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NPO法人PEACE ON相澤(高瀬)香緒里による日誌的記録(~2007年まで)


by peaceonkaori
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バグダードに住むまだ10代の少女2人の、その日々をすこし。子ども達の生活のすみずみにまで、戦争がはびこっている。
かのじょ達とはまだ直に会ったことはないのだけれど(この話はイラクの友達づてに聞いてもらった)、いつか乙女トークを交わしたいなあと願っているわたし。

19歳のおんなの子は云う。

イスラーム教のモスクがアザーン(1日5回の祈りの時を報せるモスクからの呼びかけ)を始めると、警察がそこいらじゅうを撃ち出すの。毎日5回、撃ってくる。なぜって、警察どもは誰もモスクに行ってほしくないからだわ。


16歳のおんなの子も話す。

ある日の休み時間、校庭でのこと。1人の狙撃兵が突然、お友達を撃ってきたのよ。かのじょは13歳ぐらいで、足に怪我を負ってしまった。なんの理由もなしに、ね。わたし達はこぞって泣き出した。学校の責任者がその子を連れに来てわたし達を下校させるまで、ただ泣いた。

別の日、わたし達が下校している時にね。また狙撃兵が、通りにいたおんなのひとを撃った。そのひとは赤ちゃんを連れていただけなのに。その狙撃兵はかのじょをダイレクトに撃ち殺したってわけ。

イスラーム教スンナ派のお友達Aちゃんととシーア派のお友達Bちゃんがいたの。Aちゃんのお父さんもスンナ派ね。Bちゃんは、Aちゃんのお家がお金持ちだってことをシーア派の民兵どもに漏らしてしまった。民兵はAちゃんを誘拐して、Aちゃんの家族に10万ドルも身代金を要求したのよ。家族は10万ドルを支払って、Aちゃんをとり戻した。でも後になって町のスンナ派の戦士が、BちゃんがAちゃんを売ったという事実を知ったらしいの。それでその戦士は、Bちゃんとその両親と5人の兄弟姉妹を皆殺しにしたんだって。


*はじめ京言葉で訳していたのですが、関西弁はお笑いのイメージがあるからこの話にはそぐわないと不評を買ったので、関東の言い回しで書きました。イラーキーって京都とか大阪とか、似合う思うねんけどなあ。
# by peaceonkaori | 2007-08-04 23:22

偽装する日常

イラクの友からメールが届く。「明日にでもメールを書くよ」と電話があったきり音沙汰がなかったのでしんぱいしていたのだけれど、とにもかくにもホッ。とはいえ、その内容の重さに読んでいてぐったりとしてしまった。
ニュースにならないことが多すぎる。こまめにニュースをチェックして情勢を追っているつもりになっているのではないか、わたしはまだまだ想像力が足らないのではないか、と初歩的な自問をする。
メールはひどく長く、スペルや文法のミスが目立っていた。それほどに、動揺し報せねばと思っていたということだ。また、いとこが惨殺されたと、その人間とは思えないほどに変わり果てた遺体の写真を送ってくるべつの友。全身の鳥肌が立つむごたらしいそれを撮影する時のかれの心情はいかようか。お悔やみの言葉を綴ったわたしからのメールに、「とってもうれしかったよ」と返すかれの気もちは。
ニュースにならないイラク人の「日常」を、すこしだけでも紹介してみようと思う。つたえられることをつたえることが、メールを受けとったわたしの務めと思うから。

かれのお父さんが、とうとうバグダードから避難した。バグダードを離れるわけにはいかない、と言っていたお父さんなのに。お父さんは、「俺には選択の余地がなかった」と話し始めた。狙われているのがはっきりと分かったからだった。お父さんは恐怖に怯え、状況が良くなるまではバグダードへは戻らないと決心する。
お父さんはイスラーム教スンナ派。今バグダードで移動するには、文字どおりの意味で死のリスクが伴う。…シーア派になりすますしかなかった。誇り高く生きてきたお父さんにとって、立場を偽るという選択がどれほどの苦渋だったことかと思うと、まだ会ったことのないわたしでも顔面の筋肉が硬直する。お父さんは髭をみじかく剃り、黒と白のチェック柄のクフィーヤを頭に巻いて、たくさんの大きなわっかを手にはめた。そう、シーア派みたいに。
米軍の作った分離壁によって、地区は囲まれていた。バグダードでは幾つかの地区において、テロリスト流入の阻止という名目でパレスチナを想起させる壁が建設され、封鎖されているのだ。メインの門から出ようとすれば、警察はお父さんを民兵組織に引き渡すに違いない。お父さんは友達に頼んで民兵の偽IDを入手して、あれこれ工作して、やっとこさ脱出できたのだった。

