NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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バグダードの主婦は今

バグダードのある主婦のインタヴューを。もうすこし、聞き取りしたいなと思っている。

わたしの住む町はゴミで溢れています。でも誰も、ゴミを収集できません。政府もやらないし、みんなもやりません。なぜって、町の戦士らが「もし誰かがゴミを片づければ、そいつを殺す」と言うのです。かれら戦士は、遺体や爆弾をゴミの影に隠しているからです。
ある時、米兵が大型車でゴミを移動させようとしました。ゴミのなかに埋もれている遺体で、町はどんどん狭く悪くなっていたし、主要道路のほとんどはそういったゴミで埋まっている状態だったからです。米軍の運転手がゴミを収集しに来たその時、戦士が狙撃しました。頭をやられて、即死しました。
そう、今では町はゴミで溢れかえり、腸チフスの病気が蔓延しています。

朝6時半にわたしは家庭ゴミを通りのはずれのゴミ置き場に投げます。
ある時わたしは、そこで遺体を見つけたのです。33歳ぐらいの男性でした。首を斬られ、胴体の上に乗せられていました。

ある夜のことでした。
民兵が町にやって来たのです。そして、3軒の家に入って1人残らず殺害しました。人びとは叫び出したわけです。すぐに町の戦士が駆けつけて、民兵が退散するまで戦ってくれました。

16歳の少女がいました。かのじょはある時、米兵と写真を撮ったのです。そしたら町の戦士はかのじょを捕まえて、23箇所も撃ち、遺体を路上に投げ棄てました。遺族は、戦士に殺されるのを恐れて誰もその遺体を運べなかったと嘆きます。

小学校は弾痕だらけです。銃撃、戦闘が始まると下校しようとするのですが、できない時もあって、そういう場合は何時間でも鎮まるまで校内に隠れています。
いつも戦闘があって、授業ができない状態です。子ども達を早めに下校させるので、課程が終わりません。

近所のおとこの子が民兵に捕らえられて殺されました。民兵どもは棒やねじを使ってがんじがらめにしてしまったため、遺体がとり出せなくなりました。遺族は、その遺体をそのままお墓に持って行くしかありませんでした。米軍の検問所で車を停めました。爆弾があるかどうか、米兵がチェックするのです。米兵は棺を開けました。米兵らはそのねじだらけの遺体を見るなり、叫んだのです。「ノー、イスラーム教徒がこんなことをするっていうのか!」

もっともっと色んな話があります。だけどきりがないから、すこしだけお話しました。

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by peaceonkaori | 2007-08-21 23:42

メールを交わしつづける

メールで届けられたその写真を見たとたん、感涙がわたしを襲った。
なんてことはない1枚の家族写真だった。お家の居間のようなスペースで、家族がそろっている。真ん中に大きなケーキが置かれてい、両親や兄弟姉妹、臨月をむかえた義妹がいっせいにカメラのほうを見つめて咲みを浮かべている。とくに趣向を凝らしたものでもない、ふつうの集合写真だった。
それは、イラクの友が送ってきたものだった。じゅうたんのうえに皆が座り、敷物に食べ物が並べられている。缶ジュースはイラーキーのすきな炭酸飲料ばかりだし、壁にはイスラーム教のカレンダーと思われるもの、おんな達はよく見かける寝巻きのような部屋着のようなものを身にまとっていた。皆がぶじ、だんらんできている-それだけで、わたしはうれしかったのだ。
この家族のバグダードでの生活ぶりを、わたしは幾度となく聞いていた。武装グループ(米軍も民兵も)に狙われるお父さん、ご近所さんが次つぎに殺されるのに怯えるお母さん、お友達が撃たれるのを目撃した兄弟姉妹、脅迫状をつきつけられたそのひと。これでは休まる時がないじゃないか、と思えてしまう話がつづいている。冗談を云いあったりできるよゆうはあるんだろうかと、わたしは日常会話を空想してみる、だけどうまくできなかった。話だけ伝え聞いていたそのひとらの、顔をひさしぶりに見ることができた。写真に向かって声をかけ、いつか会える日を夢想した。

