ハニ・デラ・アリ家で(9月22日)
2005年 09月 24日
午前中はPC仕事。裏技でも使って今日こそメールチェックとインターネット接続を敢行しなければ。便利なはずのPCに振り回されているこの不便さ。
ランチに招待されて、画家のハニ・デラ・アリさんのお宅へ。ハニさんのお宅を訪問するのはずっと愉しみにしていたから、少々きんちょう。
高台にあるきれいなアパートメントに、自宅とアトリエをかまえていらした。居間の真っ白な壁に、ハニさんの絵が並ぶ。新作にウットリとするわたし達に、ハニさんは説明をくわえてくださる。
写真などで見て会いたかった4人のこども達も、はじめまして。初めははずかしがって奥に引っ込んだりしていたおさなごとも、プレゼントに持っていったくまの飛び出すオルゴールをきっかけに、じょじょに仲を深めてゆく。ナバはしっかり者のお姉さん、さっそくメールアドレス交換をして、アラビア語で「香緒里」と書いてくれたり乙女トークに弾んだりする。ムスタファは背伸びの年頃の長男(なので敬意をもってハニさんを呼ぶ時は、「アブ・ムスタファ」という)、わたしの片言のアラビア語におなかを抱えて笑ったかと思えばカナヅチで果物の種を割ってなかのちいさな種を食べるように冗談で促がす。プレゼントしたハニさんのイラストを用いたPEACE ONオリジナルTシャツをさっそく着てくれた。ルカイアはキュートな6歳のおんなのこ、わたしの似顔絵を描いてくれた。大きな眼鏡のフセインは愛称ハッスーニ、わたしが長年たいせつにしていたオルゴールをずっと鳴らして気に入ってくれた。そして驚くべきは、4人の絵の才能。ハニさんのアトリエにこども達の描いた絵が飾ってあったのだが、色彩といい構成といい、もんくなしにファンタスティック。とりわけ、4歳のハッスーニのアブストラクトでプリミティヴな絵は、わたし達を驚かせた。(4人の作品写真はYATCHのブログでご紹介。)
さて、今日の目玉は、なんといってもドルマ。お野菜に色ごはんを詰めこんだこのお料理は、手間と時間を惜しまないとっておきの逸品。食前にお台所で見せてもらったが、大きなお鍋にすでに用意されていて、お鍋に一回り大きなお皿をかぶせてえいっとひっくり返すダイナミックな盛りつけ。アラブの大家族ならではのお料理だ。そして、お台所でお喋りしていた時につまみ食いさせてもらった新鮮なタマル(デーツ、なつめやし)は、最高だった。日本で食したイラク土産のドライフルーツのようなタマルもいいんだけど、フレッシュフルーツとしてのタマルは一口で好物になった。黄金色に輝くそのボディ、口中で弾けてひろがる果汁。タマルはイラク人の誇りだから、わたしが感激していると皆が喜んでくれて、ムスタファやナバはさらに桃のような果実のシロップ漬けやそのシロップも味見させてくれた。「トーキョーのお野菜は美味しくないのよ、アラブがうらやましい」などと、しばしお料理事情の話を咲かす。イラク人だろうが日本人だろうが婦女子は皆おんなじやわ、とお台所にいるとそう思う。
居間に敷物を敷き座りこんで、いただきます。「ヴェリー・タイーブ」「アナ・サイード」などとへんてこアラビア語で悶絶。ミートの入ったライスコロッケ風のクバも、ミートのスープも、トマトときゅうりとピーマンの生サラダも、なにもかもが美味しい。スープやホブスやお水なんかは皆で分け合うから、人数分の器はないし、とって置いておいたホブスも隣のひとがちぎったりする。みんなで囲むお食事、という感じがして愛しく思う。
イラクの習慣どおり、ハニさんのワイフやナバやルカイヤやほかの来てらした女性は、そこには現れなかった。わたしはお客だからいいけど、家族の女性はお客のいる時は一緒に食さないのだ。かのじょらは、残りのごはんを別室で食べ始める。チャイのおかわりをいただきながら、わたしも女性群の仲間入り。
