NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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PEACE ONオフィシャルページでもおつたえしているとおり、あす東京で「イラクに咲く花2007~in千歳烏山」をおこないます。今回のめだまは、ベリーダンス! そのほかにも絵画ありミュージックありスイーツありで、入場無料のとってもおとくなイベント。わたしは総合司会とトークセッションのパネラーをやります。休日の午後、ちょっとイラクを味わってみませんか。

 ◆□□□□□□□□□■□□□■□□□■□□□□□□□□◆
◆◇イラクに咲く花-見る、聞く、知る、イラクの今と私たち◇◆
 ◆□□□□□□□□□■□□□■□□□■□□□□□□□□◆

  ◆   たくさんの夢があり、生活がある。
 ◆○◆  お母さんがいて、あかちゃんがいる。
◆○◎○◆ 青空は広がり、花も咲く・・・
 ◆○◆  そんな当たり前の生活が失われつつある国、イラク。
  ◆   この国のことを、もっと見て、聞いて、知りませんか?

日 時:2007年7月1日(日)13:00~19:00
会 場:すぺーす楽多 ≪らくだ&TUBO≫
(東京都世田谷区南烏山6-8-7楽多ビル2F/03-5313-8151)
→京王線・新宿駅から特急・準特急以外の電車で17分、千歳烏山駅西口改札・北側を出てまっすぐ進み、バス通りを左へ、一つ目の信号のある所。駅から徒歩5分程。※1階に出ている「TUBO」という看板が目印です。
入場料:カンパ制(軽食もあります)
主催:イラクホープネットワーク
問い合わせ:iraq_hope_net@yahoo.co.jp/Tel.Fax.03-3823-5508

≪タイムスケジュール≫ ※若干変更の可能性もあります。
13:00~イラク民間支援実績データ2007版・発表
13:15~『TVニュースで見る“激動のイラク”』前編'03~'05
14:00~リレートーク1『思い出のイラク』
思わず笑顔になったイラクの日々をイホネットメンバーが語ります。
15:00~舞踏『エジプシャンダンス BY Reika
神聖さと妖艶さを合わせ持つ日本唯一のエジプト舞踏家。イラクのバビロン音楽祭に出演予定だったReikaさんが、なんとここに特別出演! さぁ、みなさん! ベリーダンスに魅了されたら、一緒にイラク舞踏を踊ってみませんか!?
15:40~リレートーク2『思い出のイラク』
16:05~『TVニュースで見る“激動のイラク”』後編'06~'07
17:10~報告『イラク避難民in シリア』BY 相澤恭行
17:30~報告『イラク避難民in ヨルダン』BY 佐藤真紀
17:55~ピアノ弾き語り『空にことりを 地に花を』
来日したカーシムのために作られた歌をイホネットメンバーが弾き語り。
18:10~トークセッション『ワタシとセカイ~目からウロコが落ちた時』
進行:高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)/パネラー:相澤香緒里(NPO法人PEACE ON)/西方さやか(イラク支援ボランティア)/大嶋愛(イラク支援ボランティア)/志葉玲(ジャーナリスト)
~19:00終了予定

★アラブを体感できる“イラクの甘~いチャイ”や“アラブ衣装でイラク人になりきり!”撮影ブース、各種雑貨販売もあります。
★予約不要・出入り自由のイベントですが、会場のスペースは限りがあるため、万一満席の際にはお入り頂けない・お座りになれない可能性もあります。どうぞご了承くださいませ。

【出展団体・個人】
イラクの子どもを救う会
日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)
セイブイラクチルドレン札幌
セイブ・イラクチルドレン・名古屋
セイブ・ザ・イラクチルドレン広島
高遠菜穂子
NPO法人PEACE ON
NPO法人日本国際ボランティアセンター(JVC)
NO DU ヒロシマ・プロジェクト
ピースボート
BOOMERAN-NET
平和市民連絡会
細井明美
劣化ウラン廃絶キャンペーン
ほか
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by peaceonkaori | 2007-06-30 22:14 | おしらせ
またもアラブ滞在記はお休み。展覧会のおしらせを。