もちろんバグダードでなくても、危険はつづく。かれは、道路に転がった遺体の写真を送ってきた。ディシターシャを着た中肉中背の男性が、うつ伏せに倒れている。その写真についての友の説明は、まるでそんなことよくあることだよという風に、淡々としていた。
バグダードのお家は、軍組織(民兵かレジスタンスか米軍か)に占拠されてしまうのだろうか。仕方ない、とは口にできない。壊された「日常」。
# by peaceonkaori | 2007-08-01 21:41
5月23日、晴れ。今日は飛行機に乗ってドバイ経由で日本に帰る日だ。
国際的に活躍しここシリアでもイラク避難民を支援しているというNGOに連絡してみるも、繋がらない。すこしでも事情が知るべく、できれば会いたかったのだけれど。

イラク国外避難民の調査をひとまず終えて_e0058439_2328363.jpgそうこうしているうちに、ハニからSMS。アルハムドゥリッラー(神のおかげで)、一家でシリアに到着したとのこと。さっそくドゥマ地区の宿泊先へと出掛ける。
イラクから手術をしにやって来たお母さんの具合は、これまたアルハムドゥリッラー。このかたがハニ達をおんな手1つで育てあげたオム・ハニ(ハニのお母さん)なのね、とご挨拶。こども達もものすごくひさびさにお祖母ちゃんと会えたのがうれしいらしく、いつもよりしょうしょう大人しいかんじ、ふふ。テレ・ヴィジョンは、日本アニメの「フランダースの犬」最終回を放映していた。
ハニはパスポートを更新、一度ヨルダンから出ても再入国が可能であると確認がとれての今回のシリア訪問だった。そう聞いてもまだしんぱいするわたし、今そのぐらいヨルダンはイラク人に厳しい。

今回は10日ほどと短く、駆け足でヨルダンとシリアを巡ることとなった。とくに、シリアに逃れてきたイラクの子どもの状況について、もっと調べてみたかった。
PEACE ONが立ち上げようとしている、イラク国外避難民支援「寺子屋プロジェクト」。すみやかな実現を目指したいと現場を見てあらためて思ったのだが、そのためには当然まだまだ準備が必要だ。この教育プロジェクトを日本国内でも積極的にうったえて、支援金を募らなければいけない。やることは山とある。国際社会に生きる人間として、戦争を応援してしまった加害国の1人の市民として、わたし達は行為をいわば試されている。
そして、わたしは個人的にも恩返しをしたい。こんなにも手ばなしの笑顔をもらい家族愛を教わらなかったら、今現在のわたしみたいに新婚生活を送ったり2年の闘病の末にうつ病を卒業したりしていただろうかと、幾ら感謝してもしたりない。イラクに恋してイラクのみんなに愛し愛される、大のイラクずきとして。

この5月24日までの滞在記録はこれでお仕舞い。UPが早くなくて、申し訳ありませんでした。
# by peaceonkaori | 2007-07-07 23:29 | 中東にて
ダマスカス旧市街ショッピング_e0058439_1625169.jpgすこし休憩、旧市街の周辺でお買い物。

