帰って10日間、アラブ現代作家展の準備に大わらわ。図録作りに、額縁修復(イラーキーのハニ画伯のあの雑な梱包で、額縁が壊れ硝子が割れという事態に)、告知宣伝、価格決めなど、こちらPEACE ON東京事務所は徹夜につぐ徹夜。
メールではらちがあかないとハニに催促や相談の電話するも、急くわたしをどうどうと落ち着かせ「しんぱいすんな、だいじょうぶだよ。インシャッラー(神がお望みならば)さ」ですって、トホー。
そんなこんなで届いていない作品がありつつも、搬入をなんとか終え、昨日ぶじにオープニングを迎えられたよろこび。アッラー・カリーム(神は慈悲深い)、たぶんね。

以下、展覧会の開催に際してのご挨拶。

 イラク支援活動を行うNPO法人PEACE ONが、イラク現代アートを扱う文化交流事業として新しく「LAN TO IRAQ」を立ち上げましたのは、2004年2月のことでした。そのプロジェク
トを通し、これまでに日本や韓国の数十の都市で展覧会をしてまいりました。題して、「混沌からの光」。未だ戦火の止まない芸術の都バグダードからの一条の光が、人々を魅了しました。2005年、2006年と来日したハニ・デラ・アリや2006年に来日したシルワン・バランをはじめ、ヌーリ・ラーウィ、ムハンマド・ムハラッディーン、カシム・サブティ、マヤサ・ムクダディ、インテラグ・アリなど多くの作家によるコレクションとなりました。
 そして今回、イラク一国のみならずシリア、エジプト、ヨルダン、スーダン、イエメン、サウジアラビアのアラブ諸国からの作品を一挙に取り揃え、こうしてアラブ現代作家展を開催することができましたことは、私どもにとりましてまた日本の美術界にとりましても、まことに喜ばしいことです。作品の収集に尽力くださったハニ・デラ・アリ氏に、多大なる感謝の念を捧げます。日本のみなさまが、悠久の歴史をたたえたアラブの文化に触れ、こころ揺さぶられますことを願っております。
  2007年3月     NPO法人PEACE ON事務局長 高瀬 香緒里

Peace On, which is a nonprofit organization working to provide various kinds of support in Iraq, began a cultural exchange program in February 2004 focusing on the work of contemporary Iraq artists. Called "LAN to Iraq" (with LAN meaning both "Local Area Network" and "Love Art Network"), this program has brought exhibitions featuring the work of Iraqi artists to dozens of cities in both Japan and Korea since its inception. The exhibitions, which showed the work of artists from the artistic and yet war-ravaged capital city of Baghdad, were titled "Light from Chaos" and captivated all who came to see them. The artists from this collection included Hani Al-Dalla Ali, who came to Japan in 2005 and 2006, Serwan Baran, who came to Japan in 2006, as well as Nuri Al-Rawi, Mohammad Muhraddin, Qasim Al-Sabti, Mayasa Al-mukdadi, and Intelag M. Ali.
We are now extremely gratified that "LAN to Iraq" has expanded beyond Iraq to include the work of contemporary artists from other countries throughout the Arab world, including Syria, Egypt, Jordan, Sudan, Yemen and Saudi Arabia. We are most grateful to Hani Al-Dalla Ali for his work in securing the pieces in this collection, which represents an extremely exciting development in the Japanese art world. We are most hopeful that this exhibition will provide audiences in Japan with a moving introduction to the rich and lengthy history of the various cultures in the Arab world.
Kaori Takase, Executive Manager NPO Peace On
March 2007


e0058439_1763781.jpg日本ではまずお目にかかることのないと思われるアラブ諸国の現代アートを前に、みなさまのご意見は様ざま。
なにが合わないのか、どういうのがしっくりくるのか、をわたしも知りたいと思う。出展してくださった作家さんがたは、それぞれ「日本」「トーキョー」に期待をいただいてくれている。それを裏切らないようにするのが、またかれらに実態をつたえるのが、わたしの仕事と考えるから。次に、その次、その次の次に繋げるために。

