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NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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イラク避難民との出逢いと交流(9月21日)

ヨルダンの朝。
シャワーのお湯はちょろちょろとしか出ないうえに途中で出なくなるし、おトイレのお水を流すレバーが外れているから水槽のなかに手を突っこんで流さないといけないけれど、ホテルはまあまあだ。テンションがぴんと張っているからか、体調だって日本にいる時よりずっと良い。
外に出てファラフェルやトマトなんかを入れてもらったサンドイッチを頬ばる。「ウェルカム、ジョルダン」「ジャッキーチェーン」などと、街のみんなが声をかけてくれる。

イラク避難民との出逢いと交流(9月21日)_e0058439_18431578.jpgホテルのロビーでミーティング。このたび現地スタッフとわたしが新しく理事に就任したので、おお、これは理事会だ。そういえば数か月前、バグダードからかれの住民票が届いた時は感激したものだなあ。
ゆうべから話を聞けば聞くほど、バグダードは最悪を超えて最悪な状況だ。

イラク避難民との出逢いと交流(9月21日)_e0058439_18435121.jpgイラク避難民との出逢いと交流(9月21日)_e0058439_1844186.jpgさきほどからチラチラと目が合ってはずかしそうにしているおんなのこに手を振ったりそのうち一緒に写真を撮ったりして遊んでいると、かのじょら一家はバグダードから来たということがわかった。ホテル前には、たくさんの荷物を積んだ大きな車が停まっている。さっそく現地スタッフがアラビア語でお父さんに事情を聞き始めた。この辺のくだりは代表YATCHがブログで詳しく述べるが、なんでもエジプトに移り住むという。多くのイラク人が周辺諸国に逃げているのは知っていたし、ここヨルダンなんかはそのせいで経済がずいぶんと潤っているとも聞いていたけれど、実際にそんなご家族にお会いすると、胸がうずいて呆然としてしまった。これが現実だ。
英語の通じないおんなのこやおとこのこ達と、片言のアラビア語を用いて仲良くなる。たくさん撮っているのにまだ「スーラ、スーラ(写真)」と繰りかえすのでハテネと思っていたら、なんとわたしの写真が欲しいという。うれしくなって自室まで駆け上がり、パスポート紛失用に持ってきておいた証明写真をとってきて、名刺とともにあげる。こどもらはマジになって喜んでくれた。ああ、このこらはなんて可愛らしい笑顔を見せるんだろう、なんてうれしそうにはしゃぎ回るんだろう。おじいさんや親戚が殺されたり拷問されたりし、じぶんらはバグダードから避難してきたこのこ達のそのひょうじょうに、わたしはひどく癒される。ピースフルな気もちになる。現地スタッフは、バグダード支援用に買っていたお菓子をお母さんに渡していた。わたしはPEACE ONの缶バッヂをプレゼント、胸につけてとせがまれた。「ジャミーラ」「ジャミール」(可愛いね)とわたしは云う。そうしたらかのじょらは、じぶん達の写真をわたしにくれたのだ。ドレスを着たとびっきりの写真。さらに、じぶんのつけていたペンダントまでもらってしまった。アッラーとムハンマドと書いてあるムスリマのペンダントだった。「マークムシュケラ?」(ノープロブレム?)とわたしがお母さんに訊いているあいだ、かのじょはわたしの首にそのペンダントをつけてくれた。すっかりサディーク(友達)ね。現地スタッフに頼んで、エジプトの住所が決まったらぜひ連絡して頂戴、写真を送るから、とお父さんにつたえたが、どうなるかはわからない。わたし達は出発の準備ができるまで、手をつないだりぎゅっと抱きしめたりいっぱいキスをしたり「アイラヴユー」と云い合ったりしていた。ばいばい、ラガド、ヘンデ、ムハンマド、アハメッド。わたしの出逢った初めてのイラキ・キッズ達。ちいさなちいさな国際交流。サイード(幸福)を願う。

ミーティングを終えてから部屋に帰り、わたしは咽び泣いた。かのじょらはただじぶん達の生まれた土地に住んでいただけだのに、そこを追われるのはなぜ? あんなにピースフルなご家族が、なぜひどい目に遭わなければいけないの? そして、加害国である日本人のわたしにあんなに仲良くしてくれるこども達やお母さんに、わたしは申し訳が立たない。
ノー、だけどわたしはPEACE ONスタッフとして、冷静に現実を把握し、できる限りのことをなさねばならない。涙を流すだけの無力なじぶんを反省した。
身体がほてっていた。初めてのアラブで吸収することが多過ぎるからか、この身体は知恵熱のような熱を帯びていた。

遅いお昼ごはんは、評判の大衆食堂にて。ごはん詰めのチキンと、サラダ。「地どり」なんておかしな言葉のある日本とは違って、こちらのかしわはそこいらじゅうを走り回っている鶏。タイーブ(美味しい)! ガブガブ飲んでから気づいたけども、このボトルに入っているお水は水道水らしい。おなか、だいじょうぶよね。そしてアラブ料理を食した後は、チャイが飲みたくなる。お砂糖たっぷりの甘い紅茶。「ネイン・チャイ」と注文したら、「Two tea」と返される。ンもう、意地悪。近くに座っていた地元の婦女子と笑い合う。

ゆうべも試したインターネットカフェに行くも、やはりラップトップが使えない。別のインターネットカフェでもダメ。PC上で2日も不在にしていたら、みなさまがしんぱいなさっているかもしれない。ションボリとしつつ、明日また出直すことにする。
ションボリついでに、酒屋さんでビールを購入する。ええ、ここヨルダンはお酒を飲んでも咎められないのです。ただ大失敗をやらかしてしまったのは、わたしがヒジャーブかぶってさっきのイラク少女にもらったコーラン型のペンダントをまだつけていたこと。お店に入るなり「オーマイガーッド」と云われてしまった。ムスリマ気取りはもうやめよう。

夜になって、ヨルダンに移住したイラク人画家のハニ・デラ・アリさんが、ホテルに顔を出してくれた。YATCHが「She is your big fan」と紹介するものだから、わたしははずかしがってなにも云えない。5人で繁華街に食事に出ることにした。
イラク避難民との出逢いと交流(9月21日)_e0058439_18442550.jpgハニさんは11月に銀座での個展が決定したのを機に、PEACE ONで日本に招聘する。その打ち合わせなどを、近況報告を交えておこなう。ハニさん来日は、PEACE ONにとってビッグイヴェントだ。
レストランを出ても、街はまだ活気に満ちていた。わたし達はオープンカフェで水たばこを吸いながら、談笑をつづけた。現地スタッフはバグダードではこんなことはできないだろうから、束の間の夜遊びを堪能してほしい。気がつけば深夜1時をまわっていた。

買ったビールは飲まずに、わたしはベッドに潜りこんだ。
by peaceonkaori | 2005-09-23 04:22 | 中東にて