YATCHらが11月のハニさん来日に向けてアートプロジェクトのミーティングをしているあいだ、わたしは女性社会に入りこんで日本とアラブの文化について語らったりイラクについて訊いてみたりこども達と遊んだりしていた。「イラクはとてもいいところだけども、今は危険になったわ」と皆は話す。ナバはバグダードの学校やお友達の写真も見せてくれたが、現在はアンマンの学校に通っている。戦争が、かのじょらを離れ離れにさせたということ。わたしが「いつかイラクに行きたいの」と云うと、ジェスチャーで「ボンッボンッ」と爆発の多発するさまを示しながら、「今は危ないよー」と返される。そのしぐさにみんな笑っていたけれど、つい数か月前まではバグダードに住んでそういう環境に囲まれていたわけで、かのじょらのこころの傷を憂う。イラクがすきと云うかのじょらを、アンマンでの日々が癒しますように。そしてイラクで穏やかに暮らせる日がふたたび到来しますように。わたしも遊びにゆくから。
気がつけばもう夕刻、打ち合わせも一区切りついたみたいだ。ハニさんが、わたしに1枚の絵を渡す。来て早々わたしが絶賛したやつだ。イスラームの神をあらわすアッラザックという文字の小品で、わたしは「渋い」と日本語でしか表現できなかったのだった。「え、わたし買ってもいいの?」と尋ねると、なんと「かおりにプレゼントさ」とおっしゃる。わたしは半ば奇声のような音を発して、跳びあがって喜んだ。大ファンのハニさんから、絵をもらえるなんて…!
「必ずまた来てね、会おうね」とナバやお母さん達が幾度も云ってくれる。わたしはルカイヤとハッスーニにキスをして、さよならをした。
ホテルに戻って、昨日のミーティングのつづき。今後のプロジェクト内容など。
インターネットカフェで、ウェブメールを使ってたまっていたメールに目をとおし、ブログで報告UP。自分のPCは使えそうにないから、アンマン滞在中は厄介な作業になりそうだ。目がチカチカと痛むまでした。
ホテルに帰ると、またもイラク避難民と思われるお客さんの車。おとこのこがふあんそうにちょろちょろしている。そういえば、ハニさん一家だってイラクから逃れてきたのだ。ここアンマンにいて、イラクがとてもよく見える。
ランチに招待されて、画家のハニ・デラ・アリさんのお宅へ。ハニさんのお宅を訪問するのはずっと愉しみにしていたから、少々きんちょう。
高台にあるきれいなアパートメントに、自宅とアトリエをかまえていらした。居間の真っ白な壁に、ハニさんの絵が並ぶ。新作にウットリとするわたし達に、ハニさんは説明をくわえてくださる。
写真などで見て会いたかった4人のこども達も、はじめまして。初めははずかしがって奥に引っ込んだりしていたおさなごとも、プレゼントに持っていったくまの飛び出すオルゴールをきっかけに、じょじょに仲を深めてゆく。ナバはしっかり者のお姉さん、さっそくメールアドレス交換をして、アラビア語で「香緒里」と書いてくれたり乙女トークに弾んだりする。ムスタファは背伸びの年頃の長男(なので敬意をもってハニさんを呼ぶ時は、「アブ・ムスタファ」という)、わたしの片言のアラビア語におなかを抱えて笑ったかと思えばカナヅチで果物の種を割ってなかのちいさな種を食べるように冗談で促がす。プレゼントしたハニさんのイラストを用いたPEACE ONオリジナルTシャツをさっそく着てくれた。ルカイアはキュートな6歳のおんなのこ、わたしの似顔絵を描いてくれた。大きな眼鏡のフセインは愛称ハッスーニ、わたしが長年たいせつにしていたオルゴールをずっと鳴らして気に入ってくれた。そして驚くべきは、4人の絵の才能。ハニさんのアトリエにこども達の描いた絵が飾ってあったのだが、色彩といい構成といい、もんくなしにファンタスティック。とりわけ、4歳のハッスーニのアブストラクトでプリミティヴな絵は、わたし達を驚かせた。(4人の作品写真はYATCHのブログでご紹介。)