オープニング・パーティには、母の若かりし頃のワンピースでおめかしして出席。もちろん、イラク地図のネックレスをつけて。
こうしたちいさな歩みではあるけれど、人びとのこころでアラブと日本の距離が近づきますように。そして願わくば、絵の隣に売約済みのシールがたくさん貼られますことを!
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by peaceonkaori | 2007-03-20 17:36 | 国内活動

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アンマンからエイヤコラと背負って帰ってきたアラブ絵画の逸品どもを、銀座の画廊で2週間どーんと展示します。乞うご期待。この貴重な機会に、どうぞ足をお運びください。

○● 転送転載歓迎 ●○

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アラブ現代作家展~ARABIAN ART IN JAPAN~

NPO法人PEACE ONの文化交流プロジェクト「LAN TO IRAQ」はこれまで、日本や韓国の数十の都市でイラク現代アート展を開催、2005年、2006年にはイラク人画家のハニ・デラ・アリさんとシルワン・バランさんを招聘しました。「混沌からの光」-未だ戦火の止まない芸術の都バグダードからの一条の光。
そして今回、イラクのみならずヨルダン、シリア、イエメン、エジプト、スーダン、サウジアラビアのアラブ諸国からの作品を一挙に取り揃え、アラブ現代作家展をおこないます。悠久の歴史をたたえたアラブの文化をぞんぶんにお愉しみください。

……………………………………………………………………………
会期:2007年3月19日(月)~31日(土)
 11:00a.m.~7:00p.m.(日祝休廊/最終日4:00p.m.まで)
※19日(月)5:00p.m.より、オープニングパーティ。飲食物の持ち寄りを歓迎します。
会場:中和ギャラリー
 (東京都中央区銀座6-4-8曽根ビル3F/03-3575-7620)
出展国:イラク・ヨルダン・シリア・イエメン・エジプト・スーダン・サウジアラビア
協力:NPO法人PEACE ON
 (office@npopeaceon.org/03-3823-5508)
……………………………………………………………………………

※今回は作家の来日は、予定していません。

○● 転送転載ここまで ●○
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by peaceonkaori | 2007-03-16 14:32 | おしらせ
以前からおつたえしているとおり、本日夜に帰国報告会を開催します。ぜひお越しくださいませ。

○● 転送転載歓迎 ●○

「アート交流~日本からアラブへ~」

これまで日本でイラク現代アート展などを催してきたPEACE ON。今回は逆にイラク人画家の企画で日本人画家川口ゆうこさんの個展がヨルダンで開催されました。新たな色彩を加えてひろがり続ける文化交流の様子と、故郷から引き剥がされる逆境の中、アートの生命を刻み続けるイラク人画家たちの姿を報告いたします。

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PEACE ONヨルダン帰国報告会
日時:3月10日(土)18:30~(開場18:00)
場所:東京都 文京区立本駒込交流館3F和室A(東京メトロ南北線本駒込駅2番口右へ5分)
報告者:高瀬香緒里(PEACE ON事務局長)・川口ゆうこさん(画家)
参加費:500円
主催:NPO法人PEACE ON

○● 転送転載ここまで ●○
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by peaceonkaori | 2007-03-10 15:40 | おしらせ
あっという間に2週間が過ぎた。

川口ゆうこさんとわたしは、ヨルダンの空港に到着してすぐの荷物が届かないハプニングから、連日のアラブなノリに振り回されつつ、こちらのかたにたいへんお世話になった。初アラブの川口ゆうこさんは、目がぐるぐるするほどアラブを体感したよう。ハニをはじめ、皆がそれぞれに良くしてくれる。日本の習慣とは違えど、とても有難かったしなにより愉しかった。
ギャラリーのムハンナドにラキーン、エジプト人のレザ、おんな主人のマダム・マヤミーン、運転手のハッサン、ハニ一家には幾度もごはんをごちそうになり、シルワンも自身の個展があるというのにすごく親切に振る舞ってくれ、あとはサマー、ムハンマド、サーメル、ハイサム、ムサンナ、マルワン、ハルドゥーン、シャーディ、ファーディ、挙げればきりがない。

