アラブの風
2006年 12月 26日
23日の明治大学でのイベントをもって今年の代表相澤の講演予定もすべて終了し、表向きの仕事は終わった。当日の内容はともかくとして、わたしにとってとびっきりのすっごいことがあったんであった!
会場の外でいつものように、イラクやシリアなどアラブ諸国の民芸雑貨をひろげて物販にいそしんでいたわたし。そこへメインゲストの亡命イラク人アブドゥル・リカービさんらが到着した。かれらは「へえ」といった感じでクフィーヤなんかを見ていたのだけど、さすがにサッダーム札(サッダーム政権下で実際につかわれていた紙幣)を見て苦笑いをしていた。
そこへ1人、若い男性が流暢な日本語で「えー、こんなのまで売っているんですか? わたしたくさん持っていますよ」とおっしゃる。こんな端正なアラビ見たことないーとハッと息を呑むような、品のある顔立ち、立ち振る舞い。でも、アレ、どこかで…と思い、「ハル・アンタ・イラーキー(あなたはイラク人ですか)?」と訊いてみる。「いいえ、エジプトです」ですって。まさか、まさか、まさか、「あのっ、モーメンさんですよね? ファ、ファ、ファンなんです!」と汗染みの感嘆符を放って、必死でつたえてみる。そう、かれは、NHK教育テレビの「アラビア語会話」講師のアルモーメン・アブドーラさんだったのだ。「お若いので分かりませんでした」と云いつつ、アラビア語でご挨拶のやり直し。いつもTVで見てアラビア語を学習していたので、そこんところはタマーム(ばっちし)。イラクのアンミーア(方言)でなく、フスハー(正則アラビア語)でできたよ。それにしても素敵過ぎる、ウットリ。
これは一大事と、さっそく開始直前で控えている相澤のもとへかけ寄り、「モーメンさんや、モーメンさんやで~」とあたふた報告する。最初はぽかんとしていた相澤もしだいに理解し、俄然モチベーションが上がったみたい。やりまっせ、モーメンさん。
物販の係のためイベントの内容をすべて聞けなかったのだけど、相澤のスピーチをその隣でモーメンさんがリカービさんにこそっと訳されている姿を見ただけで、もう大興奮。相澤の言葉をモーメンさんが訳してはるッ、それだけでこのイベントは垂涎モノでした、ほんっと。
終了後には、相澤もわたしもモーメンさんにPEACE ONの活動を紹介するので競争。イラクの現代アートのプロジェクト<LAN TO IRAQ>には、たいへんに興味を示してくださった。
そして、わたしはアラビア語の個人授業。「タッシャラフナー(どうぞよろしく)」というフレーズ1つとっても難しい。日本人はどうしても頭を下げてしまうけれど、たぶん向こうではアッラー(神)にしか頭は下げないからね。それに、男性と女性なんだからもうちょっと離れておこなうとか、男女の握手は軽めにとか(もっと近づいてぎゅっとしたかったのよー、ってミーハー過ぎ?)。ちなみに、ちゅっぱちゅっぱのキスは、男女ではほとんどやらないんだそうだ。ふーん、わたしはハニ・デラ・アリとやっていたけれど。そんなこんなで、わたしの「タッシャラフナー」はほぼ完璧になった。
東京へ越してきて2年とすこし。これでわたしの出逢えた憧れのひとは2人目(ちなみに1人目は、今春のシティボーイズ公演で見た倉本美津留さん)。
わたしはぼわーんと恍惚の瞳で、モーメンさんを見送った。
そして今日は、ご降誕おめでとう、の日。
イヴの昨日は、ご褒美の時として夕刻までお布団で過ごし、それからチョコレートやおりんごとともにシャンメリーで乾杯して、M-1グランプリを観賞。昔からのファンの芸人さんが大勢ご出場で、どぎまぎする。クリスマスのカードなどいただき、有難い。
今日は、イラクの友らにカードを送信したり、脅迫状を受けてエジプトに避難しているイラクの友とチャットを交わしたり、夜にはクリスマス用のチキンやケーキが安売りされていやしないかと商店街に漁りに繰りだすもヨミが外れて、けっきょくペルシャ料理屋さんのzakuroで食べきれないコース。チキンも羊もひよこもいただく。偶然いらっしゃった隣席のシリア大使館のかたと知り合う。前はアラビア語の教室をなさっていたというお友達の女性にも、発音などほめていただき光栄。それにしても、シリアのおこさんがほんまに可愛い。
エジプトといいシリアといい皆、恰好よいなあ。それに比べてイラクはまじもっさい。特におっさん、もっさ過ぎる。これが、イラク支援&交流をしていてつくづくかんじること。アラブの街を歩いていても、分かるもの。
そんなこんなを話しながら相澤とそろそろお店を出ようとすると、さっきまで遊んでいたシリアと日本のこどもが「おじちゃん帰るのー」「おじいちゃん帰るのー」ですって。アハハ、もう代表はお兄さんという年齢ではありませんな。相澤はシリア製のクフィーヤ(絶賛販売中!)を翻しながら、たいへんに口惜しがっていた。代表、サンタおじいちゃんとなって、事務局のわたしになにを贈ってくれるのかしら(←催促)。