数日前にはサマーワ出身の友がイラク国外から連絡をくれた。
サマーワといえば、そう、陸上自衛隊が行っていたことで日本では有名になった町、日本政府が「非戦闘地域」と呼んでいた町だ。
そのサマーワでも活動する武装グループがかれに死の脅迫状を送りつけたので、かれはイラクを脱出したんであった。そして今度は、今のイラク政府からも命を狙われているのだという。なんでも、かれを捕らえてイラクに送還するよう今のイラク政府が各国に通達を出しているのだとか。
祖国を追われてなお恐怖に取り巻かれる、逃れられない不安。だのに、「こんな話をしてしまってごめん。素敵な日々を過ごしてね」とやさしく振る舞ってくれるかれの寛容さ。

べつのバグダードの友からもメールを受信する。
お義父さんがとうとう拷問死したという報せに嘆くわたしに、かれは「かおりチャン、僕は直接にたくさんの親戚や周囲のひとを亡くしている。遅かれ早かれ僕だって殺されるんだろうけど。我われは死を恐れない。亡くなったひとは安らぎや心地好さを、生きている僕ら以上に得られているんじゃないかってね。ともかく僕は君に書きつづけるよ、人生の最期の時が来るまで…」と返事してきた。
わたしはどう返信すればよいのか分からない。安全圏にいてなにを云ったところで、とても虚しく響いてしまう。だけど、返さないわけにはいかない。イラクを忘れていないと訴えつづけることが、わたしにできることだと思うから。かれの苦しみには遥かおよばなくても、ほんのわずかでも痛みを共有できたらなと思っている。
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by peaceonkaori | 2007-08-19 12:58
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)のイラク人スタッフ、イブラヒム・ムハンマドが来日。30数日にも及ぶ、長いスピーキングツアーが始まった。
10日、"フンドコ・イラーキー"(イラク人ホテル)ことPEACE ON事務所にご宿泊いただく。

早くもイブラヒムはお疲れのご様子、食欲がないという。レストランでの夕食は、コーンポタージュとオレンジジュースだけ。お肉はハラール(イスラーム法にのっとった食べ物)しか食べられないし、和食はなんとなく手が伸びないのだろう。
帰りにスーパーマーケットに寄る。イラーキーが来ると、いつもそうするのだ。はじめはフーンといった感じに見ているのだが、「ほら、トマトが1つ1ドルなんよ」と言うと、信じられないという風の顔で驚く。「1キロじゃなくて、1個で?」とイブラヒムも自分が聞き違えたと思っているらしい。きゅうりは3本で1ドル、お茄子は1つ0.5ドル。「トマトは今やから1ドルなんやけど、冬なんか1JD(ヨルダン・ディナール)なんやから」と嘆くわたし。イブラヒムは「高過ぎる、問題や」と繰りかえしていた。そういえばPEACE ON現地スタッフのサラマッドが来た時には、「イラク支援よりも日本の食料支援プロジェクトをやらなあかん」と真顔で言っていたっけ。

