NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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シリア人の住民感情

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シリア人が厳しい目でイラク人を見ていることを、この旅でつくづく実感した。
わたしが(イラキー町と化した)ジャラマーナへ行くことをシリア人は驚き、毎日のように胸に飾っていたイラク形のネックレスを思わずブラウスの内に隠してしまうこともあった。イラク訛りのアラビア語も、シリア人の前では迷いながら控えた。

こういう意見にわたしが同意するかどうかは別にして、以下にわたしが耳にした住民感情を記す。実際の数値を調べていないので、云われたまま書いておく。
値上がりは本当どこでも聞く。単にイラク人が口実にされているだけというコメントもある。真偽はわたしには分からないが、少なくともこう思っているシリア人がいることはたしかだ。
感情に真偽は関係ない。双方以外のわたし達がどう関わるかをわたしは考えたい。

お野菜もガソリンも借家も土地も全ての値段が高騰している。イラク人が増え過ぎたせいだ。
前は1キロ5SPだったトマトが今では40~50SP。ファラフェルも5SPから25SPになった。
ガソリンは今や20リットル500SPだ。
※ガソリンは世界的な石油高なのでイラク人とは関係ない。物価高のついでに出た話。

お金持ちのイラク人がシリアでお金をばら撒いて儲け、イラクに持ち帰る。それで米国と繋がっていたりするんだ。

220万人のイラク人、もはやシリアの人口の15パーセントを占める。
※国連発表などの数字と異なるが、国連の数字も正確ではないので、そのまま書いておく。

イラク人だけのせいとは云わないが、治安も悪化している。売春などが横行している。

アメリカが始めた戦争で、アメリカが諸悪の根源。そんなアメリカに1ドルだって支援してもらうか。ほかの国も口だけだろう。

我われが例えばエジプトに入国する際、シーア派かスンナ派かを聞かれるようになった。そんなこと以前なら問題にならなかった。

シリアはイラク以外にも沢山の難民を受け入れている。スーダン、レバノン、エチオピア、パレスチナ、などなどだ。国がパンクする。

先月はイラク人の入国を制限していたが、今月からまた緩和した。100パーセントではないが、ほとんどは入れるのでは。
※この情報はわたしは未確認。


往きの飛行機で読んだ記事(”The forgotten refugees of the U.S. war on Iraq” Socialist Worker ONLINE)によると、米国は年間240億円をイラク難民に費やしているという。しかし、戦費は864億円。ただしこの戦費、1日の数字。
(企業がCSRとして多額を社会貢献に費やしていると宣伝するけど、実際はそれを遥かに上回る額の破壊活動をしているのと似ている。CSRは宣伝費の一部みたい。)

写真は、遊園地の売店に掲げられていたシリア国旗とイラク国旗。
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by peaceonkaori | 2007-11-06 17:38 | 中東にて

ジャラマーナ再訪

3日ぶりにジャラマーナのカーシム食堂へ。俺は英語できるぞと云う一人に皆「この子はバグダードのアーザミーヤから来たんだよ、イラク訛りだよ、ね」と笑顔で迎え入れてくれる。

またサンドイッチ、お茶。前菜としてタッブーレ(パセリやトマトなどを細かく刻みレモンなどで味付けたサラダ)とホンムス(ひよこ豆ペースト)をくれる。

3日前に知り合い何度も電話をかけてきてくれていたワリードも来る。早口のアラビア語で聞き取れないが、この日本人の身分が「アラビア語学生」か「人道支援者」かで議論になっているらしい。わたしとしてはどちらでもいいんであるが、こんなことで信頼されなくなったらなにもかもお仕舞い。PEACE ONのアラビア語資料を見せ、慌てて説明する。
英語ができた一人が云ってくる。ジャーナリストでも政府の人間でも国連でも赤十字でもないわたしになにができるのか。政府だってなにもできていないのに。こういう意見に対しては半時間以上かけて根底から説明したいが、とりあえず「規模はちいさくても友好関係を結びたい。政府じゃない民間の問題や」と述べておく。これぐらい耐えられる根性はあるつもり。小娘の外見でも判断されたと思う。しゅんとせーへんぞと己をなだめる。
お金はええよと云ってくれるが支払う。120SP(約300円)。また来るかんねと約束。