川口ゆうこさんの個展は、3枚の作品が売れ、残りは全てマヤミーンとハニが預かり、今後も紹介してくれることになった。イラク・ヨルダンと日本の美術の交流は、今後も継続しておこなおうと約束。PEACE ONとしては、うれしい限り。

e0058439_0332059.jpg3月19日から31日まで東京・銀座の中和ギャラリーで開催するアラブ現代作家展のために、大量の絵画を持って帰るのも今回のたいせつなミッション。ハニが中心となってアラブ諸国から集めてくれているのだけれど、これがまたたいへん。インシャッラー(神がお望みならば)の精神で、けっきょく帰国前日に荷造りとなった。イラーキーのハニはたばこを吸って鼻歌を歌いながら、雑に梱包してゆく(日本に帰国して開梱してみたら、額縁が壊れていたり硝子が割れていたりしたけど、ハニは問題ないと笑っていた…)。こんな大荷物、女性2人でどうやって運ぶのかしらん?

ハニは1年間ヨルダンに住める許可をもらった。マブルーク(おめでとう)! そして良いお家を見つけて来週にも引っ越すことが決まった。
壁にもお財布にもヨルダン国王アブドゥッラーの肖像があった。「キング・アブドゥッラーは良い人物だ」と言うハニ。わたしはびっくりした。アラビはいつだって強い指導者を求めるものなのかなあ。ヨルダンは、親米国でイラク侵略戦争だって手助けしているはずなのに。

e0058439_0333530.jpge0058439_0334861.jpg帰国前日、ハニの二女ルカイアが怒っている。わたしが日本に帰るのが不満なんだそうだ。「アンティ・フィー・ハキーバティ・イラ・ヤバン(わたしの荷物に入って日本まで行く)?」なんてジョークを飛ばしても、さびしいのはわたしもおんなじ。「ノー、カオリ。ノー、カオリ」と抱きついて、わたしの似顔絵を描いてくれる。こんなに愛くるしいルカイア。ブッセ、ブッセ、と云って、たくさんキスをした。また来るかんね。

ムハンマドのご家族やハイサムが食事に招待してくれるというのも、時間がなくて断らざるを得なかった。申し訳ない。ハイサムとはとくに、サッダームの死の悲惨さや中東の今後について話を展開させたかった。

アル・シャルキーヤTVのヌールがわたし達の映像をくれた。イラクと日本の繋がり、とても良い番組に仕上がっていると思う。シュクラン(ありがとう)。

旅立ちの日、ハッサンが空港まで送ってくれる。途中シルワンのお宅に寄り、シルワンともマァッサラーマ(さようなら)。川口ゆうこさんは、ハッサンとのお別れに涙していた。
ラータンサー・フィー・カルビ(こころに忘れないで)。アッシューフィック・カリーベン・インシャッラー(神がお望みならば近いうちにお逢いしましょう)!

わたし達は60キロは超えているだろう荷物とともに、ぶじに羽田空港までたどり着いた。道すがら、イエメン人のムハンマドさんというエンジニアと仲良くなった。
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by peaceonkaori | 2007-03-10 00:33 | 中東にて

Anything.......

ダウンタウンまで出掛けて、クリフ・ホテルのサーメルを訪ねる。
かれは、日本国の人質として殺された香田証生くんのイラク行きを最後まで止め今でも悔んでいる人物で、コーダ・ホテルを建てるのを夢としている。前回に携えて行った証生くんの写真とかれが持っていたというイラクのこどもの写真が、ロビーに置いてある落書き帳"サーメル・ブック"に貼ってあった。クリフは今もお客の9割が日本人バックパッカーなんだそうだ。
e0058439_23172784.jpg働かされっ放しのサーメルだが、その翌日には、5時間ほどの休憩時間をもらえたと喜び勇んで、川口ゆうこさんの個展に足を運んでくれた。クリフ以外で見るサーメルなんて、初めて。とても大きな花束を川口ゆうこさんとわたしにプレゼントしてくれ、わたしがアンマンを去る前夜にはわざわざ電話をかけてきてくれて例のか細い声でお別れの言葉を述べてくれた。