e0058439_1572532.jpg昨日は、国際公募「アート未来」展の初日。12回目となる今年は、会場を1月に開館したばかりの真新しい国立新美術館にうつしての展示。
PEACE ONのLAN TO IRAQプロジェクトも招待をうけて、イラクものを2点、おなじみハニ・デラ・アリシルワン・バランの作品を出品している。
ほかに、2月にイラク隣国ヨルダンの首都アンマンにて個展をおこなった川口ゆうこさんの絵画も観ることができる。「異国の音色」と題されたそれは、まるで砂漠とも石造りの家々とも思えるアラブの薄茶色のなかに浮かびあがるイスラーム教のモスクのようだった。アンマンでは毎朝5時ごろに街に流れるアザーン(モスクからの礼拝の呼びかけ)で目覚めていたとおっしゃっていたから、あるいはそうかもしれない。今度レセプションでお会いしたら聞いてみようっと。

アート未来
会期:6月27日(水)~7月9日(月)10:00~18:00(7月3日休館/最終日12:30まで)
会場:国立新美術館1A(東京都港区六本木7-22-2/03-6812-9900)
入場料:一般500円/学生300円
主催:アート未来
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by peaceonkaori | 2007-06-28 15:10 | おしらせ
朝、ダマスカスのアパートメントを出たとたんにおもてでぬぼーっと立っていた青年に道を尋ねる。かれの名はフィラス、ディアラのバクーバから来たイラク人だという。2004年にイラクを出国してシリアの大学で論理学を専攻していたけれど、お金がもたなくなって今は学校へは行っていないとのこと。
ここから3日3晩、なぜかフィラスはわたし達と行動をともにすることになる。

シリアで、イラクからの避難民は急増している。その数、140万人とも250万人ともいわれる。ヨルダンがイラク人の入国にたいして厳しくなって今ではビジネスマンなどのお金持ちしかほとんど見なくなったのに比べて、シリアでは命からがら逃れてきた貧しいイラーキーが多いとも聞く。
今回は、シリアにいるイラクのこどもにPEACE ONとしてなにかできないものかと、その調査にやって来たのである。

e0058439_19322635.jpge0058439_19324998.jpgさっそく、わたし達はダマスカスのシナーア地区へと赴いた。
フィラスは、道を行くひとや玄関を叩いて出てきたこどもに突然「イラーキー?」と尋ねる、強引な手法。本人曰く、「だってイラクの匂いがするから」。

小学校などちいさいこども達は通学できているそうだ。高校生にもなるとバグダードの教育省まで書類を取りに行かないといけないらしく、そんな危ないことはできないからと、出逢ったハッターブくんはスーパーマーケットで働いて家計を支えていた。
シナーア地区にはたくさんのイラク家族が住んでいると聞いたとおりで、道を歩けばイラク人が集まってきて色いろと教えてくれるのだった。イラクの形をしたペンダントを身につけて遊んでいる少女もいた。

訪ねたお家では、男性へのインタヴューはサラマッドやYATCHに任せ、わたしはいつも女性やこども達と遊んでいる。こんなヤバン(日本)の小娘が可笑しなアラビア語でイラク大すきとか云ってはしゃぐので、向こうのきんちょうもほぐれるみたい。お台所などにも入らせてもらえて、暮らしぶりやおんなの本音なんかもよく分かる。

皆が口をそろえて、シリアはよいところであまり問題もなく生活できる、と言う。外国人がいきなりおしかけてなんか話してくれというのも、限界があると思う。それにかれらも、イラクみたいに治安が最悪なわけでもなくヨルダンみたいに追い返されもせずシリアに住めているのだから、実際そうなのだろう。
でも、もうすこしなにかが見えてもいい気がする。策を練らなければ。