アブ・オマルの家へ。アブ・オマルはカーシム食堂のパン焼き係で5月にもお宅に寄せてもらった。3歳のハバが「カオリ」と手を振って迎えてくれる。半年で随分と美女になったこと。
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ウンム・オマルに「さあお昼にしましょう。え、なんでカーシム食堂で食べて来たのよ」と云われ、一緒に席に着く。「ビスミッラー」と唱えてからいただく。お米料理がイラク風で嬉しい。9歳のイサールも12歳のオマルもこちらをきょろきょろ眺めて微笑む。
PEACE ONがシリア政府に申請中のイラク避難民「寺子屋」プロジェクトについて意見を求める。ここでもまたアラビア語の能力のなさを痛感。丁寧に聞いてくれるのが有難いやら申し訳ないやら。
わたしの携帯する単語帳(日本語、アラビア語)を用いてハバにアラビア語クイズ。おさなごの口から発せられるアラビア語のなんと愛しいこと。
「なんでここに泊まらへんの」と云ってくれるご家族にお礼を述べてお別れ。扉を閉めてもハバが泣き叫ぶのが聞こえる。ごめんね、アッシューフィック・バハル。

ガソリンが高くなったからもっと払えと怒るタクシ運転手と口論。アンマンだけでなくダマスカスでもタクシが疲れる。ふっかけられるのは前からだけど、なんだか深刻さが増しているように思えた。
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by peaceonkaori | 2007-11-06 17:30 | 中東にて

旧市街を探訪

3日ぶりに話したおっとに、思い詰めずにゆっくり街でも歩きなと気分転換を促されたので、お洗濯を済ませてから午後はスーク(市場)へ出掛ける。

ダマスカスのスークは、アラブでも有数の巨大な商店街。スーク・ハミディエとそれに並行して走るスーク・ミドハド・パシャ、その間を無数の商店が迷路のように並んでいる。全てのお店を見るどころか全ての路地を歩くこともできないほど。

まずはミドハド・パシャへ。工事中で道が散らかっていて吃驚、といってももともときれいじゃないけど。埃っぽく、コンタクトレンズを外し眼鏡にして正解。リーファとアレッポのオリーヴ石鹸を購入。リーファはなつめやしの木の繊維でできた身体洗いで、以前はイラク産のを使ったり販売していたが、今回はシリア産。
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カフェレストランで、アルギーレ(水煙草)を勧められたのでメロン味を吸う。13OSP(約130円)。アラブ世界でおんなが人前で水煙草ええんかなと遠慮していたが、よく見ると奥の席でヒジャブ被った地元シリア女性らがシーシャ(水煙草)やっている。シリアでは女性もOKなんだそうな。

ズフラートとバーミヤも買う。この辺りは香辛料やコーヒーなどの市場が並ぶ。ズフラートは薔薇の花などのハーブで、お湯に入れてお茶みたいにして飲むと乾燥した冬には喉によいし温まる。もうすぐ冬だからか、どこにでも盛んに売っている。バーミヤはオクラのこと。乾燥オクラが紐に吊るされて乾物屋さんの軒先に並ぶ。

夕暮れる「真っ直ぐな道」を歩く。次第に喧騒から離れ、新約聖書の物語の中に迷い込む。ローマ記念門を過ぎればキリスト教地区。趣も変わる。教会の鐘の音が耳に届く。小径をくねくね曲がり、またイスラーム教地区へと戻る。
今度はウマイヤド・モスクからひとの声が聞こえる。こういう唱和、幼い頃に京都のおばあちゃん達が仏さんの前でいつもやっていた。

モスク裏の石のところで休憩していると、少年が得意気に「ワッツ・ユア・ネーム? マイネーム・イズ・ムハンマド」と云う。ただし英語はこれしか知らないらしく、自転車に乗ったお友達とタクシごっこを始める。
子どものみならず大人も盛んに声をかけてくるのがダマスカス。青年などはもしかしたら外国おんなに卑猥な言葉を浴びせる場合もあるかもしらないが、そこまでアラビア語が分からず。今のところ愉しい。

とんでもなくうつくしい石の門などを見上げ、ダマスカスには歴史と現在とが混在し生活が成り立っていると感じる。こういうところが古都に生を享けた者として共感を覚える。ただし今の京都には時々悲しみさえ抱く。東京型の商いが随分と浸透したように思う。