スーク(市場)を歩けば、たちまち呼びこみの兄ちゃん達の声や人びとのざわめきがアーケードに反響して耳にとけてゆく。「ご婦人、とっておきのものが」と誘われても、「まあ、高いのね」と半額の値を切りだしてみる。
そういえばサラマッドとアマラは、ここシリアでゆっくりと過ごすのは初めてなんであった。アラブ人じゃないYATCHとわたしがアラブをガイドする。絹製品と証明するためにその糸をライターで燃やす手法はダマスカス商人がよくやる手法だが、アマラ達は狭いお店に呼びいれられて熱心にそれを眺めていた。評判のアイスクリーム屋さんのアイスクリームを舐めたり、世界最古のモスクの1つといわれるウマイヤド・モスクの前の露店で絞りたてのオレンジジュースを飲んだりした。
ダマスカス旧市街ショッピング_e0058439_16244794.jpgサラマッドは露店で、試着し手鏡でチェックしてぱちもんのサングラスや飼いはじめた猫のために電気じかけで動くぬいぐるみ、それに甥へのお土産といって米兵がほふく前進しながら銃を乱射する玩具を買っていた。「こんなんでえーんかい」と何度もつっこんでみたけど、サラマッドはいったんあきらめておいて路をひき返してまで兵士グッズを買いもとめたのだった。

そのほかに、ドルマを作る時にほうれん草やぶどうの葉に具をくるむ道具も。お母さんへの贈り物かな? これはフィラスも購入。わたしも我がドルマ先生ことハニ夫人オム・ムスタファにあげたいなあとも思ったのだけど、「カオリはほうれん草で巻くのがへたくそやからねえ。わたしは手でできるわ」なんて云われたらまいっちゃうなあと思いなおして止した。
フィラスはアパートメントに戻ってからもその器械を大事そうに眺めていたので、しょうしょう意地悪になっていたわたしは「お母さんのドルマ食べたいんでしょう? バクーバが恋しくなった?」と聞いてみる。フィラスは、「お母さんのドルマ、ほんますきやねん。もうすぐ家族がシリアにやって来る。そうしたら作ってもらうんや」と箱を撫で撫でしながら語ってくれた。

信任投票前ということで、大統領バッシャールのTシャツなどがさかんに売られてもいた。街のいたるところにバッシャール、毎度そうなのだけど今回はとくに多かったので、最初は面白がっていたもののさすがに目にするのも疲れてしまった。

わたし達はオリーヴ石鹸とアルギレ(水煙草)を。
今まで現地のカフェや日本の中東料理屋さんでしか味わってこなかったけど、事務所でアルギレやりたいわねえ、月に1度の"PEACE ON CAFE"で会員さん達にも吸ってもらえたら、と決意。路地のアルギレ屋さんにて、店主のお父さん手製の硝子細工をほどこした逸品。職人のプライドでさすがに値段は700シリアンポンドのまままけてもらえなかったけど、付属品をおまけしてもらい、さらにお隣でフレイバーと炭も買えた。
(追記。帰国後に荷をほどいてみると、なんと破損! 硝子がこなごなに砕けてしまっていた。なんとか口だけは残っていたので、花瓶みたいなのにパテでくっつけてとりあえずできないものかしらん、と思案中。トホホホ…。)
オリーヴ石鹸も、専門店で計算機を片手にねばりにねばって最高級のものをべんきょうしてもらった。わたしの長時間の値切りに、サラマッドは失笑していた。

ダマスカス旧市街ショッピング_e0058439_16255421.jpg道路でカメラを構えていると、タクシがピッピーとクラクションを鳴らす。通行じゃましてごめんねと横にどいたら、運転手さんは「ほらほら、わし撮って撮ってー」。ほんっとにもう、シリア人もイラーキー同様に写真ずきの笑顔じょうずなんやから。

ダマスカス旧市街ショッピング_e0058439_1626151.jpgダマスカスでは、たくさんの野良猫を見かける。「ビッズーナ」とイラク訛りで猫と戯れながらアマラが、「ねえ、わたし達シリアの野良猫プロジェクトをやらないと!」ですって。

今夜、サラマッドとアマラはヨルダン経由でフランスに帰国する。わたし達は定宿にチェックインし、キスと抱擁で2人を見送った。アマラがこそっと耳うちする。おとこ抜きの乙女トークでわたしが相談したことを、アマラは気にかけてくれていたのだった。マッサラーマ(さよなら)、わたしのお姉ちゃんとお兄ちゃん。兄弟姉妹のようなかたい絆、こうかんじるからわたしはPEACE ON(と裏組織LOVE ON!?)を宝のように想えるのだと思う。

スーク・ハミディーエの骨董品屋さんユースフさんには、一度ご挨拶したきり忙しくってゆっくりとは会えずじまいだった。
# by peaceonkaori | 2007-07-06 16:28 | 中東にて