翌日、フィラス遅刻。セルビス(乗り合いタクシ)に乗り、首都ダマスカスから1時間強のところにあるちいさな町ディアアティーアへ。

e0058439_19331582.jpgオートバイに乗ったイマームをひき止める。かれはこの町のことをよく知る人物。イラーキーが移り住んでいるのも把握しているけどもとくに問題はなさそう、とのご返答。
日本の僧侶がスクーターで檀家参りに行っているようなもんで、こっちのイマームもバイクでうろうろするんやな。妙な親近感。

e0058439_19333516.jpgバグダードから来たサリさんは、4人のこどもを抱えていた。学校は通えてもイラクとシリアとではレヴェルの違いもあり、わたし達がやろうとしている「寺子屋プロジェクト」は大歓迎だと云ってくれた。かれ自身が教師なので、なにか手伝えるとも。

この町でイラク人を支援するグループにも会ってみた。話し合った末、この町でPEACE ONがプロジェクトをおこなうなら、協力してくれるとのこと。こころ強い。

e0058439_1934266.jpgアブ・アマルさん一家は、イラク中部ファッルージャから。米軍による2004年の大侵攻で家業のモバイル・ショップがめちゃめちゃにされ、国内の親戚も殺害が相次いで、シリアに辿り着いたのだという。3人のこども達は、授業についていけなかったりなじめなかったりで、いつまたイラクに戻るかも分からないので、シリアの学校に通うのをやめた。こどもらは帰国したがるけども、今のファッルージャはまるで地獄だし、とアブ・アマルさんは悩んでいる。現在は無職、貯金が底をついたらイラクに戻らざるをえない、とふあんそうだった。
…急に、風景が止まったようだった。アブ・アマルさんは日本人のわたしのほうを向いて、「ファッルージャはちいさなヒロシマだよ」と力なくつぶやいた。イラク人にとって、日本といえばヒロシマ・ナガサキ。その日本人になんとか共感してもらおうと必死に訴えているのが、痛いほどに伝わってきた。今までルカイアちゃんやアナスくんらこどもとコミュニケーションをとりながらおとこどもが喋るのをただ聞いていたわたしだったが、どうしても堪え切れなくなって震える涙声でアブ・アマルさんに告げた。「ほんとうに、ほんとうにごめんなさい。わたしはファッルージャの住民1人1人に謝りたいのです。日本政府はイラク戦争やファッルージャ総攻撃を支持してしまった。わたしが謝罪してもどうにもならんのだけど、それでも云わせてほしい。ごめんなさい」と。かれはしずかにほほ笑んで、「政府は政府、市民は市民ですよ。ありがとう」と云ってくれた。恥ずかしさと、申し訳なさでいっぱいだった。ハニに泣きじゃくってあたまを下げたあの時みたいに。「もう、おいとましよう」、サラマッドが立ち上がった。

帰り際、商店のおじさんが「ほれ、飲みよし」と瓶ジュースを持たせてくれた。かれもまた、ドレイミ族のイラーキーだった。シュワルマのサンドイッチを買って、一路ダマスカスへとひき返す。
明日もイラーキーの声を聞こう。わたしが今すべきことは、それなのだから。
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by peaceonkaori | 2007-06-19 19:41 | 中東にて
5月20日、今日はヨルダンからシリアへと向かう。

アパートメントの最後の1泊を、17ディナールから15ディナールに負けてもらう。大家さんに「アルジューク(お願い)」とにこにこしたら、OKだった。食事をごちそうしてもらったり自炊したりして、けっきょくヨルダンでは外食代を1銭も払わなかったな。
お昼時にハニのお宅に寄り、みんなでドルマ。やっぱり、これを食べなくっちゃね。二女ルカイアが、「アイラヴユー、カオリ」と云って離さない。何度も抱擁を交わす。

アブダリのバスターミナルで、サラマッド&アマラと待ち合わせる。ダマスカス行きのセルビス(乗り合いタクシ)のおじさんが、4人で36ディナールともちかけるので、わたしは30ディナール(約5200円)まで値下げさせた。まけてもろてナンボやねん、こっちも生活かかっとんねん。サラマッドは別のセルビス会社で、もっと高くふっかけられていた。