夕食は旧市街のレストランへ。17世紀からの名家をホテルとレストランに改装したジャブリー家。旧市街の建物は、入り口は狭いのに内に入ると中庭が広がりとてもうつくしい。これまで訪れた中ではパリの大衆食堂に似ているけれど、お城のような建築も葡萄の葉の間から見える天空もお酒の匂いのしない賑わいももっともっと素敵。この造りはクルアーンの教えによるらしい。つまり、天国への門は狭くしかし天国は広いと。
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席に着くと給仕係が同行の男性かけ寄る。「お連れさまは奥さまでしょうか?」「いや」「それではもうすぐご結婚なさるのでしょうか?」「いや」という風だったらしい。イスラーム世界では婚姻関係にない男女が連れ立つのはご法度。日本の感覚を理解してくれるかたととはいえ、なんだか申し訳ない。
典型的なシリア料理をリクエスト。ずらりと並ぶ。スープ、チーズのパイみたいなの、ファットゥーシュ(アラブ風サラダ)、ひよこ豆の煮物、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)、レバノン風ホンムス(ひよこ豆のペーストにパセリが混ざっている)、マハシーみたいに葡萄の葉にお米が巻かれているもの、お茶。料理名をきちんと覚えられなかった。お味はもちろん申し分なし。

ライトアップされたウマイヤド・モスク周辺を歩き、バッシャール大統領のオフィスや各国大使館などが窓を流れながらのドライヴ。こういう風景、おっとがすきそうやから見せたかったなあ。いつも下町ばかりの貧乏旅行、甲斐性なしなわたしでおっとよごめんよ!と念ずる。
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by peaceonkaori | 2007-11-06 17:17 | 中東にて

ダマスカスの仔猫ちゃん

シリアでは野良猫を多く見かける。犬がいなくて猫ばかり。
オープンカフェでお茶していたら人懐っこい猫が膝にちょこんと座ってくる。小魚とか持ってへんでーと云ってみる。シリアの猫はなにを食べるのかしらん。
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ちなみに蝿も多い。食べ物に寄ってくる。よく見ると、大阪商人よろしく両手をもみもみしているところがほんまに可愛い。

シリアの人びとも猫は嫌いじゃなさそうだけど、野良猫にかける声が「シッ」。日本で「しっしっ、あっちにお行き」という時の声なので、わたしは一瞬どきっとする。
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by peaceonkaori | 2007-11-05 23:49 | 中東にて

ダマスカス交通事情

古都ダマスカスの街を闊歩する-こう書くと「なんて素敵なの」と思いそうだが、実際にはけっこういらいらしている。なぜって車が多いから。
車の数だけなら東京のほうが多いかもしれないけれど(わたしは統計を知らない)、問題は数じゃない。
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市街地でも信号のあるところは少ない。車線は関係なく追い越したり割り込んだり。警笛ばかり聞こえる。そのうえ山の多いアンマンと違い、自転車やバイクも走っている。

ひっきりなしに車の走る道路を、その僅かな隙を見計らって横断せねばならない。横断歩道があろうがなかろうがあまり関係ない。初めての時には「まじっすか」と命懸けのようなていで臨んだものだった。今でも地元のひとのタイミングに合わせないと渡れない。しかも焦ってはいけない。留まったりちょこちょこすると運転手のリズムを乱すことになる。わたしはまだ下手くそで、歩道橋があったなら心底ほっとする。
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髪がぱさぱさになるのはなぜ?

タクシが安いからってタクシばかり乗るのもつまんないし、そのタクシだって乱暴な運転ではらはらするし(目を瞑ってしまう瞬間が多々あり)、もう修行と思って鍛えるしかないのかなあ。
ちなみにバスやセルビス(乗り合いタクシ)は慣れないと分かりにくい。そのかわり、困っていたら乗客がみんなで教えてくれるので、ひとの有難みを実感できる。料金は10円くらい。
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by peaceonkaori | 2007-11-05 23:41 | 中東にて
日本で知り合ったフルードの妹、ニスリーン、そしてそのお友達のディマが宿まで迎えに来てくれる。今日は地元ダマス娘と乙女3人デート。

