イラクへ(9月23日)
2005年 09月 27日
午前中はPC作業とお洗濯。遅めの昼食をとりに外に出る。ホテル前にはまた別の大荷物を積んだ車が停車していた。昼夜を問わず、次から次へとイラク人がやって来て、このホテルにはイラク人しか泊まっていないんじゃないかとも思う。
近くのファラフェル屋さんへ入ると、店主は電話中で、奥で青年がはにかみながら手を振っていた。すぐにかれがファラフェルを包み始める。わたしが写真を撮ってもいいかと尋ねたら、かれは大急ぎでお店の奥に引っこんできれいなTシャツに着替えてきた。さらに、かれの写真を撮ったらば、店前にたむろしていた少年達が一気に押し寄せてき、 撮影をせがんで大騒ぎ。
街を歩けばこの日本人娘にみんな興味津々らしく、よく声がかかる。幼児にはきょとんとされるし、赤ちゃんは沈黙のうちに笑いながらヨダレを垂らしていた。YATCHにいわせるとしかし、これでもヨルダンはイラクよりずっとツンとしているという。若者が多いようにかんじるけれど、それは逆に日本がすくないということかしらん。
現地スタッフと最終ミーティング。始まっていることにも気づかずにぐっすり午睡に入ってしまっていた。迂闊だ。
と、日本のシャミール常岡さんから電話がかかってきた。ミーティング中だが皆にかわる。今年2月に現地スタッフと常岡さんがアンマンで会われた時の写真をわたしはしばらくPCのデスクトップにしていたぐらいだから、なんかうれしいんだなあ。
チャーミングなイラク人スタッフがハンバーガーを食べたいというので、恋バナなどしつつアラブ式ハンバーガー屋さんへ。もちろんハラール料理。わたしはケバブのバーガーを。ひさしぶりに炭酸でないジュースを飲んだ。アンマンでは、ペプシとかコカコーラとかセブンアップとかミリンダとかファンタとか、とにかくジュースといえば炭酸飲料なのだ。
ドキンドキンしている。今夜、スタッフがバグダードへ帰る。この数日は、毎日くたくたに疲れるほど、ハッピーな日々だった。わたしはスタッフのやさしい笑顔を見るたび、なにかあたたかい毛布みたいなものにくるまれているような心地になったものだった。
顔を出してくださった高遠菜穂子さんらも交えて、ロビーで歓談。医薬品なんかの大量の荷物を整えてGMCが来て、いよいよお別れ。
わたし達は、ターミナルまで行けないどころかホテル前で盛大にお見送りすることもできなかった。なぜなら、一緒にGMCをつかまえようとすれば外国人向けの値段をふっかけられるし、さらにたとえば運転手らがなんらかのグループと密通していて外国人と繋がっていることをチクられ身に危険が及ぶかもしれないから。悲しくなるよなそんな理由でわたし達は、ロビーで静かに握手を交わしカーテンに隠れながら窓の外を去ってゆくスタッフを見届けるしかなかったのだった。イラクと繋がっていたいからPEACE ONをしているのに、イラク人の安全のために支援もたんなる見送りすらもこっそり進めないといけないなんて、まったくどうかしている。しかし、今はこっそりとでも、繋がりつづけるということ、それだけだ。かれらの無事到着を全力で祈る。
近くのファラフェル屋さんへ入ると、店主は電話中で、奥で青年がはにかみながら手を振っていた。すぐにかれがファラフェルを包み始める。わたしが写真を撮ってもいいかと尋ねたら、かれは大急ぎでお店の奥に引っこんできれいなTシャツに着替えてきた。さらに、かれの写真を撮ったらば、店前にたむろしていた少年達が一気に押し寄せてき、 撮影をせがんで大騒ぎ。
街を歩けばこの日本人娘にみんな興味津々らしく、よく声がかかる。幼児にはきょとんとされるし、赤ちゃんは沈黙のうちに笑いながらヨダレを垂らしていた。YATCHにいわせるとしかし、これでもヨルダンはイラクよりずっとツンとしているという。若者が多いようにかんじるけれど、それは逆に日本がすくないということかしらん。
現地スタッフと最終ミーティング。始まっていることにも気づかずにぐっすり午睡に入ってしまっていた。迂闊だ。
と、日本のシャミール常岡さんから電話がかかってきた。ミーティング中だが皆にかわる。今年2月に現地スタッフと常岡さんがアンマンで会われた時の写真をわたしはしばらくPCのデスクトップにしていたぐらいだから、なんかうれしいんだなあ。
チャーミングなイラク人スタッフがハンバーガーを食べたいというので、恋バナなどしつつアラブ式ハンバーガー屋さんへ。もちろんハラール料理。わたしはケバブのバーガーを。ひさしぶりに炭酸でないジュースを飲んだ。アンマンでは、ペプシとかコカコーラとかセブンアップとかミリンダとかファンタとか、とにかくジュースといえば炭酸飲料なのだ。
ドキンドキンしている。今夜、スタッフがバグダードへ帰る。この数日は、毎日くたくたに疲れるほど、ハッピーな日々だった。わたしはスタッフのやさしい笑顔を見るたび、なにかあたたかい毛布みたいなものにくるまれているような心地になったものだった。
顔を出してくださった高遠菜穂子さんらも交えて、ロビーで歓談。医薬品なんかの大量の荷物を整えてGMCが来て、いよいよお別れ。
わたし達は、ターミナルまで行けないどころかホテル前で盛大にお見送りすることもできなかった。なぜなら、一緒にGMCをつかまえようとすれば外国人向けの値段をふっかけられるし、さらにたとえば運転手らがなんらかのグループと密通していて外国人と繋がっていることをチクられ身に危険が及ぶかもしれないから。悲しくなるよなそんな理由でわたし達は、ロビーで静かに握手を交わしカーテンに隠れながら窓の外を去ってゆくスタッフを見届けるしかなかったのだった。イラクと繋がっていたいからPEACE ONをしているのに、イラク人の安全のために支援もたんなる見送りすらもこっそり進めないといけないなんて、まったくどうかしている。しかし、今はこっそりとでも、繋がりつづけるということ、それだけだ。かれらの無事到着を全力で祈る。
by peaceonkaori
| 2005-09-27 03:06
| 中東にて