ヨルダン国境では、やはりイラク人サラマッドに時間をとられてしまった。入国ならともかく出国するんやからさっさとスタンプ押しよしなー、とこっちは思うのだけれど、書類を書かされたり別の所に呼ばれたり、なんとなくイライラする。サラマッドの隣でじーっとお役人を見据えていたら、「この日本人は手続き終わっているのになんだ」というようなことを言われてしまい、サラマッドが苦笑しながら弁明していた。むぅ。
やっとこさ済ませてセルビスの助手席に座ったサラマッドが後部座席のわたし達をふり返り一言、「なァ、イラク国籍やめよっか」。

運転手さんが気に入ってわたしに、「アロー、カハロー、シッティー、シッティーヤシッティー」と繰りかえし歌わせる。自分の携帯電話の"着うた"にしている、アイドル歌手のイントロらしい。ヤバニエ(日本人のおんな)が口ずさむので、大いに満足していた。かれはシリアに入って途中の幹線道路でほかの運転手さんと交代し、去り際にもまだ「アロー、カハロー…」と念をおしていた。

お宿はどうしようかと話していると、運転手さんが不動産屋さんを紹介してくれるという。シリアでもアパートメント、悪くはないな。
1件目。2部屋の寝室と居間、お台所、お便所、シャワー。イラク避難民の多い地区らしくそれはそれで都合がいいのだけれど、繁華街から遠くてほかの町に行きにくいので、却下。
2件目は、幾らか狭いしきれいでもないけども同じような間取りで、3泊100ドル。「ちょっとお高いのでは?」と渋るわたし、でももう遅い時間だし疲れているし、ということでこの物件に決定。アマラはさっそく出たコックローチに、「サヘー(まじで)!」と甲高い声で悲鳴をあげていた。婦女子2人でぷるぷる。サラマッドと「化学兵器の出番やね」と言いながら、殺虫スプレーを買いに走る。

e0058439_12434314.jpgお母さんの手術のためにイラク西部アンバールからダマスカスに出てきているハニの弟マージドに、ハニからのたいせつな預かり物を渡すため、アパートメントまで来てもらう。はじめてのご対面でどぎまぎするも、一瞬で仲良しになれた。だってこのお顔、ほんまにハニとそっくりなんですもん。
マージドは、アンバールで測量士をしているらしい。ハニに説明されてわたし達が「測量士のことやんね」と確認していると、ハニはそれを英語と勘違いして「ソクリョオシ…?」と覚えようとしていた。や、日本語です。
オム・ハニ(ハニのお母さん)は、おんな手1つでミシンをカタカタいわせながら生計を立てこども達を育ててきた。ハニの新しいプロモーション・ヴィデオ「グリーン・フィッシュ」には、風車のような輪が回転しているシーンがある。それは、故郷ヒートの風車の光景やお母さんのミシンを思い出してのものだという。
アンバールの田舎地帯、インシャッラー(神がお望みならば)新婚旅行に案内してやろうと、昔ハニが約束してくれたっけ。そうね、いつの日か、そう遠くない日に?

玄関の引き戸には鍵がついていなかったので、サラマッドがカーテンのボンボンをきつく縛りつけた。ふあんがるわたしにサラマッドはニヤリとして、「これがバグダード式さ」。ら、乱暴やな!
さてさて、サラマッド&アマラと共同生活のはじまりはじまり。
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by peaceonkaori | 2007-06-19 13:00 | 中東にて
会おう会おうと言いながら3日間も連絡が途絶えていたシルワンから、やっと約束の電話。
ハニ一家と、シルワンは「ムシーバ(大問題)」と半ば呆れ、「ヤハラーム(ご愁傷さま)」と笑っていたところだ。創作活動に入ると、シルワンはハイワーン(動物)のようになる。語呂がいいので「シルワーン、ハイワーン」と繰りかえし笑い合っていたら、ハニのこども達まで真似をして怒られる(シルワンには内緒)。

e0058439_161194.jpge0058439_1602685.jpgシルワンは、ハニ夫妻とわたしら夫妻をマタアム・イラーキー(イラク食堂)に招待してくれた。アンマン住宅街にあるマスグーフのお店へ。水槽で泳ぐ群れからイキのいいのをシルワンが選び、お店の料理人さんがそれをひらきにして窯のなかに突っこむ。
バグダードのヘワー・アートギャラリーの裏庭でオーナーのカシム・サブティが作っていたのを写真で見て以来、わたしも食べたくって仕方なかったのだ。ハニやシルワンにそのことを話すと、遠い目になってバグダードのギャラリーやカシムを懐かしんでいるようだった。