その後、定宿にしていたガーデンズ・ホテルまで行ってみる。わたし達のほかは全てイラクからの避難民が泊まっていて、こっそり「フンドコ・イラーキー(イラク人ホテル)」などと呼んでいたものだった。
e0058439_23221460.jpg今回はいわゆる富裕層の人びとと接することが多いもので、東部の大げさに言えば貧民街のような地域に来ると、ほっと頬がほころぶ。こどもらが寄ってくるので、「おっしゃー、みんなでスーラ(写真)撮んでー、ええかー」と叫んで、パシャ。元気いっぱいのムードで呼吸する。道を訊けば、周りとともに教えてくれたり親切にも連れて行ってくれたりするところが、アラブ。分からないなりにアラビア語で喋ってみて、心地好く歩むわたし。やっぱりこれよ、うん。

ホテルに行ってみると、スタッフ達はわたしを覚えていてくれていた。近所のファラフェル屋さんも。ひと通りの挨拶を済ませて、様子をうかがってみる。
以前とはすこし違っていた。今やイラク人だけではなくアラブ諸国や欧米からのお客もいるらしい。このホテルもじゅうぶん安いが、イラク人はもっと東部の安宿にいるのではないかという話だった。それでもやはりイラク人のお客もいたので、わたしは「ムサハダード」だと自己紹介して胸のイラク地図のネックレスを見せてイラクずきをアピールし、話を聞いてみる。
そのうちの1人は、民兵のマハディ軍によって片目と片足を失っていた。今回はその手術と外国へ行くヴィザ取得のために、ヨルダンにやって来たのだと言う。かれはサングラスを外して義眼を見せ、「あんたムサハダードなら、日本に連れて行ってくれよ」とでも云いたそうだった。わたしはなにも、云えなかった。「ムサハダードでイラクずきのくせに、こんな小娘になにができるんだい?」-皆の眼からは、そういったあきらめにも似た冷たさがかんじられた。

「なんでそうイラクにこだわるんだい?」と、スタッフのムハンマドからも尋ねられる。「わたしはイラク戦争を支持した日本政府の加害国の人間で、イラクの人びと全員に謝りたい、すこしでも償いたいんよ」とつたえても、かんたんには分かってくれない。「政府は政府、人びとは人びとだよ。だいたいカオリになにができるのさ? 民兵と話ができる? イラク傀儡政府に物言える? この世のどこを探したってデモクラシーなんてないんだよ」と。
ダルブナー・ギャラリーのマネージャーのイラク人ムハンナドは、イラク侵略戦争前の2000年に難民としてアンマンで暮らし始めた。かれは、「人びとが政府を育てるんだ。イラクがこんなになってしまったのは全てサッダームのせいさ。サッダームの前は、イラクはほんとうに平和だった。だから僕は、サッダームの死は当然のことと思っている。僕はヨルダンがすきではないけども、ほかにどうしろって言うんだ? 仕方ないじゃないか」と云っていた。
サーメルでさえ、「カオリがどうがんばっても、今はただ待つよりほかはない」と云うんであった。「アンマンでのホテル同時爆破事件では、ふつうそうに見えるイラク人女性が未遂として逮捕された。そんなだから、ヨルダン政府がこれ以上イラク人を受け入れるのは困難だ。ストリクトもやむを得ない」とも。もちろん、100万人を超すともいわれているイラクからの避難民で、街はあふれている。いっぱいいっぱいのヨルダンがイラク人にたいして厳しくするのも、当然かもしれない。イラク人が祖国を追われるという根本的な問題が解決しない限り。
ハニは、わたしがガーデンズに行くのにちょっとした不快感を示した。「困っているイラク人の例なんてなんぼでもある。俺のいとこだって、ヒートで職がない。かれは家の前にお店を出してほそぼそと商売をしている。なぜ家の前かって、爆発があればすぐに帰れるようにだよ。そんな話、幾らだってしてやるよ」と、けわしい顔でかれは云うんであった。ハニの家族は、電話も通じなくなったヒートから親戚がやって来て、手紙を交換していた。もう2年も帰れていないのだそうだ。ハニのいとこのムサンナの奥さんにだって、「今は祈るだけよ」と微笑まれた。