タキーヤ・スレイマニーエというシリア民芸のクラフト・センターへ。モザイクの木箱やアラブ服、ウードなどの楽器、金銀の装飾品、絹のショールなどのちいさなお店が並ぶ。モスクもあり、2人ともお祈りの時間だからと5分ほど祈りに行く。
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お隣には軍事博物館。イスラエルと戦った様子、戦闘用飛行機などがあるらしく、怖いからと断ったが、かのじょらはどことなく誇らしそうだった。

一瞬だけイラク難民の話題がのぼる。雰囲気から察するに、やはり快く歓迎しないと思う。そりゃそうだ。数年で国民の1割が外国人になったら、日本なんてパンクしちゃう。シリアとイラク双方から視ないといけない。

それにしてもアラビア語ができない。アラビア語を勉強中というと皆すらすらと早いアラビア語を喋るが、なかなか聞き取れない。普段イラクの友などはゆっくり話してくれていたのだなあとなんだか恥ずかしくなる。甘えてはいけない、自分はアラブのことほとんど知らないのだと知る。

アラブ諸国の絵本作家を見出せないかと、よい絵本を探して本屋巡り。外国のものだったりイスラーム教が色濃かったりと、なかなか出逢えない。日本的「絵本」が確立されていないのかもしれない。こういうのは縁やから根気よく歩くほかない。
コピー品でないほんまもんのCDも求める。シリアでは著作権という考えがないようで、お店ではオリジナルを見たことがない。今回もまた探せず。

ナスィール・シャンマやカーズィム・アッサーヒル、ファイルーズ、ナンシー・アジュラムのCDが欲しいと云うと、かのじょらはナンシーがすきじゃないとふき出す。曰く、露出した服装のことではなく「ナンシーの声は歌じゃない」。
マクハー(カフェ)でお茶でもしようと誘っても、ほんまはマクハーは嫌いで図書館などの知的なところがすきとディマ。カフェでパフェ的なものを食す。
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路地でポスターが売られている。カーズィムやナンシーに混じってバッシャール大統領も。すかさず「これがわたし達の大統領よ」とニスリーン。

再度モスクでお祈り。すっぽり覆った服じゃないヒジャーブも被らないわたしも問題ないからと礼拝所に入れてくれる。足を清め祈祷する2人の凛とした後姿をじっと見つめる。恰好よいと思う。

ディマは大学の授業へ。ニスリーンとピザ屋さんで夕食。クラフト・センターでは「こういうのすきだけど持たない」と云い、どこの国でもありそうなピザを食べ、しかし1日5回の礼拝はきちんとおこない、外国からの客へ手厚くもてなす。かのじょ達との半日から、この国の今とこれからを勝手に考察する。
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by peaceonkaori | 2007-11-04 17:31 | 中東にて

イラク家族と過ごす半日

飛行機の膝の痛む狭い座席で食べたり眠ったりを繰りかえしうんざりした頃に、ぶじにダマスカス到着。宿を確保し、中庭の民芸調になったカフェテリアでトルココーヒー(ちいさなカップで濃い煮出しコーヒーの上澄みを飲む)で一服。さてどうしようかと思案する。
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ジャラマーナへ行きたかった。「シリアのファッルージャ」とも呼ばれるイラク人の多く移り住む町で、5月に訪れた時にとても印象的だったからだ。しかし思うところあり躊躇う。したいこと/すべきこと/できること、などが頭のなかで絡まる。それでも行かない訳にはいかない。

マトアム・カーシムという名のイラク食堂を再訪。5月に映した写真を渡すと皆ぞろぞろ寄ってきて再会をよろこび合う。シュワルマのサンドイッチ、イラクの濃いお茶をいただく。
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スタッフも皆イラキーなら、お客も皆イラク人。なかにはサッカー試合のためイラク南部バスラからやって来た一団もいた。制限が厳しくなりイラク人のシリア入国は不可能に近くなったが、スポーツ選手はヴィザ取得できるという。
ワリードというおじさんに、娘が4人もいるからぜひ家に来てくれと誘われる。