e0058439_1613149.jpgさっきまでぴちぴち泳いでいたお魚は今、じゅうじゅうと旨そうな汁を垂らし、眼前に並べられる。ビスミッラー(いただきます)。レモンをかけてフブス(パン)やスープやトルシー(お漬物)などと一緒に頬ばる。鯉のような川魚で、お味もちょうどそんなかんじ。肉厚のボディ、生き物をいただくというのがどれほど有難いのかがよく分かる。イラクの河では、漁獲高が激減しているという。わたし達がいただいたのはヨルダン産だった。
2月にシルワンに別のイラク食堂に招待してもらった時、イラクで暴れている民兵のマハディ軍の連中が入店してきたことがあったが、その後そのひとはイラクで殺されたのだという。シルワンがあっけらかんとして教えてくれた。

また、前回オーファリー・ギャラリーで開催された個展「ONLY SLOGANS」がイラク大使館の目に留まり、シルワンは近々スペインのイラク大使館の招きでスペインにて展覧会をおこなうそうだ。あれだけ傀儡政府を揶揄したものがイラク大使館のお気に召すだなんて、ちょっとびっくり。でも、とにもかくにもマブルーク(おめでとう)。

短い時間だったけど、シルワンに会えてしあわせいっぱいおなかもいっぱい。シルワンと日本の「ふるさと」を歌いながら、イラクの友と過ごすよろこびを味わうわたしがあった。
明日はいよいよ、シリアへ向けヨルダン出国だ。
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by peaceonkaori | 2007-06-18 16:02 | 中東にて

家族ぐるみのおつきあい

朝から不機嫌なおっとを残してプチ家出。「今からお家に行ってもいい?」とハニの長女ナバに電話をかけるとナバは、「もちろんよ。ここはカオリのお家よ」と言ってくれた。休日のハニ宅で、こども達やオム・ムスタファと遊ぶ。「カオリを探して通りをうろついているんじゃない?」と言われても、フンっと思う(後で聞くと、出てゆくわたしをバルコニーから見て、わたしが携帯電話で話しながらハニ家のほうへ歩くのであんしんしていたらしい。キーッ!)。
深夜にフランスからやって来たPEACE ONイラク人スタッフのサラマッド&アマラ夫妻と合流。やはりイラーキーのヨルダン入国は厳しく、サラマッドはフランス人アマラとの結婚が証明されてアルハムドゥリッラー(神のおかげで)、やっと通過できたそうだ。
こちらの味方につけたハニの二女ルカイアと、玄関の扉を指さしておっとに「バラ(出て行け)」と言ってからかう。二男フセインが、大きなハートに入ったうちら夫婦の絵を描いてくれる。

昼ごはんは、ムサンナ宅に招待される。おくさんのスーハはパレスチナ人なので、パレスチナ料理をメインに、アラブ料理がずらりと並ぶ。お台所ではおくさん達の井戸端会議、手を動かしながらわたしも参加。こどもらにこども部屋にも連行され、なぜか「カオリ! カオリ!」の大合唱。アラビア語には母音は基本的にア・イ・ウしかないので、カオリは「カーウリ」になる。
e0058439_2320869.jpg初対面のYATCHは、ムサンナにかれのカリグラフィについて説明を受けていた。ムサンナは、歌声がほんとううつくしくって耳が惚れ惚れするのだが、今日は調子がおかしいといって聞けなかった。残念。

e0058439_23203186.jpg食後のティータイム。わたしのお茶にスプーンが2つついていたので、嬉々として思わず「サラマーッド」と叫んでしまう。先日のイベント「イラクに咲く花in豊橋」でのめおとトークのためにサラマッドに教えてもらったイラクのお茶エピソードで、「誤って2つティースプーンが添えられていたら、そのひとは将来2人のお嫁さんをもらうことができるだろう」というのがあったのだ。「イエーイ、花婿さんもう1人!」とこぶし振ってはしゃぐわたしと、「それ僕にくれ~」と奮闘するおっと。周りのイラーキー達は、そんな小噺もあったなあという風に面白がっていた。
スプーンは、ハニが仕掛けたに違いない。