PEACE ON事務所は、今までイラーキーがよろこばなかったことはない。
イラク国旗が掲げてあるし、ハニ・デラ・アリシルワン・バランなどのイラク絵画、観光地の写真が散りばめられたイラク土産のTシャツ、ウード(琵琶に似たアラブ楽器)、祈りのための絨毯、イラクのなつめやしで作った団扇などなど、まずは視覚的にイラーキーをウットリさせる。イブラヒムは、国旗を撫でながらなぜかしきりに「おーきに、おーきに」と口にしていた。
イブラヒムはウード奏者ナスィール・シャンマや歌手のカーズィム・アッサーヒルがすきだと言うので、シャンマやカーズィムのCDをかけたら、ほんとう大はしゃぎ。3人で指を鳴らしながら踊りまくってしまった。
イブラヒムが元気になってくれるのは、うれしい。わたしがイラクの衛星放送のシャルキーヤTVに出演した映像を見てわたしの「マルハバ(こんにちは)」の発音に大笑いするイブラヒム、イラクの有名な悪役役者のジャラル・カーミルとおくさんのサナと友達なんだと写真を見せるYATCHに感嘆するイブラヒム、一寸おめかししてズボンにアイロンをあてるイブラヒム、わたし達の結婚式の写真を欲しがるイブラヒム、日本語の縦書きと横書きに感心するイブラヒム、日本人のわたしら夫婦が交わすアラビア語の会話に満足そうなイブラヒム。
イブラヒムは日本に研修に来ていたアンサムとお友達らしく、かのじょが託したノーミーバスラ(乾燥レモンみたいなの)とバハラート(カレー粉)をお土産に携えてくれた。
イブラヒムは突然、「日本にもテロリストがいるのか?」と尋ねてくる。兄が妹を殺した事件を耳にしたらしい。強盗殺人とかではなくて妹を殺めるというのは、断じてあってはならないと言う。多くのイラーキーにするようにイブラヒムにも、1年に3万人以上が自殺するという日本の現実を話すと、イブラヒムもまた仰天し、「1日100人が殺されるイラクと一緒やないか」ととうてい理解できない風だった。
ふとしたことで、「イスティカン(イラクの茶器)にティースプーンが誤って2つ添えられていたら、そのひとは2人のお嫁さんをもらえる」というイラクのお茶にまつわる小噺が話題に出、「わたしアンマンで経験したからお婿さんもう1人やねん」とウキウキ告げると、イブラヒムは「僕は若い頃に幾度もスプーン2つの時あったよ。そうしたら妻は死んじゃった」。なんだかすまない話をしてしまった。おくさんのマリアムは白血病を患い、イブラヒムと3人のこどもを遺して2005年に亡くなったのだ。
おっととわたしが毎晩の習慣にしている黒酢を、イブラヒムもごくごく飲んでくれた。もう3時だ。おやすみなさい。

e0058439_223855100.jpg翌朝、イブラヒムは起きて早々ご飯をこしらえてくれた。イラク料理のバーミヤ(オクラのトマト煮込み)。
イブラヒムはおくさんを看病しながら、いっしょうけんめい料理を振る舞っていた。だからじょうずなんだそうだ。
アラブ人はお食事の前とかなにかを始める前によく「ビスミッラー」と唱えるんであるが、イブラヒムは包丁でお野菜を切る前にも、はたまた階段を下りる前にも「ビスミッラー」とつぶやいていた。ちなみに、くしゃみをした後には「アルハムドゥリッラー(神のおかげで)」と言っていた。

<イブラヒム流バーミヤの作りかた>
1.オクラを茹でる。ザルにあげて、バハラート(カレー粉)をまぶす。
2.オリーブ油で玉ねぎを炒める。つづいてオクラも投入する。
3.トマトとにんにくを入れる。けっこうな強火で、どんどん煮込む。
トマトをかなり煮詰めてコクを出すのがポイントかな。イラクではもっと濃いらしいのだけど、用意したトマト缶は薄いので、長く火にかけていた。
4.水を足す。まだまだ煮込む。途中で味を見ながらお塩で味つけする。バハラートもちょっと追加。隠し味に、ノーミーバスラ(レモン)を入れてみる。
わたしの持っていたオクラはシリアで購入した乾燥オクラだったので、長い時間をかけたほうがいいみたい。日本のオクラは大きくて、イラーキーには不評。

わたしがてきとうに作る和風バーミヤと違って、イブラヒムのバーミヤはとってもシンプル。そして、とってもとーっても美味しい。イブラヒムはうれしがって、何度も「美味しい」の一言を聞きたがった。お水だけで炊きあげた日本のお米を、イブラヒムは不思議そうに食べていた。

今日11日は、イブラヒムが来日して2回目となる講演会。わたしが通訳を務めることになっている。
駅までのタクシでも初乗りが5ドルもする事実に、イブラヒムは耳を疑っていた。前日に乗った京都からの新幹線は片道で100ドル以上だと言うと、イブラヒムはアラブ人がよくするように口笛を吹いて目を丸くしていた。
会場は、最寄駅から10分ぐらい歩いたところ。イブラヒムは気温55度のバスラからやって来たと豪語しているのに、「暑い、暑い」ともんくを言っている。だのに、冷房の効いた涼しい控え室に入ったとたん「健康に良くない」ですって。ンもう。