さて、今日の目玉は、なんといってもドルマ。お野菜に色ごはんを詰めこんだこのお料理は、手間と時間を惜しまないとっておきの逸品。食前にお台所で見せてもらったが、大きなお鍋にすでに用意されていて、お鍋に一回り大きなお皿をかぶせてえいっとひっくり返すダイナミックな盛りつけ。アラブの大家族ならではのお料理だ。そして、お台所でお喋りしていた時につまみ食いさせてもらった新鮮なタマル(デーツ、なつめやし)は、最高だった。日本で食したイラク土産のドライフルーツのようなタマルもいいんだけど、フレッシュフルーツとしてのタマルは一口で好物になった。黄金色に輝くそのボディ、口中で弾けてひろがる果汁。タマルはイラク人の誇りだから、わたしが感激していると皆が喜んでくれて、ムスタファやナバはさらに桃のような果実のシロップ漬けやそのシロップも味見させてくれた。「トーキョーのお野菜は美味しくないのよ、アラブがうらやましい」などと、しばしお料理事情の話を咲かす。イラク人だろうが日本人だろうが婦女子は皆おんなじやわ、とお台所にいるとそう思う。
居間に敷物を敷き座りこんで、いただきます。「ヴェリー・タイーブ」「アナ・サイード」などとへんてこアラビア語で悶絶。ミートの入ったライスコロッケ風のクバも、ミートのスープも、トマトときゅうりとピーマンの生サラダも、なにもかもが美味しい。スープやホブスやお水なんかは皆で分け合うから、人数分の器はないし、とって置いておいたホブスも隣のひとがちぎったりする。みんなで囲むお食事、という感じがして愛しく思う。
イラクの習慣どおり、ハニさんのワイフやナバやルカイヤやほかの来てらした女性は、そこには現れなかった。わたしはお客だからいいけど、家族の女性はお客のいる時は一緒に食さないのだ。かのじょらは、残りのごはんを別室で食べ始める。チャイのおかわりをいただきながら、わたしも女性群の仲間入り。
YATCHらが11月のハニさん来日に向けてアートプロジェクト
気がつけばもう夕刻、打ち合わせも一区切りついたみたいだ。ハニさんが、わたしに1枚の絵を渡す。来て早々わたしが絶賛したやつだ。イスラームの神をあらわすアッラザックという文字の小品で、わたしは「渋い」と日本語でしか表現できなかったのだった。「え、わたし買ってもいいの?」と尋ねると、なんと「かおりにプレゼントさ」とおっしゃる。わたしは半ば奇声のような音を発して、跳びあがって喜んだ。大ファンのハニさんから、絵をもらえるなんて…!
「必ずまた来てね、会おうね」とナバやお母さん達が幾度も云ってくれる。わたしはルカイヤとハッスーニにキスをして、さよならをした。
ホテルに戻って、昨日のミーティングのつづき。今後のプロジェクト内容など。
インターネットカフェで、ウェブメールを使ってたまっていたメールに目をとおし、ブログで報告UP。自分のPCは使えそうにないから、アンマン滞在中は厄介な作業になりそうだ。目がチカチカと痛むまでした。
ホテルに帰ると、またもイラク避難民と思われるお客さんの車。おとこのこがふあんそうにちょろちょろしている。そういえば、ハニさん一家だってイラクから逃れてきたのだ。ここアンマンにいて、イラクがとてもよく見える。
by peaceonkaori
| 2005-09-24 23:42
| 中東にて