イラーキーに助けられての、仲直り。
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by peaceonkaori | 2007-06-17 23:23 | 中東にて

卒園式

ハニ一家に誘われて、末っ子ハッスーニ(フセインの愛称)の卒園パーティにお出掛け。

ハニ宅の上階に住むイラク家族の赤ちゃんアッブーディ(アブドゥッラーの愛称)を保育園に預け、いざ学校へ。
e0058439_2373398.jpg到着すると、やってるやってる。ちいさなおんなのこが何人も、イスラームのような衣装を着てお遊戯。か・わ・い~! 思わずハートをうち抜かれ、溺愛の眼差しでシャッターをおしまくる。でも、こんなこども達がイラクで殺されたりしているんやなあ、とか。
e0058439_237565.jpgつづいて、ハッスーニやハヤ(ハニのいとこムサンナの娘さん)の番。「これからハッスーニのお洋服を買いに行くの」と連れ立つハッスーニ達と前日に近所で出逢ったが、なるほどこれか、スーツにネクタイでおめかししているな。お家でいっしょうけんめい練習していた英語の歌を披露。
This is a way, this is a way. I wash my face, I wash my face. Every morning,
every morning.
This is a way, this is a way. I brush my teeth, I brush my teeth. Every
morning, every morning.
This is a way, this is a way. I clean my shoes, I clean my shoes. Every
morning, every morning.
This is a way, this is a way. I walk to school, I walk to school. Every
morning, every morning.

e0058439_2381987.jpg親ばかというんでしょうか…携帯電話をかざして写真を撮っているほかの親御さんをかきわけ、「ハッスーニ!」と叫びながらいっとう前で必死にカメラを構えるわたし、そしてYATCH。将来こどもを授かったらまったくどうなるんでしょうねえ、この2人。
わたしら日本人を、園長先生らが歓迎してくださる。「フセインはいいこでしたよね?」とのわたしの問いに、「ヴェリー、ヴェリー、グーッド」ですって。やったネ。

うふふふ、ハッスーニは初恋のお相手ハヤに告白したのかしら。「ハヤ、すき?」とひやかすとハッスーニは、てれつつもウンウンうなずくのだった。
帰宅後に画像データを渡すとお兄ちゃんムスタファはさっそく、ほかのこを消してハッスーニとハヤのラヴリー2ショットに加工し、PCのデスクトップに設定していた。
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by peaceonkaori | 2007-06-14 23:08 | 中東にて

アンマンの床屋さん

e0058439_17342129.jpgYATCHが散髪したがったので、近所の床屋さんに入ってみる。前を通るたび、店主が「いらっしゃい!」と呼びかけてくれていたのだ。
ネクタイ姿の店主は陽気なパレスチナ人で、ひょいひょいとお客さんの髪を切っている。わたし達は椅子に腰掛けて待ち、そのようすをおそるおそる眺めていた。お客は髭にこまかく注文をつけていたが、満足したよう。YATCHの番になった。
まずは記念撮影。店主は息子さんに携帯電話のカメラで撮るよう言い、カシャ。「おくさんも」と言われてもう1枚、パシャ。日本人客なんてきっと初めてなんだろう。わたしは「とにかく短くしてやって」と指示する。店主は「ギューット? ギューット?」(←good?の意味と思う)と繰りかえしながらバサバサ切っていくので、YATCHは死刑台にでもいるような心情。「すいてください」というアラビア語が分からず、「今は髪が多いでしょ? すくなくして頂戴」とつたえても通じない。そもそも、髪をすく道具も見あたらないし。ギューット、どんどん短くなるばかりだった。
店主は、口にくわえた糸を顔面にすべらせて産毛を抜き始めた。これは日本にはない手法。YATCHのは「チクチクしたけど気もち好い」と言っていた。