日本にいるいいなずけにSkypeで泣きついてみても、返ってきた答えは、「そんなに辛かったら、今回は文化交流に専念していればいいんじゃないのか」。
日本やヨルダンのひとにも、そしてイラクからの避難民にすら、「今のカオリはイラクのためになにもできない」「Can not do anything(なにひとつできない)」「祈っておけばいい」と言われる無力なわたし。話を聞くだけ聞いておいて、ほんとうになにもできない自身が偽善者に思えてくる。苦しくて苦しくて、我の無力さを恥じて寝て、悪夢にうなされる。莫迦だ。焦燥で空回りしているのは分かっている。こんな苦しさ、イラクのひとに比べたら屁でもない。苦しむ自分を責めた。
ヨルダンにいて、イラクはあまりに遠かった。

実際、助けを求められることもあった。ダルブナー・ギャラリーのマダムがPEACE ONのリーフレットを読んで、「イラクからのがん患者のこどもを救おうとしているんだけど、わたし達だけではお金がもたないの」と懇願される。PEACE ONは医療のスペシャリストでもなければ個人的ケースにも対応できていないので、急遽ほかの日本のイラク支援団体に相談させてもらった。己の力不足を痛感。大先輩の日本のイラク支援者はとにかくポジティブなかた、いつもほんのりと勇気づけられる。しかしかれもまた、今はほんとうに遣り切れなさがあると云う。

e0058439_23175774.jpgわらをもすがるように、翌々日もガーデンズに行く。
バグダードのムスタンシリア大学で先生をしている親子と出会う。ムスタンシリア大学といえば、最近2度も爆発事件が起こった大学。様子を聞いてみると、大学がマハディ軍に占領されて学校は半ば閉鎖状態にあるとのことだった。かれらは、職探しと本の出版のためにアンマンに来ていた。まだ25歳の息子さんと、もともとはファッルージャ出身というバグダードのオマルさんと話が弾む。オマルさんは名がスンニ特有というだけで逃げてきていた。「何週間か過ごしたらまた戻るほかないね」とあきらめ顔で苦笑い。サッダームの話題をふってみたら、ほかのイラク人もこぞって「サッダーム、ナンバーワン!」と答えるんであった。
このように、今までと状況が変わってきている。家財道具を車に詰めるだけ詰めこんで一家で逃れていた時期から、それもできなくなって命からがら避難してきていた時期を、これまでに見てきた。そして、手術やヴィザ取得のために男性だけが来るケース、おんなこどもより男性が危険なため男性のみ逃げてくるケース、を今回は見た。お金も底を尽きて一家で逃げるのは厳しくなり、またヨルダン国境で追い返されることも多いと思われる。家族が大すきなイラク人、家族がはなればなれになるなんてたいそう辛いことと思う。
イラクの有名な「フォーゲンナハル」を歌ったり、水たばこを吸わせてもらったりしているうちに、だんだんとうちとけてきた。とにかくその25歳の若いのは賑やかで、冗談をかましてばっかりいる。暗い情勢だって、かれの唇からは咲みとともに語られるのであった。これぞイラーキー。そんなつもりはなかったのだが宗派によって立つ姿勢が違うという話(スンニ派はお腹の上で手を重ねる、シーア派はキヲツケ)になり、シーア派のかれは気を遣って、じぶんの宗派を片手を真っ直ぐに下ろし片手をお腹の上に乗せるという半分半分のポーズを取ってみせた。機転の利いた有難いジョーク、そう、ほんとはほんとは宗派なんか関係ないものね。かれはNGOをたくさん知っているというので、今後は連絡を取り合うことにした。なんとかホープを繋ぎとめられたのかな?
最終日に泊まっていたホテルで知り合ったイラク人は、電気やお水なんかを輸入しているのだという。あのイタリアの「2人のシーモアさん」とも親しいと言っていた。かれも「どんなことでも相談してきなさい」と云ってくれたので、なんだか今後に期待できそうかな? どうかな?