まず、綿井健陽さんの『Little Birds-イラク戦火の家族たち-』の上映。
わたしはこの記録映画をもう何回も観ている。だけどイラク人と一緒に鑑賞するのははじめてだ。2003年のイラク攻撃開始の前夜から、映画はスタートする。空襲があり、病院はけが人で溢れ、遺体は並べられ、子どもらは遊び、怯え、服が血に染まり、手がもぎれ、人びとは泣き、怒り、苦しむ。隣でイブラヒムは、良くない状況の時にイラーキーがよくやる舌打ちを繰りかえし、その足は困惑や嘆きや同情を示すようにずっと揺れていた。わたしは全身が痛むようだった。このイブラヒムだって、1人の戦争犠牲者なのだ。自国の民が傷ついてゆくのを大画面で見、それはもちろん自分の身の回りでも起こっていることで、深い動揺や悲しみがかれを襲っているのはあきらかだった。イブラヒムが隣にいることで、フィルムにつまり戦火のイラクに彷徨ったような心地になった。だけど日本人のわたしは戦争加害者。劇中にかんじたこの痛みは、イラクの被害にたいする痛みであり、同時に加担させられた痛みなんだと思った。申し訳なさがあたまから離れない。

e0058439_22403562.jpgそしていよいよイブラヒムのトークとなった。
わたしは公の場で通訳させていただくのははじめてだったけれど、前日に打ち合わせをしていたから、イブラヒムが云いたいことをすーっと浮かびあがらせるようにしてつたえた。
イブラヒムは話す。かれ固有の物語を紡ぐ。数学の先生になったこと、経済制裁でみんながイラク国外に逃げたこと、イラク攻撃をイエメンでテレ・ヴィジョンで見て妻と泣いていたこと、ふたごを妊娠した妻が白血病にかかったこと、ふたごの帝王切開と妻の死、JIM-NETとの出会い、病院でのJIM-NETの仕事、電気飲み水もなく戦闘ばかりのバスラの状況、そして医療支援の継続が必要だということを。
終了後、イブラヒムは「ありがとう」と云ってくれた。手ごたえをかんじたようだった。

帰りの道すがら、モバイルショップで立ち止まる。日本はSIMフリーでなくロックされているというへんてこな国なので、イブラヒムはイラクで使う携帯電話は買えない。去りながらイブラヒムは「アリガトウゴザイマシタって日本語で言ったのに、ドウイタシマシテって返さへん。あの売り子はあかん」と憤慨している。
駅前のビラ配りにも吃驚して、「あの娘はお金をばらまいているのか?」とイブラヒム。

夜ご飯は、ペルシャ・トルコ料理屋ザクロにて。イブラヒムは「ワタシハかばぶガタベタイデス」と日本語で練習して、ハラール肉を食べられると愉しみにしてお腹を空かせていたから、満足そうに頬をほころばせている。イラン人の店長アリさんと、イラク人イブラヒムとの国際交流(?)もお見事。

イブラヒムの愛称はバルフーミ!
バルフーミ先生の日本探訪、北海道から九州まで全国各地にあらわれます。スケジュールはJIM-NETのページでご確認ください。
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by peaceonkaori | 2007-08-12 22:40 | 国内活動
バグダードに住むまだ10代の少女2人の、その日々をすこし。子ども達の生活のすみずみにまで、戦争がはびこっている。
かのじょ達とはまだ直に会ったことはないのだけれど(この話はイラクの友達づてに聞いてもらった)、いつか乙女トークを交わしたいなあと願っているわたし。

19歳のおんなの子は云う。

イスラーム教のモスクがアザーン(1日5回の祈りの時を報せるモスクからの呼びかけ)を始めると、警察がそこいらじゅうを撃ち出すの。毎日5回、撃ってくる。なぜって、警察どもは誰もモスクに行ってほしくないからだわ。


16歳のおんなの子も話す。

ある日の休み時間、校庭でのこと。1人の狙撃兵が突然、お友達を撃ってきたのよ。かのじょは13歳ぐらいで、足に怪我を負ってしまった。なんの理由もなしに、ね。わたし達はこぞって泣き出した。学校の責任者がその子を連れに来てわたし達を下校させるまで、ただ泣いた。