会場の外でいつものように、イラクやシリアなどアラブ諸国の民芸雑貨をひろげて物販にいそしんでいたわたし。そこへメインゲストの亡命イラク人アブドゥル・リカービさんらが到着した。かれらは「へえ」といった感じでクフィーヤなんかを見ていたのだけど、さすがにサッダーム札(サッダーム政権下で実際につかわれていた紙幣)を見て苦笑いをしていた。
そこへ1人、若い男性が流暢な日本語で「えー、こんなのまで売っているんですか? わたしたくさん持っていますよ」とおっしゃる。こんな端正なアラビ見たことないーとハッと息を呑むような、品のある顔立ち、立ち振る舞い。でも、アレ、どこかで…と思い、「ハル・アンタ・イラーキー(あなたはイラク人ですか)?」と訊いてみる。「いいえ、エジプトです」ですって。まさか、まさか、まさか、「あのっ、モーメンさんですよね? ファ、ファ、ファンなんです!」と汗染みの感嘆符を放って、必死でつたえてみる。そう、かれは、NHK教育テレビの「アラビア語会話」講師のアルモーメン・アブドーラさんだったのだ。「お若いので分かりませんでした」と云いつつ、アラビア語でご挨拶のやり直し。いつもTVで見てアラビア語を学習していたので、そこんところはタマーム(ばっちし)。イラクのアンミーア(方言)でなく、フスハー(正則アラビア語)でできたよ。それにしても素敵過ぎる、ウットリ。
これは一大事と、さっそく開始直前で控えている相澤のもとへかけ寄り、「モーメンさんや、モーメンさんやで~」とあたふた報告する。最初はぽかんとしていた相澤もしだいに理解し、俄然モチベーションが上がったみたい。やりまっせ、モーメンさん。
物販の係のためイベントの内容をすべて聞けなかったのだけど、相澤のスピーチをその隣でモーメンさんがリカービさんにこそっと訳されている姿を見ただけで、もう大興奮。相澤の言葉をモーメンさんが訳してはるッ、それだけでこのイベントは垂涎モノでした、ほんっと。
終了後には、相澤もわたしもモーメンさんにPEACE ONの活動を紹介するので競争。イラクの現代アートのプロジェクト<LAN TO IRAQ>には、たいへんに興味を示してくださった。
そして、わたしはアラビア語の個人授業。「タッシャラフナー(どうぞよろしく)」というフレーズ1つとっても難しい。日本人はどうしても頭を下げてしまうけれど、たぶん向こうではアッラー(神)にしか頭は下げないからね。それに、男性と女性なんだからもうちょっと離れておこなうとか、男女の握手は軽めにとか(もっと近づいてぎゅっとしたかったのよー、ってミーハー過ぎ?)。ちなみに、ちゅっぱちゅっぱのキスは、男女ではほとんどやらないんだそうだ。ふーん、わたしはハニ・デラ・アリとやっていたけれど。そんなこんなで、わたしの「タッシャラフナー」はほぼ完璧になった。
東京へ越してきて2年とすこし。これでわたしの出逢えた憧れのひとは2人目(ちなみに1人目は、今春のシティボーイズ公演で見た倉本美津留さん)。
わたしはぼわーんと恍惚の瞳で、モーメンさんを見送った。
そして今日は、ご降誕おめでとう、の日。
イヴの昨日は、ご褒美の時として夕刻までお布団で過ごし、それからチョコレートやおりんごとともにシャンメリーで乾杯して、M-1グランプリを観賞。昔からのファンの芸人さんが大勢ご出場で、どぎまぎする。クリスマスのカードなどいただき、有難い。
今日は、イラクの友らにカードを送信したり、脅迫状を受けてエジプトに避難しているイラクの友とチャットを交わしたり、夜にはクリスマス用のチキンやケーキが安売りされていやしないかと商店街に漁りに繰りだすもヨミが外れて、けっきょくペルシャ料理屋さんのzakuroで食べきれないコース。チキンも羊もひよこもいただく。偶然いらっしゃった隣席のシリア大使館のかたと知り合う。前はアラビア語の教室をなさっていたというお友達の女性にも、発音などほめていただき光栄。それにしても、シリアのおこさんがほんまに可愛い。
エジプトといいシリアといい皆、恰好よいなあ。それに比べてイラクはまじもっさい。特におっさん、もっさ過ぎる。これが、イラク支援&交流をしていてつくづくかんじること。アラブの街を歩いていても、分かるもの。
そんなこんなを話しながら相澤とそろそろお店を出ようとすると、さっきまで遊んでいたシリアと日本のこどもが「おじちゃん帰るのー」「おじいちゃん帰るのー」ですって。アハハ、もう代表はお兄さんという年齢ではありませんな。相澤はシリア製のクフィーヤ(絶賛販売中!)を翻しながら、たいへんに口惜しがっていた。代表、サンタおじいちゃんとなって、事務局のわたしになにを贈ってくれるのかしら(←催促)。
by peaceonkaori
| 2006-12-26 00:49