今、イラクを支援しつづけるということはとんでもなく難しいし、理解も得難い。それでも、それでも、と繰りかえしながら進むしかない。希望の芽を摘んでしまってはいけない、とか、言うのはかんたんだけども。この艱難が玉になる日を祈りながら。答えなんて出せなくて、ぐしゃぐしゃのままで。
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by peaceonkaori | 2007-03-09 23:18 | 中東にて
e0058439_20351741.jpge0058439_20354894.jpg2月28日、シルワンの個展がアンマンのオーファリー・アート・センターで始まった。

オーファリーは、前回のアンマン訪問時にも来たが、石造りの素敵な建物で、イラク人作家の展示が多くなされている。いつかここで日本人アーティストの企画展をできればなあと思う。
このような庭付き一戸建てのギャラリーは、以前のバグダードには25、もっとちいさなギャラリーもあわせると60はあったと、ハニが云う。芸術の都バグダードは、人びとの命や日常生活のみならずこのような贅沢な空間だとか時間だとかまで、奪われてしまったのだ。PEACE ONがたいへんお世話になったバグダードのヘワー・ギャラリーのオーナー、カシム・サブティは未だにオープンさせているらしいが、お客さんは来るのだろうか?

シルワンのお家で見せてもらった新しい作品も、きちんと額縁に入れられて飾られている。少々政治的なきらいにふあんがあったが、さすがのシルワン、そこには芸術的に洗練された美がどうどうと在りわたしは圧倒された。
川口ゆうこさんも同じ画家として、「シルワンのお友達で光栄です」と云っていた。

翌日に再訪すると、すでに3分の1は売れていた。いつもは阿呆な冗談を言い合ったり歌い合ったりしていても、シルワン画伯は天才とわたしはこころの底からほめ讃える。
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by peaceonkaori | 2007-03-09 20:35 | 中東にて

平日のドルマ

2月27日、今日はおんなこどもでドルマの日。
ドルマはふつう、休日にお父さんがいる時に食すイラクの家庭料理だけれど、今回はとくべつにわたし達はオム・ムスタファに招待されてドルマの昼食をとることになった。

e0058439_15221655.jpg11時過ぎにハニ宅を訪ねて、さっそく 買い出し。ハッスーニの手を引いて、近所のホブス(薄焼きパン)屋さんやお肉屋さん、八百屋さんにてお買い物。アラブ諸国の中でも物価が高いといわれているヨルダンだけど、日本の物価高に比べればなんてことはない。ホブスが2キロで0.5JD(約85円)、トマト7キロが1JD(約170円)、お米が5キロで4.5JD(約765円)、といった感じ。以前ハニ来日時に、日本のホブスは1枚1ドルと教えたら、ハニはびっくりして食べなくなったっけ。こちらでも皆、「じゃあ、いったい日本でなにを食べているの?」と目を丸くされてばかりいる。お留守番係の上司は今頃、日本事務所のお台所でツナ缶でも漁っているのだろうかねえ。
e0058439_15223597.jpgドルマは教えてもらったことがあるから、わたしも手伝う。料理上手のオム・ムスタファ師匠はけっこう手厳しい。「日本で作った時は4時間もかかっちゃった」と報告すると、「まだまだね、わたしは1時間よ」と返される。
e0058439_15225223.jpgこどもらも、それぞれ学校から下校してきた。敷物をひろげてお皿を並べるイラク式。ビスミッラー(いただきます)!
もちろんタイーバ(美味しい)、初めて食す川口ゆうこさんも、オム・ムスタファのドルマの素晴らしさに感動していた。わたしがなによりうれしかったのは、これまで男性のYATCHと来るとオム・ムスタファやナバやルカイアら女性陣と一緒に食べられなかった(もしくはわたしも女性陣の仲間入りして男性陣とは離れていた)けれど、今回はオム・ムスタファもシャーレ(あたまにかぶるスカーフ)を外してみんなで一緒に食べられたこと。家族になれたみたいで、うれしい。こどもらの宿題を見たり、TVを眺める昼下がり。
ギャラリーに戻って、ドルマ自慢をする。イラク人が多いので、皆うらやましがっていた。ヨルダン訛りでは、ドルマはマルフーフというらしい。