別の日、わたし達が下校している時にね。また狙撃兵が、通りにいたおんなのひとを撃った。そのひとは赤ちゃんを連れていただけなのに。その狙撃兵はかのじょをダイレクトに撃ち殺したってわけ。

イスラーム教スンナ派のお友達Aちゃんととシーア派のお友達Bちゃんがいたの。Aちゃんのお父さんもスンナ派ね。Bちゃんは、Aちゃんのお家がお金持ちだってことをシーア派の民兵どもに漏らしてしまった。民兵はAちゃんを誘拐して、Aちゃんの家族に10万ドルも身代金を要求したのよ。家族は10万ドルを支払って、Aちゃんをとり戻した。でも後になって町のスンナ派の戦士が、BちゃんがAちゃんを売ったという事実を知ったらしいの。それでその戦士は、Bちゃんとその両親と5人の兄弟姉妹を皆殺しにしたんだって。


*はじめ京言葉で訳していたのですが、関西弁はお笑いのイメージがあるからこの話にはそぐわないと不評を買ったので、関東の言い回しで書きました。イラーキーって京都とか大阪とか、似合う思うねんけどなあ。
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by peaceonkaori | 2007-08-04 23:22

偽装する日常

イラクの友からメールが届く。「明日にでもメールを書くよ」と電話があったきり音沙汰がなかったのでしんぱいしていたのだけれど、とにもかくにもホッ。とはいえ、その内容の重さに読んでいてぐったりとしてしまった。
ニュースにならないことが多すぎる。こまめにニュースをチェックして情勢を追っているつもりになっているのではないか、わたしはまだまだ想像力が足らないのではないか、と初歩的な自問をする。
メールはひどく長く、スペルや文法のミスが目立っていた。それほどに、動揺し報せねばと思っていたということだ。また、いとこが惨殺されたと、その人間とは思えないほどに変わり果てた遺体の写真を送ってくるべつの友。全身の鳥肌が立つむごたらしいそれを撮影する時のかれの心情はいかようか。お悔やみの言葉を綴ったわたしからのメールに、「とってもうれしかったよ」と返すかれの気もちは。
ニュースにならないイラク人の「日常」を、すこしだけでも紹介してみようと思う。つたえられることをつたえることが、メールを受けとったわたしの務めと思うから。

かれのお父さんが、とうとうバグダードから避難した。バグダードを離れるわけにはいかない、と言っていたお父さんなのに。お父さんは、「俺には選択の余地がなかった」と話し始めた。狙われているのがはっきりと分かったからだった。お父さんは恐怖に怯え、状況が良くなるまではバグダードへは戻らないと決心する。
お父さんはイスラーム教スンナ派。今バグダードで移動するには、文字どおりの意味で死のリスクが伴う。…シーア派になりすますしかなかった。誇り高く生きてきたお父さんにとって、立場を偽るという選択がどれほどの苦渋だったことかと思うと、まだ会ったことのないわたしでも顔面の筋肉が硬直する。お父さんは髭をみじかく剃り、黒と白のチェック柄のクフィーヤを頭に巻いて、たくさんの大きなわっかを手にはめた。そう、シーア派みたいに。
米軍の作った分離壁によって、地区は囲まれていた。バグダードでは幾つかの地区において、テロリスト流入の阻止という名目でパレスチナを想起させる壁が建設され、封鎖されているのだ。メインの門から出ようとすれば、警察はお父さんを民兵組織に引き渡すに違いない。お父さんは友達に頼んで民兵の偽IDを入手して、あれこれ工作して、やっとこさ脱出できたのだった。

もちろんバグダードでなくても、危険はつづく。かれは、道路に転がった遺体の写真を送ってきた。ディシターシャを着た中肉中背の男性が、うつ伏せに倒れている。その写真についての友の説明は、まるでそんなことよくあることだよという風に、淡々としていた。
バグダードのお家は、軍組織(民兵かレジスタンスか米軍か)に占拠されてしまうのだろうか。仕方ない、とは口にできない。壊された「日常」。
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by peaceonkaori | 2007-08-01 21:41