あっという間にできあがり。ツンツンなYATCH、2ディナール(約350円)。ハニ真紀さんに尋ねてみると、4ディナールとか5ディナール払っていたそうなので、格安なのかな。またお願いね、ギューットな店主さん。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 17:03 | 中東にて

ヨルダン生活、つづき

しばらく更新が滞っていましたが、現地でUPできなかったアラブ滞在記のつづきです。

e0058439_1456546.jpg15日、朝。
YATCHが朝食を作ってくれた。フブス(アラブの薄焼きパン)とトマト、ゆで卵にレバン(水気のないヨーグルトのようなもの)、それにチャイ(アラブ茶)。ラーバアス(悪くない)。

ダルブナー・ギャラリーを訪ねてみると、ちょうどマダム・マヤミーンもムハンナドもラキーンも揃っていた。元気そうでなにより。さっそくボス兼おっとのYATCHを紹介する。ギャラリーは、明日から始まるナスィールというイラク人作家の個展の準備で忙しくしていた。
絵を描いている最中で忙しいシルワンが駆けつけてくれるというので、ギャラリーで3時間も待ちぼうけを食らったのに、いっこうにあらわれない。これぞ、イラーキー。あきらめて街へ出た。

16日、曇り時々雨。
この季節のアンマンにしては珍しく、マタル(雨)。人びとは傘をささないし、タクシ運転手もヨルダン訛りで「シタ(雨)」と呟いてよろこんでいる。わたしは風邪をひきそうだ。
おかしな気候といえば、数週間前にまるでイラクのような激しい砂嵐が起こったという。みんな、窓を閉め喉をやられ自動車事故が頻発して病院はたいへんだったとか。ここアンマンには100万人ともいわれるイラーキーが移住しているから、砂嵐も一緒にイラクからやって来たのだろう、なんて冗談を言って笑っていた。

定宿にしていたガーデンズ・ホテルを訪ねる。スタッフのムハンマドは車の教習所に行っているとかで、携帯電話も繋がらなかった。

3月に出逢ったイラーキーと再会することができた。イラクの大きな大学の英語の先生だったかれは、情勢悪化から、同じ宿にもう数か月も住んでいるらしい。かれの底抜けに明るいポジティブさがわたしの気に入って、コンタクトをとりつづけていたんであった。YATCHを紹介し、しだいに話が弾んでゆく。
今のイラクの若者にとって、なによりたいせつなのは教育だ。書を読めば、銃を持たないほんとうのデモクラシー、ほんとうのフリーダムが分かると、かれは信じていた。そのために、危険を承知で、若者向けに無料の本を出版したいという。わたし達はおおいに賛同した。方法は違えど、わたし達の新プロジェクトもおんなじことをしようとしている。つまり、教育。イラク国外に逃げて学校にも通えないこども達のために、寺子屋のようなものを作りたいと、今PEACE ONは模索している。かれのプロジェクトは6000ドルほどあれば可能というので、日本でも募金できないか、考えてみる。
多くのイラク人が希望を見失いかけているなかにあってかれはまだ、希望をたもっている。イラクをあきらめていない。それがなによりの、わたしのエネルギーとなった。かれのようなイラーキーがいるから、わたしもひとひらの希望も絶やせないのだった。

顔なじみのファラフェル屋を覗いてみる。
店主アブ・ハイサムに結婚した旨を報告すると、ファラフェルをご馳走してくれた。ザーキー(美味しい)、シュクラン(ありがとう)。

クリフ・ホテルのサーメルにも会いに行く。
かれは一時期、日本の報道で有名になった。2004年の秋に、日本という国の人質となってイラクで殺された香田証生くんを、アンマンで最後までひきとめ、今でもかれの死を悔んでいるサーメル。アンマンに「コーダ・ホテル」をオープンするのを夢としてる。今回はわたしは、たいせつなものをサーメルに渡す使命があった。それをサーメルは恐縮して受けとった。

e0058439_14553841.jpgハニと、アンマン郊外の町ファヘイスのハルドゥーンのところへ行く。
相変わらずマイペースのハルドゥーン、わたしらをモデルに写真を撮ったりじぶんの写真作品やウェブサイトを見せたり。3月に東京で開催したアラブ現代作家展の図録を贈るとかれは、酷評をくれた。多少のかれのジェラシーはあるにせよ、真摯に聞く。