シーア派の町セイダザイナブの近く、町外れにかれのアパートはあった。薄暗い部屋に佇み、娘らは不思議そうに見つめる。アッラーやムハンマドというアラビア書道のポスターやすぐに電波がおかしくなって映らなくなるテレ・ヴィジョンのほかはほとんど物が見当たらない。子ども達は1日なにをしているのかと思う。
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お茶をもらい、話を続けるうちにかのじょらと打ち解ける。「ホテルから荷物を取ってきてここで泊まりなよ。お湯のあるシャワーもお便所も寝室だってあるよ。ずっといて」と云い、「靴を隠しちゃう。鍵もかけるわよ」と強引。断っても断っても諦めない。そもそも英語がほぼ通じないどころかアラビア文字もフスハー(正則アラビア語)も危いかれらだが、わたしとのコミュニケーションを諦めない。
かのじょらの精一杯のおもてなしに感謝する一方で、ある種の居心地の悪さもこころの底に秘めていた。いつもなら必ず聞き出すイラクでの状況について、避けるように会話した。

遊びに出ようと云うので、ヒジャーブを借りる。ヒジャーブが要る要らないで議論になり、念のため頭に巻いた。わたしは用心し、用心する自分がなんとなく強烈に厭やった。外出先はなんと遊園地。空中ブランコ、ジェットコースター、日本のそれと比べると大丈夫かと思ってしまう代物だが、誰よりも叫び声を発し笑われる。子ども達は本気で喧嘩し泣き、つまり愉しんでいた。
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お母さんが帰ってくるからとまた家に引っ張られる。顔が浮かび上がる日本の紙幣に感嘆し、イラク紙幣を懐かしがるかのじょ達。仲が深まると、それまで「アラビア語学生」を名乗っていたわたしも本気で語らないといけなくなる。

おずおずと告白を始める。アメリカのイラク攻撃の最中に「人間の盾」としてバグダードの浄水場から反戦を唱えたおっとのこと、イラクの友とハンディキャップを持つ子に通学バスを届けていたこと、情勢悪化で日本人のイラク入りが難しくなったこと、今はシリアのイラク難民になにかできないかと模索していること。
とても怖かった。もし本気で向き合うなら、1か月でも1年でも毎日のように通って信頼関係を築いた上で本当は話を聞くなりしたい。知り合ってすぐに「イラクは危険だった?」「学校へは行けるの?」「親戚は大丈夫?」などと根掘り葉掘り、今のわたしには聞けない。前まではそうして声を拾いそれを日本に伝えることがわたしの使命と燃えていたのに。かれらを「戦争の国から来た家族」の1つのケースとかモデルとして捉えそうで、とにかく怖くなった。日本の誰かに、NGOスタッフ失格と非難されるかもしれない。でも誰に? こんな弱いわたしに、知ったかぶりやできるふりなどできない。この怯えのせいで、今日は居心地の悪さを感じていたのだった。

素晴らしいとワリードは云ってくれた。今日ずっと隠していたイラク型のネックレスをブラウスの開いた第一ボタンから見せると、娘はわあっと歓声をあげてこぞって手にした。存分にイラクずきをアピール。申し訳なさもちゃんと伝える。
テレ・ヴィジョンも時計も車も日本があまりにもすごいと繰りかえすので、それは技術の話でしょと例のごとく切り出し、年間3万人の自殺者の話ややさしさを失ったかのような現代日本社会の話をする。未だ米軍基地に占領されていること、ヒロシマの原爆のこと。子どもらはイラクじゃない日本にそんな大きな爆弾が落とされたことを理解できないようだった。
少しずつ、話してゆく。バグダードでは通りの銃撃戦をよく目にした娘、一年の滞在許可証はあるが国連は何もしてくれないと嘆くワリード、イラクとシリアで訛りや習慣が異なるため通学できないでお友達のいない娘、お母さんは今日で理由なくクビになったらしい。日本に難民として逃れたいと云われるが、かなり難しい現状を伝える。話してもらえてもすぐになにかできる訳じゃない。ごめんと思う。

振り切ってやっとホテルへと帰った。
己の弱さを知り、誠実な態度で、誰かと向き合うこと。今回のひとり旅は、わたし自身の根底が問われそう。往きのスーツケースは軽かったが、迷えるこころは重いものがあった。不器用なやりかたで、国際協力の在りようを考える。
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by peaceonkaori | 2007-11-04 16:52 | 中東にて

シリア到着のおしらせ

昨日11月2日、予定通りぶじにダマスカスに到着しました。

シリアでの携帯電話番号:0991807838
シリア国番号:+963

取り急ぎ。また順次、ブログ更新していきたいです。
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by peaceonkaori | 2007-11-04 16:42 | おしらせ