水煙草をくゆらす

やっとフィラスが帰った後、サラマッド&アマラ夫妻とアルギレ(水煙草)カフェでダブルデート。カシオン山の夜景を目に、屋上で水煙草をぷかぷかする。
今回は航空券があまりに高いので当初サラマッドが1人でフランスから駆けつける予定だったのに、運よく安いのが入手できたためアマラと2人で来られることになった。よくよく聞いてみると、なんとサラマッドがアマラに涙を流して「1人はいやだ、一緒に来てくれ」と嘆願したのだという。きゃー、可愛い! アマラがサラマッドのあたまを撫でながら、話してくれた。
サラマッドはきまりが悪そうに、イラクのことがしんぱいで毎日なにも手がつかないことをこぼした。サラマッドもイラーキー、PEACE ONスタッフである前にかれも戦争被害者なのだ。イラク国内に家族がいる、近しい友を亡くしたりご近所さんが武器をとって戦っていたりもする、祖国が混乱の渦に呑まれている。じぶんがとりあえずは安全な他国に一時避難しているからといって、もちろんそれで万事快調なわけではない。いわれのない罪悪感が己を責め、毎晩のように悪夢にうなされている。もう、疲れているんだ。

翌晩も、フィラスはなかなか帰らない。アパートメントに戻ってサラマッドとアマラがお部屋で祈りを捧げていると、フィラスは「僕にも祈らせてくれ」と靴を脱いでシャワーで身体を清めてから祈祷し、さらに朗々とクルアーンを詠唱しはじめた。わたしがアマラから贈られた携帯用のちいさなちいさなクルアーンをフィラスに見せたら、かれは「ありがとう」と云ってそっとそれにキスをした。
アラブでは、よそのおとこがいる前で女性はあまり煙草も水煙草もやらない。わたしのような東洋のおんなは別として、アマラはさすがにフィラスがいては水煙草が吸えない。わたし達は苦笑いしながらフィラスが帰るのをしんぼうして待っていたのだけれど、ついにあきらめて街へと出た。

水煙草をくゆらす_e0058439_2139930.jpgシリアは今ちょうど大統領の信任投票の直前で、街はお祭り騒ぎ。爆音で車が走行しているとおもてへ出てみれば、はこ乗りになった暴走族みたいな車列が我がもの顔で連なる。シリア国旗をはためかせ、「ボッロッビッデムッニブディークヤ・バッシャール(血も魂もバッシャールに捧げる)!」とテンポよく叫んでいる。「ちょっと今の聞こえた? (サッダーム時代の)イラクを思い出すわ」とアマラ達もにたにた笑っている。
ヨルダンでも、国王アブドゥッラーがスポーツをしていたり軍が行進しているプロモーション・ヴィデオのようなものが、テレ・ヴィジョンで流れていた。ハニのこどもらに聞くと、学校でもいつもアブドゥッラーに忠誠を誓うらしい。サッダームの「圧政」から「解放」されるために、イラクは侵攻された。人びとはサッダームを崇拝していた、すくなくともそうよそおっていた。だけど、隣国ヨルダンにしたってシリアにしたって、いたるところに肖像画が飾られている。車の窓にもお店の受付にもテレ・ヴィジョンにもお財布のなかにも携帯電話の待ち受け画面にも、アブドゥッラーそしてバッシャール。サッダームは最後までアメリカに反発した、だから今日の泥沼がある。闘ったサッダームを英雄視するか、おべっか使いで戦争を避けたほうが賢いと思うかは、イラク人に聞いてもそれぞれの立場で異なる。それについてわたしがなにか言うことはできないと思っている。でも…この旅の読み物に携えた日本社会臨床学会『社会臨床雑誌』第14巻第3号の小沢健二「企業的な社会、セラピー的な社会」を読みながら、深くうなずくわたしがあった。

タクシで移動する際、人数オーヴァーで助手席にサラマッドとフィラスが2人で座る。ものすごい苦しそうでつい笑うわたしにサラマッド、「これがイラク・システムさ」…!
# by peaceonkaori | 2007-07-05 21:43 | 中東にて