シルワンは今日も「1時間後」と言いつづけ、電話が途絶えた。
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by peaceonkaori | 2007-06-13 14:58 | 中東にて
Dance For Peace Japan 2007のピースワークショップでトークをさせていただくことになり、さてどんな風に喋ろうかと、あたまで練った。今回はイラク情勢や支援報告がテーマではなく、平和についてわたしが考えることをポジティヴに話してほしいということだった。
これまでのわたしが歩んできた道をふりかえる作業は、なんというか辛いものがあった。あたりまえだけど我が人生もまた、なにもかも順風満帆に進んできたわけじゃない。いや、逆風のほうが多かったんじゃないかとも思える。だいたいの案を代表YATCHに相談してみたら、おっとでもあるかれは「もっと洗いざらいぶちまけたほうがいい、怖がってはいけない」と云った。
さらにつっこんだ私的な体験をまぜこむことにした。自己の内面を掘り下げる表出の行為は、もうカサブタになっていると思っていたわたしの傷がまだ癒えていないことを、わたしに如実に示した。でも、とわたしは思った。このトークがうまくいけば、わたしは過去に一区切りつけられるはず、わたしはイラクへの初心をあらためて胸に刻み明日へと生きていけるはず。そう信じて臨んだ。

e0058439_17271576.jpg5月30日、浜松駅から車で1時間以上もかけて、龍山青少年旅行村というキャンプ場に辿り着く。山の天気は変わりやすく、雨がしとしと降ったかと思えば、その後には何年ぶりかの虹を拝むことができた。
サンセットタイムにスピーチと聞いていたのに、行ってみたらわたしの出番は翌31日のお昼1番だと言われる。そうですかということになり、せっかくなのでイヴェントを愉しむことにした。
サイケというかトランスというかヒッピーな感じにつつまれて、いたるところにピースマークが飾ってある。ティピなどのテントを皆それぞれに設置し、思い思いの時を過ごしている。途中から一緒に車に乗って来たパーカッショニストの山北健一さんというかたは舞台で、太鼓だけで人びとを踊らせている。夕暮れがあり、夜の闇があった。酔いどれたトルコのクルド人が、クルディスタンについて嘆いている。わたしは焚き火の炎がこんなにも透明感に溢れたものなのかとじいーっと魅入るはめになり、しかし見上げればまたお月さんや星々が凛然と輝いているのも仰がずにはいられなかった。物品販売のグッズが、夜露に濡れた。

31日ヌーン、わたしはおずおずと話し出す。みんな、あたたかい顔で聞いてくれる。
詳しい内容はないしょ、うふふ。だって極私的なんですもの、その場にいてくださったかただけに。いずれ本でも出版することがあれば、文字にするかもね。
イラクに一目惚れした昔のわたし、「There is no way to peace, peace is the way(平和に至る道はない、平和こそが道なのだ)」という言葉を、「Peace」の能動性を信じてアクションしつづける今のわたし。イラクが地獄と化しても、それでもイラクをあきらめない、意地でもあきらめないその決意。それは、わたしがイラクという国の魅力に助けられたという思いがあるから。恩がえし? なんなんでしょう、このご縁は。ねえ?

ワークショップを終えてブースに戻ると、幾人かが集まってくれた。「Peace on youっすよね」と笑いかけてくれる爽やかな青年、ドレッドヘアの男性は涙腺を滲ませて「さっきイラクのひとがホープレスって云ってたけど、でも…僕には光が見えた」。かれは熱心にPEACE ONの記事を読み始めた。ピース! 溢れるユニヴァース、繋がっていると思う。

予定より早く下山することにした。携帯電話の電波が届くようになって、おっとからメールが届いた。ラヴ。
帰洛して、両親のもとでしばらく過ごそう。わたしは帰りの切符を京都行きに変更した。

*写真は、うっすらと空に架かるレインボー。見えるかな?
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by peaceonkaori | 2007-06-02 17:27 | 国内活動