アンマンでは今、アーモンドの花が咲いている。
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by peaceonkaori | 2007-03-08 15:21 | 中東にて

突然のグループ展

2月26日朝、ハニから突然の電話。今から迎えが来るから、ファヘイス村へ行けとのこと。なにがなんだか分からないまま仕度をする。
e0058439_6455731.jpg冷たい雨のなかファヘイス村のアトリエを訪ねると、オーナーのハルドゥーンやその息子のシャーディ、ファーディが、川口ゆうこさんに絵を描くよう指示する。じゅうぶんな画材もなく、しかも誰かが描いた絵を塗りつぶした上に、仕方なく言われるがまま描き始める川口ゆうこさん。その間わたしはハルドゥーンに、かれの作品をPCで見せられる。ハルドゥーンは、この村に12ものギャラリーを持っているという。
アトリエに戻ると、川口ゆうこさんが怒りに満ちつつ勢いに任せてえいっと描き終え、ストーヴで乾かしているところだった。ティッシュペーパーや櫛を用いた、アクリル中心のミックスメディア。
先日は夜だったので分からなかったのだけど、ここファヘイスはクリスチャンの村で、ハルドゥーン一家もキリスト教徒だった。お昼ごはんをごちそうになりながら、お母さんや奥さんと話をする。アラビア語圏なのでイスラーム教徒と同じく、「インシャッラー(神がお望みならば)」とか「アルハムドゥリッラー(神のおかげで)」とか「アッラー・カリーム(神は慈悲深い)」とは口にするが、「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」とか「ラーイラーハイッラッラー(神のほかに神はなし)」はイスラーム独特の表現だからキリスト教では言わないらしい。こういうの、興味深い。
「アラーマハリク(ゆっくりやりましょう)」と云っても太っちょファーディが急かすので、なんだろうと思えば、まだ乾いていない作品を強引に車で運ぼうとする。日頃は大人しい川口ゆうこさんも、さすがに「やめてー」と叫ぶ。まったく、「マーフィー・ムシケラ(ノープロブレム)」じゃないってば。聞けば、なんと今日から始まるグループ展に出品すると言う。展覧会のカタログにもすでに、「Y.Kawaguchi」の名が印刷されている。そんな話、聞いちゃいない!
e0058439_6464832.jpg案内されたロワク・アル・バルカ・アートギャラリーは、教会のそばにある洞穴のような造りの素敵な建物。床に滴り落ちる絵の具、ジャバル・フジ(富士山)が崩れてゆく。そうこうしているうちに、人びとが集まりだす。価格表には1400JD(約238000円)という値が書かれていた。描く前から値段が決まっているとは。
ひととおりオープニングパーティが終わり、ほうほうのていでアンマンのハニのお家へ行く。今度ばかりはわたしも、いったいどういうことなんだと怒る。ハニ曰く、展覧会があるのは知っていたけど日程までは知らなかった、ハニ自身の作品もどれが何点いくらで出展されるのか聞かされていなかったとのこと。それでも、「ヨルダンにやって来て個展もグループ展もできるというのは、ユウコの経歴にとってとても良いチャンスだろ?」ですって。そりゃそうだけど、ほどほどにね。画伯は呆れ果ててホテルでお休みなのよ。
ふう、なんていうか…そう、That'sアラブ。
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by peaceonkaori | 2007-03-04 06:47 | 中東にて